
Strum Und Drang!!
part 14

「よしっ。ここにしよう」
リューシーは適当な高さの丘に下りた。
ヒューバが上空を飛び、地形を把握した後、彼女はここを選んだ。
周りには同じような丘がたくさん聳え立っており、隠れ場所には不自由することはなかった。
「作戦は?」
「切り札を使う」
「いきなりだな」
「切り札は使うときに使ってこそ切り札だよ。戦闘に必要なことは一撃で相手を倒すこと。そしてそのチャンスを作ることだ。反撃されるのは攻撃した側の失敗だ」
「で、どうする?」
「ここの目の前は複雑な地形のように見えて、実は直線になっている」
それはヴォルフも気づいていた。上空からの偵察飛行でなければわかりずらいのだが、たしかに一直線になっている部分がある。
複雑な地形ゆえに、移動する際に楽なルートを通るとすればそれは限られてくる。
イフリートはヒューバと違って徒歩で移動するから、あの巨体が通れるルートは至極読みやすい。
「だからこのまっすぐで広い道にイフリートをおびき出してヒューバが”狙撃”する」
「狙撃? 一体何で狙撃する気だ?」
「キメラやイフリートが炎を吐くように、ヒューバも飛び道具を持ってる。その威力は連中とは段違いだ。太古のインドで雷霆神インドラが、アスラ族の王ラーヴァナの大軍を一撃で死滅させたという神の火だ。こいつを食らって平気な幻想種はいない」
予め通りやすいルートに罠を仕替えておき、敵を誘い込んで一網打尽にする。
実に模範的かつ効果的な作戦だ。
だが、ヴォルフには心配事があった。
「…そんなもの使って大丈夫なのか」
「威力は格段に押さえてあるさ。いや、押さえつけられているというべきか。神話の時代と今では幻想種の力はまったく桁が違う。あのイフリートにしても、おそらく神話の時代ならばトリポリの街を1時間で荒野にできるだろう」
「俺が心配なのは君の体のことだよ」
ヴォルフは正直に言った。
幻想種は魔法師の魔力を食べて現世に具現化する。
そのため幻想種の力が大きければ大きいほどマスターの魔法師には負担がかかる。
ヘラクレアで彼女が意識を失ったのもキューバが大きなダメージを受けたからだ。
そして今のリューシーの言葉どおりなら、彼女は神の力とも言えるような巨大な何かを使うらしい。
まったくノーリスクとは思えないのだった。
だが―――。
「ふふん♪ 心配してくれるんだ?」
褐色の魔法師はニヤニヤとうれしそうに笑う。
「…で、どうなのさ?」
「質問に答えろよ。俺のこと、心配なんだろ?」
「顔が近いって」
「照れるなって。心配なんだろ。んん?」
そうやっていざ面と言われるとなんとも答えづらい。
おまけに目を輝かせながらこっちの瞳を凝視してきてさらに言いづらい。
「…そうだよ。心配だから言ってるのさ。何か悪いか?」
「あはっ♪そうなんだ、そうなんだ」
にっこりと笑う。
(……どうみても今の俺はおもちゃです。本当にありがとうございました)
などと自らをあざ笑っても仕方ない。
「大丈夫!霊薬飲んでスタミナばっちし!魔力をガンガン使ってもたぶん倒れないぞ。今なら湖の水を飲み干すことだってできそうな気がする!」
(……やっぱりあの霊薬は麻薬だったのか…白い粉を鼻から吸うなんて見るからにアレだったからなぁ…」
切実にそう思うヴォルフだった。
古今東西、宗教と麻薬は切っても切り離せない関係にある。
どちらかの歴史を調べれば必ず片方が出てくるものだ。
麻薬や過度のアルコールの使用による幻覚を神の言葉と思い込むというパターンは世界中に実在する。
そういう意味では精霊による霊薬が実は麻薬の類だったとしても決しておかしい話ではなく、むしろそれが自然とも言えるだろう。
「さて。とは言ったものの、ここで問題がふたつある」
一瞬でシャキッとするリューシー。
人差し指を立てて、
「ひとつはチャージに時間がかかること。その間、ヒューバと俺は無防備になっちまう」
「じゃあ、もし一発目を外したら?」
