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Strum Und Drang!!

part 15

 「どうしたんです?わたしの顔に何かついてますか?」

 「…ハムの油がてかってる」

 「あ」

慌ててリューシーはハンカチで口をぬぐう。

 「えへへ。そんなに凝視されると恥ずかしいな…」

 「凝視せんでも十分恥ずかしい。まるで机まで食べそうな勢いだな」

 「あなたも真似るといいわ。砂漠じゃこんなご馳走にはなかなかめぐり合えないんですよ」

巨漢でさえ腹いっぱいになりそうな燻製ハムを直接かぶりつく少女を見て、それだけでこちらまで満腹になる。

満腹になるというよりは溜飲が上がるような感じだ。

それにしても年頃の少女にしては、実にはしたない。

上流階級の礼儀作法は知らないヴォルフであるが、こうも無作法な食べ方を見て最低限のマナーくらいは身に着けておくべきだなと考える。

しかし、そうは言っても、彼女は欧州人ではない。

文化が違うのに礼儀作法を押し付けても仕方ないのだが、彼女の着ている服や話の物腰、なんとなくの雰囲気からしてどことなく西洋的な臭いを感じる。

ルクスは彼女をインド人だと言っていたが、インドはイギリスの植民地だ。

ヒル・ステーションで育ったのだろうか。

すると彼女はかなりのお嬢様ということになる。

ヒル・ステーションというのは植民地内に作られた英国風都市のことであり、そこでは英国の常識・法律・教育が支配している。

そこに入れるのはインドの王族・貴族・豪族・官僚のような特権階級、すなわち金持ちだけである。

だが疑問なのはどうして金持ちのお嬢様がこんなリビアの砂漠にいるのか。

首都トリポリ辺りならまだしも、ここは地図にあるかどうかよくわからんような砂漠の奥地だ。

彼女の親は?家族は?

だいたいアル・イスカンダルとはなんなのだ。

あのような竜を操る術をどこで学んだのか。

どうして砂漠の妖精ですら恐れおののく伝説の魔法使いがよりによってあのような頭の弱い少女なのか。

―――――。

…いや頭は弱くないか。頭がおかしいだけだ。

思考回路がショートしているだけで精神異常者であるわけではない。

質問はたくさんあるが、あれほれと聞くのも野暮である。

だいたいこの娘が正直に身の上話を打ち明けてくれるとも思えない。

彼女はいつも笑顔で人見知りしないようでいて、決して本音は見せない。

リューシアナッサはまだヴォルフ・シュナイダーに完全に心を開いているわけではないのだ。

 「――――」

 「どうしたのですか?」

 「いや、まだ食べるのかと思って」

 「血が足りないんですよ。たっぷり食べないと」

リューシーはハムを平らげると、今度はチーズを頬ばる。

 「それだけ食べられれば大丈夫だな。ちょっと姉さんの様子を見てくるよ」

ヴォルフがそう言うとリューシーは止めようとするが、口の中のものが邪魔でしゃべれない。

どうやら喉に詰まったようだ。

隣の部屋のドアを開ける。

ベッドの上のソフィアはさっとシーツで顔を隠す。

 「お。起きたみたいだな」

 「あ、ああ…」

様子がおかしい。

 「どうしたのさ?シーツに隠れたりして」

 「いい!なんでもないから!」

 「…どこか痛いのか?」

 「違う!そんなことは…」

「ちょっと顔見せてくれよ。心配してたんだから」

 「ば、バカ!シーツを取るな!」

「裸ってわけじゃないだろ。ほら、子供じゃないんだから」

 「や、やめ・・・」

白いシーツを無理やり剥ぎ取りソフィアの顔を凝視する。

時が止まった。

 

――――――そして時は動き出す。

 「…な……」

犬のような耳が生えていた。

ピクピクと動く。

 「動いてる……」

 「ああ…本物の耳だ」

ごくり、と息を呑みヴォルフは耳に触れる。

 「げっ!」

 「…何が、げっ、だ!」

 「どうしたんですかその耳は!昔はそんなものなかったでしょ!」

 「う、うむ。……」

わざとらしく大げさにうなづくソフィア。

 「今さら隠しても仕方ないが、わたしには人狼の血が流れている」

 「人狼って、ようするに狼男?アメリカ映画のアレですか?満月見ると狼になるっていう」

 「……違う。だいたいドイツにいた頃、わたしが満月見て狼になったか?」

 「ならなかったですね」

 「人狼というのは森の精霊、守り神のような幻想種だ。砂漠にジンがいるように森には人狼がいたのだ。キリスト教が広まる遥か以前の欧州では神と崇められていた。神話の時代が終わると人狼たちは人間と交わることで同化していった。おそらく純粋な人狼など欧州ではとっくに絶滅してしまっただろう。わたしの一族もそんなありふれた人狼の末裔だ。長い年月が経つと人狼の血は薄れていく。わたしの体に人狼の血は0.1%も流れてないだろう」

 「そんな少ししか流れてないんですか?それじゃほとんどただの雑種…」

 「アホ。血統書付きの犬や競走馬と一緒にするな。これは単純な計算だ。ハーフで50%、クォーターで25%。そう計算していけば数%も残っている方がおかしい。というか、人狼やその他土着の神の血が流れている人間は珍しくないのだ。ひょっとしたらお前にも人狼の血が流れているかもしれん」

 「まさか」

 「言い切れるか?お前の何十世代前の先祖に人狼の血がちょびっとでも入ってないと断言できるのか?すべての先祖が100%正真正銘の人間だったと言い切れるのか?」

 「そりゃ難しいですね。そんなのわかるわけがない。確かめようがないじゃないですか」

 「その通り。それくらい人狼の血筋というのはありふれたものなんだよ」

 「そう言われると有難味が薄れます。まるで人狼の血が混じっているのが当たり前みたいな言い方だ」

 「その通りだ。ほとんどの人間は自分が幻想種の子孫であることも知らず、また知っていても血が薄まってしまったために普通の人間と変わらない。結果的に魔法などとは無縁の人生を送る。だが中にはわたしのように比較的強い力を持って生まれる連中がいる。とりわけパンタブルグ家は欧州でもかなり強い家系らしくてな。その力が覚醒すると瞳が真っ赤に染まる。覚えているか?わたしの瞳は元々は青かったのだぞ」

ソフィアが自分の瞳を指差す。

「ああ…あのときの……」

忘れもしない。ヴォルフにとっては傍にいる愛しい人が困っているのに何もできなかったという苦渋の思い出なのだ。

「あのときは失明するかとアタフタしたものだが、後で聞いてみれば初潮みたいなものだったそうだ。まったく。親父殿もそういう家系だというならちゃんと説明しておけというのに」

なんのことはないただの成長期の体の変化と述べるソフィアとあやうやしていたヴォルフの認識とはかなりズレがあるようだ。

当然のことながらヴォルフには瞳が赤くなった理由は教えられなかった。

それゆえに重い病気か何かと思っていたのだが…

 「とまぁ、ここまで話してなんだが、この耳はどうしたものだろうか…」

「わからないんですか?」

 「うむ。何せこんなケースは初めてだからな…わたしも聞いたことがない」

両手を組んで悩むソフィア。

しかしヴォルフが思ったほど深刻に悩んでいるようには見えない。

犬の耳がどうみてもハロウィンか何かのお祭りの衣装にしか見えないからだ。

 「ま、いいじゃないですか。可愛いですし」

 「な、何が可愛いだ…!10年前ならいざ知らず、もうすぐ30歳になるおばさんがこんな姿でずっといなければならんのだぞ……ほとんど罰ゲームじゃないか」

 「そうかなぁ。俺はいいと思いますよ。似合ってますし」

 「この愚か者がぁっ!!」

ぼふっ、と枕を顔面に投げつける。

 「ああ、どうすればいいのだ。こんな耳ではもう人前に顔を出せない……」

耳を両手で隠し、ふるふると頭を振る。

ヴォルフはその両手をやさしく握って見つめる。

 「…ヴォルフ?何を…」

 「……奇麗だ」

「へ?」

ソフィアの両手をどかすと再び耳を触る。

 「この毛並み……やっぱり犬はいいな。心が落ち着ぐはっ!」

部屋に顔面パンチが炸裂する音が響いた。

 「愚かものがっ!何を考えとんじゃ!」

 「犬が恋しかったんだ!もう何年も犬に触ってない!」

 「ええい!何をわけわからんことを!」

軽いホームシックのようである。

ヴォルフはパンチを受けた顎を手で摩りながら、

 「……尻尾は?」

 「はぁ?」

 「尻尾はないんですか?」

 「ない。って、なんだその残念そうな顔は」

 「…いえ。ないのか」

小さくため息をつく。

 「お前、真面目に話を聞いてないだろ…!」

 「そんなことないですよ。そのうち生えてくるということはないんですか?」

 「知るか…」

 「生えてきますよヴォルフ・シュナイダー」

魔神の国(ジンニスターン)の女主人アンドロマケーがいつの間にか部屋に入り、ヴォルフの言に相槌を打った。

ソフィアは羞恥心からすぐに帽子を深くかぶった。

髑髏と鷲の刺繍がしてある帽子がちょうど耳を隠すのに好都合だった。

 「ソフィア・パンタブルグ。あなたが飲んだのは「ザックーム」のエキスに唐辛子を混ぜたもの」

 「ザックーム?なんだそれは?」

 「ザックームは死者の魂を根から吸い続け、人面の実をつけるという冥界の植物。それを飲めば人の血で薄まった幻想種の力が蘇る」

 「その副作用がこれか」

ソフィアは自分の耳を指差す。

その手は怒りでぷるぷると震えていた。

 「よくもそんなわけのわからんクスリを飲ませてくれたな」

 「過ぎたことを気にするのはよくありません。人間の悪い癖です」

 「都合の悪いことを片っ端から忘れるのもジンの悪い癖だ…!」

 「逆に考えるのですソフィア・パンタブルグ。古の魔法師はみな自分の血に眠る先祖の力を取り戻すために悪魔と契約したものです。あなたも同じことをした。人間は昔に誰かがやったことを美化して「伝統」と言い、それにこだわるのでしょう?」

