
ソフィア先生の補習授業

「さて、二時間目だ。ドイツはワイマール共和国となったが、国防軍は再軍備をはじめることになった。
しかし、そんなことをして周りの国が黙っているはずがない。
せっかくドイツを弱体化したのに、また戦争の火種を産むことになるからな。
定期的にドイツには隣国の査察官がやってきていたのだ」
「それじゃどうやって再軍備なんかしてたわけ?戦車とか作ってたらすぐに壊されちゃうんでしょ?」
「壊されるだけで済めばいいのですけど・・・・。おそらく様々なペナルティーが下るのではないでしょうか?」
「その通り。ドイツが再軍備しようとしていることがばれれば、ドイツは隣国から叩かれ、無視などすれば一気に戦争突入、もちろん敗北は必死だ。
しかし、もしも査察官がドイツの再軍備に気がつかなかったらどうだ?
例えば、再軍備がドイツ以外の国で行われていたとしたら?」
「ドイツ以外の国で行われていればばれないわね」
「そういうことだ。そしてそのドイツ以外の国というのがソ連だった、というわけだ」
「それはおかしい。ビスマルクの頃から共産主義者は徹底的に社会から抹殺されていたから、ドイツは共産主義が大嫌いなはずだ」
「そこが欧州情勢の難しいところだ。
ソ連の歴史を見てみるとしよう。
ソ連の母体となったロシア帝国は1904年の日露戦争で敗北し、国内は崩壊寸前だった。
そのうえ1914年の第一次大戦で、すでにロシア帝国は国の存続すら不可能なまでに弱体化していたのだ。
アメリカが参戦し、ドイツの敗北がすでに決定的となった時点でロシアでは革命が起こった。
この二回の革命により1922年、ロシアはソビエト連邦となったわけだ。
しかし、その前後から帝国主義国家群はソ連に出兵をしている。
なにせ北方のどデカイ大国が共産主義国家になってしまったのだ。
このままでは世界が真っ赤に染まるのも時間の問題だと危機感を募らせた各国は、これを叩き潰そうとして戦争を仕掛けつづけた。
しかし、冬将軍とロシアの大軍の前に帝国主義国家群はすべて敗退した」
「ロシアの冬って凄いわねぇ・・・」
「しかし戦争に負けたといっても、自分から仕掛けて軍隊のみが返り討ちにあっただけだ。
こーいう場合、国家そのものがボロボロになるほどのダメージは受けることは無い。
家や工場、会社などが破壊されるわけではないからな。
ベトナム戦争と同じで負けたからと言って再起不能になるわけではない。
ある一国が強く、戦争を仕掛けて倒すことが不可能な場合、世界各国はどのような行動に出るか?」
「どうなるわけ?」
「過去の歴史を見ればわかる。
18世紀、イギリスが大英帝国として世界最強の帝国だった頃のアメリカ独立戦争では、世界各国はどのような行動に出たか?」
「対イギリス包囲網を仕掛けたな。世界中で反イギリス同盟を組んでイギリスを国際的に孤立させた」
「それと同じだ。ソ連は危険であるという危機感から、世界各国は対ソ連包囲網を仕掛けた。
つまり、ソ連を国際的に孤立させたわけだ。
イギリスがトップのときは対イギリス包囲網を仕掛け、ナポレオンの頃のフランスには対フランス包囲網を仕掛ける。
第一次大戦の頃のドイツには対ドイツ包囲網を仕掛け、ソ連誕生の頃には対ソ連包囲網を仕掛ける。
このように世界の歴史を見ると、一国だけの一人勝ちという状況になると、周りの国は大概がその一国をトップから引きずり落とそうとして手を結ぶ。
これが国際社会の歴史だ」
「調子に乗っているヤツがいると集団で叩こうってのは、人間的にどうかと思うわね・・・・」
「でもそれが外交ってもんなんだよ。テッサ先生も言ってただろ?
