Strum Und Drang!!

part 16

「なんだこいつら・・・」

ヴォルフは目を疑った。

針が飛び出るトラップを越えたと思ったら骸骨が動いていた。

動いていただけでなく、酒を飲んで宴会を開いている。

見えた明かりは彼らのランプだったのだ。

しかし、口に入れたワイン(らしきもの)は喉や腹からどぼどぼと流れてしまっている。

「ジンの城にいたシルバーの同類か?」

「おお? 新しいお客のようだな。こんばんわお嬢さん」

と。目の前の異形の死者の様子を伺っていると向こうから接触を持ってきた。

 「こ、こんばんわ」

 「俺たちは無視か・・・」

彼らが生前はどういう人間だったのかよくわかった。

「あんたたちこんなところで何してるの?」

 「宴会だ。もうずっと宴会をしてる」

 「酒が尽きないんだな」

 「うむ。バッカスの泉のおかげだ」

 「バッカス?」

 「バッカスってのはギリシャ神話の酒の神のことよ。バッカスの泉は尽きることがないワインの泉。古代ではいつでも食料難だったから無限に食べ物や飲み物が手に入る魔法のアイテムってのがよく神話に出てくるわ。

ギリシャの神殿にはそれを模した貯水池がよくあるの。でも実際に尽きないワインの泉なんてあるわけない。そんなものはただの神話よ」

骸骨は「かっかっか」と笑う。

 「ここは神話の世界だ。我々は夢と同じモノで造られている」

 「そうやって飲んだくれ続けているのがお前の夢か」

 「そうだ。俺たちは生前は罪人だった。海馬シー・ホースという怪物を生け捕りにするための船の乗務員になるか、牢屋で死刑を待つかの二択だった。選択の余地はなかった」

骸骨は剣で突き刺すしぐさをした。

 「船は牢獄そのものだ。何をされても泣き寝入りしなきゃならない。外の世界は辛いことばかりだ。だからここでこうしている方が楽しい!」

 「そのとおり!ここには酒がある!それだけで十分だ!」

乾杯、と言わんばかりに骸骨は木製のコップを掲げる。

かつん、と音を立てて一気に飲み干す。どぼどぼとワインが骨からこぼれていく。

楽しそうに言うが、事実は果てしなく哀れであり、彼らの虚無の世界は一切が無意義である。

 「ま。本人がいいならいいんじゃないかしら?上海の阿片窟でも似たような人たちがいたし」

 「…ルクス。それはフォローになってないぞ」

 「でもさー、こんなところにずっといると退屈しない?あたしたちは何百年も生きてる砂漠の精霊にあったけど退屈で死にそうだったわよ」

 「退屈なんてしないさ。ここには大勢仲間がいるからな」

 「大勢?」

よくよく見るといたるところで骸骨が動いている。

まったく動かない骸骨や一部分しかない骨もいるが、それは本物の死体なのだろうか。

寝てるだけなのかまったく区別がつかない。

「バッカスの泉を飲んだものはここから出ることはできない。永遠の命の代償と言える。だから死にたくなったらこの泉を離れればいいのさ。もう死んでるから死にたいとは思わないがな。あっはっは」

「そのとおり。酒を永遠に飲んでいられるんだ。ここは天国だ!」

「…ってことは、この酒を飲んだらここから出られないってことね」

「どちらにしろ出られないさ。ここにいる連中の半分はこの遺跡に盗掘にやってきた。だがこの先は罠ばかりで、あまりに危険だ。そこで大勢が死んだ」

ゴゴゴ、と何か機械が動いているような音がする。

「何の音だ?」

「お前らが来たからここのからくりが動き始めたのさ。ここには侵入者を妨害するための罠がいくつもあって、失敗するとこの部屋へ迷い込むように作られている」

「ってことはそのうちソフィアさん達も来るかしら?」

「どうかな?リューシーさんは最後までたどり着いたって言ってたぜ」

「あの子がいてもあたしたちはここにいるじゃないのよ」

「むぅ…」

 

「安心しな。罠って言っても、最後の以外は大したものじゃない」

「最後のは何なんだ…」

「それは…何だっけかな?」

「忘れちゃったの?」

「うむ。忘れちゃった」

てへ、とにっこりと笑う。

頬の肉もないのに感情表現が豊かだ。

「まあ、行けばわかるさ。俺もそこにたどり着いて、ここに落とされたんだ」

「おかしな話だな。普通に考えれば盗掘者は罠にかかって死ぬはずだ。それをここに戻したりするなんて何の意味があるんだ?侵入者を殺さないで別の部屋に戻すなんて、殺すよりよほど難しいことだぞ」

「それは簡単だ。ここは元々、古代の兵士の訓練所だったらしい。だから挑戦者を殺さないように作られてるのさ」

「何考えてんだここを作った奴は…そんなのが訓練になるわけねぇだろ…」

「なら突破してみろよ。俺たちは待ってるさ。疲れたら一緒に飲もうぜ」

ケラケラ笑いながら再び酒を飲む。

「…こー言われたら意地でも突破してやるぜ。どっちみちそれしか俺たちにはないんだからな」

「そういうことね。それじゃおじさんたち。あたしたちは行くからね」

「おう!がんばれよ!」

気軽に応援してくれる骸骨たち。

骸骨であることを抜かせばただの酔っ払いだから気楽なものではある。

 「で、結局ここって一体何だったのかしら・・・」

「だから酒地獄だろ。宝探しに来たような連中はこの泉に飲まれてしまうんだ。こいつらはバッカスとやらの呪いで永遠にここを抜け出せないんだ」

アルコール中毒患者の巣窟。

天国にも似た地獄。人として生まれ、酒に飲まれるのが幸せなのか。

この光景は人間の尊厳を失わせている。

どこか人生に絶望を感じている人がこの部屋に魅了されるのだ。

幸いにしてヴォルフたちは、―――今のところ、そこまで人生に絶望していなかった。

「ソフィアさんだったらひょっとして飲んだかもね」

「あのなー。あの人がそこまで人生に絶望…してないと思いたいね」

ジンの城での醜態を見る限り、断言できないヴォルフであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれ?入り口が4つあるぞ。しかも鍵がかかってやがる」

しばらく進むとドアが4つある行き止まりにたどり着いた。

ヴォルフはノブを付かんで開けようとするが、開かない。

「でも壊せないことはなさそうよ」

「決まりだな」

ヴォルフは後ろに下がり、

「うぉおおおおりやぁああああっっっ!!!」

一気に突進してドアに体当たりした。

バキッ!