「外さないよ」
「だから外したら?」
「外さないって」
「――――」
リューシーはガンとして言い張る。
(…外したら大ピンチってことか…)
ヴォルフはそう理解した。
まさに一撃必殺。
千一夜物語は「一撃神話」の物語とも言われている。
アラビアンナイトの英雄たちは魔物や怪物と戦うとき、すべてを一撃で片付ける。
なぜなら一撃で片付かなかった場合は相手の反撃で確実に殺されてしまうからだ。
栄光の勝利か、虚空の死か。そこに惨めな敗北という選択肢は存在しない。
まさに賭けであるが、実戦とは得てして賭けのようなものだ。
先に当てたもの勝ちなのは人間相手の戦いでも、化け物相手の戦いでも変わらないのだろう。
この戦いもまた例外ではない。
「もう一つは?」
「どうやっておびき出すかってことだ。といっても、ヒューバにやってもらうしかないけどな」
「たしかに」
ちらりとヴォルフは竜を一瞥する。
よく見ればなかなか愛嬌のある顔つきのオオトカゲだ。
「ソフィアおばさんがいりゃあ、囮くらいにはなれたろうに……」
「おばさんって言うと怒るぞ。あと数ヶ月は20代なんだから」
「フォローになってないぞ」
「ぐっ」
鋭い突っ込みだった。
本人が聞いてなかったのが幸いである。
「とにかく、無いものねだりしても始まらないぜ。なんなら俺が代わりに行くぞ」
勇気ある志願だったが、リューシーはただため息をついた。
「バイクでもあればそれもできるだろうけど、徒歩じゃここまでおびき寄せるなんて無理だ。やめた方がいい」
「…くっ」
がっくりとうなだれる。
なんと歯がゆい話だ。体は元気なのにできることが何もないとは。
リューシーはヒューバの頭をなでながら指示する。
「いいかヒューバ。適当にやりあって逃げろ。なんとかこの道まで誘い出すんだ」
ヒューバが「ガルル」と吠えて返事をする。
尻尾を振っているのはうれしいからだろうか。
まさか犬じゃあるまいし。
「よし。いけっ」
ヒューバは合図とともに高くジャンプしてそのまま飛び去っていった。
――――。
――――――。
――――――――。
飛竜の姿が丘で見えなくなって数分後、山の向こうの空が真っ赤に染まり、爆音と野獣の叫びが木霊する。
戦闘が始まったようだ。
イフリートは炎の魔人。
あの炎はすべてイフリートの攻撃だろう。
まるで地震のような地響き。
がけ崩れのような弾音。
ヴォルフには障害物が邪魔でどうなっているかは見えない。
リューシーは目を瞑っている。
「……どう?」
「しーっ」
どうやら彼女には見えているらしい。
いつも陽気な彼女がいつになく真剣な顔をしている。
先ほどの余裕は消えていた。
ヴォルフはここで話しかけるのはまずいと思ったのかだんまりを決める。
「―――――来る」
リューシーが小さく呟いた。
先ほどまでの戦闘音が一気に大きくなる。
近づいているのだ。
飛竜は確実に任務を果たしつつある。
ついに姿が見えた。
「――――!!」
ヴォルフが息を呑んだ。
ヒューバの体は火傷で黒く焦げている。
イフリートの全身は文字通りの火だ。
そんな炎の化身と接近戦を演じれば肉が焼け焦げるのは自明の理。
あとはなんとかあの飛竜が一気にこっちまで飛んで距離を稼げば…
ヒューバはイフリートに背を向けて小さくかがんだ。
飛び立つための姿勢だ。
一気に地面を蹴り付けて大空へ羽ばたこうとする飛竜。
だが、ヒューバの足はある一定の高さ以上には上がらない。
その足をイフリートががっしりつかんでいたからだ。
空中のヒューバを無理やり地上へ引きずり落とす。
ヒューバはバランスを崩して地面に倒れた。
イフリートはその上にまたがり、クレーンハンマーのようなパンチを浴びせる。
地震を思わせる衝撃がヴォルフの足元にまで伝わる。
あんなものを食らったらいくら幻想種といえどたまったものではないのではないだろうか。
ヴォルフがリューシーの顔を一瞥する。
この手の表情を見たことがあった。
苦痛を見せないために無理やり作る笑顔だ。
