THE HISTORY OF PIRATES

〜海賊王コンテンツ〜

 

 「突・然・で・す・が! 今回は史実の海賊の歴史をやるわよ! アー ユー レディ?」

 「それは別にいいけど…南京は?原作は?ボクの出番は?あっちこっち手を広げたら他の更新が・・・」

 「んなことぁ知らん

 「知らんって…」

 「海賊王に俺はなる!

 「それはフィクションだよ。史実の海賊って言った矢先からもぉ…」

 「―――問おう。貴方が、私のマスターか」

 「え……マス…ター…?」

 「サーヴァント・パイレーツ、召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 「――これより我が船は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。―――ここに、契約は完了した」

 「……なんだよパイレーツのサーヴァントって……また電波を…」

 「はっはっは。いいじゃないかクララちゃん。とりあえず出番さえもらえれば。なあトロイ君」

 「そうですよ。それにボクらなんて原作に名前しか出てこないんですよ。なんですかこの酷い扱いは。そう思いませんゲオルグさん?」

 「私は別に…」

 「うーん。ゲオルグさんは出番あるからなぁ…」 

 「そこ。大の男が3人でぐちぐち言ってるんやないの」

 「そそそ。細かいことはケンチャナヨよ」

 「…ルクス、いい加減半島ネタから離れたらどうだ?」

 「で、あなた方のその格好はなんのつもりですか?」

 「ふふふ。よくぞ聞いてくれました。

あたしのこの格好はキャプテン・キッドよ」

▲ウィリアム・キッド

 

 「そしてわたしはエドワード・ティーチ、またの名を黒ひげ」

「黒ひげって・・・樽に剣を指して海賊が飛び出るオモチャの「黒ひげ危機一髪」のあの黒ひげですか?」

 「そうです。

ついでに言うならディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」の序盤に金貨の山に座っている骸骨、

そして砲撃戦シーンで海賊船の甲板で剣を振りかざして砲撃を指示している黒ひげの海賊はこの「黒ひげ」なのですよ」

 

▲エドワード・ティーチ

 

 

 「やい、てめえら。今更コースを変えようったって間に合わねぇぜ。

この先の入り江にゃ、恐ろしい海賊どもが手薬煉引いて待ってるぞ、みんな一塊になって汚い手を船から出すな、でねぇと海賊どもにぶった切れるぞ。

俺の言葉を信用しろよ、命あっての”ものだね”だ。フハッハッハッ!」

 「・・・」

 「17世紀の終わり頃になるが 俺様こそ大西洋岸の港町を荒らしまわった悪名高きイギリスの海賊エドワード・ティーチ様だ!!

俺の部下にゃ、フック船長もいたんだぜ!」

 「む。それはホントなの?」

 「ピーターパンの原作本ではフック船長は「黒髭の水夫長だった」って設定よ。ディズニー版はかなり原作とかけ離れてるから別物と考えた方がいいわ」

 「そうなんだ(w」

 「一晩で一港町全部焼き払った話くらい覚えといてくれよな。

だから わざわざ夜の設定で 砲撃戦してるじゃね〜かよ。

いいか忘れるな 今お前は 有名な話の中に来てる事をな。

カルキ臭い水の匂いだけ嗅ぎに来てんじゃね〜ぞ。

いいか胸に刻んとけよ。 

ルフィ  は、たいしたことねぇ〜 映画の興行収益は、俺らが勝っている!! 」

 「おいおい。そりゃ、俺たちのことじゃねーぜ。 俺たちはカリブの海で暴れまくっているのさ。カリブに来た時には、手荒く歓迎してやるぜ。 なぁ、兄弟」

 「…ネズミーランドのあれですか。よっぽど好きなんですね。あのアトラクション」

 「・・・マックスさん。ボクたち、なんかとんでもないところに来ちゃったみたいですね」

 「ん。ああ。そうみたいだね…」

 「セイセイセイ!てめえ弱音ばかり吐きやがってそれでも海賊か。

おれの船にゃあそんな甘ったれた事吐く奴ぁいねえ筈だぜ。

いいか。宝ってのはてめぇで探すもんだ。海賊が惨めったらしく人に物をすがるもんじゃねえ。

探せなきゃ力で奪え!わかったらそのみっともねぇ顔止めてとっと帰んな! 」

 「……ルクスさん。とりあえずはじめたらどうですか?でないとリューシーさんがいつまでも毒電波垂れ流してしまいます」

 「そうね。あたしとしては、キャプテン・キッドみたいなカリブの海賊をやりたいんだけど、全時代を通して一通りは紹介してみるわ」

 「カリブの海賊って・・・キャプテン・キッドはカリブの海賊じゃないだろ」

 「え?」

 「キッドはインド洋の海賊ですよ。むしろカリブの海賊はリューシーさんの黒髭の方です。まさか知らなかったんじゃ…」

 「はは・・・まさか。し、知ってたわよ」

 「―――」

 「何よその顔は」

 「別に」

 「うし!

気をとりなおして。ごほん。

海賊を英語で言うと、パイレーツだけど、このパイレーツの語源はギリシャ語の「ペイラン(攻撃)」という言葉から来ている。

もっとも早くから海賊行為が継続的に行われていたのは地中海だった。

エジプト・ローマ・ギリシアの三大文明によってこの地域では政治的、経済的競争が発展し、潤沢な消費が生み出された」

 「海賊って酷い人たちだよね。ようするに海の強盗でしょう? 船襲ってさぁ。とんでもない人たちだよ」

 「その認識は正しいわ。

たしかに海賊は海の強盗だし、とんでもない連中ね。

でも、海賊行為が悪いことってのは近代以降の考え方なのよね。

具体的に言うと、1856年のパリ宣言までは立派な職業として数えられてたのよ」

 「どーいうこと?」

 「戦争と貿易と海賊業が三位一体だということがわからなければ、航海を知らないといっていい

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。『ファウスト』より」

 「読んだこともないくせに引用するのはどうかと思うのですがどうでしょうか?」

 「いいのよ。言わなきゃわからないわ。

さて、海賊を無法者以外の側面から見てみると、結構違う姿も見えてくるものよ。

ではさっそく、神話の時代から見てみましょう」

 

 

 

 

 

☆古代ギリシャの海賊☆

 

 「ギリシア神話には、イカリーア島の砂漠で寝ていた酒の神ディオニュスが、海賊に捕らわれる場面がある。

海賊たちはディオニュソスをどこかの王子と思い込み、身代金をせしめるために、船に連れ込んだ。

ところが、順調に航行していた船が突然動かなくなり、海から伸びてきた葡萄のつるに覆われ、ディオニュソスは獅子に変身した。

恐れおおのき海に飛び込んだ海賊たちはイルカに姿を変えられ、それ以降、海神ポセイドンの寵愛を受けるようになった」

 「つまりどういうことですか?」

 「つまり、海賊というのは神さまを襲う悪いヤツでもありながら、同時に、勇敢だったので神様に愛される存在だったということですよ」

 「古代ギリシャでは、海賊であれ、真面目な船員であれ、船乗りたちは古代ギリシャの神々に愛された。

なぜなら、航海術も方角を判断する道具も発達していなかった時代に、あふれんばかりの勇気と狂気によって、海に勇敢に立ち向かったからよ。

神々が寛容であれば、人間も寛容になる。ホメロスの叙事詩に描かれた世界が、そのことを証明している。

スパルタ王メネラオスは、勇敢な戦士であり公正な王であったが、地中海東部の海岸で海賊行為を行った。

トロイア戦争において、ギリシャ軍史上最強と謳われたアキレスも海賊行為に加わっている。

知略に秀でたオデュッセウスについても、彼の治める島イタケーは略奪品の集散地の役目を果たしている」

 

 

▲ 左:アキレス 右オデュッセウス(映画「トロイ」より)

 

 「…ルクスさんの頭の中って、映画と現実の区別がついてないのですか?」

 「わかりやすいから別にええんちゃう?」

 「ホメロスの叙事詩には、略奪行為に対する批判は書かれていない。

同じ市民同士の略奪であれば罰せられたかもしれないけど、海賊行為そのものは誰もが持っている権利であり、合法的なものだった。

古代ギリシャの船はまだ遠くまで行けず、沿岸近くを航海してたから、航路上で待ち伏せして襲えば簡単に富が手に入った」

 

▲2500年前のギリシャの壺。海賊に襲撃される商船が描かれている。

 「これは2500年前にギリシャの壺に描かれた獲物を攻撃中の海賊の図。

この時代、エーゲ海では海賊行為は日常茶飯事。

戦争と海賊行為はほぼ同じことを意味した。

貿易船は大量に荷物を積んでいる帆船だったのに対して、海賊船はオールで漕ぐガレー船。

あっという間に追いつかれて海賊の餌食になってしまった」

 

 