個人レベルの付き合いと国家レベルの付き合いを一緒にするヤツはただの馬鹿だって。
たしかにこーいうことを平然と個人レベルでやる連中は付き合いたくはないが、国際社会ってのはそーいうものだ。
とにもかくにも、世界から孤立しないようにしなければならない。
歴史を見ればわかるが、世界から孤立した国ってのはボコボコに虐められるのがオチだ」
「そういうことだ。そこで第一次大戦の敗戦国であるドイツと、国際的に孤立したソ連は水面下で手を組み始めた。
ドイツは技術はあったが、それを生かすことができる場所と資源には恵まれていなかった。
ソ連は逆に技術を生かす場所も資源にも恵まれていたが肝心の技術には恵まれていなかった。
ドイツもソ連もこのままでは他の列強各国に侵略されるのは時間の問題であると危機感を募らせていた。
そーいうわけで利害が一致した両者が手を結んだのは歴史の必然と言えるだろう」
「虐められっコ同士が仲良くなったということですね」
「簡単に言えばそうなるな。
さて1922年の独ソ国交回復の条約であるラッパロ条約以降、外交の場ではドイツとソ連の国交は盛んに行われたが、国内の事情はどうだったか、を見てみよう。
ドイツはワイマール共和国となったが賠償金と不況が重なり、国民の不満は高まるばかりだった。
現在のワイマール政府に任せておけば必ずドイツは列強の餌食となってしまう、という社会不安が増大していた中で台頭して来たのがアドルフ・ヒトラー総統閣下
だった。
当初は芸術家を目指していた総統は、まぁいろいろあったわけでナチス党へ入党、紆余曲折を得てその党首へとなり、国民の支持を得て大統領と首相を兼ねた総統となったわけだ」
「ちなみに、ラッパロ条約の秘密条項に、ドイツの航空技術の提供とソ連の軍用飛行場の提供があったな。
あと、一般に総統閣下は恐怖政治による独裁者というイメージが強いが、権力を得るまでのプロセスは選挙による民主的なものだった。
もちろん、非合法な手段も使ってはいたが、それでもソ連よりはかなりマシだった」
「ソ連はそんなに酷いんですか?」
「結論から言おう。
1991年のソ連崩壊まで、ソ連の政権交代がスムーズに行われたことは一度も無い。
全てクーデターで政権が交代している」
「全て?」
「全てだ。表向きは確かに「辞任」という形だが、亡命してきたソ連将校や政治家の話、CIAなどの諜報機関からの情報でそれは全て形だけのものであり、クーデターだったことがわかっている。
ソ連は、国民は皆平等であり、貧富の差がないことが売りの共産主義国家だ。
しかし実態を見れば王政の頃よりも貧富の差は激しく、まして権力のトップにいる連中の生活は世界最高レベルの贅沢の水準に達している。
古今東西、そーいう生活に憧れる連中はあとを絶たない。
権力と金、この二つを得るためならばどんな手段でも目上のものを引きずり落とすような連中の溜まり場がソ連だったというわけだ。
そもそも一党独裁制の上、世界トップクラスの軍事国家であるソ連の場合、政権がスムーズに交代することなどあり得ない。
誰だって一度裕福になれば、それを手放すことは嫌だからな。
政権交代がクーデターというのは自明の理というわけだ」
「あの国が狂ってるのは冷戦ではじまったことじゃない。
ソ連はソ連誕生の前からすでに狂っていたんだ。
ただ戦争に負けなかったから、そのままずるずる70年も狂いつづけただけなんだよ」
「ソ連誕生当時、1922年のソ連政府最高権力者はなぜか日本ではいい人に書かれていることが多いレーニン
だ。
毛沢東も善人で描かれていることが多いが、まあそれは頭のイカれた連中が描いた楽しい楽しい仮想戦記なわけで放っておこう。
この手の狂信者には何を言っても無駄だからな。
さてこのレーニンだが、KGBの母体となった非常委員会を創り、革命の反乱分子を虐殺、収容所を創り、罪の無い人々を拘束、虐殺、逮捕、エトセトラエトセトラ・・・・」
「なんでそんなことになっちゃったわけ?」
「だってソ連だぞ? 一般にソ連の虐殺はスターリンが個人でやったと思われがちだが、そんなことはない。
スターリンはレーニンをパワーアップしただけだ。
なにせスターリンの虐殺の基盤を作ったのは他ならないレーニンなのだからな。
レーニンのやったことを並べると規模が違うだけで、スターリンと似たようなことをしている。
こんなことを平然と行うやつの教え、すなわちマルクス・レーニン主義なんぞを信奉している連中が共産主義国家では平気で政権につくのだ。
ベトナム、カンボジア、ミャンマーなどの東南アジアの共産主義国家で虐殺の嵐が吹き荒れたのは自明の理だな」
「それでは毛沢東やポルポトがやったことは事前に予想ができたのですか?」
「当然だ。
だからこそベトナム戦争は十年以上という泥沼の長期戦になったのだ。
ベトナム戦争をアメリカの侵略と考えてる連中がいるが、そんなことはあり得ない。
十年以上も泥沼の長期戦を繰り返してまでアメリカに得るものがあるか?