と大きな音がしてドアがあっさりと壊れる。

「うぉおおお!!!???」

ドアの向こうは崖である。

勢い余って谷底へ転落するところだった。

ヴォルフは間一髪ドアの足元を手でつかんで落下を逃れた。

「ちょっと!何やってるのよ!」

「は、離すな!離すなよ!離さないで!お願い!」

2人に引っ張られる

「ぜー、はー、ぜーはー。死ぬかと思った…」

「まさかこんな仕掛けたがあるなんてね」

「ふざけた罠を作りやがって!!ここを作った奴は頭がおかしいんだ!」

ヴォルフは怒りながら残りの3つのドアを蹴飛ばした。

幸いなことに正しい道は一つしかなかったため迷うことは無かった。

だが彼らは気づいていなかった。

ここが入り口ならば以前に来た冒険者も同じ道を通ったはずである。

ならば誰がドアを元に戻したのだろうか…?

 

 

 

 

 

 

「まーた、変な仕掛けがあるわね」

ルクスの目の前にあったのはローラーの橋だった。

うまくバランスを取って進まねば下に落ちてしまう。

下は暗くて底が見えないが、落ちて助かる高さとは思えない。

「今度はあたしが先に行くわ」

「気をつけろよ」

「大丈夫。こんなのタッタッタンとリズム良く行けばいいのよ。まあ見てなさい」

 

「うおおお!!???」

ルクスがローラーに脚を付くと、ローラーがくるっと回る。

慌ててルクスが前に飛び、そのまま一気に奥まで進む。

30m近いローラーの端を抜けて出口に着くと、「ふぅー、びっくりした」と息をつく。

 

「熱くなってきたな…」

洞窟の中はかなりすごし易い気温だったが、じょじょに暑苦しい空気が立ち込める。

 

 

 

 

「さようなら」

にっこりと笑って―――自身の胸に槍を突き刺した。

「―――――!!!」

何を叫んだかわからない。

槍は驚くほど簡単にリューシーの胸から背中までを貫いた。

 

 

「ここは他の場所と違うな。立派な造りになっている」

 

 

―――グルルルルル…!!

「獣の臭い…ここには何かいる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く、首が三つの化け犬!?」

「ケルベロスかッ!?」

 

 

―――ケルベロス。

それはギリシャ神話にある地獄の番犬、冥界の王ハーデスの忠犬である。

死者の魂が冥界からこの世に彷徨い出ないようにする警備員であり、生きた人間があの世へ迷い込まないように見張るガードマンでもある。

生ある人間が冥界に入ることは許されない。

多くの場合はケルベロスの姿を見ただけで引き返し、ケルベロスもまた追っては来ない。

だがその警告を無視して進もうとするものは死して冥界に行くことはない。

ケルベロスに食われてしまうからだ。

このケルベロスの警備を突破し冥界に生きたまま行って帰ってきたものは伝説の英雄ヘラクレスだけである。

「こんな神話の怪物が守っているとはな。どうやらロンギヌスの槍は近いようだ」

「ああ。そうでもなきゃこいつがここにいるわけがない…けど、どうやって突破するんですか?」

「ふん。決まっておろう」

ソフィアが剣を抜く。

レイピアが一瞬にして巨大な大剣へと変化した。

その刃は鋼でない。光そのものだ。

紫色に怪しく光る魔剣。

人の体長ほどもある巨大な両手剣ツヴァイハンダー

「さあ来い化け犬。人に噛み付く犬など可愛くない。わたしがちゃんと調教してやるっ!」

「それが姉さんの…」

「下がっていろ。お前の手に負える相手ではない」

「そのために銃があります」

「そんなものではヤツは仕留められん。幻想種を通常の獣だと思うな」

「んじゃこれは?」

ルクスがダイナマイトを持ち出す。

「…生き埋めになりたいのか。そんなもの使ったら遺跡が崩れるぞ」

「やってみなくちゃわからないじゃない」

「ホントにお前は考古学者か。遺跡を爆破するなんて…」

「なぁ〜に。南米じゃこれくらいはガンガン使ってたわよ」

「……とにかく、わたしがなんとかしよう」

「だけど1人じゃ…」

「ケルベロスは殺し屋ではない。敵意を持たない者は攻撃しない。武器をしまえ。それにわたしはあんなケダモノには負けはせんよ」

「ケダモノとは言い草だな、人狼の娘よ」

「しゃべった!?」

「ちょっとお待ちください。今の発言には大きな間違いがあります。この方はすでに娘と呼ばれる年齢ではありませんわ!訂正を」

「ええぃ!何をバカなことを言っているんだお前は!」

ソフィアがごほんと咳払いする。

「会話ができるなら話は早い。そこをどいてもらいたい」

「ほぉ」

ケルベロスが

「む?お前はこないだ来たな」

さっとヴォルフの後ろに隠れる。

肩からそっと顔を出してはまた隠れる。

「お前も懲りない娘だな」

「ええ。まったくその通り」

 

「変だな。あいつ、襲い掛かってこないぞ」

「番犬ケルベロスはタルタロスの門の守護神。獲物を求めて狩りをする獣ではありません。あの門を越えようとするものには死を与えますが、そうではないものには何もしない。忠実に主の命令を守っているのです」

「なかなかいい犬じゃないか。俺は好きだぜ。そういうの」

「犬好きだなお前は…」

「なんとかあいつを門から引き離すだけってのはできないんですか。犬を殺すのはかわいそうだ」

「犬って、あれのどこが犬なのよ…」

「見りゃわかるだろう。あの顔、あの体つき」

「頭が3つ生えて体が象よりでかい犬がか…?お、おい。何をするつもりだ…!」

ヴォルフはぐっ、と親指を立てる。

「任せろ?何考えてるんだ!戻れ!戻れよ!」

ヴォルフはゆっくりと番犬に近づく。

にやりと口元を緩ませながら

「お手」

手のひらを上にして差し出した。

「うお!?」

ヴォルフが慌ててよける。

人間の胴体ほどもある前足がヴォルフに襲い掛かってきたからだ。

「なんて犬だ!お手も仕込んでないのか!飼い主はバカだ!」

「バカはあんたよ!何やってるのよ!こっち来なさい。邪魔になるでしょうが!」

ルクスがバカを無理やり引っ張る。

 

 

 

「バルムンクのつるぎは元々が対化物用の巨大剣。体格で劣る英雄が自身の何倍もの体躯を持つ化け物どもを戦うために鍛えし伝説の魔剣だ」

 

ソフィアはケルベロスの頭を踏み台にして高く飛び、――――バルムンクを振りかぶって一気に叩きつける!