▲ 古代ギリシャの海賊船のレプリカ。

 「紀元前6世紀以降、ギリシャの有力な都市国家(ポリス)のアテネが地中海の覇者となると、アテネは交易を守るために海賊討伐に乗り出す。

海賊の多くはギリシャ周辺の未開人で、農業を知らず、狩りと漁業で暮らしていた。

古代ギリシャは奴隷社会だったから、人間狩りも普通に行われていた。

紀元前4世紀になると、都市国家は分裂。

アテネの海上帝国は崩壊して地中海は再び海賊で溢れた。

これはアレキサンダー大王の時代になっても変わらなかった。

海賊が慢性化したため、古代ギリシャでは海賊は立派な職業として認知されていた

もっとも、職業といっても敵対する体制側にとってはただの犯罪者だったから、敵に捕まれば死刑が待っていた。ま、これは傭兵も同じことだけどね」

 「21世紀現在でも在日中国人や在日朝鮮人はこのノリで窃盗を繰り返してますね。

やはり朝鮮は古代ギリシャ文明の後継者・・・」

 「あれはただ彼らの頭の中が古代で止まってるだけです・・・」

 

▲ 当時の貨幣の大王の肖像画には角が描かれている。
角は魔力の象徴であり世界を征服した大王には魔力があると世間の人々は思っていた。

 

 

 

 

 

☆古代ローマ時代の海賊☆

 「ローマは陸あらゆる文化をギリシャから吸収した。

それは海上技術も同じこと。

ローマの船はギリシャのそれを真似た三段櫂船さんだんかいせん

全長40mの船に200人が乗り、そのうちの170人が櫂(オール)を漕いで、残りが弓矢で武装した。

船の先には青銅製の衝角があって、敵船に体当たりして相手の機動力を奪った」

 

▲ 三段櫂船の断面図

古代ギリシャ・アテネではアテナイでは漕手は自ら武具を調達できない無産階級の市民(テテス)で構成されていたが、その数は2万程度だったので、のちにはテテスだけでは足りずメトイコイ、つまり在留外人が大半を占めるようになった。

ローマ軍の場合、漕手は奴隷ではなく自由民だった。

 

▲ ガレー船

船首水面下には衝角(ラム)と呼ばれる長大な突起が設けられていた
この部分は敵船の船腹に衝突させることによって浸水を起こさせ、沈没させることを目的としていた。
船体衝突により打撃を与える戦法は、ペルシャ戦争で威力を発揮した。

 

 

 「若きジュリアス・シーザーが海賊に捕らえられたエピソードは、知っている人は知ってる有名なトリビア。

つまり、それだけ共和制ローマ末期の東地中海は危険なところだったってこと

ローマの港が栄えるに比例して、海賊の行為はどんどん大胆になっていく。

紀元前1世紀になると地中海の海賊たちは小麦を積んだ船を襲い、ローマの執政官を拉致するようになる。

ローマの主要港であるオスティア港(首都ローマから24キロしかない)まで襲撃されたことで、さすがにローマ人の堪忍袋の緒も切れた。

紀元前67年、元老院から海賊討伐の任務を与えられたポンペイウスは500隻のガレー船と12万人の兵を集め、地中海を13の地区に分割し、それぞれを別の指揮官に担当させて、一挙に海賊の根拠地を攻撃した。

この軍事作戦により、海賊たちはローマ艦隊に編入されるか農民として植民地へ送られた。

 「じゃあ海賊はなくなったんだね?」

 「いえいえ。大規模な軍事作戦で海賊の基地は潰されたけど、ローマが周辺の国々を制圧していけばいくほど、負けた国は貧しくなるから海賊にはしる。

まともに働いてもロクに稼げない人たちもやっぱりまた海賊にはしる。

パックス・ロマーナということで、戦争がない時代の傭兵も仕事がないから海賊にはしる。

海賊は慢性化してちっとも減らないわけよ。

おまけにローマ海軍がいるっていっても、当時の技術じゃ領海すべてを見張るなんて無理だし。

海賊を全滅させるのは技術的に不可能だったわけ」

 「だめじゃん」

 

 

 

 

☆ビザンチン帝国時代の海賊☆

 「東西に分かれたローマの東側、ビザンティン帝国。

広大なこの領土が統一されていたのは海のおかげ。

首都ビザンティウム(コンスタンティノープル)と富を生み出す地方の町を結び付けていたのは、海上ルートだけだったから。

ビザンティン帝国は、海賊行為や私掠行為しりょうこうい(政府の許可を得た海賊行為)を厳しく取り締まり、キリキア人などの旧来の海賊を制圧することに、ある程度成功した。

しかし、アラブ人の侵攻(7世紀)や十字軍による攻撃(13世紀)によって、ビザンティンの海上王国は大きく揺らいだ。

聖戦に身を投じたアラブ人にとっては、敵を弱体化させるあらゆる手段が正当なものだった」

 「アッラー・アクバル!(神は偉大なり)

かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より、もっと悪い。 だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である。

聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、 拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。
だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、 かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる

あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。 かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。 その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。 もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。 だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。 凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない」

 「何それ・・・すごく物騒なことばっかり言ってるけど・・・」

 「「コーラン」より抜粋。lこれは以上は何も言えません。言ってはいけません。言ったらどうなるか?それも言えません」

 「???」

 「うむ。その通りだな」

 「わかるんですかマックスさん」

 「君も大人になればわかるよ」

 「そういうものですか」

 「そうですよトロイくん。どうしても知りたければソフィアさんに「ボクを大人にしてください」と言ってみたらどうでしょうか?」

 「・・・」

 「はっはっは。リューシーちゃん。それはすでにやったよ」

 「―――は?」

 「そしたらなぜか僕が殴られた。ふっ、実は照れ屋さんなんだよね。彼女。

だけど殴られた頬の熱さに彼女の愛を感じたよ。ふふふ……」

 「アホか」

 「むぅ・・・こんなところに思わぬ伏兵が・・・」

 「何の伏兵ですか…」

 「イスラム教徒が支配した国々では、私掠行為が行われるようになり、捕虜が奴隷として売られ、略奪品が売りさばかれた。

そのためアラブの私掠船しりょうせんに襲われた海岸では、明らかに人口が減少していった。

捕虜となったキリスト教徒を解放するためにイスラム諸国に身代金が支払われた。

このような困難な時代に、ビザンティン帝国はイタリアの海岸を襲う海賊たちにも対応しなければならなかった。

こうした海賊行為は、ヴェネツィアやジェノヴァといった商業共和国に多大な利益をもたらしていた。

地中海では伝統的に海上における暴力が容認されてきた。

海賊行為と貿易と密貿易との間に明確な区別はなく、交易の際の信頼関係は損なわれてきた。

貿易船が自ら競争相手の船を攻撃することもあった。

ビザンティン帝国はこのような略奪行為を煽ることなく、法律によって海賊行為(海上での不法な略奪)と私掠行為(戦争の一環として帝国の商船に対して軍事行動を起こすこと)を明確に区別した」

 「海賊と海軍の違いってなんだろね」

 「つまりそこなのよね。海賊の歴史を見ると、両者の区別はあってないようなもの。

体制側にとって有益なら海軍、損害なら海賊となるわけよ。

これはイスラム側でも同じだった。

彼らにとってキリスト教国家の船を襲う海賊は英雄だったし、その逆もしかり。

なお、ヨーロッパ人はイスラム教徒を野蛮人(バーバリアン)と呼んでいたので、イスラムの海賊はバルバリー海賊と呼ばれた。

14,15世紀になると海賊ではなく、国家事業としての私掠行為(コルソ)が生活の糧となり、国家にとっては合法的な事業となった」

 「中世では国が海賊を推奨していたのか」

 「人間誰だって楽して大金稼ぎたい。

海賊稼業はハイリスクハイリターン。

まともな仕事では一生稼げない大金がわずか一夜にして手に入る。

これだからチョッパリ相手の窃盗団海賊はやめられない

 「最後のは・・・」

 

 

 

 

 

 

☆北欧の海賊ヴァイキング☆

 「なんでも食べ放題。好きなだけ食べてください☆ あ、でも。ポケットの中に食べ物を入れるのは勘弁な」

 「いるの?そんなことする人」

 「半島では日常茶飯事だぜ」

 「また半島か。そんなことしてるから欧州で「韓国人お断り」の店が増えるというのに…」

 「問題ありません。そのときはアイム・ザ・パニーズと名乗れば良いのです」

 「なんと恥知らずな・・・」

 「言っとくけどね。バイキング料理と海賊のヴァイキングはまったく因果関係なし

食事の形式のバイキングは東京都の帝国ホテルが米国映画「バイキング」(1958年公開)にちなんで名付けたのが始まり。

センターテーブルに並べた各種主料理から自分の食べたいものを自由に取ってくるもの食事形式のバイキングは和製の言い方。

スウェーデン料理としては、スモーガスボード。ブッフェのこと」

 

 

 「8世紀から11世紀になってヨーロッパ各地にヴァイキングたちが現れる。

彼らはノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどの北欧の国々の民だった。

ヨーロッパ各地にヴァイキングが出没するようになると、大西洋側の地域では海上貿易が低迷するようになった。

当然よね。海賊が出るんだから。

地中海ならまだ護衛とか出せるけど、外洋じゃまったく手が出せない。

13世紀になると再び沿岸航海が発展し、漁業が盛んになる。国際的な貿易も、2つの航路を中心に繁栄した。

1つはブルッへ(ベルギー)やリューベック(ドイツ)を経てノブゴロド(ロシア)に向かう東への航路。

もう一つはオランダからイギリスに向かう西への航路。

こうした貿易船を狙う海賊たちは、冬の間は活動せず、春になると目を覚ました」

 「冬眠?

 「クマ?