ただベトナムを侵略したいだけならば、十年以上の戦争継続など損するに決まっている。
だがもしも共産主義によって世界が真っ赤になってしまう可能性を潰そうと考えているのならば、十年以上の長期戦も納得がゆくだろう」
「凄いわねぇ・・・・」
「ただこれをはるかに上回るのがスターリン
だ。
1924年、レーニンが病気で死にかけたとき、レーニンは毒を飲んで死にたいと言った。
つまりは安楽死だ。
だが部下たちはそれを実行する勇気などなかった。
個人的にも親しいレーニンに毒を与えることなどできるわけがない。
そこでレーニンはスターリンに頼んだ。そしてレーニンは安楽死を迎えたというわけだ。
だがここで注目したいのはレーニンはスターリンを信用していなかったということだ。
当時のレーニンの発言を調べると、レーニンは自分の後継人にはスターリン以外のものを探していたことが明らかになっている。
それがなぜスターリンに毒を頼んだのか?
理由はただ一つ、スターリンならば毒をくれると思ったからだ。
こうしてレーニンの跡を継いだスターリンはその権力を固めるためにライバルを消し始める」
「消すって・・・文字通り?」
「言うまでもなかろう。レーニンが死んだとき、革命の元老であり、党随一の理論家、軍事人民委員(陸軍大佐)であったトロツキーは、モスワクをはなれ、休養旅行中だった。
このトロツキーという人物は簡単に言えばレーニンの後継者候補の一人だ。
つまりはスターリンのライバルということになる。
スターリンは、旅行中のトロツキーに「レーニンの葬式には間に合わないことであるし、貴下の健康を考慮し、葬式に帰らなくても良い」という電報をうった。
ただこれは大嘘だ。そもそも国の最高トップが死んだのに、こなくていいなどということがあってたまるか。
実際にスターリンがトロツキーに「来なくてもいい」、と言ったのはその間にトロツキーの失脚を工作したからだ。
モスクワから隔離されたトロツキーの勢力は次第に削られ、1925年1月17日、トロツキーは軍事人民委員会から解任される。
1929年には国外追放、1940年には亡命先のメキシコでスターリンの放った殺し屋により殺害されてしまう」
「凄いな」
「凄いのはここからだ。
スターリンはトロツキーを追放するまで革命の元老であるカーメネフ、ジノヴィエフを攻撃しはじめた。
結局、1936年8月19日、カーメネフ、ジノヴィエフら16人の”反革命陰謀事件”の公判が開かれ、被告全員に銃殺刑が求刑された。
8月24日、法廷は求刑どおり、被告人全員に銃殺刑判決を下し、判決は間髪いれず翌25日に執行された。
それから一年半後の1938年2月28日、モスクワ最高軍事法廷はブハーリン(元政局員・コミンテルン議長)、ルイコフ(元政治局員・首相)、ヤーゴダ(元内務人民委員)、トハチェフスキー元帥(元国防人民委員代理・参謀総長)ら21人を被告とする反革命陰謀事件の予審が集結したと発表した。
裁判の結果、3月15日にブハーリン、ルイコフ、ヤーゴダ、トハチェフスキーらおもだった被告に銃殺刑が宣告された。
この裁判も結局は形ばかりのものではじめから銃殺刑が決定されていたのだがな。
トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフ、ブハーリンらばかりではなく、それにつながるとみられた党員、かつてのメンシェビキ、社会革命党員、アナーキスト(無政府主義者)などの革命前の同調者、帰国した元逃亡者、外国人と文通した市民、外国の共産党員、かつて除名された党員、赤軍の幹部、さらには粛清の主役だった国家保安機関(ゲ・ペ・ウや内務人民委員部)、司法機関のなかにまで粛清の嵐は吹き抜けていった。
ある人々の計算によると、1936年から38年の間に、留置場の門をくぐった人は、全人口の5,6パーセント。すなわち800万から900万でそのうち有罪とされたのは約200万であるという。