 

「―――勝利を叫ぶフェンリス・イングルフ――

 

魔狼の剛剣!!アインハルト――!!」」

何かが爆発したかのように青い閃光がほとばしる。

あれは魔力のはじける姿。

魔力の塊である幻想種がその姿を維持できなくなるときに発する光。

通常の武器と違い、ソフィアのような魔法具による攻撃は直接幻想種の魔力を攻撃する。

あれだけの爆発音。あれだけの魔力の光量。

並の幻想種ならば一撃で葬り去るほどの威力。

大技だが、それゆえ当たれば威力は絶大。

バハムートすら葬り去る大剣にはケルベロスと言えど無傷ではすまない。

頭をひとつ潰された神話の3つ首の番犬がたたらを踏む。

――――ガルルルッッ!

番犬の首が顎を開いて襲い掛かる。

明らかに効いている。

「まだまだ!一撃で倒れないなら何度でもっ!!」

ゴン!ゴン!とハンマーで鉄板をぶっ叩くような轟音が響く。

巨大すぎる刀身が切れ味よりも相手を叩き潰すことを優先させるのだ。

「なんてタフなヤツだ…!」

ソフィアの攻撃は確実にヒットしている。

幻想種は無敵の存在ではない。

だが、さきほどから何度もバルムンクで叩きつけている。

轟音とともに飛び散る火花は魔力の発散を示している。

しかしなぜ倒れない。

「あんなに攻撃しているのに倒れないなんて、姉さんの剣はケルベロスには効いてないのか…!?」

「いいえ。彼女は前にわたしのヒューバを倒したときよりもむしろ調子がいい。パワー・スピードともにリズムに乗ったいい攻撃です。あれならイフリートですら倒しきれるでしょう」

「じゃあなんで倒れないんだ?」

「純粋にケルベロスがタフなだけです。ここは冥界に近い場所ですから幻想種の力もずっと強くなる。かの英雄ヘラクレスがケルベロスを生け捕ったときは3日3晩の長期戦だったそうです。幻想種との戦いは長期戦になるのが普通なのですよ」

「じゃあこの戦いもしばらく続くのか……」

「いえ、そうでもないようです」

ガン!!と、さらに透き通るような打撃音が響く。

「――――はぁはぁッ!」

息を弾ませながらソフィアが攻撃を続ける。

幻想種に比べればソフィアの耐久力など無に等しい。

一見押しているように見えてケルベロスの巨大な前足でひっかかれたりでもすればそれだけでアウトだ。

図体が大きいから動きがスローに見えるが、実際のケルベロスの動きは野生動物のそれである。

超人的な運動能力に加えてこの手の特殊な戦い、対幻想種との戦闘を想定した訓練を積んだ人間だからこそ為せる戦いである。

だが攻撃を休めるわけにはいかない。

少しでも手を緩めればたちまちケルベロスの餌食だからだ。

「なんてしつこいっ!」

ソフィアが後ろに下がって距離を取る。

バルムンクの大剣の間合いの外。

しかしケルベロスにはその距離が獲物を食いちぎるにちょうどいい間合いなのだ。

番犬が大口を開ける。

上下に開いた大顎には鋭い犬歯が並ぶ。

地獄の番犬ケルベロスの噛み付きがソフィアを捕らえる。

槍兵が賜った栄光の狼ブリッカー・イングヴァルト・ベルトゥルフ!!」

バルムンクの剣がケルベロスの口の中を貫いていた。

魔力のほとばしる光が一段と強くなる。

ケルベロスの全身から力が消えた。

「…さすがですね。冥界ではないにしろ、そこの入り口にいる幻想種を倒すとは」

リューシーがちっ、と舌を鳴らす。

彼女なりに竜使いとして魔剣士に対するライバル心があるらしい。

「どうしていきなり倒れたんだ?」

「最後の一撃が急所に入ったからですよ」

幻想種にも攻撃に強い部分と弱い部分がある。

そしてもっと弱い部分、すなわち急所が存在する。

動物の形をした幻想種の急所はほとんど通常の獣と共通している。

頭と心臓である。

「…そういえばイフリートも目玉に拳銃食らって痛がってたな。というか急所が幻想種にもあるなら最初からそこ狙えばいいじゃないか」

「そんなところを簡単に狙わせてくれる相手なら苦労しませんよ。あれだけ叩いて叩いて叩きまくって動きが鈍ったからこそ急所を狙えたんです。それにどうやらソフィアさんの習った剣はそもそも1対1を想定したものではありませんね」

「どういうことだ?」

「ソフィアさんは犬です」

「まあ耳は生えてるけど・・・」

「じゃなくて役割ですよ。ソフィアさんはようするに狩りの犬なんです。獲物の足を止めるのがその役目。ハンターは犬が獲物を足止めしている間に急所を撃ち抜きます」

「でも普通の銃じゃ致命傷なんて与えられないぞ」

「うむ。戦車がいりますね」

「…それで戦車を持って来たのか」

ヘラクレアでの一件を思い出す。

「何はともあれこれで一件落着。あとは扉を開けて槍を手に入れるだけです」

「簡単に言ってくれるな…人の苦労も知らんと」

ソフィアがはぁはぁと汗をたらしながら会話に入ってきた。

相当疲れているようだ。まだ息が整わない。

「あなたが下がってろと言ったんじゃないですか」

「ぐっ…!」

「後は任せて下さい。このアレスの腰帯ガードルでケルベロスをつなげば、これはわたしの僕。目を覚ました頃にはいいペットですよ」

ぴくっ、とケルベロスの体が動いた。

ソフィアはその瞬間を見逃さなかった。

「!!リューシアナッサ!不用意に近づくな!そいつはまだ生きているっ!」

「え?」

――――ザクッ!!