 「北欧神話は戦いの神々の物語。

そこに出てくる狂戦士『バーサーカーberserker』 の語源は古代ノルド語で「クマのシャツ」という意味。

ヴァイキングにとってはより遠くに行き、より強い敵を倒して宝を奪ってくることが勇者の証だった。

中にはグリーンランドや北米大陸の一部にも到達したものもいた。

ヴァイキングはフランスのブルヌフ湾で塩を積み込んだオランダ船やヴェネツィア船、あるいは大量のワインを積んだイギリスの商船を英仏海峡で待ち伏せした。

春と秋には海上で霧が発生するため、待ち伏せをするには好都合だった。

スウェーデン南部のスコーネ海域や北海の海賊は、戦利品がわずかな時には、迷わず漁船を襲った。

貿易がもたらす富から締め出された貧しい島民や港の住民にとって、海賊行為は天からの恵みだった。

ゴートランド島、ヘルゴランド島、ワイト島、ウエサン島、グロア島の島民は、近海を航行する商船を見逃さなかった。

悪天候のために島に避難してきた船に対しても相手の力が劣っていると見るや、積荷や乗組員を略奪した」

 「どうしてフランス人はヴァイキングの略奪について北欧諸国に謝罪と賠償を請求しないのですか?」

 「……そんな千年以上前のことを蒸し返してどうするのですか?」

 「半島では千年前だろうが、二千年前だろうが、きっちり謝罪と賠償を求めますのに……フランス人は頭がおかしいのですか?」

 「それは逆だと思うよ」

 「ヴァイキングたちはヨーロッパやロシアの国々を征服していった。

だけど、そこに住み着いてしまったため、ヴァイキングの持っていた自由と遠征の文化は失われて自然消滅してしまった。

海賊稼業で領主となったヴァイキングたちは今度は自領土で暴れる海賊に頭を悩まされることになる」

 「まさに下克上の時代というわけですね」

 

 

 

 

☆中世末期の海賊☆

 「中世末期になっても相変わらず海の上では、暴力が日常茶飯事だった。

だって被害を受けた者がいても、国家によって補償が行われることなどなかったから」

 「砂漠と同じだね」

 「そして砂漠と同じく、親族による復讐が法律の代わりとなった。

13,14世紀の英仏海峡や大西洋は、貴族たちの武装捕鯨船であふれていた。

彼らは不正な貿易で儲け、同盟関係を尊重せず、通行許可証や休戦協定を無視した。

海賊たちは航路を熟知していたため、獲物に捕らわれた人々は、船倉で暴力を加えられ、略奪に対するあらゆる補償を放棄する約束をさせられた。

時には、食糧も水も与えられず小舟に乗せられて流されたりした。

海賊にとっては、乗組員の手足を切断したり、船から突き落としたりすることは容易なことだった。

海の上では、騎士道精神など存在しなかった。

海上での暴力が慢性化するとヨーロッパ諸国の経済にとって大きな障害となった」

 「海賊退治はしないのですか?」

 「当然したわよ。

北方の国々と商人たちがハンザ同盟を作った。

ハンザ同盟とは、バルト海沿岸の諸都市が商業上の目的で結成した都市連合のこと。

ハンザ同盟は貿易を安全に行うために、メクレンブルクで誕生した海賊団ヴェタリエンブリューダーの鎮圧に乗り出した」

 

▲海賊団「ヴェタリエンブリューダー」最後の大首領クラウス・ステルドベーカー

1400年、ステルドベーカーは約100人の部下とともにハンブルクで斬首された。
彼らの首は数週間エルベ河畔の荒地にさらされた
彼の一味に入るには大ジョッキを一気に飲み干さねばならなかった。彼らの船『狂犬号』のマストには純金が埋め込まれていたという。
ヴェタリエンブリューダーは北欧の海を恐怖に陥れ、その武勇、冒険、隠された財宝などに関して数々の伝説を生んだ。

 

 「ヴェタリエンブリューダーは一旦ゴートランド島に避難したが、14世紀になってチュートン騎士団に追い払われ、北海へと逃れた。

東フリースラントの領主たちが、こうした海賊たちを保護したため、無法者がこの地に集まるようになっていった。

ようするに、そこの領主と海賊が手を結んでたもんだから海賊はいなくならないってわけよね」

 「そんなんばっかだね」

 「当然海賊に対する一部の領主の寛容な態度に貿易としでは激しい非難が巻き起こった。

貿易によって富を蓄えることに腐心していた支配者たちは商人たちを安心させ、私掠行為を規制し、被害者に損害補償を行おうとした。

しかしラ・ロシェルのある商人などは、イギリス人から受けた損害の補償を受け取るのに、7年も待たなければならなかった。

損害補償に関する訴訟がまとまるためには、国同士が合意して、しかも取り決めを遵守することが必要だったから。

中世末期になると、海賊行為を法律の力によって規制する動きが広まっていった。

私掠行為は法律によって戦争時の敵船に対する略奪だけに制限にされた。

14世紀になるとフランスやイギリスやハンザ同盟は、私掠許可状を統一して発行するようになった。

15世紀には、海賊が港に近づくことを禁止する協定が、イギリスとブルターニュの間で結ばれた。

しかし、百年戦争とハンザ同盟内部の対立によって、海賊が傭兵として雇われるようになり、海賊を規制する方法が再検討されるようになった。

その後、再び平和がおとずれ、国家の役割が増大し、15世紀以降大航海時代が到来すると、列強は海上での利害が一致していなくとも、強調して海賊を規制してゆくようになった。

いち早く「地理上の発見」に乗り出したスペインやポルトガルは新たに植民地化した領土や海域を自分の縄張りとして独占したがった。

それに対してフランスやイギリスは「公海はすべての国民に自由に解放されるべきだ」と主張した。

それでも1485年にポルトガル王アルフォンソ5世は、フランス王シャルル8世と協定を結んだ。

その協定の中で、海賊とは「国王の味方であるが、敵であるかを問わず、出くわしたあらゆる人々を海上で襲撃するために武装している」人間と定義された。

イギリスのリチャード3世も、同じ協定に合意した。

しかし、海賊を規制するこのような努力は長続きしなかった」

 「交易ルートが平和になれば、貿易による利益も増えるというのに」

 「それは簡単。平和な貿易より、海賊稼業の方が儲かるからよ。

この頃、アメリカ大陸が発見されて、アメリカから莫大な量の黄金や香辛料やらがヨーロッパに輸出されたの」

そうなると君主たちの理性も狂い始めた。元からそんなもんがあるかどうかもあやしいけどね」

 「人間なんてそんなもんです。はい」

 「見もフタもない言い方ですね」

 「富が海を渡れば、海賊もその後を追うようになる。

海賊がもたらす利益は莫大なものだったので、支配者たちも目をつむった。

1520年から1540年までにノルマンディー地方の人々が略奪した品々はアメリカ大陸からヨーロッパに輸出される金の4年分に相当した。

これじゃ金に目が眩んでも仕方ないわよね」

 「海賊がお宝狙って何が悪い!

 「開き直りましたね・・・」

 「16世紀にヴェネツィアは、海賊や私掠行為のために25%〜30%もの船舶を失ったといわれている。

また、16世紀は常に海上の治安が悪かったため、船舶に関する保険料が15%増額された。

商人たちはリスクを減らすために積荷を分散させて運んだ。

このような海賊行為の増大は歴史的な情勢と関係している。

たとえば1517年のレパントの海戦以後、スペインとオスマン帝国の二大国が地中海から手を引き、それによって海上での取り締まりができなくなった」

 「どうして取り締まりやめちゃったの?」

 「スペインはアメリカ大陸へ関心が移り、オスマン帝国は東のペルシア(イラン)の脅威に対処しなければならなかったから。

さらに宗教的な要因が事態をいっそう複雑にした。

反カトリックの気運が高まっていたイギリスとオランダは、イスラム教徒の船と同様に、カトリック教国の船に対しても略奪を行った。

こうして事態は悪化し、私掠船が海賊行為を働いても、何の処罰も行えなくなった。

このような情勢下で、東方と貿易をしていた諸都市は困難な状況に置かれた。

レパントの海戦以後、ヴェネツィアはオスマン帝国と協定を結んで貿易を行い、彼らの船をアドリア海で保護することで、苦境を脱しようとした。

ところでその頃のオスマン帝国はバルカン半島に勢力を拡大し、神聖ローマ帝国に脅威を与える存在となっていた。

その結果、神聖ローマ帝国はヴェネツィアとオスマン帝国の良好な関係を妨害するために、ヴェネツィア船を襲うウスコク海賊を消極的ながらも支援した」

 「ウスコクって何ですか?」

 「「ウスコク」とは、「難民」を意味するクロアチア語で、オスマン帝国の支配から逃れてきた人々を表す言葉よ。

1520年代から1530年代の間、ウスコクの人々はアドリア海沿岸北部のセニ周辺に集まっていた。

そこには貧しい町だったので、農民や羊飼いたちも、漁業に関心を向けるようになった。

積荷をずっしりと積んだヴェネツィアの商船が頻繁に通るのを見ているうちに、ウスコクの人々は海賊行為を企てるようになる。

彼らはあらかじめヴェネツィア船の情報をつかみ、夜間に大型船を襲い、悪天候でダルマティア諸島に避難してくる船舶を狙った。

奪った積荷はオーストリアの商人を介して、神聖ローマ帝国に流された。

繰り返し被害を被ったヴェネツィアは、海賊征伐に乗り出し、激しい報復を行ったが、なかなか成果を上げることが出来なかった。

ウスコク海賊が抵抗を続けることができたのは、追放令を受けながらも海に戻ってきたイタリアの海賊の助力を得たから。

万策つきたヴェネツィアは、イギリスやオランダの傭兵の力も借りたけど、最終的には政治的な解決法を選んだ。

神聖ローマ帝国がウスコクの人々をクロアチアの内陸部に強制移住させると提案したため、協定を結んだ。

神聖ローマ帝国はヴェネツィアとオスマン帝国の仲を裂くのに成功したという話」

 