 「屁理屈を並べやがって…」

 「アンディ。姉さんの耳を治す方法はないのか?」

 「ふむ」

アンディはまったく動じてない様子で考える。

平静を装っているわけではなく、本気で動じてない。

ジンの精神構造は人間の精神構造とは少々異なるようだ。

と、言うより目の前のジンにとってソフィアの存在など著しくどうでもいい存在なのだ。

 「そんな方法はありませんね」

あっさりと答える。

 「なんだとぉ!貴様!叩き切って――」

 「やりますか」

ぶん!と腕を振るう。

相変わらず恐ろしい力を秘めた右腕だ。

 「あなたとは戦ってませんでしたね」

 「そうだな。その右腕斬り落としてやろう!」

 「二人とも落ち着け。もう戦いは終わったんだ!喧嘩はやめろ」

 「その通り。こういうときこそロンギヌスの槍の魔力を使えば問題解決なのです」

第三の仲裁者現る。

そこにはアル・イスカンダルの称号を持つ褐色の魔法師リューシアナッサがいた。

分厚いハムを頬張りながら。

ごくん、と喉を鳴らして一気に飲み込む。

 「話はすべて聞かせてもらいました。ソフィアさんの心とお肌と年齢の悩みを解決するにはロンギヌスの槍の奇跡に頼るしかありません」

 「年齢は余計だ!わたしはまだ20代だ!」

 「自分でさっきおばさんって言ってませんでした?」

 「言ってない!」

リューシーが最初からずっと盗み聞きしていたことが判明した。

 「嫌ですね人間は。すぐに都合の悪い事実を忘れようとする」

 「喧嘩売ってるのか貴様ら…!」

 「なぁリューシーさん。ロンギヌスの槍ってそんなになんでもできるご都合アイテムなのか?」

 「当然。だからナチスもそれを狙っているのですよ。槍を手に入れたものは世界を手にするとさえ言われる超ご都合主義万歳アイテムなのです。こんな砂漠までわたしを追いかけて来た理由がそれですよ。まったくうっとうしい」

 「…そうなの姉さん?」

 「まぁな」

そんな都合のいいモノがこの世に存在するとはとても思えなかった。

しかし今はその存在を信じなければならない。それだけが命を救う唯一の手段であるのだから。なんとも皮肉な話だった。

 「だいたいですね。協力して欲しいならそれなりの礼儀をわきまえて欲しいわけです。いきなり現れて無理やり協力しろだなんて酷い話じゃございませんか?役人と軍人はどこの国も態度がでかい」

 「あー、そりゃ姉さんが悪いな」

 「知るか。わたしは前任者がこいつに入院させられたからその後釜に押し付けられただけだ。詳しいことは知らん」

 「―――入院?」

 「最初は前金払って槍のあるところまで案内するという約束をしたのに、こいつは金だけもらって逃げた。だからナチスは取立て屋を差し向けた。だがこいつはその追っ手を返り討ちにした。幸いにして死者は出なかったが追われ続けて当然の身だ」

 「あのときは仕方なかったんです。不可抗力です。違法性阻却事項の緊急回避が適応されるべきだと思います。自動車にはねられそうになったので隣の人を弾き飛ばしてよけた場合は仕方なかったで済むというあれです」

 「そんな言い訳が本気で通用すると思ってるのかお前は…」

 「あー、そりゃリューシーさんが悪いな」

 「その通りだ。ここまで来たら金などいらん。ちゃんと責任を取って契約を果たしてもらおう」

 「ひ、ひどいわ。わたしばかり悪者にして…」

うるうると瞳をふるわせながら必死で自己弁護する。

さながら裁判所で判事に同情を誘う法廷テクニシャンのように。

ようするに胡散臭い。

やはりこの女が悪いのだろう。そんな気がしてきた。

 「どう考えてもお前が悪い」

びしっとソフィアがリューシーを指差す。

こちらはこちらでまったくもって容赦がなかった。

当たり前ではあるが。

 「おっ。ソフィアさんが目を覚ましたわね」

ルクスとアルク、ベレンナの3人が部屋に入ってきた。

どうやら聞きつけてこの部屋に案内されたようである。

その3人の後ろにもう1人見慣れない顔があった。

 「ソフィアさんはどこだ?」

 「……なんだこの骸骨は…?」

 「よぉ。はじめまして。俺はジョン・シルバー。おんたと同じここの宿泊人さ。ふむ、ふむふむ。よし合格」

 「…何がだ?」

怪訝な顔をするソフィア。

いきなり動く骸骨がフレンドリーに話しかけてきても「はいそうですか」とは納得ができるものではない。

しかもなにやら品定めするようにこちらをじろじろ見てる。

見られている方はいい気分はしない。

 「しかしなんだその服は。着るならドレスか裸でいろ。言っておくがここにはドレスなんてないぜ。まずはその帽子を…」

銃声が響いた。ソフィアの手にはルガーが握られていた。

 「帽子に触るな…!」

 「よくも撃ったなー」

シルバーは胴体を撃たれたのに呑気な声を上げる。

 「……その体、木乃伊の術マミーの被術者だな。死人を普通の銃で殺すことはできん」

 「知ってて撃ったのか。他の連中とは違って教養がある。で、帽子なんだが…」

 「全員に言っておく。わたしの帽子に触るな」

ソフィアがにらみを利かせる。

いきなり発砲するようなキチガイと思われたかもしれないが、効果は抜群だった。

そして、その理由が「犬の耳が生えているから」ということを知っているのはヴォルフだった。

 「…シルバー。あなたは地下に投獄しておいたはずですが?」

 「この連中にたたき起こされた。おっと、もう俺を殺す理由はないだろ。イフリートは元に戻ったんだし、何せ100年前のことだ。時効だぜ」

 「時効とは人間の文化でしょう。ジンの文化にそれはない」

 「――――」

シルバーがさっとルクスを盾にする。

 「おいこら!あたしの後ろに隠れるんじゃないわよ!」

 「…ですが、たしかに100年の前のことです。イフリート様が正気に戻った以上、もうどうでもよくなりました」

 「さすがは一国一城の主。懐が広い。ついでに俺が元の体に戻るまでここに泊めてくれないか?」

ふん、と鼻を鳴らすアンディ。

シルバーのずうずうしい態度には嫌悪感を隠せないようだ。

 「事情はわかりました」

リューシーが口を開く。

何がわかったのであろうか。この女が今の会話からすべてを理解することは論理的に不可能である。

 「アンドロマケー。この人をしばらくおいてやってもらえませんか」

 「あなたがそう言うなら…わかりました。広い城ですし居候の1人くらい置いても別にかまいません」

 「おお!ありがたい!」

骨の手で拍手するシルバー。

コツコツと骨が当たる音がする。

 「どういう風の吹き回しだリューシーさん。君が人助けするなんて」

 「む。わたしは模範的な道徳者です。困っている人がいたら助けるのがわたしという人間なのですよ」

 「―――」

なぜだろう。すごく胡散臭い。

詐欺師は獲物に近づくときは非常に優しいと言うが・・・

 「それに面倒見るのはわたしじゃないし」

やっぱりだ。この女、自分の手が汚れるわけじゃないからいくらでも奇麗事を言えるのだ。

人はそれを『偽善者』という。

 「話を戻しますがアル・イスカンダル。あなたはロンギヌスの槍を探しているのですか?」

 「そうですよ。ココに来たのはその寄り道のようなものです」

 「ハッハッハ。残念だったなお嬢さん。イスカンダルに行くのには『コンパッソ・ドーロ』が必要だぜ。そんなもんがどこにあるってんだ?」

シルバーがバカにしたように笑う。

どこかで手に入れた(といってもこの部屋のどこかなわけだが)ワインを飲みながら。

しかし、骨しかない体では口から飲んだワインがドボドボと滴り落ちてしまう。

これで酔えるわけがないが、気分的なものなのだろう。

そしてその光景は見ているヴォルフたちに不快感を与える。

はっきり言えば「キモチワルイ」光景だった。

 「まーさーかーあんたら全員そんなホラ話を本気で信じてるわけじゃないよな?魔法は実在するが、なんでもありってわけじゃないんだぞ」

不思議なことにしゃべる骸骨を見れば常識的な考えを変えざるを得ない。

ただしリューシーだけがまったく表情を変えていない。余裕が感じられる。

 「『コンパッソ・ドーロ』とはこれのことですか?」

リューシーはポケットからコンパスを取り出した。

ロンギヌスの槍の欠片を針にした特殊なコンパスである。

シレナは移動する遺跡なので、その現在位置を示すこのコンパスがなければそこへたどり着くことはできない。

 「ほぉ。さすがはアル・イスカンダル。これならばイスカンダルの遺跡へ行くこともできるでしょう」

 「ちょっと質問なんだが、俺たちの行くのはシレナの遺跡だろう。イスカンダルってなんだ?」

 「シレナという名前は12世紀頃の名前ですよ。元々シレナはアレキサンドリアと呼ばれていました」

 「……アレキサンドリアってエジプトじゃないのか?」

 「アレキサンドリアは『アレキサンダーの街』という意味で、その名前を持った都市は古代世界には70個くらいあったのです。多くが滅んだり改名したりして今ではエジプトの地中海沿岸の都市だけが残ってるだけで、他のアレキサンドリアはどこにあったのかさえわかってません」