鮮血。

ケルベロスの前足がリューシーの体を突き飛ばし、木の葉のように壁に叩きつけられて彼女は横になった。

番犬の爪は赤い血がついており、リューシーの体も血に染まる。

「リューシーさんっ!」

「おのれっ!」

ソフィアが足を踏み込んだ瞬間、急に体が重くなる。

それまで溜め込んだ疲労が一気に噴出したのだ。

片膝をついてバルムンクが手からすべり落ちる。

「ハァハァ!ちぃっ!」

慌てて持とうとするが、するりと剣が遠のく。

 

 

代わりに剣を握ったヴォルフがリューシーにさらに追い討ちをかけようとするケルベロスをバルムンクで叩きつける。

「バカ!普通の人間がバルムンクを持ってもすぐに消えて…」

 

「うおおおおォォォっっっっ!!」

ヴォルフはバルムンクを振りかぶり、一気に叩きつける。

一発目の反動で体が一瞬、宙に浮く。

しかしヴォルフは攻撃をやめない。

「この野郎!この野郎!この野郎ッッ!!」

ガン!ガン!ガン!

血だらけの頭を持った番犬の残りの二つの頭を力の限り叩きまくる。

強打の連続の前に、すでにケルベロスは力を失っていた。

今度こそ完璧に力尽きたのだ。

「待てヴォルフ!待つんだ!こいつを殺したら扉が開かない!!」

「―――ハァ!ハァ!ハァ!」

(まだ消えてない…。こいつ、魔力を使えるのか…?)

幻想具は誰にでも使えるアイテムではない。

基本的には普通の金属や木材などである。

それを魔力を通すことで神話や伝説の武器に一時的に変えることができる触媒なのだ。

だから幻想具を維持するだけのエネルギー源である魔力が持ち主から供給されなくなれば幻想具はすぐに幻想に戻り、元の触媒になってしまう。

ソフィアの剣もまたその類であり、持ち主を選ぶ剣なのだ。

普通の人間が持ってもただの剣に過ぎない。

よってヴォルフが握った時点で元の剣に戻るのが道理なのである。

しかしヴォルフは現に剣を使えた。

これは道理に合わない。

それを道理に合うように解釈するのであれば、ヴォルフの振るう魔剣バルムンクを召喚したのはソフィアであるが、その形を維持しているのはヴォルフ本人、すなわち今このバルムンクはヴォルフが召喚している。

―――ヴォルフが魔法を使っているということになる。

「ハァハァ!…消えた?」

がくんとヴォルフの膝が折れる。

しゅん、と蝋燭の火のようにバルムンクもただのレイピアに戻ってしまった。

「なんだ。体が…言うことを聞かない」

信じられないほど体が重い。

フルマラソン後のようにまったく体が言うことを聞かない。

「当然だ。幻想具は恐ろしいほど持ち主の体力と気力を奪う。訓練も積んでない人間がそれを操れば最悪死ぬこともある。無茶しおって…」

言葉とは逆にソフィアは内心驚いていた。

そもそも幻想具を使えること自体大した才能なのだ。

訓練もなしにいきなり飛行機が飛ばせるくらい凄いことである。

ただ飛行機と違って努力すれば誰でも使えるということではない。

魔法というのはむしろ飛行機を飛ばすというより、鳥のように自身の羽で飛べるということに近いのである。

どんなに努力してもまったく無駄に終わる人間がほとんどだ。

人が人である以上、鳥のように飛べるわけがない。

当たり前の話だ。

飛べるとしたらそれは人ではない。

魔法を使うということはそれだけ人間ではない別の何かになるということなのだ。

「リューシーさん!大丈夫か!」

「う…油断しました」

「傷を見せるんだ。…よし。動脈は傷ついてない。かすり傷だ。出血が多いけどすぐに治る」

「また血がなくなっちゃった……」

「ほら。ここを押さえてろ。そのうち止まる」

「…よいしょっと」

「まだ休んでろよ」

「大丈夫大丈夫。えへへ。ヴォルフさん、わたしは大丈夫ですよ」

何がうれしいのかやたら上機嫌である。

「…打ち所が悪かったのか?」

ソフィアがヴォルフに耳打ちする。

「聞こえてますよ。わたしは正常です。ぶいっ」

「…やっぱり打ち所が悪かったか」

 

「さてと…」

リューシーがアレスの帯を引っ張ると、帯の丈がどんどん伸びていった。

まるで手品のように本来の長さの数倍まで伸びる。

リューシーが鞭のように

「これが…ロンギヌスの槍…」

「まさか実在したなんて…」

「…」

リューシーが近づく。

「む、これは…」

 

「ぬ、抜けない…」

「…え?」

「いや、マジです。ホントです。真剣です。うーん、うーん…だめだこりゃ」

「だめだこりゃ、じゃないよ!それが抜けないってことは…どういうことなの?」

「あんたもしっかりしなさいよ。慌てても仕方ないわ。ここはダイナマイトで…」

「アホか。吹き飛ばしてどうする」

「甘いわね」

ちっちっち、と人差し指をメトロオームのように動かし、

「この槍が伝説のロンギヌスの槍なら発破の一つや二つでどうにかなるわけないでしょう」

「魔法具というのは基本的には普通の物質ですからそんなもの使ったら壊れますよ」

「…お前ホントに考古学者の卵か?」

「し、失礼な!あたしだって本気で言ったわけじゃないわよ!」

必死で自己弁護するルクス。

だがその反応が本気だということを物語っていた。

この自称考古学者は発掘に発破を使うらしい。

常識的に考えて頭がおかしいとしか言いようがない。

「ま、抜く方法はゆっくり考えましょうか。さてヴォルフさん。ルクスさん」

手招きするリューシー。

「何だい?」

「何じゃないですよ。解毒しますから、こっちへ来てください」

「え?抜かなくてもできるの?」

「誰が抜かなきゃ解毒できないなんて言いました?」

くすくすと笑う。

「あー、いい気分になってきちゃったなー。なんかこの槍握ってると不安も欲望も消えるような…幸せってこういうことなんだなー」

目がうつろになっている。

どうやら冗談で言っているわけではないようだ。

「…呪われてるんじゃねぇかそれ?」」

リューシーは「はっ」と正気に戻り、頭をぶるぶる振って意識を保つ。

「ふぅー、びっくりした。あやうく槍の魔力に飲まれるところでした。恐ろしい槍です。わたしのように修行を積んだ聖人君子ですら惑わされる魔性の槍。素人が触ってはいけません」