 

 

 

 

 

☆バルバリーとコルセアー☆

 「15世紀以降、アルジェ(現アルジェリアの首都)はバルバリー地方(北アフリカの地中海沿岸地域)でのイスラム教徒による私掠行為の中心地に変貌していった。

一方、15世紀末にはイスラム教徒がスペイン人によって、イベリア半島から追い払われるという事態が生じた。

追放されたイスラム教徒は、バルバリー地方に斬産と、貿易に関する知識と、キリスト教徒に対する怨念をもたらした。

さらに、1516年にはエーゲ海を荒らしまわっていたバルバロッサ兄弟が、拠点をアルジェに移した」

 

▲バルバロッサ兄弟 ウルージとハイルッディン(どっちかどっちかは不明)

 「オスマン帝国はこの2人の兄弟に、オスマンの勢力圏を確立する任務を与えた。

17世紀の初頭になって、バルバリー人による私掠行為はさらに発展し、イギリスの海賊をも保護するようになった

フランス人やオランダ人も地中海に押し寄せ、北欧で用いられていた丸い船体の船を導入した。

1625年には、約100隻の船がアルジェリアの船団の攻撃を受け、約30隻の船がチェニスの船団によって襲撃されている」

 「うむアラブはつおかったのですアラブ万歳」

 「……昔はね、アラブの方がヨーロッパよりも凄かった時期もあったのですよ」

 「バルバリー海賊は、奴隷市場に売り飛ばす捕虜を手に入れるため、海岸への襲撃を優先させていた。

ただし、彼らが攻撃をしかけたのは限られた地域だった」

 「どーいうこと?」

 「海賊行為で手に入れた戦利品も、それを売りさばくには市場が必要でしょう。

たとえば、イギリスのトマス・ロウは、プロヴァンス地方(南フランスの沿岸地域)の商人たちが海賊と契約を結び、魚を買い取ったと糾弾している。

また、オスマン帝国と友好関係にあったマルセイユやヴェネツィアなどのカトリックの港では、海賊船の寄港が容認されていた。

こうした寛容な態度によって、海賊は略奪した商品を売りさばき、武器や食糧を買い込むことができたのね。

当時キリスト強国の間では、イスラム教徒に武器を販売することは同義に反することとされていた。

だけどバルバリー海賊は、英国とオランダがリヴォルノ(イタリアの都市)を介して行っていた密貿易を通して、武器を手に入れていた」

 「あの国は昔から筋金入りの死の商人ですね。はっはっは」

 「地中海の海賊のことをコルセアーと言うわ。

バルバリー海賊はコルセアーの中のバルバリア地方の海賊ってことね。

イタリアのマルタ島を根拠地にしたコルセアーはバルバリー海賊と戦った。

当初は異教徒のイスラム教徒と戦うための騎士団だったマルタ島の騎士団は、だんだんと海賊行為がもたらす富の方が目的になっていった。

マルタの船隊の規模はどんどん拡張していき、17世紀中頃にはマルタ島の人口の1/3が海賊稼業に従事していた」

 「1/3って凄いね」

 「でも1680年にヨーロッパとバルバリアの列強間に条約が結ばれると、マルタ島の海賊団も行き場所を失ってしまった」

 「やりすぎたんだろうな。規模が大きすぎて目立ちすぎたから」

 「国家間で海賊に関する協定は結ばれたけど、相変わらずバルバリー海戦は逃げ込む港さえあれば略奪を続けた。

地中海では、船同士が疑心暗鬼におちいった。

味方であることを示す船旗は、罠として用いられることも多かった。

バルバリー海賊は戦闘の際に、相変わらず弓を使用していた。

彼らが矢を放つ速度は、敵のヨーロッパ人がマスケット銃を撃つそれと変わりなかった。この時点ではね。

17世紀から18世紀にかけて、バルバリー海賊は、ヨーロッパ列強の政治的駆け引きに関わるようになる。

対立している国の貿易を妨害するためには、私掠行為や海賊行為が有効な手段となるからよ。

フランス王ルイ14世とオスマン帝国との同盟関係は、この観点からも考察されなければならないわ。

しかし、18世紀になるとオスマン帝国の衰退が始まり、経済が発達したことで、私掠行為や海賊行為は、再び社会規範から逸脱したものだとみなされるようになる。

各都市は略奪をしなくても、貿易によって利益を得ることができるようになり、人々はより安全な仕事を確保できるようになった。

しかも、イギリス、フランス、オランダが協力な艦隊を持つようになり、もはや地中海では海賊の夢を見ることはできなくなった。

かくして地中海の大海賊時代は幕を閉じるでした〜」

 

 

 

 

 

☆カリブの海賊☆

▲イギリスの有名な海賊エドワード・ティーチは別名「黒ひげ」とよばれていた。残虐で凶暴な行為をする黒ひげの捕獲命令をうけたイギリス海軍との最後の戦いを描いたのが、J.L.フェリス作「1718年、海賊黒ひげ捕獲さる」。黒ひげはバージニアから派遣された艦隊によって、ノース・カロライナの入り江においつめられ、イギリス軍司令官との一騎打ちで絶命した。 Bridgeman Art Library, London/New York

 「YOHO!さ〜〜〜て、よ〜やくやってまいりましたカリブの海賊♪

これがやりたいがためにこのコンテンツはあるようなもの」

 「じゃあ今までのは?」

 「おまけ

 「言いきりましたね…」

 「♪ 死んだやつの衣装箱に15人

ヨーホー、ヨーホー、ラム酒を1 本!

飲めや、悪魔が残りを飲み干す

ヨーホー、ヨーホー、ラム酒を1本!」

 「またネズミー? 好きだねホント」

 「ノーノー。これは宝島(著ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1883年)の原作に載ってる海賊ソング」

 「トリビア。YOHO(ヨーホー)というのはアメリカ先住民の言葉で「ディ・モールト(素晴らしい)!」という意味です」

 「なぜイタリア語…?しかもディ・モールトは「非常に」という意味だったと思いますが」

 「新世界の発見と開拓で幕を開けた「海賊の時代」の始まりは、ヨーロッパ人にとって自由な海域が消滅したということを意味した。

大西洋で海賊が驚異的に増加したという事実は、16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパが社会・経済的に大きく変化したことと関係している。

また、北欧でもっぱら使われていた帆船が導入されたことで、航海技術も進歩した。

この種の帆船は、以前よりもやや多い船員で自在に操縦することができ、優れた武器も装備していたので、商人や冒険家は多大な富を手に入れた。

ヨーロッパでは絶え間なく人口が増大していたため、田舎の貧しい住民たちが仕事や食糧を求めて都市や港に押し寄せてきた。

そのため、イギリスやブルターニュの農民たちは水夫に転身し、しだいに世界を震撼させる存在となった。

スペイン人やポルトガル人によると、こうした水夫たちは「乾パンの屑、わずかなバター、少量の脂身や魚だけで」満足し、「数ヶ月の間外海を航海する」。

大西洋や極東海域を貿易船が航行するようになると、海賊たちの活動範囲も無限に広がった。

こうした外洋では不足の事態が起きやすいため、海賊たちに有利だった。

国際貿易が発展したことで、ヨーロッパは他の大陸の富を貪欲に吸い上げていった」

 「そして中世末期の貴族たちはヨーロッパに持ち込まれる金銀財宝その他の富を途中で略奪していたのですね」

 「そーいうこと。

ところで、いよ国がみえたよコロンブス(1492)のコロンブスがアメリカ大陸を発見したエピソードに、「地球は丸いから大西洋ルートでインドに行ける」というのがあるけど、これは日本人が思っているのと実際には違うわ」

 「コロンブスが到達したのは、カリブ海の島々であって、アメリカ「大陸」ではないですからね。

よって、大航海時代にアメリカ「大陸」に最初に到達した航海者は、ジョバンニ・カボットです」

 「え?そうなん?」

 「……あとコロンブスをコロンブスと呼ぶのは日本人だけです。

イタリア語名(本名)はクリストフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo)、スペイン語(カスティリャ語)名はクリストバル・コロン (Cristobal Colon)、ラテン語ではクリストフォルス・コルンブス (Christophorus Columbus)、英語ではクリストファー・コロンバス (Christopher Columbus) 」

 「あはは…まぁ、その辺はともかく (知らなかったわ…」

 「日本の多くが思っているのは、コロンブスの時代のヨーロッパ人は地球平面説を信じていたという話。

実際は、その時代の知識人は地球が丸いことを知っていた。

その証拠にコロンブスがカリブの島を見つける1年前の1941年に、マーチン・ベーハイムが作った地球儀がある」

 