 「ふーん」

 「古代ギリシャの征服王イスカンダルはその偉業を達するために幻想種を兵器として使いました。アレキサンドリアは幻想種を召喚するために街全体がその製造工場のようなものだったのです。大王が病死するとほとんどの都市は意味を失い寂れてしまいましたが、中にはそのシステムを残した都市がありました。その一つがシレナです。シレナの王は近隣の国々に対抗すべく古代の兵器幻想種を召喚しました。しかし優れた魔法師がいなかったため制御できず、国は召喚したドラゴンによって滅びかけました」

 「自業自得だな」

 「そして勇者ゲオルギウスがロンギヌスの槍を使ってこのドラゴンを倒しました。これが黄金伝説です」

 「ゲオルギウスが竜を倒して平和になったにどうしてシレナは滅んだんだ?」

 「さあ、そこまでは知りませんが中世の都市がなんらかの理由で滅ぶのはよくある話です。例えば井戸が枯れたとか」

 「そんなことで?」

 「水不足は十分な理由ですよ」

 「竜より水不足の方が怖いってことか」

 「人が生きるのに水より大切なものはありません。水から離れては人は生きることができないのです」

 「じゃあ向こうに着いても水は補給できないな。帰りの分までどっかで用意しないとな」

 「それなら心配はいりません。ここには井戸がありますし、近くにイタリアの軍隊が駐屯しています。必要なものはそちらに相談してみてはいかがかと」

 「イタリア軍がいるのか。助かったぜ」

 「ところでヴォルフ・シュナイダー。あなたにはこれを渡しておきましょう。ルクス・フランクリン。あなたにもです」

 「何この赤い液体は?」

くんくんと臭いをかぐ。

鼻につく刺激臭。

これは一体…

 「あなたたちがココに来た目的はそれを飲むことではなかったのですか?キメラの毒の鎮痛剤です。毒性を消すことはできませんが発作を抑えることができます」

 「それはありがたいわ!さっそく飲ませてもらうわね」

しかし口につけた瞬間、ルクスが咳き込む。

 「げほっ!辛い!何よこれ!」

 「その赤い色は唐辛子です」

 「マジかよ…」

ヴォルフが青い顔でコップを除く。

真っ赤だ。すごく真っ赤だ。

こんなものを飲んだら死んでしまいそうな気がする。

 「なんで唐辛子を入れてるの?」

 「それが一番効果が高いからです。唐辛子で薄めて飲むとよく効きます。良薬は口に苦しと言うでしょう。オレンジジュースのように甘い飲み物だとでも思ったのですか?」

 「わかったよ!飲めばいいだろ!飲めば!」

ごくっ!ごくっ!ごくっ!

二人とも一気にそれを飲み干した。

  「うげぇ〜〜〜!!!!」

泣く。

むせる。

ヒーヒー言う。

 「…なんか効いた気がしないなぁ…」

 「そうね。別に体が軽くなったわけでもないし」

 「それはそうでしょう。栄養剤ではないのですから」

 「リューシーさんはすっごくハイになってたけど?」

さらに角まで生えていた。

放電を思わせる怪奇現象。ポルターガイストにでも取り付かれたような感じだった。

「アル・イスカンダルが盗んだのはあなた方が飲んだものとはまた別の霊薬です。あんなもの原液のまま普通の人間が摂取したら死にます」

 「…そんなものを飲んだのか君は」

 「うむ。好き嫌いはいけません」

 「そーいう問題じゃないと思う…」

 「それとヴォルフ・シュナイダー。あなたにこれも渡しておきましょう」

 

 

 「これは?」

 「これは魔人のランプ。我らジンを呼び出せるできる携帯型の召喚器です」

 「アラビアンナイトに出てくるアラジンと魔法のランプみたいなものか」

 「そのようなものと考えてもらって結構です」

 「なぜ俺に?」

 「アル・イスカンダルは我らの主人にして、魂の債務者。彼女がどこぞで犬死したら誰が魂の債務を支払うのですか?」

いきなり突拍子もない質問を浴びせられてヴォルフは困ったように回りを見る。

しかしアンディの視線は一点のある男性に集中していた。

 「………俺?」

 「あなたはアル・イスカンダルにもっとも信頼されているようです。それにあなたからは普通の人間とは違うものを感じます」

 「普通じゃない?」

 「バカってこと?」

 「やかましい!」

ルクスの一言に怒鳴るヴォルフ。

 「…いいえ。気のせいでしょう。忘れてください。アル・イスカンダルの性格からして我らジンに借りを作るということはできるだけ避けたいと考えるはず。それでは困るのです。だからあなたが持っていて欲しい。何か困ったことがあったら遠慮なく呼び出しなさい」

 「そうは言ってもなぁ…」

ぽん、とランプを手渡される。

 「これってどうやって使うんだ?」

 「さすりながら心の中でイフリート様を呼べばいいのです。さすればあなたの前に現れ願いを叶えてくだされるでしょう。試しにやってみてください」

 「こう?」

ヴォルフが軽くランプを擦る。

口元をニヤリさせるアンディ。

 「契約は成立しました。本番では声に出してお呼び下さい」

 「―――――は?」

あいたー、とリューシーが眉間を指で押さえる。

 「…ヴォルフさん。砂漠の人食い精霊に借りを作るというのがどれだけ危険かあなたはわかってない…魂の連帯保証人になっちゃって…知りませんよわたしは」

 「え?まだ俺は何もしてないぞ」

 「それを受け取ったでしょう?」

それを指差す。指の指すものはランプである。

ヴォルフが無言でランプを指す。

リューシーはコクコクと頭を上下に振る。

 「ふざけるな!それで契約成立なんて悪質な損害保険会社より酷いじゃねぇか!」

 「損保を悪く言わないでください。彼らはそうやってカモを追い続けないと会社をやっていけないのです」

 「じゃあかしいわ!君は弁護士か!」

 「うう…。弁護士なんて…人には言っていいことと悪いことがあります…そんな言い方酷すぎるわ…」

 「…弁護士ってそこまで嫌われてる職業だったか?」

うるうると泣き崩れるリューシー。

アンディは表情を変えず言を放つ。

 「質問は却下ですヴォルフ・シュナイダー。契約を破棄すれば魂をいただきます」

 「ぐっ!」

魂を奪われるというのがどういうことなのかはよくわからんが、奪われていいものでないことは確かである。

 「安心してくださいヴォルフさん。ようするに使わなければいいのです」

 「なんで言ってくれなかったんだよ…」

 「ここの宿泊費は誰が払うと思ってるんですか?ジンの城では人間の通貨なんて使えませんよ。だからこう考えるのです。契約済みのお客は何かしらのサービスを受けることができるのが世の習い。そしてこれであなたもわたしと同じく魂の債務を負ったわけです。ナカーマ、ナカーマ」

 「嫌な仲間だな…」

よくわかった。

この女、自分だけが魂の借金を作るのが嫌だった。誰か道連れが欲しかったのだ。

なんてヤツだ。信じられないほど性格が歪んでいる。

 「ヴォルフさん。こう考えるのです。あなたはジンから大きな借りがある。ということはジンはその借りを返してもらうためにあなたを助けなければならない。こういう諺を知ってますか。「銀行からわずかな投資を受ければあなたは銀行のものだが、莫大な投資を受ければ銀行はあなたのもの」という。債務者が債務不履行になってしまうと困るから銀行は赤字の会社にも投資しなければいけない。それと同じです。だから悪魔や精霊に借りを作るときはできるだけ大きく、返してもらわなければ困るほどの大きな借りを作るべきなのです」

 「…なーんか、詐欺師みたいな考え方だな。誰が考えたんだか…」

 「昔々、ソロモンという金貸しの王様が考えました。彼はこのやり方で72の魔王とその手下の軍勢を意のままに操ったのです。偉大な魔術師は偉大な嘘吐きである。うむ。実に利口です。見習わなくては」