1934年の第十七回大会で選出された中央委員140名のうち、1937年の秋に以前と同様、自由だった者は14名にすぎず、政治局員12名のうち自由の身だったのは8名であった。粛清の嵐は赤軍にも及んだ。
これが世に言う赤軍大粛清というやつだ。
1937年と38年中に粛清された赤軍幹部は元帥5名のうち三名、軍司令官15名中の13名、軍団長85名中62名、師団長195名中の110名、旅団長406名中の220名であり、また大佐以上の高級将校の65パーセントが逮捕されたといわれている。
スターリンはこのようにして革命の元老、同志を葬り去り、独裁者となったわけだな。
さらに粛清の嵐は民間人にまで及ぶ。
毎月何万人もの人々が銃殺され、その数倍の人数が収容所におくられて強制労働をさせられた。
スターリンが権力を固めるまで虐殺された人間の数は2000万人から3000万人とも言われている。
ちなみに第二次世界大戦の戦死者数は3000万人から4000万人だ。
こうしてみればわかるだろう。
ヒトラー総統
とスターリン
ではレベルの桁が違う」
「さらに言うならば毛沢東は二度の革命で5000万人以上を虐殺した。
旧日本軍の規模の小ささがよくわかる数字だな」
「最後のは別の問題のようだが・・・・とにかく凄まじいな・・・・。けど、こんなに粛清ばかりしたらスターリンの力は強くなっても、ソ連軍の力は低くなってしまうんじゃないか?」
「そうよね。大佐以上の高級将校の65%が逮捕って・・・・。そんなんで軍が機能するわけ?」
「だからドイツ軍最高の将軍がスターリンって言われるんだよ。
スターリンは自分の権力を集中させるために、有能な人材をことごとく消し去っていった。
特に赤軍の赤いナポレオンと呼ばれたトハチェフスキーを殺したのは痛かったな」
「赤いナポレオン?」
「トハチェフスキーはおそらくソ連最高の頭脳を持つ将軍だ。
ソ連を潰そうとしてきた帝国主義国家との戦争には、彼の力無くしては勝利はなかった。
ヒトラー総統でさえ、このトハチェフスキーの力を恐れ、トハチェフスキーが生きていれば独ソ戦自体が起こらなかったとさえ言われている」
「なんでそんな凄い方をみすみす殺してしまったのでしょうか?」
「決まっている。そんな有能なヤツが高い位にいれば将来のライバルになる可能性があるからだ。
スターリンは暗殺と謀略でトップにまでのし上がった男だ。
だからはっきり言えば誰も信用できない孤独な髭親父ということだな。
どいつもこいつも自分の命を狙っている、と疑心暗鬼にとらわれ誰一人として信用できない。
もっともスターリンに反抗するやつなんか誰もいなくなっていったけどな。
何せ目をつけられたら殺されてしまうわけだから、誰もスターリンに意見が言えなくなってしまったわけだ。
トハチェフスキーはロシア革命を潰そうとする帝国主義国家との戦争中、スターリンに援軍を断られたという過去がある。
そこでスターリンは、トハチェフスキーがスターリンに恨みを抱いていると思うわけだ。
殺られる前に殺れ!という具合に処刑は決行された。
もっとも、そんなことに関係なく、問答無用で粛清の嵐は吹き荒れたけどな」
「というわけでドイツとソ連では、ヒトラー総統とスターリンがその権力を固めつつあったわけだ。
総統閣下は「共産主義国家ソ連のスターリンこそ人類の敵である」といい、スターリンは「ファシズム国家ドイツのヒトラーこそ人類の敵である」と言っていた。
このように表面化ではお互いを敵と罵ることで国を一枚岩に固めていき、水面下ではイギリス・フランスに対抗する力を得るために着実に軍備を増強していった」
「・・・・どっちもどっちよね」
「大丈夫。ドイツはソ連よりカッコいい」
「・・・・。妖しい服を着た集団がノリノリで「ジーク・ハイル!」とか叫んでいる姿がカッコいいのか?」
「ならビール飲みながら国歌を熱唱して「USA!」って叫んでいるのはどうなんだ?
はっきり言ってハリウッド映画はドイツのパクリだぞ?