 

 

 

 

 

 

 「ではなぜコロンブス以前の人たちは大西洋航路を取らなかったのですか?」

 「単純に、距離が長すぎて航海できないと思ってたからよ。

コロンブスは計算間違いで、実際の航路距離より2割くらい短いと思ってた。

だから「行ける!」と思って海に出て、たまたまカリブの島を発見したってわけ」

 「では、もしアメリカ大陸がなかったら…」

 「途中で食糧と水が尽きて死んでたでしょうね。

ま、結果オーライってことで。

さて、欧州大陸沿岸で行われた海賊行為は、規模が小さく、長続きしなかった。

それよりもはるかに脅威となったのは、外海を荒らし回る海賊たち。

1566年にスペインが属領であった新教徒のネーデルランド(オランダ)の反抗運動を鎮圧すると、イギリスはネーデルランドを支援するため、アルバ伯爵率いるスペイン軍に銀を補給する船を海賊船や私掠船に襲わせた。

また、1568年以降、スペインと北欧を結んでいた貴金属の密売ルートが遮断され、大規模な船団でない限り、その封鎖を突破できなくなった。

1582年に1万6000人だった水兵の数は、イギリスが勝利したアルマダの海戦後の1603年には5万人以上に増えていた。

海戦に際して、イギリスの海賊たちは武装した艦船を自由に乗り回した。

世界の海を制していたスペインが海賊を制圧する政策を取っていたのに対して、イギリスは逆に海賊を支援した。

海賊に海賊許可証を与えて合法的に海賊稼業を認めた」

 

▲ 海賊許可証(英国王ジョージ三世が発行した許可証)

 

 「「余は、ここに、アダム・ロバーノルトならびにウィリアム・レ・ソーベッジに対し、海上または陸上において、われらの敵を退治する許可を与える。よって戦利品の分配について汝らは国家と等分の分け前を与えられるものとする」

1243年、イギリス王ヘンリー三世は、このような言葉で始まる最初の敵船拿捕許可証を発行した。

これは実質的には海賊許可証といえるものだが、関係者にとっては実に都合のよいものだった。

船の乗組員は罰せられることなく略奪の権利を与えられ、国王は費用を負担することなく軍艦を雇い入れ、略奪品の分け前まで得ることができた。

最初、この種の船は”私的軍艦”と呼ばれたけど、後に船とその乗員を総称してプライベーティア(私掠船)と呼ぶようになった。

その後もイギリスはプライベーティア政策を継続していった」

 

 

▲ サーの称号を受ける海賊フランシス・ドレイク

当時のイギリスは財政赤字で領地を売らなければならないほどの借金をしていた。
しかしドレイクのもたらした国家予算並の財宝によって借金はすべて返済した。

 

 

 

 「前述のアルマダの海戦は海賊の力を借りたイギリス軍が勝利した。

しかし、戦争が終わり復員してみると仕事を見つけることができず、イギリスの港で船の略奪を行うようになり、再び海賊船に乗船するようになってゆく。

1608年から1614年にかけて、海賊たちは連合し、約20隻の船舶と1000人の男たちが結集した。

ジェームズ一世は、自分の傘下にない水兵が少なくとも5000人はいると概算している。

しかし、しだいに英国海軍の脅威を感じるようになった海賊たちは、アイスランドや北アフリカに活動の場を移し、1620年にはカナダの沖合で漁船を攻撃した。

そして、アメリカには山ほど金があるという噂に誘われ、大西洋の海賊たちはカリブ海のアンティル諸島に向かったのであった」

 

 

 「「黄金の大陸」であるアメリカは、人々の欲望をかき立てた。そのため、スペインは手中に収めた新世界から他国を排除し、あらゆる侵入者を海賊とみなした。

16世紀初頭の時点では、あらゆる侵入者を海賊とみなした。

16世紀初頭の時点では、新大陸のスペイン領やポルトガル領を侵す者は、それほど多くはなかった。

しかし、一旦侵入した者は、ただちに海賊に変貌した。

たとえば、ノルマンディー地方の水夫たちは、木材を求めて頻繁にブラジルの海岸に現れ、川を遡ってポルトガル船を襲い、アンティル諸島で密貿易を行った。

イギリス人もスペインの封鎖を突破した。

イギリスのプライベティアであるホーキンズやドレイクは奴隷貿易を隠れ蓑に、新大陸の海岸を調査して、スペイン船を襲撃する機会をうかがっていた。

1567年、スペインの植民地にアフリカ人奴隷を売り込んだホーキンズは、カルタヘナ(コロンビアの港)付近でガレオン船を襲撃した。

しかし、キューバ沖で暴風雨に遭い、避難した港でスペイン艦隊の攻撃を受ける不運に見舞われる。

ホーキンズは5隻のうち3隻の船を失い、生き残った水夫たちは食糧の補給を受けられないまま、栄養失調におちいり、かろうじてイギリスへ帰った」

 

▲ イギリスのプライベーティア

 

 「イギリスとフランスにとっては、新大陸に寄港地と食糧の補給地がないことが、大きな弱点となっていた。

フランシス・ドレイクも、1572年にパナマ地峡のノンブレ・デ・ディオスで手痛い失敗を経験し、寄港地がない不利益を痛感した。

1573年には体力が尽きるまでパナマ地峡を歩き回ったが、わずかな銀塊を略奪しただけに終わった。

ドレイクに従う士官の1人オクスナムはアンデス山脈を横断し、逃亡した黒人奴隷の助けを借りて、太平洋岸に沿って海賊行為を行った。

彼らは銀や真珠を積んだペルーから来た船を略奪した。

しかし、オクセナムはスペイン人に捕らえられ、1577年にリマで絞首刑になる。

1586年、カリブ海に戻ったドレイクは、フランス人(その中の1人が地理学者ギョーム・ル・テスチュ)、先住民、黒人を雇い、ペルーからの財宝の集積地であったカルタヘナ(コロンビアの港町)の襲撃に成功した。

カルタヘナの有力者たちは示談に応じ、10万7000ドゥカードの代償金を支払った。

その後、ドレイクは黄熱病の流行をかろうじて逃れ、一旦イギリスに帰国したが、再び新大陸に舞い戻り、1596年にプエルト・ベリョ(ベネズエラの都市)で黄熱病のために死去した。

一方、1590年代にスペイン人は、サン・フアン、ラ・アバナ(ハバナ)、カルタヘナ(コロンビアの港)の防御部隊を増強し、ラ・アバナの要塞には12門の強力な大砲が備えられた」

 

 

 

▲ バハマ諸島

  

▲ サン・ファン・デ・ウルア要塞(San Juan de Ulua)

1521年に築かれたスペインの要塞都市で町の周りを壁が囲んでいる。
現在は国定公園になっている。

 

▲ ハバナのエル・モロ要塞 El Morro Fort San Felipe del Morro

1539年から1783年の244年にわたり、指導者が何人も変わりながらも建築が進められ、完成した要塞。かつては、海から43メートルの高さにそびえ、半島を覆うみごとなものでしたが、残念ながら現在残っているのは、中心部分のみ。

日本語では英語読みからハバナという読みが用いられるが、スペイン語ではラ・アバナ(La Habana)と呼ばれる。

 

 

 

 「フェリペ2世は海賊と闘うために、アルマディリャと呼ばれる小艦隊を編成した。

「金銀船団」(南米からスペインに金銀を運んだ船団)は、強力な武装を施したガレオン船によって守られた。1530年代には、スペイン船は大西洋を単独で横断していた。

しかし、その後は船隊を組んで航海するようになり、新大陸とスペインを結ぶ航路の安全性も高まった。

ベラクルス(メキシコの港:サンファン砦がある)、プエルト・ベリョ・カルタヘナ(コロンビアの港)を出港したスペイン船は、不安定な天候に悩まされながら、キューバのラ・アバナに集まってくる。

南米からキューバまでたいてい2ヶ月かかった。

ラ・アバナを出港すると、フロリダ海峡を通過し、バミューダ諸島からアゾレス(アソーレス)諸島に向かって東へまっすぐに進む。

さらにアゾレス諸島から2週間ほどで、ようやくスペインが見えてくる。

この熱帯の航路では、嵐や座礁で船体が傷つき、修理をしている最中に、海賊に襲われる危険性が高かった。

カリブ海を支配し、輸送船団の安全を確保するためには、この海域に浮かぶ島々を掌握することが必要だった。

しかし、キューバ島やジャマイカ島の周囲には、数千平方キロに渡って無数の島々が点在する。

スペインには、すべての島を支配する力はなかった。

しかも、こうした島々には、身を潜めるのに適した入り江や、小船を隠すことができる密林がいたる所にあった。

かつてはアラクワ人が住んでいた島でも、スペイン人による攻撃、強制労働、西洋から持ち込まれた伝染病によって、先住民はほぼ全滅してしまい、16世紀末にはほとんど誰も住んでいなかった。