 「見習うのかよ」

ヴォルフがあっけに取られる。

成功した悪事のやり方を罪の意識もなく見本にできるというのは簡単なようでなかなかできるものではない。

警官の買収や告発、犯罪のもみ消しや借金の踏み倒しや脱税などなど。

良識と常識のある人間は方法を知っていてもそれを実行しないものだ。

だが平然とそれを述べるあたり、末恐ろしいものを感じるのであった。

 「ランプの件はいいとしてだ。時間がない。すぐに出発しよう」

 「どこへ?」

 「どこへって槍のある場所だよ。そのコンパスが指している方角はどっちだ?」

 「教えてあげないよ。じゃん♪」

 「…今はそういう冗談は良くないと思うぞ」

ヴォルフは語気を強める。

 「ゆっくりしていきましょうよ。わたし疲れましたわ。しばしの休憩が欲しいのです」

 「そんな時間はないんだ!俺の命はあと3日しかない。こんなところで無駄な時間を食っている余裕なんてない!」

ヴォルフが怒鳴った。

ここにおける問題が解決した以上、次の目的地へ進むべきなのだ。

 「わたしにとっては無駄じゃありませんね」

 「なんでいきなりそんなこと言い出すんだよ……」

 「そうですねぇ。どうしてもというなら条件があります」

 「条件?礼金の上乗せとか?」

 「違います。あなたは私をわかってない。私があなたにお金を請求したことがありますか?私が金貸しシャイロックに見えますか!」

少し怒る。

彼女は真面目に怒っているらしい。

どうやら金にうるさい人間だと思われるのは素で気に入らないようだ。

たしかに彼女は金で動くような簡単な人間ではない。

もっと面倒くさいタイプの人間だ。

 「ヴォルフさん。こんな砂漠でお金など何の役にも立ちません。金で物事が解決するのは人の住む場所だけ。ここは人の住むところではない」

 「意味がわからん。結局何をすればいいんだ?」

 「シンプルなことです。たった一言述べればいいのです」

 「お願いします」

 「……」

はぁ、と残念と期待はずれのため息をつく。

 「頭を下げればいいと言うわけではないのですよ。わたしがあなたの要求ことはつまり「愛している」と言って欲しいということです」

 「――――はい?」

 「『愛してる』と心の底からわたしに告白なさい。全身全霊を込めて心臓の鼓動を止めるような愛の告白をしてわたしを口説くのです」

一体何を言っているのだろう。

時が止まる。

呼吸も止まる。

ヴォルフはリューシーが何を言っているのかを理解するのに数秒かかった。

 「…冗談はやめてくれよ」

 「ならばわたしの足に口付けして未来永劫忠誠の誓いなさい。どちらかを選ぶかはあなた次第です」

 「そんなことできるわけがない!」

どっちを選んでも地獄行き。しかし選ばなくても地獄行き。

目の前で褐色の悪魔が心の底から楽しそうに笑っていた。

 「なら話はお流れです。槍までは案内しますよ。しかしながらわたしは出血多量で気を失っていたほどの重傷人。せめて3日間は静養すべきではないかと」

 「そんな…おいおい、俺は命がかかってるんだ。そんなバカなこと言わないでくれ」

 「バカとは心外なお言葉を。人は何のために生きるのですか?それは愛のためです。愛のために人は命を張る価値があるのです」

 「……」

無茶苦茶な言い分である。

あっけにとられたヴォルフを他所にアルクとルクスがひそひそと話す。

 「あの娘…前々から頭がおかしい女だったが、ここに来てからさらに酷くなってる気がする」

 「しっ。こういうときは何もせずに静かにしているのが上策よ。とばっちりはごめんだわ」

ヴォルフは簡単に見捨てられた。

ルクスはそういう女だった。

孤立無援である。

ソフィアも黙っている。

彼女だけが頼りの綱だが、もはや目の前の頭のおかしな女には何を言っても無駄だと悟っているのだろうか。

言葉だけならなんとでも言えるし、言うだけならタダだ。

それで協力が得られるなら安いものだという打算が働いているのか。

目がそう訴えている。

口八丁で丸め込んでしまえ。

だが彼女はイライラしていた。

それはこんなことでうろたえる情けない弟の姿を見ているからであろう。

実に情けない。

 「いや、だからね、そういうことは遊び感覚でやっていかんと思うのだよ。もっと自分を大切にしないと」

一体こいつは何を言っているのか。

 「だいたいそういう告白とかは冗談でするようなことじゃないんだよ。ちゃんと時と場所を選んで言わないとさ。まじめに言ってるみたいに聞こえないじゃないか」

ぶつぶつとあーでもないこーでもないと呟く。

下を向いて手をこまねきながら。

とんでもないへたれだった。

そうやって何分か経つとだんだんとイライラを隠せない女が1人。

リューシアナッサだった。

 「はぁー、もういいです。ラチが空きません」

 「…すまん」

 「でも安心しました。あなたは嘘がつけない人です。もしも口八丁で丸め込もうとする人だったらあなたを見捨ててさっさと逃げようかなぁとか思ってました」

まるでソフィアの内心を読んでいたような発言。

ソフィアは少し胸を痛めた。

リューシーがソフィアを見てニヤリとする。

内心を読まれていた。

 「じゃあ…」

 「わたしがヴォルフさんを見捨てるわけないでしょう。だって見捨てるつもりなら砂漠で拾ったりしませんもの」

「拾ったって…まぁそうなんだけど」

助けたではなく、拾ったという表現がリューシーの本音を示している。

 「ヴォルフさんはもしも私が困ってどうしようもなくなってしまったら、あなたは助けてくれますか?」

 「ああ。いいよ」

 「何があっても?命をかける勇気と責任が必要とされる状況でも?」

 「…そういうことはこれまでも何度かあっただろう」

 「……いいでしょう。それじゃ――――誓いの証にキスをしてください」

さっきの冗談で言った足にではなく、唇にしろという意味である。

その場が凍りついた

 「―――え?」

 「なーんてね、くすくす。こんなことで唇を上げるほどわたしは安売りしない女なんです」

 「でも前は君の方から…」

 「…前?」

後ろから鋭いナイフのようなソフィアの一言がヴォルフの心をぐさりと刺す。

 「い”!いや、その、あれはしたというか一方的にされたと…」

 「お前という男はぁっ!!こんな女にそんなことしたらこれからずぅ〜〜〜っとネタにされてこき使われるぞ!愚か者がっ!」

「すみません…」

しょんぼりと頭を下げるヴォルフ。

傍目には姉に説教される弟といった様相である。

 「こんな女とは酷い言い方ですね。わたしがヴォルフさんと何をしようとあなたには関係ないでしょう」

うふっ、とヴォルフの腕にしがみつく。

 「それにあなたには婚約者がいるではないですか。さっさと結婚すればいいのに」

 「…貴様、言ってはならんことを言ってしまったようだな!」

ぷっつん!と何かが切れる音がした。

 「…その情報はどこで手に入れたの?」

「ちょっと壁に耳をやってたら聞こえたのです」

 「盗聴じゃねぇか!」

 「違います。わたしはヴォルフさんが心配だったのです。あなたが私の知らないところで何をするか全部知りたい。知ってゆするネタにしたい」

 「……」

言ってることがほとんどマフィアか政治家である。

 「リューシアナッサ!人には言っていいことと悪いことがある。触れてはいけないものに触れてしまったら命のやり取り以外に決着はないと心得よ!」

 「待て!姉さん!話せばわかる!」

 「問答無用!!」

 「ひぃぃいいい!!」

リューシーがヴォルフを盾にしているためにソフィアの剣がヴォルフに襲い掛かる。

必死でかわす。

 「あははー!当たりませんよー」

リューシーが火に油を注ぐ。

 「うぬーーーー!!」

燃え上がる怒り。

どたばたと鬼ごっこが始まった。

 「さてと、それじゃ一眠りして夜が明けてからイタリア軍の駐屯地に行きましょうか。あんたらも寝た方がいいわよ。体が持たないから」

 「ひ、ひたいっ!るふふさん!たふへて!」

 「ええぃ!黙れ!黙れ!黙れ!」

あっさりと捕まって頬を引っ張られるリューシー。

アンディも興味を無くしたようで寝床へと行ってしまった。

適当なところで寝ろということだそうである。

言われたとおり、ルクスも適当に空いてる部屋を探しに出て行った。

 「それじゃお休み〜♪」

その後しばらくはドタバタと近所迷惑な足音と怒声が飛び交ったが、ルクスは疲れていたのでさっさと寝てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