「ちょっと待て。今の発言には多いに間違いがある」

「はて?どのへんが?」

「誰が聖人君子だと?」

リューシーが自分を指差す。

「ダウト」

ヴォルフが目の前を指差す。

リューシーが後ろを振り返る。

「いや、違うから」

 

「あいつらは何です?」

「ああ。彼らはヴァチカンから派遣された武装神父隊だ」

「武装神父隊?ヴァチカンの警察ですか?」

「…ヴォルフ。不思議に思ったことはないか。神々の時代が終わって幻想種は世界から姿を消したとはいえ、ジンやわたしのような幻想種の末裔は存在するのにヨーロッパではキリスト教が広まっている。キリスト教は土着の神を悪魔に仕立てた。人狼も元は森の神だったのに、今では悪魔そのものだ。どうやってキリスト教は土着の神を悪魔に仕立てることができたのだと思う」

「えっとそれは……わかりません。考えたこともなかった」

「それはな。キリスト教が幻想種より強かったからだ」

「はぁ・・・」

意味がよくわからない。

 

「正確にはヴァチカンには幻想種を駆逐することを専門に行う連中がいたのさ。そいつらは幻想種殺しのエキスパート。勇者ゲオルギウスもその1人だった。幻想種という秘密兵器さえ無効にしてしまえばローマ人がヨーロッパを征服するのはたやすい。その幻想種殺しの専門家が武装神父隊だ。彼らは宣教師であると同時に幻想種を、すなわちキリスト教にとっての悪魔を殺すエクソシストなのだ」

「彼らが何者なのかわかりましたが、なんでここに呼んだんですか?」

「その槍を抜くためだ」

「彼らなら抜けると?」

「聖遺物というものを聞いたことがあるか?」

「ええ。まあ」

聖遺物というのは文字通りキリスト教の聖人の残した遺物のことである。

具体的に言えばかつての聖人が身につけた衣服や、彼自身の遺骨、遺髪などのことである。

福音書にはイエスが処刑されたとき、彼が着ていた下着をローマ兵たちが取り合いくじ引きで誰のものになるかを決めたとある。

キリスト教は魔術や魔法といった唯一絶対の神以外の超人的な力の存在は認めていない。

従って古代の神々の使っていた武具や魔法の薬物のような奇跡を起こす秘宝というものの存在も認めていない。

しかし人々は少なからずそのようなモノの存在を信じたくなるものだ。

大昔の人類には国や文化を問わず、動物の毛皮を着ると、その動物の力を得ることができるという信仰が存在した。

先史時代、そして古代の戦士たちはみな、熊やライオンや狼の毛皮をこぞってかぶり戦場へおもむいた。

この風習は中世になっても変わらず、キリスト教の騎士たちは古代の神々や動物の力を聖人に求めたのである。

「伝説によればそれらは奇跡を起こす魔法のアイテムだ。多くはただ古いだけのものというだけだが、中には本物もある。その正体は幻想具。彼らが忌み嫌う幻想種の変種でしかない。槍を取ろうとしたときリューシアナッサが精神力をごっそり”食われて”気を失っただろう。便利なアイテムにはそれ相応のリスクを負わなければならないことが多い」

「呪われた秘宝みたいですね」

「まったくもってその通りだ。持ち主を破滅に導くダイヤモンドや宝石にはそういうものが多い。毒があると知りつつ手にしてしまう愚かな人間を餌にする化け物だ。だが武装神父隊にはそれを防ぐノウハウがあるらしい。古来、その手のアイテムをヴァチカンが収集してこれたのはそーいうことだ。おかげでヴァチカンの地下には曰く付きのとんでもないモノがいろいろ眠っているらしいぞ。何せ集めた当のヴァチカンでさえすべての倉庫に何が眠っているのかは把握しきれてないみたいだからな」

「そりゃあぜひとも博物館に展示すべきね」

「お前は何を聞いていたんだ……そんなものに触ったら呪われるぞ」

「ほっほっほ。呪いが怖くて盗掘屋は務まらないわ。そんなものにびびるくらいなら最初からこんな砂漠には来ないわよ」

「……」

怖いもの知らずというか、罰当たりというか。

たしかにエジプトのアル・

 

 「よくやったな大尉。槍と生け贄を両方手に入れることができた。さすがだ」

「生け贄だと…!」

「なんだ兵隊。下っ端は黙ってろ」

「お前は俺の上官じゃない。生け贄ってなんだ」

「お前には関係ないことだ。口を閉じてろ」

「なにぃ…? 姉さん」

ソフィアが手でヴォルフを制する。

「どういうことですか。わたしはリューシアナッサが槍の封印を解くために必要な人材と聞いていましたが」

「その通りだが?」

「だが実際彼女は失敗しました。しかしあなたの言い方からすると…」

「下がれ大尉。これは命令だ」

「中佐殿。現場責任者として公式にお聞きします。これはどういうことですか」

「君には知る必要はない。ご苦労だった。後は我々が行う。外のテントで休んでいろ」

「そうも行きません」

 

「何の真似だ大尉」

「私の本当の任務をあなたに従うことではない。あなたを逮捕することだ」

ソフィアが懐から礼状を出す。

「これはヒムラーSS長官のサイン入りの逮捕状です」

「…容疑は?」

「国家反逆罪。中佐。あなたは自身の権限において使途不明な命令で機材や人員を動かしていた容疑がかかっています。この発掘作業そのものにそこの男が関わっているというのは報告にはないことです」

ちらりとソフィアがシーザーを一瞥する。

シーザーは人を馬鹿にしたようなニヤニヤした笑いを絶やさない。

「彼はただの協力者だ。」

ベンゼン中佐が言った。

「ただの協力者かどうかは本国に移送してからとりし

 

「マックス、トロイ、ヴォルフ。銃を持ってこっちへ来い」

 