額には汗がにじんでいる。
やはり・・・。
「……ヒューバは接近戦を得意とするタイプの幻想種じゃないんだ。あのイフリートは悔しいけど、腕力はヒューバより上だ。なんとか距離を取りたい…」
「距離を取ってどうするんだ?」
「勝てる」
リューシーは断言した。
その言葉には迷いもなく、ヴォルフは無条件にそれを信じる自分にはっと気づく。
「……わかったよ。俺が囮になってやるさ。どれくらい持てばいい」
「距離にして約200mは稼ぎたい。イフリートがヒューバから離れて10秒は欲しい」
「10秒も、かよ」
「できるか?」
「やってやるさ。この手の無茶な命令は兵隊にはつき物だ。じゃ、行ってくるよ」
「・・・ごめん」
「君が謝るのははじめてのような気がするな」
珍しいこともあるものだと軽く笑ってヴォルフは崖から滑り降りようとする。
幸いにして凹凸が激しく、傾斜も緩やかだったこともあり、足場には苦労しない。
「――――頼みましたよヴォルフさん」
ぼそっと、リューシーはいつもの口調で呟いた。
――――ドォン。
―――――轟音。
地面が揺れるくらい激しい衝撃が辺りに響き渡る。
飛んでくる岩の塊。
あんなのを食らったら体ごと持っていかれてしまう。
「ヘルメットもってくりゃよかったな…」
この暑いのにヘルメットなんかと普段は嫌気が差すあのアイテムも、このような場所で命綱となる。
天から燃える石が降ってくる。
どこにいても同じだ。
前進あるのみ。
ヴォルフはホルスターからワルサーP38を抜き、岩だらけの荒野を駆け抜ける。
足場が悪く、途中で足がもつれてこけそうになるが、そんなことは気にしていられない。
ようやく目標が射程圏内に入った。
岩影から様子を伺う。
イフリートはヒューバの顎をつかんでいた。
「オオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!!!」
その腕力に任せて顎を一気に引き裂こうとしていた。
なんてことだ。
あんなことをしては顎の関節が外れるどころではない。
肉を裂き、骨を砕き、召喚された竜の動きが完全に止まってしまうだろう。
今はなんとか耐えているが、もはや時間の問題だ。
少しずつヒューバの顎の開きが大きくなっていく。
もはや一刻の猶予も無い。
幻想種どころか野生のイノシシや象すら仕留めることもできそうもない拳銃で何ができるだろうか。
最大の効果を狙うには急所を狙うしかない。
ヴォルフは両手で丁寧に構えてイフリートの目を狙い引き金を絞る。
「グォォオオオアア!!?!??」
何発かの小さな銃声が連続で続き、イフリートの肉が裂けて飛び散る。
あのキメラと同じだ。
幻想種は普通の猛獣とは段違いの生命力と耐久力を持つが、銃で撃たれれば皮が裂けて血が飛び散る。
決して無敵の存在ではない。
・・・と思う。
いや、気を強く持て。
効いてないはずがないんだ。
何せ目玉に直撃したのだから。
現にイフリートは手で目を押さえている。
今がチャンスとばかりにヴォルフは近くの岩場に身を寄せた。
もはや手元には何の武器も残っていないのだ。
隠れるしか手がない。
だが遅かった。
イフリートはヒューバを突き飛ばし、はっきりとこちらの方向をじろりと見ている。
血というよりは燃え盛る溶岩のようなイフリートの血液がどくどくと流れていた。
飛び散った赤い液体が岩に付着すると、ジュー、と音を立てる。
酸?いや、純粋に温度が高いのだ。
こいつの血液は溶岩で作られているのか。
「オオオオォォォォッッッ―――!!!」
イフリートが怒りに満ちた怒号を放つ。
握りこぶしを振り上げ、そのまま巨大なハンマーのように叩きつけた。
ヴォルフは反射的に飛び出して岩から脱出した。
次の瞬間、ヴォルフが忍んでいた岩は瓦礫と化した。
完全に粉砕されていた。
――――――逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!