―――イタリア軍陣地。

 「…やっと着いたぁ。あじぃ〜」

ルクスから安堵のため息が出た。

 「全員いるな?」

 「全員って言ったってたったの6人じゃないのよ…」

ソフィアの点呼にルクスがぼそっと答える。

 「結局、あの夜のせいで雇った連中が全員逃げ出しちゃいましたね。しかもラクダと荷物も一緒に持って行っちまったし」

 「うむ…」

ソフィアの悩みの一つがそれだった。

遺跡までは案内役をとっ捕まえたものの、肝心の槍がその遺跡のどこにあるかわからない。

遺跡というと、何箇所か行ったことが、土に埋もれたお宝を掘り出すというのはかなりの重労働だ。

たったこれだけの人数ではどうすることもできない。

だから人手を雇ったというのに、一夜で逃げ出した。おまけに荷物も装備もラクダも盗まれた。

実にうかつだった。

イフリートのような化け物を見れば普通の人間はさっさと逃げるのは予想できたことだったのに。

 「ただの宝探しだと思ったら行く先は化け物の住みか。そりゃ逃げますね」

 「他人事みたいに言うな。そういうお前は逃げないのか?」

 「はは、槍がなければ俺は死にますからね。」

 「…ホントに槍一本で毒が治療できると思うのですか?」

 「何?」

後ろからリューシアナッサが怪しく囁く。

 「ククク、実におめでたい。幻想種の毒がそんなもので消え去ると本気で思っているのですか?」

 「え、だ、だって…その」

 「全部嘘だったという可能性は考えないのですか…」

 「ま、まさか…」

ヴォルフの目の前が真っ暗になる。

 「な〜んっちゃって♪」

両手を開いて「いないいないばぁ」の笑顔を浮かべる。

 「大丈夫。槍はありますよ。実際に見たわたしが言うのですから間違いありません。そして槍があれば確実に毒は消えます。ケンチャナヨです」

 「…どうして君はそうやって人を不安にさせるかな…」

 「うろたえるあなたを見てると面白いから。悪いと思っていても、困ったヴォルフさんの顔を見るともっと虐めてあげたくなるのです。ああ、このトキメキはなんでしょう?これが恋なのでしょうか?人は恋すると詩人になります。今のわたしはさながらシェイクスピアのよう…」

 「……」

 「冗談ですよ。やーですねぇ。くすくす。そんな目でわたしを見ないで」

絶対本気だ。

つくづく性根が捻じ曲がっている。

 「変態め…」

 「む。あなたに言われるとは心外ですね。わたしのどこがおかしいというのですか?」

ソフィアが自分のこめかみを指差す。

ヴォルフはウンウンとうなづく。

 「ヴォルフさん。あなた今、わたしのことを頭のかわいそうな人だと思ってましたね」

 「違うのか?」

 「酷いわ。ただあなたをおもちゃにしてただけなのにそんな言い方…」

 「……もういい。君と話さない」

ぷいっとそっぽを向く。

彼にしては珍しく強気だった。

 (こんなバカ女に いつまでも付き合ってられるか…)

だが――

 「あっそ。そういうこと言うならもう槍の場所教えてあげません。毒が回って死ぬまで余命いくばくもない人生を楽しむがいいでしょう」

 「え…」

 「天国では70人の処女と黄金の宮殿があなたを待っています。虫の羽ほどの価値もないこの世界よりずっと良いところらしいですよ。何せ帰ってきた人はいないみたいだし」

 「…」

 「あ、あー。かわいそうなヴォルフさん。もがき苦しみ死んだ方ましなくらいの苦痛と恐怖を味わって最後には…うう、いい人だったのに」

 「あー!わかったよ!俺が悪かった!」

 「うふふ。貸しができましたね」

 「…。あんたねぇ、あんまりヤクザな娘に深入りしない方がいいわよ。気づいたときにはとんでもないことになってるのが関の山よ」

 「うっせぇ。俺だって毒が回ってなきゃ…」

 「あらまたそんなことを…」

 「ごめんなさい」

すでにとんでもないことになりつつあった。

 「おい。お前らそんなところで何をしている。さっさとラクダをつないでこっちへ来い」

北アフリカの「ジブリ」と呼ばれる熱風は肌を焼くほどに暑い。

駐屯地と言っても冷房が効いているわけでもなく、オアシスがあるわけでもないから快適な場所とは言えない。

いくつものテントが張ってあるだけなのだから。

赤十字のマークがしてあるテントの中では傷ついた兵士たちが横になっている。

いずれきちんとした病院へ移送されるだろうが、それがいつになるか正確な日付はわからない。

こうした厳しい環境が兵士たちの心をさらに落ち込ませ、体力を奪う。

しかしヴォルフの悩みは別のところにあった。

 「はぁ…」

 「落ち込んでいるな若者よ」

珍しくベレンナが話しかけてきた。

 「これが落ち込まないでいられるかよ。俺にだってプライドがあるんだぞ。あんな風に扱われたらよぉ…」

明らかにおもちゃにされている現状を素直に受け入れることができるほどヴォルフの男としてのプライドは低くない。

それゆえに今の立場には不満足なのだ。

 「女は「やさしくされる自分に満足している」のであって男に満足することはない。弱みを握られたらもう最後だ。槍を手に入れるまでの辛抱だ」

 「そーいやあんたは逃げないな。そんなに槍が欲しいのか」

 「欲しいさ。年収の30倍の報酬のためなら命をかける価値がある。老後のために稼げるときは稼いでおきたいんだ」

 「…そうかい。ま、死なない程度に頑張りな。命あってのモノだねだ」

 「うむ。覚えておこう」

ベレンナは曲がったネクタイを直しながら駐屯地をちらほらと歩いていった。

 「ちょっと話してくるからな。お前たちはここで待ってろ」

そういい残してソフィアは建物の中に入っていった。

ここはこの部隊の司令官のいる建物らしい。

ソフィアの持っているヒトラーのサイン入りの通行書の威力は絶大だった。

何せ途中の検問もこれ一枚で通ってしまうのだから。

偉そうな検問の兵隊が一枚の紙で頭を下げる光景を見ていると、ヴォルフは自分の親しい知り合いが出世したことに少しだけ誇らしさを感じた。

 「――――さてと、待っているだけってのも暇だな」

 「そうですね」

 「かといってここは仮にも軍の陣地だ。あまり勝手なことすると逮捕される。大人しくしてるしかないか」

 「よう。お前さん私服みたいだがドイツ兵か?」

イタリア人が流暢なドイツ語で話しかけてきた。

 「そうだがそれがどうした?」

 「いやな。2,3日前にロンメルがここにいたんだが、ヤツの部隊が突然消えたんだってよ」

 「将軍は神出鬼没が売りだ。別にお前が知らなくても不思議ではない。俺もそうだが、末端の兵隊が軍全体の動きなんて知ってるわけないだろ」

 「それが違うんだな。俺たちはロンメルと一緒に行動するはずだったんだ。だが連絡がまったく取れないから出撃命令も中止だとよ。上の連中がそう言ってたぜ。DAKの他の部隊に聞いたらやっぱり知らんそうだ」

 「………どういうことだ?ロンメル軍団がいきなり消えた?」

 「跡形もなくな。だから困ってる。イギリス軍にやられたんならまだしも、完全に音信不通。こんな砂漠じゃ逃げるあてがあるわけもないし。お前さんもDAKなんだろ。何か聞いてないのか?」

 「いや何も知らない。そもそも俺は…」

 「迷子なんですよ、この人」

 「おおっ、美しいお嬢さん。君は混血かな?まあいいや。こんな砂漠で君に会えたのは運命なのかもしれないな。どうだい。俺と昼飯食べないか?おごるぜ」

 「まぁうれしいわって…軍隊の食事ってあんまり期待できそうもないですね。わたしもドイツ軍のレーション食べたことありますけど」

 「…ふ。ふっふ。甘いなリューシーさん。その認識はきわめて甘い。君はイタリア軍というものをまだまだ甘く見ている」

 「へ?」

苦い顔をするヴォルフときょとんとするリューシー。

彼女がその言葉の意味を理解するのにそれほど時間はかからなかった。

 

 

 

―――――。

 「終わりました?」

 「ああ。本隊に連絡しておいた。飯を食べたらすぐに出発するぞ。? それはなんだ?」

 「これですか?」

へへっと自慢げに笑うヴォルフ。

その手にはイギリス軍のサブマシンガンが握られ、ちょうど整頓してバッグに入れているところだった。

他にもいろいろあるようだ。バッグが膨らんでいる。

 「さっきここのイタリア兵からもらったんですよ。これから先に何があるかわかりませんからね」

 「ほぉ。よくもらえたな。それは英軍の戦利品だろう?」

 「簡単ですよ。ワインと交換したんです」

 「…ワイン?」

 「ジンの城でアンディがくれたでしょう。「砂漠じゃ紙幣よりも実物の方が役に立つ」って言ってましたが、たしかにその通り」

 「話がよくわからんな…まさかそのワインと物々交換したというのか?まさか、そんなこと普通の軍隊で有り得るわけがない」

 「ここはイタリア軍ですよ。大尉は知らないでしょうが、イタリアの連中は武器と食料・酒をすぐ交換してくれるんです。連中に取っちゃ武器弾薬よりも上等なワインの方が大事ですから」

 「……」

ソフィアは立ちくらみがした。

 「どうしたんですソフィアさん?」

そこにずずずと音を立てて麺を食べる少女が現れた。

 「…リューシアナッサ。お前はお前で何を食べている」

 「何ってパスタですけど。さっきそこらへんの兵隊さんに言ったらワインと交換してくれました。本場ナポリタンだけあってうむ。実に美味ですわ。こんなところでこれほどのご馳走にありつけるなんてある意味最高の贅沢ですね」