戦後のアメリカは文化的にも、軍事的にもドイツの技術をパクリまくってるし」
「それを言われると辛いな・・・・」
「こうしてドイツはヒトラー総統によって、いい感じに脳みそヨーグルトになっていき1935年、総統閣下が第三帝国を自称してからちょうど二年のときに再軍備を宣言した。
当然イギリスやフランスなどの欧州各国はその行動に恐れをなしたが、ソ連で密かに作っていた戦車などの兵器がずらりと数を並べており、ドイツはすでにヨーロッパで脅威となる力を持っていたのだ。
実際のドイツの戦力は一国とさえ戦争することができるかどうかも怪しいものだったが、ヒトラー総統の卓越した政治交渉により周辺諸国はドイツに恐れをなし始めたのだ」
「優れてるっていうと・・・どのへんが?」
「この辺は政治的駆け引きというよりは、人間的な駆け引きと言ったほうがいいだろう。
総統閣下は恫喝や脅し、情報の拡張などでドイツを軍事大国に見せかけたのだ。
1938年の時点でドイツは同じドイツ民族のオーストリアを全国民の支持の元で併合している。
オーストリアにとってすれば、ヒトラー総統はもともとオーストリアの生まれだからそれほど拒絶反応もしなかったのだろう。
そんなわけで「ドイツは急成長をしている」というのが英仏政府の見解だった。
実は、実際のドイツの戦力はそこまで強くなかった。
この時点で英仏と戦争をしてはまず勝ち目などない。
しかしヒトラー総統は、「文句があるなら戦争をしてやる」、と勝てるかどうかもわからない戦争を受けて立つ態度で押し切ったのだ。
各国の首脳は、「ここまで自信があるのだ、きっとドイツは恐ろしいほどの力をつけている」と恐れをなした」
「つまり・・・ビビッたってこと?」
「そーいうことだ。とりわけイギリスのトップ、チェンバレンはドイツと戦争したくないことを優先させて腰抜け外交をしていた。
こいつはイケるっ!
と、思ったヒトラー総統はチェコスロバキアのスウェーデン地方のドイツ併合を成功させた。
この会談がミュンヘン会談といって、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの親父さんもこの会談の関係者だった」
「ジョン・F・ケネディ大統領のお父さまも参加してたのですね?」
「そうだ。WWU(第二次世界大戦)と冷戦ではその中心人物らが重なることが多い。
だから、WWUと冷戦を別時代と思っていると世界情勢は見えてこない
WWUの国際関係はそのまま冷戦に直結するからな。
歴史を一つの壮大なストーリーとして見ることができない人間は新聞など読まないほうがいい。
いい加減なマスコミの情報に躍らされているだけなのにも関わらず、自分は国際状況がわかっている”つもり”の人間ほど邪魔なものはない。
そーいう連中はかえって足を引っ張る。
それは1991年の湾岸戦争で実証されたからな」
「大尉、それは言いすぎかと・・・・」
「何を言う。動かない方がマシだったなど、第二次大戦のイタリアそのものではないか? 」
「・・・・いい加減飽きない? イタリアの悪口は・・・・」
「飽きない!」
「あっそ、で? チェコげっとぉー!のあとどうなったの?」
「ゲットって、をい・・・。ポケモンじゃないんだから・・・・」
「チェコの併合はドイツ軍にとって利益をもたらした。
なんせ1938年の時点でのドイツ軍の戦車はまだ一号、二号が主力であり、時期主力の三号、四号戦車はようやく量産のメドがついたかつかないかという状況だったのだ。
チェコ併合により約1000両の戦車が手に入ったことで、ドイツ軍はかなりの戦力アップができたというわけだ」
←一号戦車
←二号戦車
「一号、二号じゃ戦えないわけ?」
「結論から言えば無理だ。
戦車について語りだすとキリがないのだが、とりあえずドイツ軍の戦車には一号から六号までがあることだけ知っていればいい。
数あるドイツ戦車は大抵がこの6種類のバリエーションだ。
ちなみに五号はパンター(豹)、六号はタイガー(虎)とあだ名がついている」
←パンター
←タイガー
「ティーゲルってのは何?」
「それは英語かドイツ語かの違いだ。ティーゲル、ティーガー、タイガー、は全て六号戦車のことを指す。