思考はすべてがそれで埋め尽くされていた。
全力で背を向けて逃げる。
第二波が来た。
圧倒的な存在感。
目で見なくてもはっきりとわかる。
気配、というものを感じるのだ。
何百キロもある肉の塊が物凄い勢いでヴォルフの頭上から接近してくる。
「シャイセ…!シャイセ…!シャイセ…!シャイセ…!シャイセ…!シャイセ―――…!!!!!」
呪文のように「クソッタレ」を繰り返すヴォルフ。
だがその言葉が最後の言葉となった。
ぐしゃっと何かが潰れた。
イフリートが叩きつけた手を上げたとき、ヴォルフの姿はなかった。
魔人は満足したのかそれ以上ヴォルフという存在だったものに興味を持たなくなった。
軽い噴煙。
白い砂が舞う。
イフリートの拳がヴォルフの上に襲い掛かり、その後にヴォルフの姿は無かった。
あの状態から逃げられるわけがない。
あの小ざかしい人間はこの魔人の前から跡形もなく消え去ってしまったのだ。
跡形もなく。
そこでイフリートが異変に気づいた。
飛竜が見えない。
そこにあったはずの飛竜の死体がない。
死んでいなかったのだ。
逃げたのか?
イフリートが前後左右を振り向く。
あの瀕死の飛竜に止めを刺すことなど実にたやすいことだ。
もう一度捕まえて今度こそ一気に顎を引き裂いてやればいい。
もう一度捕まえさえすれば・・・
だが、それはできない。
魔人は飛竜を発見した。
遠くはないが、決して近くない位置に。
黄金の光を放つバハムートがこちらを狙っている。
「虚構から真実へ。暗闇から光明へ。死から不死へ。
あれも完全である!これも完全である!完全から完全が生じる!
完全から完全を取り去った後には 完全のみが残る!
闇にまどいし不完全な影!罪におぼれし業の魂!黄昏に消え去るがいい!」
黄金の飛竜の下に、召喚主である魔法師の姿があった。
少女の形をした魔法師は使い魔と同じく黄金の光に包まれていた。
その体からはとてつもない魔力が溢れている。
「飛撃震天雷(ッッ!!」
「――――――――――ッッッッッ!!!!!!!」
一線。
ヒューバの大口から巨大な黄金の彗星が飛び出した。
あまりの輝きに黄金さは見えず、肉眼では白く見える。
はるか遠くまで光は届く。
それはまるで地上から空へ打ち上げられた僕(の星。
一直線にはしる光は滅びを運ぶ地獄(の火。
魂の連結を断ち切り、形あるものをあの世にいざなう。
ヒューバはまさに巨大な大砲だった。
巨砲から放たれたすべてを滅ぼす神の火は直線状にある障害物を消し去る。
光は一直線にイフリートを捉えた。
刹那の出来事だった。
一瞬にして光は消えた。
山は消し飛んだ。文字通り無くなってしまったのだ。
瓦礫さえ残ってない。蒸発してしまったのだろうか。
ヒューバとリューシーの体から光が消えていく。
溜め込んだ魔力を一気に出力したことで幻想種をこの世に形とどませる余力がなくなったのだ。
飛竜の体がじょじょにしぼんでいく。
まるで空気の抜けた気球のように。
あっという間にヒューバの姿は元の白蛇に戻ってしまった。
リューシーの角も消えていた。
彼女は何の迷いもなくヒューバをスカートのポケットにしまう。
代わりに取り出したタオルを胸に巻いて即席のブラジャーを作った。
ついつい服を引きちぎってしまったが、早まったことをしたと少し後悔する。