 「……」

またもや立ちくらみがしてきた。

武器弾薬を酒と交換する軍隊。

砂漠なのに水を大量に使うパスタを作る軍隊。

これは訓練中ではない。

戦時下の話だ。

このイタリア軍の行動は一般常識では考えられない。

 「さっきから変ですね。いつも変ですけど。今日は特別に調子が悪いんですか?」

 「…ま、言いたいことはわかりますよ。俺だってここの連中の非常識さには最初はカルチャーショックを受けましたし。だけど今はこういう時期ですから簡単に物々交換してくれるのはありがたい限りです」

ヴォルフがパスタをずるずるっと口にする。

 「こういう話があります。北アフリカ戦線でロンメル将軍がイタリア軍に前方の英軍に対して攻撃するよう命じた。 彼らは武器を持って進んでいった。 すると見よ、彼らは武器を投げ出してこちらへ逃げてくるではないか。 何事が起きたのかと問いただしてみると、彼らはこう言った。「話が違う! あいつらはオーストラリア軍だ」

 「…質ー問」

 「何かな?」

 「意味がわかりません」

 「うむ。ようするにやる気がないってことだな」

あらためてソフィアが絶句する。

すさまじいまでのやる気のなさ。彼女はいつかこの国と同盟を組んだことを祖国ドイツが後悔するだろうと予感した。

4年後、彼女らの総統は遺書にイタリアと手を組んだことへの後悔を書き記し、ドイツ史上最大の過ちは未来永劫語り継がれることとなる。

後の歴史家は語る。イタリア軍は3食毎にいちいちパスタを茹でたりピザを焼いたりしていたので、 活動時間が制限され、また前線兵站に負荷がかかり、最終的に 自己崩壊に至ったのではあるまいか。

ついでに先ほどの話のフォローをしておこう。

英連邦軍の中でも、オーストラリア軍は アフリカ戦線初期の段階で尖兵として活躍し、陣地に集まっていた多数のイタリア将兵を根こそぎ武装解除して捕虜にするなど、目立った戦いぶりを見せていた。

ブッシュハットを被り、毛むくじゃらで、 ヨーロッパ人から見れば信じられないくらい粗野なふるまいをする彼らは、 いつしかイタリア軍将兵の間で鬼か魔物のように恐れられるようになったのだ。

さすがは世に聞こえし反逆のカリスマ、世界に類を見ない勇者の軍団イタリア軍である。

こと英雄伝説には事欠かないことで有名なイタリア軍であるが、元ドイツ軍人の戦史作家パウル・カレル氏も、名著「砂漠の狐」のなかで、「いろいろいわれるがイタリア軍もそれなりに戦っていたんだ」とフォローしてくれていたりする。

 「でも俺はイタリア人がへたれだとは思いませんよ。以前イタリア人に喧嘩売ったことありますけど、こっちは6人。向こうは2人だったのにボコボコにされちゃいましたから」

 「何で喧嘩したんですか?」

 「うむ。飲み屋で女の子が無理やりナンパされてて嫌がってたから注意したら乱闘になったんだけどね。いやー、女がからむと強いわ。あいつら。結局その子はどっかに連れてかれちゃったんだけど大丈夫だったかな?」

 「…なんかさっきと話が矛盾している気がします」

 「つまり自発的な喧嘩は強いけど、誰かに命令されるとやる気ゼロになるってことだよ」

 「計画性の無い強さですね」

『イタリア人は獅子のごとく闘い、イタリア兵は蟻のごとく逃げる』とはまさに名言であった。

 「うむ。ロンメル将軍も「あいつらは牛でもおいかけてればいい」って言ってたそうだし。?どうした姉さん」

 「…何かすごく疲れた」

 「落ち込まないで。ソフィアさん、わたしの残飯でよければパスタどうぞ。わたしだけ食べてたのがショックだったんですね」

 「……何を聞いていたんだお前は?」

脱力したソフィアはもはや言い返す気力もなかったが、たしかにパスタは美味しかった。

 

 

 

 

――――。

 「離しなさいって言ってるでしょうがッ!!」

拳骨がうなる。

もう一発。話しかけてきた兵隊が1人ダウンした。

周りには6,7人の男がうじゃうじゃと付きまとっている。

 「なんなのこいつら!!普通殴られたら怒るかどっか行くでしょ!?だけど、ずっとへらへら笑って全然こたえないなんて!!だいたいあたしはイタリア語なんて話せないから何言ってるのかさっぱりわからないのよ」

ルクス・フランクリンは怒っていた。

トイレを借りに行ったら帰りに欲しくもないおまけが金魚のふんのようについてきたからだ。

こんな砂漠では若い娘はそれだけで注目される。

逆に言えば誰でもいいということだ。

実に不愉快である。

こんな形でちやほやされてもうれしくない。

そもそもルクスは自分が好きな相手以外にはどう思われようと知ったことではないというタイプなのだ。

 「ではわたしから説得してみましょう」

自信ありげにリューシアナッサが言う。

 「無駄だと思うけどね」

しかしその予想は外れた。

リューシーがなにやら話すとあっさりと男たちは解散したのだ。

実に素晴らしい。

 「凄いわね!どうしたの?」

 「「マンマミーア!!」は女ことばらしいです。男性は「マンマミーヨ!!」というみたいです」

 「んなことは聞いてないわよ…」

会話が成立しない。

困ったものだ。

 「ただ病気持ちだって言っただけですよ。性病の治療中だって言ったら納得してくれました」

 「…うわぁ…」

ルクスが複雑な表情をする。

たしかに解散したが、あまりうれしくない。

 「そう言えばアルクさんは?」

 「あっちで伸びてるわ」

ルクスが親指を立てて示す。

「どうしたんですか?」

 「あたしが絡まれてるもんでアルクが止めさせようとしたんだけど。…あっさり負けちゃった。彼はホントは強いのよ。アメリカじゃ喧嘩で負けたことなんてなかったんだから。こっち来てからあんまり戦績良くないけど」

というより全敗である。

ヴォルフが見る限り、このルクスのボディガードが役に立ったことは一度もない気がする。

なぜならボディガードよりガードされる方が強いように見えるからだ。

こいつは何しに来たのだろうか?

…というのが、ヴォルフの認識だった。

 「…むぅ。ヴォルフさんの話。あながち嘘ではないみたいですね」

 「ほらな?あいつら女が絡むと信じられないくらい強くなるんだよ」

ヴォルフが誇らしげに語る。

 「なんであなたが威張るのですか?」

リューシーは首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

キャラバンはイタリアの駐屯地を抜いて進む。

リューシーのコンパスが示すイスカンダルの地へ。

 「何じゃこれ?砂漠に河がある」

 「上流で大雨が降ったようですね。たまにあるんですよ。ヘラクレアから何度か枯れた川の跡を見ましたよね。あういう乾季には枯れる川をワジです。ワジは雨季になると川になります」

 「そうなんだ。おっし。ちょうど水を入れるのにいいわね」

サハラ砂漠では雨季になると大雨が降る。

日本や欧米とは異なり、周りに水を吸収する森や林が皆無なため、大雨が降ると洪水となることがある。

洪水は突然現れるため、飲み込まれれば命はない。

砂漠で溺死するということがありうる。

実際、北アフリカ戦線のドイツ軍は戦車や兵士を洪水で失ったり、雨で道が泥沼化して戦車や自動車が立ち往生したのだ。

ヤギの胃袋で作った水筒袋には一つにつき20リットル入る。

ラクダは一度に70リットルの水を飲み、一頭で150キロの荷物を運ぶことができる。

サハラ砂漠の旅は一日5リットルの水を消費して3日間ごとにオアシスで水を補給する。

しかしラクダは2週間の間のまず食わずで平気な動物であり、砂漠の旅には欠かせない。

意外なことに、ラクダは古代エジプトや古代北アフリカには存在しない。

砂漠の財産であるラクダがピラミッドの壁画にラクダは存在しないのは、ラクダが西アジア原産だからである。

伝説によれば、前10世紀頃にサバ王国(イエメン)の女王が、黄金や香料を積んだ数多くのラクダを連れてアラビア半島を縦断し、2000km離れたヘブライ王国のソロモン王を訪問したとある。

ミネラル・ウォーターよりもガソリンが安く手に入るような未来ならば話は別だが、1941年現在ではガソリン一滴は血の一滴という状態である。

安いコストでの移動手段はラクダ以外に考えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ここを降ります」

突如、リューシーは地面に掘られた穴を示してここを下ると言い出した。

 「…これってカナード?」

 「よくご存知で」

 「こんなところでカナードが見られるとはね」

 「説明してくれよ」

 「カナードというのはペルシャに見られる地下水道のことです。地上に人口の河を作って水道にしても途中で暑さで水が蒸発してしまう。そこで井戸のように垂直に穴を掘り、そのあとで横に穴を掘って道を作る。しばらく掘ったらまた垂直に穴を掘って同じように横に掘る。これを繰り返すことで地下水道ができます。地下なら水は蒸発しないから水源から田畑まで水を運ぶことができます。もともとこの技術はペルシャのものでしたが、エジプトがペルシャに征服されたときに伝えられました。征服王イスカンダルはこの技術をエジプトのより多くの地域に広めて農業地帯を広げました。つまり投資したわけです」