「お前たちの上官は逮捕される。指揮権は大尉のわたしに移った。全員、銃を下ろせ。今ならお前たちの罪は問わん。ただ命令に従っただけだからな。だが、邪魔だてするなら同罪でしょっぴくぞ」

兵隊というものは上官の命令がすべてである。

ましてやここにいる大尉や中佐とは比べ物にならないほどえらいSS長官のサイン入りの命令書を見せられては

 

「どうしますか?」

「かまわん。殺せアキレス」

シーザーは殺虫剤のスプレーのトリガーを引くように指を動かした。

その対象は虫ではなく人であるというのに。

アキレスは武装SS兵士の1人に歩き寄り、思いっきり殴りつけた。

首の骨が折れる鈍い音が響く。

殴られた彼の首がぶらぶらと胴体の上にぶら下がる。

首の骨が真っ二つに折れたのだ。

即死だ。アキレスの右拳が一瞬にして兵の命を奪ったのだ。

恐るべきはその威力である。

へビィ級のプロボクサーでさえこれほどの力はもってないだろう。

人間のレベルではない。

ゴリラやオランウータンは大人の腕すら引きちぎる腕力を持っているが、アキレスの腕力はそれに匹敵する。

慌てて周りの武装SS兵士たちが銃を構える。

だがアキレスは動じない。

兵士たちが引き金を引いた。

 

弾が発射される。タタタタと短い連打音。

頭と胴体に何十発もの弾が注がれる。

普通の人間ならばこれで絶命である。

だが、アキレスは倒れない。

皮膚は吹き飛び、血が吹き出る。

弾丸で片目がつぶれ、一部は骨が見える。

だがそうなってもアキレスは前進を止めなかった。

絶命しないのである。

そして弾丸が当たった箇所から傷が回復していく。

「あれは…!」

ヴォルフは驚きを隠せなかった。

あの反応は彼が戦ったキマイラやイフリートと同じの…

「こいつ!幻想種かっ!」

ソフィアがバルムンクを抜く。

サーベルがツヴァイハンダーへ変化し、

「ソフィア・パンタブルグ。ドイツではかなり純血度の高い幻想種の末裔だそうだが、どうせお前の血に幻想種は1%も入ってないのだろう?」

 

「このアキレスはな。30%の純度を持った幻想種なのだ。正確には幻想種の魂を体内に封じ込めた強化人間だ」

 

「ばかな…!そんな純度の高い人間がいるわけがない!競走馬のように純度の高い一族同士が血を濃く維持しようとしても何世代も交配すれば確実に薄くなってしまう!」

「その通り。そんなやり方ではいつかは幻想種の力は完全に失われてしまう!この素晴らしい力を維持するためには命を懸けねばならんのだ!」

 

剣戟――――!!

バルムンクと戦斧がはじけるたびに粒子が空中で分散する!

火花にも似た魔力の発散。

これはただ金属同士がぶつかり合っているだけではない。

斬るだけでなく、魔力を幻想に戻すことができる斬撃なのだ。

 

「このアキレスはな。一度死んでいるのだよ」

「な…!!」

「人というのは死ぬと魂が体から抜け出る。死体はこの世に残り、魂だけが天国か地獄のどちらかに行く。死とはつまり魂が肉体に宿ることができなくなった状態だ。そこで我々は考えた。――――魂の代わりに幻想種を詰め込んだらどうなるだろうか―――と」

「バカ言うな!そんなことできるわけねぇだろ!」

「いや、似たようなことはしてただろう。ジンが」

「反魂の術っ…!?」

「死体に本来の魂ではない何かを入れるという魔術はあるのだ。だが、そんなことが実際にできるとは」

「この力を見ただろう?幻想種というのは実に優れた兵器だ。しかし幻想種はその体を維持するのが難しい。このような冥界に近い聖域のような場所でしか自由に活動できない。スタンドアローンでは使い道がないのでな。だが、こうして人の体を器にすることで問題は解決した。人の知能と幻想種の力。まさに超人というわけだ」

「…それならなぜその超人がその二人しかいないのだ?」

シーザーの顔から笑いが消える。

「」

「それで槍を使って世界征服でもするつもりか!甘いな!」

「」

―――鮮血。

 

 

 

 

 

 

「腹が減ったな…」

ナオミ・フェルナンデスこと、リューシアナッサ・アンピトリーテが死んでどれくらい経ったのだろう。

あのとき、彼女はたしかに心臓を貫かれて死んだ。

なぜなら心臓を槍で突かれて死なない人間はいないからだ。

この際、彼女が人間であったかどうかの議論は別としておく。

俺がこの世界大戦に参加してから数え切れない人間が死に、感傷的ながら自分の知った人間が何人も死んでいった。

だが彼らが死んだというのに俺はまるで実感がなかった。

というより、麻痺していたのだ。

最初は悲しんでいたのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。

日記には悲しかったのか怖かったのか、そのあたりは空白のままだった。

そして今もリューシーさんが死んだのにまったく悲しんでいない。

だがそれは麻痺とは違うと思う。

死んだ実感がない、というより、心のどこかで死んでないと思っているのだと思う。

こんな世界ではなんでもありだと思う。

「おい。気をつけろ」

「あ。すいません」

道端で肩がぶつかったのだ。

相手は半歩引いたのに、こっちは何もよけなかった。

人ごみでぼんやりするのは大変危険である。

ヴォルフが頭を下げる。

体長2メートル以上はありそうな”巨大な一つ目の鬼”は「ちっ」と舌を鳴らして行ってしまった。

彼はギリシャ神話に出てくる一 眼巨人(キュプロプス)と呼ばれる種族であろう。

もちろん架空の存在だ。

”ヴォルフたちの世界”ではそう思われている。

彼は悟ってしまった。

神話とは作り話ではない。

あれは”ヒト科以外の人類”がまだこの地球上に存在していた頃の歴史なのだ、と。

「ただいまー」

「おかえり」

「何か変わったことは?」

「”何も”」

そう返事をしたのはソフィアだった。

今ヴォルフはソフィアと同棲している。

若い男女が異国で同棲とはなんともうらやましい話である。

と思うのが普通であろう。

だがそれはここが普通の世界ならばの話だ。

あれからヴォルフたちは目が覚めるとこの街にいた。

イスカンダル。

そう、あの遺跡だ。

あの無人の廃墟・・・一部の幻想種がいたが・・・が、この活気のある街へと生まれ変わった。

街の外は生い茂るジャングル。

一度外に出たことがあるが、絶滅したはずの白亜紀やジュラ紀の植物が生い茂っている。

ヴォルフは恐竜の博物館を小さい頃に何度も見に行った。

格安で遊べる娯楽施設だからだ。

スポーツとナチス党が趣味で作った博物館めぐりくらいしか娯楽がなかった環境で育ったドイツ人に言わせると、この街とそれを中心としたこの地域は神話と現実の歴史がごちゃ混ぜになったままタイムスリップしたような形になっている。