その後、崖をゆっくり下り、囮になったヴォルフの下へ向かった。
正確にはヴォルフが潰された現場に。
数分経ったというのにまだ白い噴煙が残ってる。
明らかに自然以外の方法で潰された岩。
イフリートが殴って潰した後だ。
こちらに一番近いところ。
そう。目の前のこの場所だ。
この場所が潰れていて、一番近い場所。すなわちイフリートが最後に殴り潰したところ。
「……ヴォルフさん…」
彼の名を呟く。
だがまるで跡形も無い。
血の跡も…。
生存は絶望的だ。もしもあの巨大な拳をまともに食らっていたら生き残れるわけがない。
ゴト…、と瓦礫を瓦礫の下から蹴り飛ばす音がした。
「えっ!?」
足が一本見えた。
見覚えのあるブーツだ。
続いて手足が地面からニョキニョキっと出てくる。
「ふぅ―――。死ぬかと思った…」
「……」
「よっ」
笑顔で手を振る。
「ヴォルフさん!あなた死んだはずじゃ…?」
「勝手に殺すなよ。俺はまだ生きてる」
ヴォルフはにこっと笑ってみせた。
「…どうして生きてるの?」
理解不能と言った顔。
珍しくこの娘が本気で慌ててる。
実に趣きがあってよい。
「さっきは死んだと思ったわ」
「たまたま人間1人が入れるくらいの穴というか、岩と岩の間の隙間があって、そこにもぐりこんだんだ。で、なんとか助かった」
実はまだ心臓がドキドキしているが、余裕をこいてみる。
たとえちょっと頭がおかしいといえど相手は女の子だ。
男とは、女の子も前ではかっこつけたいものなのだ。
という内心の動揺がバレバレな気がするが。
「君がここにいるってことは、イフリートはもう倒したのか?」
「ええ。おかげさまで」
「立派な囮だったろ?」
「ええ。ホント。大したものです」
やっぱり。
なんとなく台詞が演技がかっている。
「…ところで口調が元に戻ってるけど?」
「え、ああ?うん。まぁ、あれです。クスリの効果が切れたのかしらん?」
「ひょっとして最初からわざとやってたんじゃないか?クスリでイカれたフリをして俺の反応を楽しんでたとか?」
「……」
「どうなのさ」
「うふ♪」
両手を軽く握り、口元に寄せてにっこりと笑う。
「…笑って済ます気か?」
「あ、でも霊薬で気分がすっきりしたのはホントですよ。あれを飲むと悩みとか不安とか痛みとか疲れとか、とにかく嫌なことが全部どうでもよくなるっていうか、とっても元気が出るのは確かですね。疲労がポンと取れましたよ」
「ただの麻薬じゃねぇか!」
「では、こうしましょう」
人差し指を立てて提案する。
「ストレスによる一時的精神錯乱ってことで手を打ちませんか?病気では仕方ありません」
「たしかに脳が病気じゃしょうがない」
「誰が「脳が病気」なのですか」
あんただ、あんた。
とヴォルフが心の中で答える。
「…話を聞く限り、霊薬ってのはあんまり体によくなさそうだな。絶対副作用とかありそうだし」
「ま、若いしちょっとだけだから大丈夫でしょう」
ケラケラとあっからかんに言う。
その「若いから」とか「ちょっとだけだから」という言葉は典型的な麻薬中毒患者のきめ台詞に他ならない。
だんだん普段からの突拍子のない行動も麻薬患者という点から見れば納得がいく。
若いのになんと哀れな…
若いといえばこの娘はいくつなのだろうか?