 「おお。そうやってスラスラと解説するとなんかホントに学者みたいだね。あるいは地元のガイドさん」

 「むっ。わたしがインチキ学者みたいな発言ですね」

ヴォルフは「だって詐欺師じゃん」と心の中で言ってみる。が、口に出しては言わない。

 「そんなことはないよ。ルクスと同じくらい本物に見える」

 「失礼な。それってインチキってことじゃないですか」

 「はっはっは。そこの両人。さりげなくあたしを馬鹿にしてるわね」

 「だってルクスさんは発掘作業の経験ってないでしょう?だから大学の研究室の採用も断られたって自分で手紙に書いてたじゃないですか」

 「う…」

 「そうなのか?」

話が事実だとすればこいつはただの素人である。こいつの親父が凄いらしいのはなんとなくわかるが、つまりは親の七光りの学者気取りか。あるいは盗掘屋か。

ヴォルフの中でルクスの評価ががくんと下がった。

 「だ、だからあたしはここに来たのよ!普通のやり方じゃあたしみたいな無名の人間なんて大学は雇ってくれないから!あたしはここに夢を探しにきたの!ここでアレキサンドリアの遺跡を発掘して名前を挙げればきっとどっかで雇ってくれるはず!ギブミーチャンス!チャンスを頂戴!」

意外にも現実的な夢追い人だったルクス。

ヴォルフは先ほどの認識を改めて少しだけ感心した。

 「アレキサンドリアは19世紀に発掘ブームが起きたんだけど、決定的な証拠はなかったわ。だから70個もあったアレキサンドリアは今はひとつしか残ってない。だけどシレナの黄金伝説が本当で、しかもその遺跡がアレキサンドリアだったことを証明できればこれは大発見よ!あたしは賭けてるのよこのチャンスに!」

 「うーむ。残酷なこと言うようですが、考古学的に証明できるような物的証拠なんてないと思いますよ。ただの言い伝えですから誰かが創作した物語かもしれないし」

 「うむ。だいたいからして俺たちは神話の世界に足を踏み入れているからな。こんな話、誰が信じるか疑問だぜ。当の俺自身も信じれないことばっかりだからな。それでもやるのか?」

 「やらいでか!」

 「…ま、とりあえずは槍探して解毒することが最優先だからな。槍だけはないと困るぜ」

 「おい。ラクダを下ろすぞ。全員で縄を引っ張ってくれ」

アルクは持ってきたロープで器用にラクダを縛りあげ、ゆっくりとカナードの穴の中に下ろした。

順番にすべてのラクダを下ろしていく。

中は地上とは異なってヒンヤリとしていた。

 「ところでなんでここを通るんだ?シレナってのは地下に埋もれているのか?」

 

「いえ、地上に出てますよ。あれから逃げるためです」

 「あれって?…な、なんだありゃ!!」

 

 

 「―――す、砂嵐か!しかもなんて大きさだ!あんなのは見たことがないぞ!!」

細かい石が激しい豪雨となってものすごい速さで近づいてくる。

砂嵐は竜巻のような形になり、たくさんの塵と砂を巻き上げながら移動し、人間や動物を窒息させてしまうほどの影響をもたらす。

熱風が汗を乾燥させてしまうほどの高温をもたらすため、熱射病を起こすこともある。

砂嵐は一時間で収まることもあれば、一ヶ月続くこともある。

そして神の怒りとしか言いようがない天災はいつどこでどれくらいの規模で発生するか予想がつかない。

リューシーはコンパスをカパっと開ける。

 「このコンパスを手に入れたナポレオンも結局シレナ発掘をあきらめました。その理由の1つがあの嵐です。コンパスはあの嵐の中心地を指しています。しかしあの嵐の中を進むことはできません。人も馬も、自動車さえも竜巻で吹き飛ばされてバラバラになってしまうからです。そしてあの嵐は決して止まない。自然の砂嵐ではないのです」

 「そこでこのカナードを通るってわけか」

 「そうです。このカナードはすでに枯れ井戸になっていて一部も壊れていますが、シレナの遺跡まで続いてます。この通路を発見したのがクラーク先生。ルクスさんのお父様ですよ」

一向は全員がカナードの中へ降りた。

ソフィア以外を除いて。

 「何してるのかしら?」

すぐに彼女もロープを伝って降りてくる。

 「待たせたな。さっそく進もう」

 

 

 

 

――――。

カナードを進むと、ぐらり、とキモチワルイ浮遊感に襲われた。

 (…疲れてるのかな?慢性疲労だからなぁ、いろんな意味で…)

目の前の褐色の悪魔が最大の原因であるなと自己分析しながら歩を進めるヴォルフであった。

 

 

――――。

―――――。

――――――。

しばらく歩くと頭上の嵐の音が鳴り止んだ。

 「どうやら抜けたようですね」

前回の発掘隊が作った登り用のロープが見えた。

一人ずつ地上に出て行く。

 「ん?こりゃローマの水道よ」

 「うむ。ローマ人がこの地を支配してから改修があったのかもしれませんね」

 

 「思いっきり町の中だな。砂漠にしては砂に埋もれてない・・・砂?」

 「あれが―――――シレナの砂漠?」

町の外は一面白い砂漠で覆われていた。

 「パパの言ったとおりの光景ね」

ルクスが砂を手に取る。

 「…白い砂の正体は石膏せっこうの微細な粉末だわ。この砂漠は、石膏を含んだ水が低地に集まって、砂漠の暑さで水分が蒸発したその残りよ」

一面銀世界。

砂丘を越え、砂嵐を越え、少しずつ砂が白くなっていく。

さらにさらに進み、ある一点を越えたとき、そこから見える風景は通常のサハラ砂漠では考えられない光景を映し出す。

 「…」

ソフィアが怪訝な顔をする。

気になるのは砂漠の色が白いということではない。

 「気づきましたかソフィアさん」

 「ここの妖気は……まるで神殿のようだな。この砂か。この砂がすべて一種の結界の一部なのか」

砂漠の砂は風に舞って遠い海の向こうまで飛ぶ。

ときにそれは災害となって砂の雨を降らせる。

この白い砂漠は生きているのだ。

まるで意志を持っているかのように、この王国の新たなる主となる王を待っている。

しかしそれにふさわしくない者には牙を向くのだ。

 「ラクダは出口に繋いでおきましょう。ここからは歩きです。シレナ王国の観光となります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「皆様右手の方角を見てください。これはオリンポスの主神ゼウスをあがめる神殿です。勇者ゲオルギウスによってキリスト教に改宗されるまでシレナではオリンポスの神々をあがめていました。神の子サン・オブ・ゴッドアレキサンダーの作った町ですから、ここに住んでいた人々はゼウスをあがめていたのです」

 「バスの乗務員か…?」

 「ガイドさーん!トイレ行きたいんですけど!」

 「その辺でお好きにどうぞ。では今度は左手の方角をご覧ください」

 「…」

華麗にスルー。

ルクスは少し顔を赤らめた。

この手の洒落は誰にも相手にされないとさびしいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 「…井戸が見当たらないな。水道も枯れてたし。やっぱり水不足で滅んだのかな?」

 「そうかもしれませんが、人々がいなくなってから枯れたのかもしれません。定期的にメンテナンスしなければ水道は壊れます。何か文献が見つかればはっきりするのですが」

 「何もないの?」

 「ええ…これだけはっきりした遺跡があるのに公文書はもちろん、壁の落書きも何一つありません。金貨のひとつでもあればどの時代か特定できそうなものですが」

 

 

 「戦いの神アテナの神像です。皆さん。ちょうどいい機会ですから何か拝んでおきましょう。交通安全とか」

 「戦いの神に交通安全を祈願するのか・・・」

 「ヴォルフさん。神々を侮ってはいけません。このような神聖な場所では古代の神々の力はいまだ健在なのです。アテナの怒りに触れて自動車にはねられたらどうするつもりなのですか」

 「アテナは自動車なんて知らないと思うが…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ここが槍が収められている神殿の入り口です」

 「ここか…」

リューシーが案内したパルテノン神殿は通常と異なり、奥にさらに部屋がある。

背後は山で、まるでエジプトの神殿のように洞窟をくり貫いて作られていた。

入り口には上半身のないギリシャ神の像が対になって立っている。

この像が元は完全な形をしていたことはその断面がデコボコになっていることから容易に推測できる。

もしもノコギリなどで石を削ったならばこのような切り口にはならないからだ。

何百年以上も経っているため自然に像が風化して壊れたのだろう。

 「ようやく槍とご対面か。いろいろあったがようやく安心したぜ」

 「いいえ。ここからが大変なのですよ。なぜ前回の捜索隊が失敗したかわかりませんか?皆さん。最初に言っておきます。この中は罠だらけです」

 「―――罠?」

 「そうです。槍は神殿の奥に封印されています。しかしそれを安易に盗掘者が盗まないように罠が仕掛けられているのです。罠を越え、真に槍を手に入れるにふさわしい勇者のみがそれを手に入れることができるのです」