スペイン人は金を発掘し終わった土地には、いくつかの補給基地を確保する以外、関心を払わなくなる。

その結果、ヨーロッパ中の海賊がアンティル諸島に集まるようになった。

キューバ島やエスパニョラ島には、スペイン人が放牧した家畜が繁殖していたため、食糧にも困らなかった。

このようにして、アンティル諸島に海賊の王国が誕生した」

 「うむ。カリブ海は海賊の住処だったのですね。海賊万歳」

 「さて、海賊の温床地帯であるカリブ海海域をスペニッシュ・メインと言うの。

元々、スパニッシュ・メインという言葉は、アメリカ大陸の一部で、メキシコからペルーにかけてスペインが奪った地域のことを意味した。

後にこれにカリブ海とその島々が含まれるようになった。

1603年、イギリス国王ジェームズ一世はスパニッシュ・メインにおけるプライベーティアの跳梁に終止符を打つため、王はすべての敵船略奪許可状を回収した。

さて、どうなったと思う?」

 「今までのパターンからすれば決まってるよ。

目の前に宝の山があるのに手を出さないわけないじゃないか」

 「クララちゃん。人の良心を信じられないなんて可哀想な子・・・」

 「…あなたわざと言ってるでしょう」

 「世はまさに大海賊時代を迎える。

手元の資料「女海賊大全」によれば、1600年〜1640年までの時期に海賊行為で裁判にかけられた700人のうち、73%が一般の船乗りだった。

それだけ当時は普通の仕事では大して稼げなかったってことね。

ちょっと時代はずれるけど、1690年代後半以降の海事裁判はきわめて偏見に満ちたものだったって資料がある。

「証拠と法律が明らかに水夫たちに味方している場合でさえ、判事がくだす表決は商人や船長の利益となるものだった。

結局のところ海事裁判所のシステムは、帝国の貿易ネットワークを合理化するための総合的構想の一部であり、その主な目的は社会的闘争を法的手続きに閉じ込めることなのだった。

海賊事件の陪審は見せしめとしての死刑によって海賊行為を阻止するという広報活動としての役割と、貿易の戦略的必要とのふたつを考慮しなくてはならないわ。

さて、イギリスがプライベーティアを禁止したから、カリブの海賊はさらに凶悪になった。

それまでは一応敵味方の区別があったのに、それがなくなったもんだからところ構わず船を襲いだす連中が現れた」

 「うむ。PKが不可欠なシステムは、国際的に広まると仮想世界の世界大戦がはじまり、民族主義・国家主義を煽る原因となるのです。インシャアッラー。PK万歳

 「PK(プレイヤー・キラー)って…それはオンラインネットゲームの話では…」

 「国家から海賊許可証を得て海賊行為を働いている海賊をプライベーティアと呼ぶのに対し、この好き勝手に海賊をやるカリブの海賊をバッカニアと言うわ。

スペイン船が本国への巨大な荷を積んだ鈍い船に対し、バッカニアの船は軽快で早い船を好んだ。

だからまともにやりあったらスペイン船に勝機はない。

スペインは護衛のために軍艦をときには100隻近く用意したけど、すべての船に護衛をつけられるわけじゃないから、やっぱり海賊は減らなかった。

ちなみにジョニー・デップはこのバッカニアと呼ばれる種類の海賊よ、おわかり?」

 「ジョニー・デップは役者だ、役者」

 「またそうやって子供の夢を壊そうとする・・・いやな大人だ」

 「さっきから言ってることムチャクチャだぞ君は…」

 「16世紀以降、バッカニアたちの小さなキャンプ地が、サント・ドミンゴ(ドミニア共和国の首都)の北西部に作られるようになった。

バッカニアという名称は、「ブカン」と呼ばれる木製の焼き網を語源としている。

彼らは野生化した家畜を捕まえ、ブカンを使ってその肉を燻製にした。

オランダ、イギリス、フランスの船舶は常に食力を求めていたため、バッカニアの居住地に立ち寄っては、武器や火薬やラム酒と引き換えに、燻製肉を手に入れた。

バッカニアたちは、嵐で岸に打ち上げられた船を襲撃したり、スペイン人の村の近くで小舟を待ち伏せしたりもした。

また、彼らの生活上のルールに従えば、脱走してきた船員を仲間として受け入れた。

バッカニアたちは、森の中を長時間歩くことのできる猟師であると同時に、船を巧みに操る船乗りであり、恐ろしい海賊でもあった。

彼らの単調な生活は、獲物となる船や、トルトゥーガ島の居酒屋での乱痴気騒ぎなどで、変化が与えられた。

狩りによって手に入れた収入は、たちまちのうちに賭博と酒に消えていった」

 

 

 

 

 「バッカニアたちはスペインの報復を恐れ、容易に「近づくことのできない場所に」住み、「誰の権威も認めず、いかなる主も持たずに、未開人のように生活した」」

 「見えない権力に立ち向かう歌舞伎者。当時の海賊はロック・スターのようなもの。

We will lock you !

 「…そうやって美化しすぎるってのもどうかと思うよ。海賊は海賊だもの」

 「一部のバッカニアたちは、ホンジュラス沿岸やカンペチェ湾(メキシコ湾にある湾)で、染料の材料となるロッグウッドの木を伐採する仕事を始めるようになった。

1670年には、有名な航海者ウィリアム・ダンピアが、ロッグウッドを伐採する集団に加わっている。

ダンピアによると、伐採者たちは100キロから150キロもの材木を、船が投錨(とうびょう)する海岸まで運び出したという。

植民地での伐採を禁じているスペイン人の攻撃を警戒しながら、高温多湿の気象条件のもとで、男たちは過酷な生活を送った。

ハリケーンなどによって伐採が不可能になった時には、バッカニアに加わって略奪行為を行った」

 

▲ ホンジュラスはマヤ文明が栄えた土地である。
1969年にはエルサルバドルと、いわゆる「サッカー戦争」を起こしている。
ホンジュラスは政治経済をアメリカ資本のバナナ産業に依存してきたため、バナナ共和国とも呼ばれる。

 「海賊行為がまるで出稼ぎのようなノリですね」

 「バッカニアたちが狙うスペイン船の荷は、もともと先住民や奴隷から搾取したもの。

欧州の悪党がカリブの悪党に説教とは片腹痛い」

 「はっはっは。言うねぇ」

 「彼らは「沿岸の同胞たち」と呼ばれる共同体を作り、互いに連帯し、海賊(フリビュスチェ)としてスペイン船を襲撃した。

「フリビュスチェ」という語は、「自由に略奪する者」という意味のオランダ語から派生し、オランダの海賊が活躍した17世紀の初頭以降使われるようになった。

ところでこの時代、オランダの船はアンティル諸島で密貿易を行っていた

オランダ人は農園でタバコを仕入れ、代わりに毛織物や金物類を売っていた。

これに激しく怒ったスペインは、捕らえたオランダ人船長を絞首刑にし、水夫たちを漕役刑に処した。

一方、オランダはといえば、スペインから新大陸の富を奪い、その経済基盤を崩す意図から、スペインに対して私掠行為を行い、海賊を奨励した。このような政治的な理由でオランダはイギリスの海賊やバッカニアに武器を供給していた。

両国の争いが始まってからも、オランダの水夫たちはアンティル諸島を徘徊し、何の躊躇もなく海賊行為を行った。

1635年、「海賊(エル・ピラタ)」の異名をとるオランダ人船長ピウス・ド・パウルが、2隻の船とともに三ティアゴ・デ・クーバー港に現れた。

エル・ピラタらは全員フランシスコ会修道士に変装し、総督が派遣した使者の尋問を言葉巧みにかわした。

彼らは上陸に成功すると、徹底的な略奪を行った。エル・ピラクはハイチの南に位置するヴァシュ島を拠点にしていた。一方、1630年以降、大半の海賊たちはトルトゥーガ島に集結していた」

 

 

▲トルトゥーガ島

トルトゥーガとは亀の意味。島が亀の形をしているからそういう名前がついた。

 

 「トルトゥーガ?それって映画の中で出てきた島だよね」

 「そう。映画でも出てきたけど、トルトゥーガは実在するわよ」

 「はっはっは。何をおっしゃる。Tortuga(トルトゥーガ)でググると亀しかヒットしないのはなぜですか?あれはハリウッド映画の中だけですよwwwww」

 「それはただ単に探し方が悪いだけじゃない? Isla Tortuga(トルトゥーガ島)で検索すればビシバシヒットするわよ」

 「またリューシさんったらいい加減なことを……」

 「伝説の島トルトゥーガ島は密貿易の中心だった

サント・ドミンゴ北部に位置するトルトゥーガ島は、1630年から1660年までの間、アンティル諸島の海賊たちの異留地となっていた。

幅25キロのトルトゥーガ島は、同時代人の言葉を借りれば、「世界の掃溜」を守っていた。

島の北部には、近寄りがたい山々がそびえ、南部には風の穏やかな入り江があり、イギリスやフランスを始めとして、ヨーロッパ各地からやって来た海賊たちが出入りしていた。

トルトゥーガ島は海賊たちにとって、戦略的な利点を持っていた。

バハマ諸島に面している上、ラ・アバナを出港したスペイン船の航路上に位置していたからだった。

そのため、道に迷った船を待ち伏せし、嵐で座礁した船を発見するには、絶好の場所だった。

優れた戦略家であった海賊たちは、敵の戦力や弱点をできるだけ正確に把握し、入念に遠征の準備を整えた。

そのため、彼らはあらゆる港に情報提供者を置き、出港間際の船の軍備や積荷について情報を得ていた。

また、優秀な船乗りでもあった海賊たちは、操舵が容易で、スピードの出る船を用いることで、間切り走りをする四角い帆をあげた大型船に接近した。

彼らは多くの場合、スループやブリガンティンのような縦帆とブームを備えた軽装備の船を使用した。

川を遡ったり、乗組員を上陸させたりする場合には、ピナスと呼ばれる小型の平底漁船を用いた。

もちろん、こうした船はすべてアンティル諸島で略奪したもの。

一方、海賊たちの弱点は武器にあった。

サーベルと短刀は所持していたが、銃器に関しては火薬が不足することがよくあり、大砲を撃つこともほとんどなかった。

実際のところ、海賊たちは自分たちの強靭な肉体、勇気、巧みに船を操る能力を武器にしていた。エスクェイメリンも、海賊たちは武器の不足を自分たちの才能で補っていた、と描いている。