10代後半くらいに見えるが、実際の年齢は聞いてなかった。
「リューシーさんはいくつなんだ?俺より年下だと思うけど」
「――――――ひ・み・つ♪」
顔の下に両手を軽く握ったぶりっ子のポーズである。
だからそのキモイキャラ作りはやめろと。
「ところでさっき俺のことを自分のものだとか言ってたけどどういう意味だい?」
「…」
リューシーが顔を赤らめながらそっぽを向く。
「あれはですね…」
「…」
「―――――言葉どおりです」
にっこりと笑う。
そりゃどう意味だっつーに。
「ヴォルフさん。あなたはわたしに借りがたくさんあるんですからね。ちゃんとわたしに尽くしてください。精神的に」
笑顔のままになってそんなことを請求してきやがった。
「…まさか、言葉通りって「所有物」って意味か?」
「そうです。わたしが砂漠で拾ったんですから当然でしょう。だからあなたはわたしに尽くす義務があるんです」
「拾ったって…野良犬か俺は?」
「野良狼(じゃないですか。「名は体を表す」といいますし」
「狼(なんて名前のドイツ人は探せば男女問わず大勢いるぞ。特別な名前ってわけじゃない。というか、俺には君が何が言いたいのかわからない…ようするに俺にどうしろと?」
「とりあえずコーラ買って来い。それから足揉んで。わたしのことを「リューシー様」と呼びなさい」
「……」
「まぁ今のはトリポリのような街に行ったらの話ですが」
「……それって冗談だよね」
「冗談ですよ」
どこまでが本気なのかさっぱりわからない。
「わたしが言いたいのはですね。あなたはソフィアさんの言うことなら何でも聞いてあげるくせに、わたしの言うことはいちいち口答えばかりということです。実に不愉快です」
「だからなんで姉さんが出て来るんだよ。あの人は俺にとっちゃ実の姉みたいな人なんだから助けるのは当たり前だし、……昔から姉さんには頭が上がらないんだよ。わかってくれ」
「嫌です」
ぷぅっと頬を膨らませて否む。
「嫌って…だから俺にどうしろって言うんだよ。様をつければいいのか?」
「それは冗談だって言ったでしょ!」
「いや、だからどうすれば」
「もぉいいです。ヴォルフさんのバカ、バカ、アホ」
ぷんぷんと怒る。
頭の配線がちょっとおかしい女なのだろうか、それともこれが文化の違い?
「何を怒ってるんだ?」
「別に怒ってませんですよ」
「…」
さてさて、理由も述べずに癇癪を起こした女性はどう扱えばいいのだろうか。
放って置くが一番か。いやいや、経験上、放って置くと無視されたと思ってさらにかんしゃくを起こす。
ある偉大な哲学者が「彼女とは彼方の女と書く。男には理解できない存在」と言ったが、ヴォルフにとってはまさに然りであった。
声をかけずらい、実に気まずい空気が流れている。
「イフリート様っ!」
幸運なことに、その場の気まずい空気を破るように、いつの間にかアンディがそこにいた。
高慢な女王であるこのジンの顔には、ヴォルフがここに来てはじめてあせりが見えた。
ジンがこのような不安げな顔をしたのははじめてだ。
それほどまでにイフリートの容態が危険ということだろうか。
幻想種は幻想の中に生きる種族。
この世に縛り付ける鎖が解ければ幻想に戻ってしまう。
それはこの世でしか生きられないものにとっては死を意味する。
死とはもう会えないこと。
永遠の別れ、決別。
死別が悲しいのは人間も幻想種も変わりないのだ。
リューシーは横に倒れたイフリートの顔に近づく。
「お、おいっ!?」