言い方が違うだけで同じモノだ。
とにかく一号戦車はもともと戦車の量産技術を高める為と演習用のために作られた実験車両だ。
イギリスやフランスの目を誤魔化すためについた名前は農業用トラクター
他国の査察官が来ると「これは戦車ではなく、トラクターです」とか言って誤魔化していたわけだ。
二号戦車も結局はパワー不足、火力不足、装甲の厚さ不足と欠点だらけだった。
1936年の3月、ドイツ軍はラインラントの非武装地帯を占領、7月にはスペイン内乱ではイタリアのムッソリーニとともにフランコ軍を支持した。
このときの小競り合いで一号、二号戦車の性能が低いということがはっきり分かったわけだ」
「スペイン内戦が続いていた1937年4月に、ドイツ軍はスペインの都市ゲルニカを爆撃した。
これが有名なピカソの『ゲルニカ』の絵の元ネタだな」
←ゲルニカ
「あー、あの落書きですね」
「またそういうことを言う・・・確かに正直、上手いとは思えないが・・・・。芸術家は一般人とはセンスが違うと言うし・・・」
「ちなみにゲルニカを描いていた当時、ピカソは二人の愛人に「勝った方と付き合う」と言ってケンカさせていたそうだ。」
「なんと言うか、どうしょうもない外道っぷりね・・・」
「そんなこんなでドイツはオーストリア、スウェーデン、チェコ、と次々に併合し、ほとんど戦争らしい戦争もせずに巨大化していった。
ヒトラー総統は正直ここまでうまくいくとは思っていなかったが、イギリスのチェンバレンが腰抜けだったおかげで予想以上にうまくいった。
野望に燃えるヒトラー総統は、ポーランドに狙いを定めた。
ポーランドも第一次大戦でドイツから領土を保有しており、ドイツ国民にとって、ここはなんとしても取り返したい場所だったのだ。
今回もうまくいくだろう、というわけでポーランドに「領土を返せ」と要求したが、そうそううまく行かず、ポーランドはこれを拒絶した。
1939年4月、ヒトラー総統は対ポーランド戦を決意し、9月に実行することに決めた。
ここで問題なのはドイツは1934年にポーランドと不可侵条約を結んでいる。
第一次大戦での敗因の一つ、東西からの挟み撃ちを防ぐためだ。
だから総統は当初はポーランドと戦う気などなかった。
それがなぜたったの5年で態度を変えたのか?」
「ヒトラーお得意の当てにならない直感じゃないのか?」
「残念だが、それは違う。それを繰り返すようになるのはもう少しあとだ」
「スターリンさんお得意の「まったく他人が信じられない症候群」が発病したのでしょうか?」
「正解。 イギリスやフランス政府の腰抜けどもの甘っちょろい外交政策は、ソ連のスターリンに一つの疑惑を持たせた。
イギリス、フランスはドイツと連合を組み、日本やアメリカと手を組んでソ連を潰そうとしているのではないのだろうか?と。
事実、ソ連誕生を阻止しようとして帝国主義国家群はソ連に戦争を仕掛けていた。
誰も信じられない孤独の筆髭ことスターリンは、
「いっか〜〜〜ん!
このままではソ連は周りを敵に囲まれてしまうぜ!
どうしよ!どうしよ!?」
「と焦り、ドイツに急接近、1939年8月には独ソ不可侵条約を成立させるまでになった」
「本当に人が信用できないのねぇ。ドイツがフランスやイギリスと手を組むわけないじゃない」
「と思うだろ? しかし、欧州情勢は損得勘定で思わぬ方向に変わる。
実際、ヨーロッパの歴史はそんなことの繰り返しだ。
誰もがまさかと思い、同時にもしやと思う。
それがドンピシャリと上手かったのがドイツ最高の政治家ビスマルクだったっていうわけだ。
だからドイツ・フランス・イギリスが共同してソ連に当たることも可能性はあった。低いけどな。
ただスターリンは当時の各国首脳部の中でもダントツで人が信じられない男だったから、頭の中の楽しい楽しい仮想戦記に悩まされていたわけだ」
「ドイツとソ連が手を組んだことに世界は驚いた。
ファシストとコミュニストはお互いを「人類の敵」と明言していたのだからな。
だが、各国はいつまでもショックを受けてばかりではなかった。
歴史を見ればこのようなことは前例がないわけではなかったのだからな。
ただいつまでもショックを受けていたのが日本だった。
この同盟を見て、「欧州情勢は複雑怪奇」というコメントを残している。