とりわけ海賊たちは何年もカリブ海を航行してきたおかげで経験という切り札を持っていた。

彼らは風向き、水の流れ、潮の満ち引き、時化(しけ)などを知り尽くしていたのであった」

 「世界の海を制したスペインもさんざんですね。何もかも奪われてしまう」

 「海賊たちに対してスペインも軍備を増強したわよ。

だけどスペインの船団が増強されると、海賊たちは海上での活動に危険を感じるようになり、ベラクルス、マラカイボ、カルタヘナのようなメキシコやペルーの金銀が集まってくる陸上都市にターゲットを切り替えるようになった。

一方、1650年代から1660年代に、フランスとイギリスはアンティル諸島に関心を持つようになった。

ただ単にスペインの力を弱体化させるのではなく、この地域を植民地化しようと考えたのである。

オランダはキュラソー島を、イギリスはジャマイカ島を、フランスはマルティニク島とグァドループ島を支配した。

こうした国々は、囚人や兵士や3年契約を結んだ志願者たちを島に送り込んだ。

しかし、彼らは貧しい生活を強いられたため、脱走者が跡を絶たず、ますます海賊の数が増えた」

 「盗んだ船で走り出す 行く先も わからずに〜♪

 「尾崎キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」

 「ムッター・・・以外とミーハーなんだね」

 「うむ。ウチが駆け落ち同然で家を飛び出してお前を産んだのは、今のお前くらいの頃やった。思い出すわぁ、あの頃は若かった…」

 「はっはっは。今でも十分若くて魅力的ですよセニョリーラ」

 「おおきに。とりあえず手を握らんでくれる?」

 「ちょっとマックスさん。何をやってるんだよぉ。人の母親をナンパしないで!」

 「クララちゃん。そんなこと言わないでおくれ。僕が悪いんじゃない。この女(ひと)の美しさが僕を困らせる。可愛い顔して小悪魔なんだから。あ!何か刺さった・・・・胸が痛い。これはきっと恋の矢なんだろうか・・・ふふ、きっとこの女(ひと)は悪魔じゃなくて、人間との禁じられた恋をする堕天使なんだね」

 「・・・よくそんな恥ずかしい台詞を平気で言えますね。これだからイタリア人は…」

 「彼は生粋のドイツ人なのですが・・・」

 「人は皆、恋をすると詩人になるのですよ。ムラサキちゃん。あなたも好きな人ができればわかります」

 「悟ったようなことを…だいたい、この人、出会った女性を片っ端から口説いているではありませんか!」

 「本物の女好きってのは、その場ではガチで本気でケコン前提で口説くのです。

当然、本人は真剣で本気です。

で、すぐ忘れて、他の女性をまたガチ本気で口説く繰り返し。

それが女の恨みを買うのですよ。

最初からイイカゲンな奴には女は怒りません」

 「ふっ そんなに褒めなくても」

 「いや褒めてない。褒めてない」

 「アンティル諸島で英、仏、蘭による支配が進んでいたことは、トルトゥーガ島やサント・ドミンゴ西部が制圧されたことからもわかる。

1664年、バッカニアや海賊(フリビュスチェ)は、フランス王の権威を受け入れた。

製糖を基礎に置いた経済の発達にともない略奪が増加するようになると、各国の政府は海賊たちの視線をスペイン領にそらせる政策をとった。

1666年に凶悪な海賊ロロノワがマラカイボに攻撃を加え、1670年に海賊モーガンがパナマを占領し、1683年にはファンホルンがベラクルスを襲撃した。

スペイン領の諸都市に対する襲撃が成功したのは、海賊たちのなかに、カリスマ性を持った指導者がいたおかげとも言える。

しかし、こうした目覚しい戦果は、海賊の終焉を告げるものだった。

いたる所で海賊たちは、マラリアや黄熱病で命を落とし、先住民に殺害された。

モーガンは状況が海賊たちに不利になったことを察知し、イギリスに帰国した。

彼らは持ち帰った略奪品を使って、英国王室に取り入り、名誉を回復する。

ジャマイカ副総督としてカリブ海に舞い戻ったモーガンは、この島で静かに人生の幕を閉じた。

1697年、ポアンティ男爵は2000人のフランス兵を率いて、カルタヘナを攻撃した。

それは海賊が参加した最後の大遠征だった。

度重なる鎮圧にもかかわらず、18世紀になっても、アンティル諸島で海賊行為は続いた。

海賊たちは密貿易で栄え、独占貿易体制(植民地において一国が貿易を独占する形態)に苦しむ植民地の経済に取り込まれていた。

この時代の海賊たちは、丸太に乗って沿岸部を航行し、商船を襲って、あちこちに貿易港を作っていた。

だが18世紀の海賊行為は、17世紀後半に外海で暴れまわった海賊ほど規模は大きくなかった。

このころイギリスの大貿易会社が独占体制を作り上げると、アメリカ大陸の植民地はこれらの会社と敵対するようになり、多様な密貿易のネットワークが築かれていった。

外海で活動していた海賊たちは、このネットワークに組み込まれていった」

 「うむ。英国のアメリカに対する搾取は許しがたかったからな」

 「どうしてアメリカ人は自分たちが先住民やアフリカの黒人にしたことを棚にあげるのですか・・・?」

 「いや、最近はそうでもないみたいやで。その副作用で、今のアメリカ人は軽い自虐史観に陥ってるみたいやけどな」

 「まったく最近はすっかり有色人種が増えてしまった。20世紀中盤までは街は肌の色も統一されていたし、女は家を守ったものだ。それが今は白人のホームレスに黒人商社マンが施しをするなど古き良き時代の姿は見る影もない。なんと嘆かわしい…」

 「なんかKKKみたいなこと言ってるよこの人」

 「さて、海でも陸地でも追い詰められた海賊は沖合に出た。

海賊(フリビュスチェ)がカリブ海という「内海」で活動したのに対し、外海に乗り出した海賊たちは、海外拡張政策をとる18世紀の列強と同様に、世界中の海を航海した。

こうした海賊たちは、1716年から1726年頃までをピークとして、約30年間何の処罰も受けずに暴れ回った。

海賊たちは北米のイギリス植民地を拠点にして、かつての私掠船の船員や英国海軍の脱走兵を仲間に加え、少なくとも5000人にまで膨れ上がった。

ニューヨークやチャールストンやバージ二アの人々と共謀し、アフリカの沿岸地域から略奪してきた金、象牙、奴隷を植民地に持ち込んだ。

海賊たちはアンティル諸島での密貿易によって、アメリカ大陸に住む人々の生活を支えていた。

1700年頃から「黒旗」を掲げるようになった海賊船は「海賊周航(ラウンド)」と呼ばれる航路を通って、広大な海域を航海するようになった」

 「ジョリーロジャー(JOLLY ROGER)ですね。たしかTDLで2000円くらいで売ってました」

 「海賊たちは北アメリカを出港すると、大西洋を横断して喜望峰を回り、紅海やペルシア湾やインドのマラバル海岸にまで到達した。

このような大航海が可能となるためには、各地に寄港地が必要となる。

バハマ等では1716年頃にニュー・プロヴィデンス島が海賊の基地となり、アフリカ西岸ではギニアやシエラ・レオネが、インド洋ではマダガスカル島西部やコモロ諸島やマスカリン初頭が海賊の寄港地となった。

18世紀のインド洋では、海賊行為に対する監視の目もまだ光っていなかった。

海賊たちは防御手段を備えていないアラブ、ペルシア、インドの小型船から積荷を略奪した。

たとえば、ジョン・エイヴァリはマダガスカル島の入り江で、ムガール王朝の船を拿捕した。

船に財宝だけでなく、美しい女性が乗船しているならば、海賊たちは女性も一緒に略奪した」

 「活動範囲が広いね。ホント」

 「植民地を拡げることが当たり前だったこの頃の企業や国家指導者は海賊よりもはるかに大きな犯罪を行っていた。

たとえば海賊の親玉とかね。

でも海賊はそれを隠すための絶好のスケープゴートになり得た。

キャプテン・キッドがその良い例ね。

キャプテン・キッドことウィリアム・キッドはうだつのあがらないニューヨークの実業家で、私掠船の船長となり、海賊行為を行った罪でみせしめとして吊るされた。

キッドがインド洋でいくつかの海賊行為を働いたのははっきりしている。

でも同じようにはっきりしているのは、この裁判により、キッドが彼を雇った体制側の人物たちのスケープゴートにされたということだった。

完全な調査が行われていたならば、私利私欲のために海賊掃討ミッションを組織した彼らの貪欲さと、その任務にきわめて不適切な指揮官を選んだ彼らの無能さが露呈されたことでしょうね」