 「エジプトのピラミッドとは違って外部から人が入ることを前提に作られているんなら大丈夫よ。なんとかなるわ」

 「なんとなる…。そうですね。たしかになんとかなりました」

リューシーがくすっと笑う。

そうだった。彼女の弁によれば実際彼女の探検隊はなんとかなったのだ。

どのような罠があろうと、一度成功したのだから同じ方法を取ればいい。

そして当事者がここにいる。何も恐れることはないのだ。

 「わたしの後についてきてください。そのとき決して何かに触るとかしないように」

 「何かって?」

 「歩くとき邪魔になりそうなブロックとかはどかそうとすると侵入者を排除しようとする罠が作動します。つい手を触れたくなるところにトラップが仕掛けられているのです。この神殿の設計者は人間の心理をよく読んでいます」

 「んなアホな…」

千年以上前の遺跡である。

見たところロクに整備もされていない。

本当にそんな罠があるのだろうか。

 「そうやって舐めてかかって前回の調査隊は半分が消えました」

 「マジかよ…」

 「正確に言えば逃げたというべきでしょうか」

 「逃げたって…」

 「うむ。実を言うと死人は出なかったのです。みんな逃げちゃったので」

松明に火をつけて明かりを作る。

 「ではいきますよ」

先頭をリューシーがゆっくりと歩く。

いつになく慎重な顔つきだ。

床を眺める。

ブロック体の整備された床だ。しかしところどころに人が通れそうな穴が開いている。

ハンマーでぶっ叩いて壊したような跡だ。

しかしこの跡を見るに、この地下には空洞がある。地下室があるようだ。

リューシーが手まねきする。

ヴォルフはコクンと、うなづき一歩を踏み出した。

 「なぁここには何があるんだ?」

 「ここは――」

と。

どこんっ!

いきなり床が崩れた。

 「お、落とし穴ぁっ!?」

 「ヴォルフさん!?」

 「ちょっとヴォルフ!?」

 「う、うああああああああああっ!?」

いきなり足場が崩れてヴォルフが地下へと落ちた。

 「ヴォルフさぁーーーんっ!!」

真っ暗でどうなったのかわからない。

 「だから落とし穴があると言いかけたのに…」

 「それを早く言わんか!!ちぃ!ロープはラクダの荷物の中だ。取りに行って来るからちょっと待ってろ!!」

・・・。

 

 

 

 「―――うぁああああああ!!」

ばっしゃああんっ!

水溜りの上に落下する。

 「いてて…なんだよ。俺は何も触ってねぇのに…落とし穴があるってんならもっと早く言ってくれよ…」

 「この…馬鹿ぁっ!よくもあたしを引っ張ってくれたわね!あたしまで落ちちゃったじゃない!」

 「ん。ルクス?何だ。お前も落ちたのか」

 「落とされたのよ!あんたに引っ張られて!どうしてくれんのよ!」

 「ちょっと待て。俺は何もしてないぞ…っていうかその手はなんだ?」

二人が同時にルクスの右手を見る。

ルクスがヴォルフの服をつかんでいた。

 「あんたを助けようとしてこうなったのよ。感謝しなさい」

 「で、2人で落ちたわけか」

 「いや、3人だ」

水の中から人が出てきた。

ルクスにつかまれて一緒に落ちたアルクである。

 「とりあえず水を出よう」

腰までしかない水溜りから上がる。

 「やれやれ。元はここは水でいっぱいだったみたいね」

 「どうしてわかるんだ」

 「あそこから壁の色が変わってるわ」

 「あんなところまで水が溜まったら溺れ死ぬな…」

 「そうかしら?あたしが思うに水がいっぱいになれば泳いで上まで行けるじゃない」

 「どの穴が出口だ?真っ暗な中で泳ぐってのはすごく怖いんだぞ。松明も消えるだろうし」

 「ちっ、無理か」

 「だいたいこの部屋を水で満たすなんて無理だ。プールじゃないんだから」

上を覗く。

天井までは何メートルもあり、とても上れそうにない。

さらに穴がいくつも見える。

一体どの穴から降りてきたのか。

だがヴォルフ・シュナイダーは焦らない。

こういうときこそ冷静にならなければならない。

 「しばらく待ってればロープを下ろしてくれるだろう。少し待っていよう」

 「そうね。それじゃゆっくり服を乾かしましょう」

ルクスがバックを飛び出たブロックの上に乗せた。

―――ブロックがガコンと音を立てて下がりはじめた。

 「…げぇ!」

 「何だ!何を触ったんだ!!」

 「何もしてないわよ」

ゴゴゴゴ・・・

何かが動き出す。

水が流れるような音がした。

 「…おい。なんか水位がどんどん上がってるぞ。この部屋って元は水がいっぱいだって言ったよな」

 「ええ…。もしも水でいっぱいになったら溺死するだろうって言ってたわよね?」

見る見るうちに水位が膝下まで上がってきた。

 「なんてこった!ここは侵入者を溺死させる部屋だ!シャイセ!何が水不足だよ!リューシーさんの言ってること間違ってるじゃねぇか!」

 「そんなことより見ろ!壁が降りてくる!」

奥の天井から壁がシャッターのように下りてきた。

 「仕方ない!二人とも!あっちの部屋に行くぞ」

 「大丈夫なのか?」

 「ここよりマシだ!」

ヴォルフは荷物を抱えてさっさと奥へ進む。

 「はやくしろ!」

 「ルクスが!」

シャッターが閉じるまで1mもない。

 「ちょっと!カバンの紐が引っかかって…よし抜けた!」

ルクスは颯爽とスライディングでシャッターと床の隙間をすり抜ける。

 「あ」

帽子が引っかかった。

ルクスがわずかな隙間に腕を伸ばして入れる。

 「ルクス!何をやってるんだ!腕は大丈夫か…!」

 「ふぅーびっくりした。帽子は平気よ」

 「帽子なんて放っておけよ!」

 「だ〜〜め。冒険に帽子は不可欠なのよ」

何がどう不可欠なのか。

ルクスがランプに火をともして壁を見る。

向こうの部屋は水に沈んだ。

この壁は押しても引いてもビクともしない。

 「…仕方ないわ。ほかの出口を探しましょう」

 「リューシーさんが言ったぞ。ここは罠だらけだって・・・」

今のは序の口である。

本番はここからであろう。

こんな手のこんだ罠を作るとは設計者のアホさ加減にめまいがしてくる。

一体どこの遊園地のアトラクションだ。

しかし遊園地と違ってここのアトラクションは死ぬ可能性大であり、万が一不幸な出来事が起きても補償はゼロである。

 「ふっふっふ。心配いらないわ。ここに冒険のプロがいるじゃない」

 「……どこに?」

 「あ・た・しよ!まあ大船に乗ったつもりで安心なさい。あたしがいれば罠なんて簡単に見破って見せるわ!」

発掘未経験の冒険オタクが何かトチ狂ったことを言っている。

あれか。異常な状況に追い込まれると自分を創作の主人公か何かと思い込んでしまう病気というやつか。

ここまでひどいやつは初めて見た。

 「二人とも!さっさと来ないと置いてくわよ!」

ルクスが後ろを振り向くと、ザン!という音がして巨大な針が飛び出した。

人間を簡単に串刺しにしそうな大きさだ。

 「うおおお!!?」

ルクスが驚いてバランスを崩し、たたらを踏むと、次々に針が地面から飛び出す。

よく見てみれば足元には石にカモフラージュされたスイッチと、針の出る穴があった。

ルクスの体には奇跡的に一本も突き刺さらなかったが、結局ヴォルフたちのいるところまで下がってきた。

 「おい。腰抜かしてる場合じゃないぞ」

 「だ、誰が!ちょっとびっくりして尻餅ついただけよ!」

それを腰を抜かすという。

 「OK。わかったわ。こういう罠があるってことは逆にこの道を行けばきっと槍のところまで続いているわけよ。罠ってのは行かせたくない道に作るものなんだから」

「普通はそう考える。それを逆手に取ったということも考えられる」

 「却下。考えちゃダメ」

無茶苦茶な意見である。

 「どっちにしろあたしたちにはここを進むしかないのよ。ここで待ってても助けは来ないし、引き返すこともできないわ」

 「引き返せなくした人がここに…」

 「う、うるさいわよっ!男のくせにいつまでも昔のことを!

 「まだ5分も経ってないと思うが…」

 「シャラップっ!もういい!結構よ!あたしは行くわ。あんたは勝手にしなさい!」

自分のミスを指摘されてヒステリーを起こしてしまった。

ぷんすかという擬音がつきそうなくらい怒りまくっている。

 「やれやれ…。アルク、お前もとんでもない女の尻を追いかけてるな」

 「いつものことだ。別になんとも思わん」

 「いつものことなのか…」

この若者に幸あれ。

余裕すら感じられる。

悟りきったというか、あきらめたというか、希望なんて持ってないというか。

きっと相当ひどい目にあってきたのだろう。

もはや感覚が麻痺して自分でもよくわからんのかもしれん。

こうして3人は針が出ない足場を慎重に進んでさらに歩を進めていった。

 「なんとか通り抜けたみたいね。ん?何か声がしない?」

 「声?こんなところに誰がいるって…いや、確かに誰かの声がするな」

 「明かりだ」

そこには確かに”誰か”がいた。


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