福沢諭吉が生きていれば、十分ありうると答えただろうな。
ヨーロッパは損得勘定で戦争をやる。
だがそれは、幕末で犬猿の仲だった薩摩と長州が、対幕府のために薩長同盟を結んだことと同じ構図だ」
「結局、どこの国もやってることはあまり大差がないってことか」
「ドイツはソ連と同盟を組むとともに密約をした。ポーランド分割とバルト三国をソ連に併合させるという密約だ。
ドイツとしてはポーランドと戦うことよりも、ソ連を敵に回すことのほうが恐かった。
しかし、独ソ不干渉条約が成立したとなれば、ドイツは将来の二面作戦を避けることができる。
ヒトラー総統もスターリンも、お互いが
『こいつはあとでぶっ殺す』 
と思いつつ、顔はニコニコしながら握手してたというわけだ。
1939年8月23日に独ソ不可侵条約が成立し、9月1日にポーランド侵攻は実行された。
第二次大戦の幕開けというわけだ。
とまぁ、キリがいいので2時間目はここで終了しておこう。
まだ時間が余っているのでSS親衛隊について話しておく」
「ヴォルフについて語られてもつまんないわよ」
「俺は国防軍。SSは大尉だ」
「わかんねぇよ」
「では国防軍から説明しておこう。通常、国家が持つ軍隊というのは大概が外敵から身を守る国防のために存在する。
日本の自衛隊と同じだ。
国を防衛する軍、すなわち国防軍だ。
対する親衛隊というのはヒトラー総統を守るために存在する。
つまり国防軍がドイツを守るのに対し、親衛隊は総統を守るということだ」
「なんでヒトラーの警備兵がそんなにうじゃうじゃいるわけ?」
「それはナチス党が政権を獲得する前にまで遡る。
当時の政治活動というのは現在の日本のように安全ではない。
自分の所属する政党が演説していれば武力介入で潰したり、その逆に潰されたりすることも日常茶飯事だった。
ドイツの場合、国を挙げて共産党を排除しようとしていたわけだから警察など当てにならない。
荒れる政治活動の中、各政党は自分の身は自分で守ろうと武装していった。
この武装には傭兵、とりわけ第一次大戦で生き残ったもの、国防軍の数は10万人までということで職を失った元軍人が多かった。
そんな中、派手な演出と斬新な政策で国民の人気を集めていたのがナチス党だった。
ナチス党は1920年頃になると国内でも無視できないほどの勢力になり、他の政党からの妨害から党を守るために突撃隊、通称SAを発足した。
初期のSAのコスチュームは特に変わっておらず、ドイツ陸軍の制服にハーケンクロイツの腕章をつけたものだった。
ここで注意したいのは、ハーケンクロイツは何もナチスの専売特許というわけではない、ということだ」
「え?あれって、ナチスが日本の神社のマークをパクったんじゃないの?」
「それは違う。
なぜならばハーケンクロイツはナチス発足のはるか前、第一次大戦前にはドイツのナショナリズムのシンボルとして使われていた。
19世紀には一部のエリート部隊にはすでに使われていたという事実もある。
言うなればあれはドイツ版日の丸だ。
この鍵十字はスワスチカ、もしくはスワチカと呼ばれているルーン文字だ。
古代ゲルマン神話における雷の神『トゥール神』を象徴し、意味は「神への忠誠」を示している」
「オカルチックねぇ・・・・」
「だがこれが好きだったのは米軍が多かった。
なんせ珍しいものだったから、ノルマンディー上陸作戦以降は「息子へのいい土産になる」なんてくだらない理由でドイツ兵の制服や勲章をあさる米兵が後を絶たない。
戦車を倒したあとは「ルガーを探せ!戦車兵はルガーを持っている!」なんてノリで壊れた戦車をあさる米兵がうじゃらうじゃらと・・・・。
まるでRPGのようなノリでドイツ兵を倒していた」
「どうしてルガーP08を探すんですか?」
「答えは簡単だ。
珍しいからだよ。何考えてるんだか知らんがドイツ兵の持っていたアイテムを家宝にしてる連中までいる。
ルガーはマニアの間じゃ数十万から数百万の値がついているから、家宝ってのもわからんでもないが・・・。
ようするによくわからん価値観のコレクターはいつの時代にもいるってことだな。
ただ、星条旗とハーケンクロイツを同じ部屋に飾るのは、脳みそがゲル状になっているとしか思えん。