 「…海賊は国家の道具ですか。使い捨ての」

 「そういうこと。

まあ、大航海時代はそーいう時代だったってこと。

さて、戦争に海賊の力を利用するのはどこでも同じだけど、アメリカ独立戦争(1775〜83)では、それ以前の戦争にはなかったほど、プライベーティアの力が発揮された。

小規模なアメリカ海軍は、イギリスの支配者に対して、たった34隻の軍艦で抵抗した。

しかしこの13倍のプライベーティアが、イギリスの商船を襲い、通称を破壊した」

 「うさ、うさ、うさ。アメリカ万歳、聖者の行進、星条旗、永遠なれ」

 「………さっきから韓国並のウリナラマンセーですね、あなた」

 「18世紀のあるイギリス作家は、次のように嘆いた。

「アメリカとのすべての通商は途絶えた。…わが国のドッグを見るがよい。そして、港に係留されている美しい船が何隻あるか数えてみるとよい」

以前の戦争でも同様だったが、プライベーティアに船を奪われた者は、彼らを”海賊”と呼んだ。

イギリスの犠牲者は、この言葉を曖昧に使ってジョン・ポール・ジョーンズら、アメリカ海軍の士官まで海賊呼ばわりした。

結局、アメリカはイギリスとの戦争に勝って独立を果たした。

で、プライベーティアは元の海賊に逆戻りしたわけ」

 「いたちごっこだね…」

 「独立後の1812年、イギリスとの戦争が再発すると、建国したばかりのアメリカ合衆国は再びプライベーティアを採用して海軍力を増強した。

しかし、彼らが祖国の自由を勝ち取るために活躍したときほどには、彼らの快速船はもはや役に立たなかった。

5,000年に渡って隆盛を誇った組織的海賊およびプライベーティアの歴史は19世紀になって、その幕を閉じた。

新しい世紀になったとき、プライベーティアはなお危険な存在だった。

しかし、列強の海軍は、個人が所有する軍艦の助けをすでに必要としなくなっていた。

1856年、主要国は略奪許可状を禁止する条約(パリ宣言)に調印した。

新しい技術も、海賊の終焉を早めた。

イギリスとアメリカ合衆国は、蒸気機関を動力とする軍艦を建造した。

風がなくとも、世界中どこへでも航行することができるようになった。

帆に頼る海賊船は、蒸気船に簡単に捕らえられた。

1850年には、小物の海賊集団しか残っていなかった。

ときはまだ西部開拓時代だったけど、大海賊時代はとっくに終わっていた。

そして海賊の脅威が忘れ去れたとき、海賊は身近な悪党から歴史上のヒーローになった。

1883年にはイギリス人の小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソンが海賊を題材とした冒険小説「宝島」を出版。

以後、海賊は人々のヒーローとなって行き、2006年夏にはパイレーツ・オブ・カリビアンの続編が公開されるのであった。

以上、海賊の歴史でした。ドドン!

 「あのぉ…宝島からカリビアンまでの100年間に出た海賊物は全部無視ですか?」

 「うん。めんどい」

 「そーいう時事ネタをやると後で困りますよ」

 「細かいことはケンチャナヨ。

 「ところで21世紀現在の海賊はどうなのでしょうか? 絶滅しちゃったのですか? それとも廃業?」

 「絶滅って・・・恐竜じゃないんだから」

 「いえいえ。ちゃーんと今でも海賊はいるわよ

海賊行為のために海運産業がこうむる年間失額は推定3億ドルにも及ぶのよ。

海賊が存在するのは新聞でも確認できるわ」

 

 

 参考資料:日経新聞
アドレス: http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060206AT2M0500T06022006.html
05年の海賊事件、世界で276件発生・イラクなどで多発
 国際海事局(IMB)海賊情報センター(クアラルンプール)のまとめによると、2005年に世界で発生した海賊事件は前の年の329件より53件少ない276件だった。マラッカ海峡などでの被害が減った一方、ソマリアやイラクが新たな多発地帯となっているとIMBは警告している。 国・地域別で最多はインドネシアの79件。全体の3割近くを占めるが、件数は15減った。マラッカ海峡も12件と26減少した。インドネシアに次いで多かったのがソマリアの35件で、前年の2件から急増。前年1件だったイラクでも10件発生した。世界で人質となった乗組員の数は440人と調査開始以来の最多。武装するなど犯行の凶悪化も目立つ。05年3月にはマラッカ海峡で日本船籍のタグボート「韋駄天(いだてん)」が武装グループの襲撃を受け、日本人2人を含む3人が拉致される事件が起きた。

 

 

 「ただし、この276件という数字は当てにならない」

 「なんで?」

 「現在、「海賊」の標準的な定義は1958年のジュネーブ会議で合意されたものなの」

 

 参考資料:女海賊大全

P,329
海賊行為は次にあげる行為のうちいずれかによって成立する。
1・・・不法な暴力、拘禁行為、もしくは略奪行為であって、民間の船舶もしくは航空機の乗務員もしくは乗客により、次のA、B、いずれかに対し、私的な目的で行われたもの。
A・・・公海上で、他の船舶もしくは航空機に対し、もしくはその船舶もしくは航空機に搭載の人員もしくは財産に対して。
B・・・いかなる国家の司法権も及ばない地域で、船舶、航空機、人員もしくは財産に対して

 

 「つまり、領海内での海賊行為は海上強盗になるもんで、さっきの記事の276件ってはたぶんカウントされてないと思うわけよ」

 「なるほど」

 「とするなら、韓国人が日本の領海で密漁してる事件についても、航海じゃないから海賊ではないということになるわ。どっちにしろ犯罪だけど」

 「<#`Д´> アイゴー! 

それでは<ヽ`∀´>KOREAN PIRATESというカッコいい響きはどうなるのですか!

ただの海上強盗になってしまうではないですか!」

 「知らないわよ。だいたい何その単語、今始めて知ったんだけど」

 「わたしが今作った言葉ですが何か?」

 「今作ったのですか・・・ん?」

 「ん? なんかいい臭いね〜」

 「む? この香ばしい臭いは…」

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あ、姐さん! そっち鍋が吹き零れてる!」

 「ええい!わかっている! 耳元で怒鳴るな! お前はブカンの方を見てろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドドン!

 

 

 

 

 

 

 

 「まったく・・・「バッカニア」の語源になったブカンってのは燻製用の釜のことですよ。

それなのに燻製どころか丸焼きにしてどうする気ですか?

おまけに魚もさばいたことないのに、カリビアン料理をやりたいなんて無謀な…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドドン!

 

 「しかも出来上がってみればどこがカリビアンなのかわからん料理ばっかだし。作者がカリビアン料理ってよくわかんねぇってのもあるけど。つーか、ただ食べ物描きたかっただけ?」

 「いいじゃないか、一応は食べれるものができたんだから。それにお前が食うんだからどうでもいいだろ」

 「やっぱり俺が残飯処理係かよ…ったく、どうせならリューシーさんのほうが美味く料理できるってのに。対抗意識燃やすもんだから…」

 「まったくですね。だいたい素人が鍋料理にワインなんて使うなんて・・・

難しいんですよ。これの味付けって」

 「でもウチはうれしいわ。ようやくソフィアちゃんが男のために料理する気になったんやな☆ あはっ・・・まず

 「お兄ちゃん・・・これは一体どういうこと?説明してもえるかな」

 「こら!お前らいきなり何しに来た!それにティル!誰がこいつのために料理していると言った!わたしはただ、こいつに料理の実験台になってもらっただけだ」

 「うん。まったくもってその通り。実験台っす。ゲオルグ、代わってくれ」

 「なんだと!ヴォルフ!お前…!」

 「・・・ぐっ! これがカリビアン料理・・・なんというか・・・やはり日本人の舌には合わないというか、難しい味というか」

 「ほらトロイくん。遠慮せずに食べなさい」

 「酷いですマックスさん!自分のノルマは自分でなんとかしてください」

 「…」

 「お前ら!文句言うなら喰うなぁああ―――!!!」

 「というわけで、どうだったかなぁ? 海賊王コンテンツ!

またネタが溜まったら更新するかもしれないわ

でもとりあえず今回はここまでー じゃあまたねー☆」

終わり


●キャスト: 疾風怒濤!!

 ルクス・フランクリンイメージCV:林原めぐみ

 リューシアナッサ・アンピトリーテイメージCV:水谷優子

 アルク・フェルナンデスイメージCV:緑川光

 クララ・パンタブルグイメージCV:三石琴乃

 ムサラキ・ツユクサイメージCV:ゆかな

 ティル・パンタブルグイメージCV:小山茉美

 ゲオルグ・クリストファイメージCV:置鮎龍太郎

 マックス・ウェーバーイメージCV:三木眞一郎

 トロイ・シュタイナーイメージCV:日高のり子

 ヴォルフ・シュナイダーイメージCV:関智一

 ソフィア・パンタブルグイメージCV:榊原良子

 

●参考文献

海賊の歴史

ビジュアル博物館 59巻 海賊

ビジュアル博物館 50巻 ヴァイキング

女海賊大全


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