恐竜と神話の怪物が共存する世界。

サー・アーサー・コナン・ドイルの「失われた世界」を読んだことがあるが、あれには悪魔だのモンスターだのは出てこなかった。

ここは人の理解をいろんな意味で越えた恐ろしいほどいい加減な世界。

だがそれは手で触れるし、そこにあるのだ。

これがシーザー・フェルナンデスの望んだ世界なのか?

だとしたらヤツはかなりのサイコだ。

「そんなことはとっくにわかりきっていた」

ソフィアはこの話を言ったときそう答えた。

「わたしはヤツを逮捕するために送られた」

「ならなんで逮捕しなかったんだよ」

「証拠が不足してた。シーザーは仮にも党の有力パトロンの1人だ。どうあがいても言い逃れできない決定的な証拠が欲しかった。だが、現在のドイツの法律は魔法の存在など認めていない。個人の趣味でオカルトに没頭している金持ちをどんな理由で逮捕するというのだ。ただ目障りなら適当に罪状をでっち上げればいいというのに、パトロンの機嫌を損ねてはいけないと……まったくどこのお偉いさんが提案したのかは知らんが、もともとこんな任務は不可能なのだ」

自嘲じみた言い方だった。俗に愚痴と呼ばれる種類ものである。

「だからわたしが選ばれた。理由ふたつ。ひとつはわたしがSSでもっとも魔法に通じている者の1人だということ。もう一つはこんな馬鹿げた任務はコネで入ったバカ女に押し付ければいいということだろう」

「コネだったんですか?」

「じゃなきゃ女が大尉になんてなれるわけないだろ。そもそもわたしは出世したくてSSに入ったわけじゃない。わたしの家はそれなりに裕福だからな。わざわざSSに入らなくても簡単な事務の仕事でもよかったんだ」

ソフィアの家が高名な軍人の家系だとは知っている。

第一次大戦では父親はドイツ陸軍の将軍になったほどの人物だ。

パンタブルグ家はビスマルクのドイツ帝国時代からドイツの軍・政治関係と関係を持っている名家なのだ。

その令嬢がわざわざSSなどという新興組織に入るなど普通では考えられない。

彼女は果たしてそこまで熱心なナチ信者であったか?

自分と同じように、またドイツ国民のほとんどと同じように、支持はするが伍長閣下がすべてのドイツ人に望むような「絶対的盲目的忠誠」とは程遠いのではないだろうか。

現に知り合いの武装SSには警察からの出向要請に応じたものや、コネがなければ出世が期待できない国防軍より武装SSの方が未来があるという理由で入隊したもの。

一番酷いのが制服のデザインがかっこよかったとかそんな理由のやつもいた。

就職するときに受験者が正直に本音を言うわけがないのと同じように、入隊の宣誓書など当てにならない。

「ビール飲み放題で女に持てる上に給料がいい最高の職場」という入隊ポスターに騙されて国防軍に入った自分のように、表向きの就職理由など当てにならない。

だから彼女もきっと何か理由があったはずなのだ。

ヴォルフは単刀直入に聞いてみる。

「……ならなんで武装SSに入ったんですか?」

「ま、そのうち教えてやるよ」

「…目的は果たせましたか?」

「どうかな」

軽く笑ってのらりくらりとはぐらかす。

どうやら教える気はないようだ。

これ以上聞いてもそのうち逆切れしそうだからやめておこう。

「お茶、いるか?」

「…うん」

ソフィアは湯呑みに緑茶を注ぐ。

グリーン・ティー。

イギリス人が高級な紅茶の代わりに安い値段で仕入れた日本のお茶だ。

この街でも紅茶は高級品らしく、一般には緑茶が普及している。

「だけど姉さんは結果的には正しかった。シーザーがとんでもない誇大妄想で、その誇大妄想が世界を好き勝手にできる力を持っている。なんとか止めないといけない」

「…どうやって?」

「どうやってって…」

「シーザーがどこにいるのかすらわからないんじゃどーしょうもない。

ひょっとして、わたしたちがいた元の世界はもうとっくになくなってしまったのかもしれない。

だとすればもうお役御免だ。ドイツは消えた。ならわたしもSSではない」

「な、何言ってるんだよ!!」

「落ち着けヴォルフ。じたばたしても仕方ないぞ。事実を受け入れるんだ。ここはわたしたちの世界じゃない。いいか?外国じゃないぞ、別の世界なんだ。外国ってのはただ単に遠い場所ってだけだ。だが、わたしたちは帰る場所を失ったんだ。……もう帰れない。――――――というか、正直別に帰れなくてもいいように思えてきた」

「ちょっと…」

今なんと言った?

最後の方がで言っていることがおかしくなっていた。

「帰れなくてもいいと言ったんだ。だって帰ったとしても向こうの世界は戦争だぞ。だがここには平和がある。無駄に死ぬこともあるまい。周りの住人はちょっと変わっているが…」

「変わってるってレベルじゃないでしょ!周りは化け物ばかりだ!ひとつ目の巨人やら、しゃべる猛獣やら、羽が生えた妖精やら、まともな住人なんていやしない!」

「何事も慣れだぞヴォルフ。わたしも外国人の部下ばっかりの隊に回されたときはカルチャーショックに陥った。仕事中なのにいきなりメッカに向かってお祈りをはじめる習慣を持つ連中とどうやって付き合えというのだ。そんな風に考えていたが、人間の環境適応能力はなかなか侮りがたい。付き合ってみればそれぞれにはちゃんとルールがある。それをお互い理解すればいい。だいたい人を見かけで判断するのはよくないぞ」