ヴォルフがリューシーの行動の異変に気づいた。
リューシーの手から血が流れていた。
どうやら彼女は左手首の親指の付け根の血管を持っていた小型ナイフで切った。
ヴォルフは目を疑った。
妙に慣れたリストカットの行為もそうだが、よくみれば彼女の腕には何度もリストカットした跡があるからだ。
「どうもおかしいと思いましたが、どうやらやっかいな魔術がかけられているみたいですね。狂戦士の呪いかしら?」
「わかるのか!?」
「まあね。ヴォルフさんこそ知ってるみたいな口ぶりですね」
「……シルバーっていう男が呪いをかけたって言ってたんだよ。本人が」
「なら解けばいいだろうに」
「解けないって言ってたぞ。魔術はかけるより、解くほうが何倍も難しいって」
「難しいだけでしょ。不可能じゃない」
「できるのか!」
「わたしはメイガス・アル・イスカンダルですよ。おわかり?」
どくどく、と血がイフリートの口に流れていく。
「わたしの体の中にある『太陽の石』は強力な抗呪剤なのです。だからわたしの血液を飲ませればヴォルフさんが感染したキメラの毒も消えるでしょう。しかしあまりに強力すぎて人間には使えないのです。死んでしまいます」
「…そんなものをこの怪物に飲ませて大丈夫なのか?」
「たぶん」
「たぶんって…」
「これだけ強い幻想種ならたぶん大丈夫でしょう。呪いに犯された部分を滅却しても余りでなんとかなるでしょうし。呪いは時間が経つと全身に転移するが、幸いこの呪いは初期の段階だからなんとかなりそうです」
「初期って、その呪いは百年前のものだそうだけど…」
「人間とは基準が違うのですよ。恐ろしく寿命が長い幻想種にとっては100年くらいは初期に該当するのです」
血が口内に吸い込まれていくと、だんだんとイフリートの狂気の瞳に理性の光がともり始めた。
かのように見える。
専門家ではないヴォルフにはよくわからないが、明らかにさっきとは顔つきが違う。
「もうわたしの話が理解できるでしょう魔人イフリートよ。我が名はメイガス・アル・イスカンダル・リューシアナッサ。アル・イスカンダルの名においてお前を使役する。異存はないな?」
「……フ、フハッハッハッ……」
はじめてイフリートが怒り以外の感情を出した。
それは彼の魔人が人類以外で意思の疎通が可能である知的生命体であることを物語っている。
「――――――アル・イスカンダル。ナントモ珍シイ珍客ダ。竜ヲ操リル魔法師ガコノ時代二残ッテイタトハ」
「答えろ。異存はないな?」
「イイダロウ…掟ニ従ウ。オ前ノ下僕トナロウ。コレガ契約書ダ」
フラッシュのように一瞬目の前が炎に包まれる。
すると、突然羊皮紙が現れたが、リューシーはそれを当然のようにつかむ。
彼女はそれをすらすらと読んでいるようだが、ヴォルフにはまったく読めない。
見たこともない文字だ。アラビア文字とも違う。
「サァ、血ノ契約ヲ」
「いいでしょう」
リューシーがうなづく。
「リューシーさん。契約って何だ?」
「ソロモン王が72匹の魔王と結んだ「ゲーティア協定」の一つ。魔法師と幻想種は召喚の契約を結ぶのです。わたしとヒューバがそうであるように、イフリートがわたしの使い魔になる代わり、わたしは彼に魂を差し出さなければなりません」
「た、魂!?」
「…と言っても、それが履行されるのはわたしが死ぬとき」
「死んだあとは…?」
「さあ?永遠に苦しむとも、そのまま天国に行くとも言われてますが、どうなんでしょうね?」
さらりととんでもないことを言いのける。
魂だと?