アメリカ人の思考は理解不能だ」
「まぁ・・・否定はしないが、それはあくまで一部だぞ一部」
「さて、このSAに対して総統閣下のみを守ること目的とした集団がSS、つまり親衛隊だ。
ナチスを守るSA、ナチスの一員であるヒトラー総統を守るSS。
立場上SSはSAの手下に当たるわけだが、徐々に力を付けるSSに対してSAは不満を抱き始めた。
やたらめったと勢力を増大化させたSAは1934年頃になると三百万人を超える大勢力となり、党を無視して「ドイツ第二の陸軍」とまで位置付けをした。
ただ図に乗っているだけならばまだよかったが、このSAはクーデターまがいのこともはじめ、ナチス党を離れるのは時間の問題だった。
こいつはやべぇ!と思ったヒトラーとSS執行部隊は、レーム以下SAの幹部を粛正し、SSをSAから完全に独立させた。
SAは幹部を失い、やがて勢力を失っていく。
逆にSSは勢力をましていき、ライバルのいなくなったSSは名実ともにヒトラー総統の私兵としてヨーロッパにその名を轟かせることになるわけだ」
「このSS隊員は元軍人が多かったから、武装したSSは軍そのものだったんだ。
やがて総統は国防軍とは異なる総統個人へ忠誠を誓う軍隊を作ることになる。
それが武装SSだ。
有名な戦車兵のヴィットマン
や、ソフィア大尉はこの武装SSに所属していることになる。
ちなみに黒いスーツ姿のSSは一般SSと呼ばれ、主に事務屋の仕事をしていた」
←黒いスーツ姿のSS その1
黒いスーツ姿のSS その2→

「私も所属した事のあるヒトラー・ユーゲント師団は、ドイツの若者で結成されたエリート部隊だ。
というか髪の毛の色や体格、その他様々な身体的、精神的な水準が要求されるちょっと変わった教育を受けた連中の集まりだな。
戦争後期になってくるとヒトラー・ユーゲントはベテラン一人に対して、若者が3,4人くらいの集団で構成されるようになる。
ノルマンディー上陸作戦のカーン攻防戦では、ヒトラー・ユーゲントの戦いは伝説に残るほどだった。まぁ、あとで話すことになるのでそれはおいて置こう」
「身体的な特徴って・・・どんな特徴?」
「身長がある一定以上じゃないとダメとか、視力が高くないとダメとか、胸囲がある一定以上ないとダメとか・・・・。
ちなみに俺がSSに入れなかった理由は虫歯があったからだ」
「読者の指摘によると、つめた歯が1本あるだけで入れなかったのはLAH連隊とSSVTだけで、それも1936年までの話だそうですよ」
「・・・・細かい事は気にしちゃいかんよ」
「ホント適当ねぇ・・・」
「どちらにせよその年まであったことは確かなんだから、その線で話を進めるぞ。
まぁ、ナチスの教育は歪んでいる上に危険だから、今から見ればアホそのものだったけど、当時はみんな真面目だったんだぞ?
ドイツのおじいちゃんたちは「ヒトラーに騙された」とか言っているけど、当時はみんな脳内エンドルフィン全開でノリノリだったんだよ」

あの頃のドイツはみんなノリノリでした・・・。
「真面目にあんなことをやってたのか・・・」
「そーいうアホを見る目はやめてくれって・・・」
「そうですよ! そんな目で見ちゃだめです!」
「リュ―シーさん・・・・」
「コミケに行けば、コンビニの前で似合わないSSの格好している人たちがノリノリで『ジークハイル!』とか叫んでますし、日曜日の街中をその格好で集団で行進している人たちだっているんですよ。
普通じゃないですか」
「・・・・・・俺はあいつらと同レベルか」
「大丈夫ですよヴォルフさん。お仲間はたくさんいるから寂しくありませんって。一人で悩んでちゃだめですよ♪」
「・・・・・・・・」
「それに軍服マニア以外にも髭面魔女っコとか、脛毛メイドとかヴォルフさんと似たようなことをしている人は探せばいくらでも――――」
「ちくしょおおおおっっっ!!」
・・・・・・・・・・・・。
「あーあ、行っちゃった・・・・」
「・・・リューシ―さん。あんまり虐めちゃかわいそうよ」
「そうですよアルクさん。喧嘩をしちゃメーですよ♪」
「なぬ? わたしのせいなのか?」
「さて、たかがあの程度のことで精神的に落ち込むようなヤツは放っておこう。
では休憩だ」