「人じゃないでしょ!人じゃ!俺は絶対帰るぞ!ドイツへ帰るんだ!」

「……」

ヴォルフの熱弁をソフィアは無言で促す。

親に反抗する16歳の子供を暖かい目で見守る母親のように。

あまりに冷静に受け流されてしまっているため、ヴォルフはまるで自分が駄々をこねる子供のような錯覚に陥ってしまう。

ソフィアはずずっ、とお茶をすすり、

「そろそろ寝るぞ。蝋燭がもったいないし、明日も仕事だろ」

「姉さん……!」

ソフィアはランプの火を消すと、布団の中にもぐりこんだ。

ヴォルフの声は届いていたが、彼女は何も言わなかった。

 

「お前がディビー・ジョーンズ…って、をい」

「なんだ。捕虜ってあんたらのことだったのね」

「ルクス!」

そこにはじゃじゃ馬カウボーイガール、ルクス・フランクリンが立っていた。

「お前何やってんだここで!?」

「海賊船の船長よ」

「ハァ?」

「こいつらの縄を解いてやんなさい」

「こっちの世界に飛ばされてあんたらとはぐれちゃってさ。テキサスに帰ることもできないし、とりあえず仕事を探してたわけよ。そしたら知った顔に出会ってね」

「知った顔?」

「久しぶりだなヴォルフ・シュナイダー」

「その声、ひょっとしてシルバーか?」

ジンの

「」

「で、海賊になっちまったのか…」

「なーに。」

 

「シーザー!お前はこんなことをして楽しいのか!」

 「楽しい。これは支配者にしかできない娯楽だからな。支配するのは楽しいぞぉ。権力というのは最高の娯楽だ。ここでは俺の思い通りにならないことなどない。だがこれは俺だけが望んでいることではない。この世界の誰もが望んでいることだ」

「こんな世界誰が望むか!」

 「そうかな?もしもこの世界を望んでいるのが俺だけだとしたら、この世界はたちまち崩壊してしまうだろう」

「何だと……?」

 「誰もかれも多かれ少なかれ人間というのは今の世の中には満足していない。誰もが今ここではないどこか遠い国というものに憧れる。ここでは誰もが現実には絶対に叶わない何かになれる。知っているぞ。お前のお友達のルクス・フランクリンが海賊になっていることをな。彼女は幸せだ。何せ子供の頃の夢が叶ったのだからな」

「バカ言うな!」

 「元の世界に帰ろうと誘って断られたんだろう?知っているぞ。ククク…この世界が嫌なのはひょっとしてお前だけじゃないのか?」

「くっ…!」

まったく同じことをルクスに言われた。

たしかに世の中嫌なことばかりだ。

努力すれば必ず報われるほど世の中は良くできてない。

実際は生まれた時点ですでに勝ち組と負け組がはっきりしている。

そして中には努力と才能だけで成功する少数派もいるが、それがより残酷な事実ですらある。

 

「3ヶ月後、ここでオリンピックが行われる。それに我々が出場する」

「えっと、話が見えないんですが・・・」

「シーザーは自分を皇帝だと思っている。奴は新たな世界の支配者になったことを記念してオリンピックを開催するそうだ。巨大なコロシアムを建設してる。それが完成するのが3ヶ月後というわけだ」

「シーザー…リューシーさんの仇を討つのに3ヶ月も待ってられるか。今すぐ奴を殺そう」

「無理だ。今の状況ではシーザーを殺すどころか奴に近づくこともできん。アキレスがいるからな」

「あいつか…」

「あの化け物を倒すには銃や爆弾のような普通の武器ではダメだ。巨大な魔力で奴の存在自体を幻想に戻してやらねばな。だが、まだ私では勝てん」

「じゃあどうするんですか」

「だから修行するんだ。お前には魔力を扱える高い潜在能力がある。驚いた。素人がバルムンクを手に取れるなんてな。だが、それだけではダメだ。自由に操り、さらに強くなれ」

「姉さんがコーチしてくれるのか?」

「いや、わたしは師匠には向いてない。それに何せ時間がないからな。餅は餅屋だ。コーチにはそれ相応の専門家に頼んだ方がいい」

「そんな専門家がどこにいるんですか?」

「だからお前をここに連れて来た」

目の前にやや大きめの建物があった。

大きいが決して派手ではない。広いスペースを取った構造をしている。中からは勇ましい気合が聞こえる。

「ここは…?」

「人馬族のケンタウルスの賢者にケイロンという男がいた。古代ギリシャの英雄ヘラクレスをコーチした男だ」

「おお…ってことは」

ヴォルフが期待に胸弾ませる。

ケイロンの名は聞いたことがある。

ギリシャ神話においてヘラクレス以外にもさまざまな英雄を鍛え上げたコーチの神というべき男である。

「だがケイロンは死んで星になってしまった」

「…ダメじゃん」

「ここにいるのはその孫、だそうだ。本人が言うにはな」

「孫って、ギリシャ神話って何千年も前の話でしょう?計算が…」

「この世界では我々の世界の時系列はさほど問題にならんようだ」

ソフィアが戸を開けて挨拶をする。

ヴォルフが戸惑いながらも後についていくと

 「――コラっ!入るときは挨拶をしろ!」

怒声がヴォルフに投げかけられる。

 

 

 

 

 

 「え・・・?あ、はい。すみません」

ヴォルフが素直に頭を下げる。

だが、意識はそこにはなかった。

ヴォルフの目線はもっぱらその顔よりも下半身に集中していた。

 「なんだ貴様。こっちをジロジロ見て。わたしに惚れたのか?」 

 「……姉さん。ケイロンの孫って…もしかして」

「そうだ。彼女の名はケイリン。今日からお前は彼女の弟子になって3ヶ月間みっちり鍛えてもらうのだ」

「帰る」

「ちょっと待て」

がしっ、と肩をつかむ。

「なんだその態度は。お前、失礼だぞ」

「何言ってるんだよ。姉さんこそ冗談がきついぜ。こんなところで3ヶ月鍛えたところで何の意味があるんだよ。もっとマシなアイデアはないのかよ」

「ない。覚悟を決めろ。男だろ」

「関係ないって」

 

「さっきから何を言っているんだ。恥ずかしがってるのか?だが」