ちらっとイフリートを見る。
その鬼の顔が邪悪な笑みを浮かべている。
答えようとはしないが、何かを楽しんでいるようにも見える。
「幻想種は答えません。そもそも彼らの言う「魂」とは何か?召喚の代価とは何なのか?それは誰にもわからないのですよ」
「そんな危険な契約なんて…」
「怖イナラヤメテモヨイノダゾ・・・フォッフォッフォ」
「……」
リューシーが手首をぎゅっと絞めて止血する。
「――――アル・イスカンダル・リューシアナッサの名において汝と血の契約を結ぶことをここに誓う」
自分の血を親指につけ、それを羊皮紙の印鑑欄に押し付ける。
「血の契約は為された。よろしく我が主」
「よろしく我が下僕」
イフリートの姿が消える。
「お、おい!消えちまったぞ」
「心配要りません。具現化する魔力が足りないから一時的に姿を消しただけです。死んだわけじゃありませんよ」
リューシーの言葉通り、先ほどまであせりの顔色を隠せなかったアンディには安堵の表情が浮かんでいる。
つまりそういうことなのだろう。
リューシーはそこまで言うと、くらっと、足をくずしてその場にしゃがみこむ。
ヴォルフは慌てて彼女の体を支えた。
「おい大丈夫か!?」
「平気です。ちょっと血が足りなくてくらっとしただけ…」
「血が足りないって、あれだけ出血すりゃ当然だ!このアホ!」
「ふふ、何だかんだ言ってヴォルフさんはわたしのことが心配なのですね」
何がうれしいのか「うふふ」と笑うリューシー。
その言葉である疑問を思い出した。
この際だ。はっきりさせておかねばなるまい。
「……ところでリューシーさん。魔法薬とやらの中に惚れ薬ってものはあるのかい?」
「なんですか藪から棒に」
「あるのか?」
「ありますよ」
「……」
ヴォルフはごくりと息を呑む。
「リューシーさん」
「はい」
ヴォルフは正面からがしっとリューシーの両肩をつかみ、
「……君は―――俺に、恋の魔法をかけたのか?」
「……」
一瞬、刻が止まった。
永遠とも思える緊張。
「―――はい?」
あっけらかんとするリューシー。
質問の意味がよくわからなかったようで、首をかしげる。
「だから、君は魔女だ」
「まぁ、一応は魔法師ですけど。それで?」
「だから、君は俺に、恋の魔法をかけたんじゃないか?」
「―――あんた、何真顔で言ってんのよ」
返事は第三者から帰ってきた。
「何って、る、ルクス!?」
そこには砂ぼこりで汚れた顔のルクス・フランクリンが、仁王立ちしながらニヤニヤとしている。
「生きてたのか」
「勝手に殺さないでよ。アルクたちも生きてるわよ。それより」
むふふ、と嫌な笑い方をする。
「君は俺に恋の魔法をかけたのか? うわっ恥ずかしっ!」
「…い、言うなっ!」
ヴォルフは「かぁー」、と顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「な〜にが「恋の魔法にかけたのか」よ。よくそんな恥ずかしい台詞を吐けるわね」
「しつこいぞ!何度も言うな!」
「恋〜 ララら〜 それは魔法〜♪」
「だぁ〜〜〜〜!!!」
即興で歌を歌い、ルクスは最高に楽しそうな顔をしていた。
とんでもないヤツにとんでもないところを見られてしまった。
そういえばもう1人のとんでもないやつからお約束の反応が来ない。
どうしたことか?
どさっと、一気に体重がかかる。
「―――リューシー、さん?」
「ごめんなさい。ヴォルフさん、わたし――――――寝ます……」
「ちょっと待て。こんなところで寝るなよ。せめて…」
「zzzz…」
ヴォルフに一方的に通告すると、褐色の姫は目を閉じていびきを立て始めた。
「ヴォルフ・シュナイダー、と言いましたね」
女の声。
アンディだった。
「な、何だ?もう闘いは終わったんだぞ」
まさかまだやる気か?
まずい。リューシーはこのざまだし、自分には銃も剣もない。
だがアンディに戦う意志はない。それどころか丁寧に頭を下げる。
「我らが主アル・イスカンダルをわたしの屋敷へ。そこでお休みになるとよろしいでしょう」
「…へ?」
「どうしたのです?さ、はやくなさい。わたしたちの主イフリート様がアル・イスカンダルの軍門に下ったということは、わたしも彼女の軍門に下ったのです。さ、はやく」
「お、おう…」
ヴォルフはリューシーをおんぶして屋敷に向かった。
急転直下な展開に戸惑いながら。
「―――ま、一件落着ってことか?」
だが何かすっきりしない。
何かを忘れているような。
ヴォルフ自身は無事だし、ルクスも無事だ。
ベレンナとアルクの姿も向こうに見える。
砂と埃で顔が汚れている。
人のことは言えないが。
リューシーは、おそらく出血による貧血だろうか。
息はしているから大丈夫だろう。
――――。
「あ!そうだ!」
ヴォルフが声を上げる。
「どうしたの!?」
と、ルクス。
「姉さんをそのままにしてきちゃった…」