Strum Und Drang!!

part 13

 「…何が魔法だよ」

ヴォルフ・シュナイダーははき捨てるように言った。

 「そう簡単にモノを破壊するような『魔法』が使えるわけないだろうが。魔法を使うには幻想種を召喚しなければならねぇ。だがな小僧。幻想種ってのは魔力を食うんだ」

 「食べる?」

 「……そんなことも知らないのか。本当にど素人なんだな」

シルバーはため息をつく。

骨しかない顔だが、器用にも身振り手振りで心情を表にあらわす。

なかなかコミュニケーションがある骸骨だった。

 「そもそも幻想種ってのは、この世の生き物じゃない。それが世の理を捻じ曲げて無理やり受肉しているんだ。

受肉するにはなんらかの力が作用していることになる。

その力のことを一般に『魔力』って言うんだ。

魔力を与え続けている間のみ幻想種は幻想から実体化する。

幻想種は程度の差はあれ、かなりの大食漢だ。

だから普通、幻想種を召喚するときってのはそれ相応の準備が必要だ。

訓練された魔法師だって一人じゃとても養いきれない。

何人も、ときには十人以上の魔法師が共同で呼び出す。それでも失敗すればたちまち魔力をすべて吸い取られてミイラになっちまう。

恐っろしいこった」

骸骨がミイラになるのは怖いと言っても説得力に欠ける。

 「だが俺たちの仲間の一人はドラゴンを呼び出したそうだぞ。あんたの話からするとそれはかなり凄いんじゃないか?」

 「ちょっとヴォルフ!仲間じゃないでしょ。もう」

 「そいつは面白い話だな。どんなドラゴンだ?手のひらサイズのちっちゃいヤツか?もっとも、そんなものを召喚するんなら、普通の毒蛇を仕込んだほうがよほど役に立つ」

 「でっかい竜よ。恐竜並の」

 「そりゃ嘘だ」

シルバーはルクスの言葉を一蹴した。

 「嘘なんかついてないわよ」

 「ありえないね。

そもそも幻想種ってのは古代世界でさえすでに絶滅寸前の存在だったんだ。

理由は召喚師の魔力が幻想種に対して小さすぎるから。もともと人間に扱える代物じゃないんだよ。魔法なんてものはな」

シルバーのタメになるようでまったくタメにならない魔法講座は続く。

 「たとえば古代ヨーロッパでは、ボルボと呼ばれる巫女がセイズ魔術という召喚術を行っていた。

だがセイズ魔術の儀式は労力がかかる。幻想種を呼ぶために莫大な量の供え物やいけにえが必要だった。

あらゆる動物の牝が9匹ずつとかな。

こんなものを普段から用意できるわけがない。

おまけにその召喚術が常に成功するとは限らなかった。それくらい難しいものなんだ幻想種を呼ぶ出すってのは」

 「…で、そのお話のオチがこれか?」

ヴォルフは呆れた声を出しながら腰に手を当ててため息をつく。

長々と話してくれたシルバーのありがたいようでまったくありがたくない講義の結論はとどのつまり「俺に魔法は使えない」というなのだから。

 「ヴォルフくん。さぼってないでちゃんと働いてくれ」

 「やってるよ!」

ベレンナにちくりと刺されて怒鳴り返すヴォルフ。

状況はこうだった。

この部屋の”主”である元合衆国海兵隊ジョン・シルバー伍長によれば、この部屋にはヴォルフたちが入ってきた入り口以外にも別の抜け道があるという。

 「この城はむかし海賊の隠れ家になってたんだよ。だから万が一のためにいろいろ抜け穴が作られている」

 「ちょっと待て。ここから海まではかなりあるぞ」

 「魔法を使えばたやすいことだ」

 「魔法ねぇ…」

胡散臭いものを見るような目つきでヴォルフ。

その魔法がないからこんなところで肉体労働に励まねばならないわけだが。

 「ここと別の場所をつなぐ魔法だ。この城はたしかに海から離れているが、ある条件が整ったとき、この城から海までは歩いていける距離になる。《時の扉》と呼ばれる古代の技術だ」

 「便利ね」

ルクスが感嘆する。

 「砂漠をさまよう旅人がいきなり有り得ない距離を移動したという話は千一夜物語アラビアン・ナイト)にもいくつか残っている。それが技術として確立されたってんだからホントに便利な話だ」

 (!…砂漠で瞬間移動?)

ヴォルフはその話を聞いてあることを思い出した。

それは自身の奇妙な経験を説明できるのではないか?

 「だがその便利さは危険と隣りあわせだ。魔法なんて都合のいいものが何の代償もなしに使えるわけがない。何かしらの代償が必要となる」

 「…どういうことだ?」

 「考えてみれば当たり前の話だ。いいか、魔法ってのは幻想種の力を借りて行う奇跡の業。だから逆に言えば魔法が使われるってことは、そこになんらかの形で幻想種の存在が関与してるってことになる」

 「だから召喚したんだろ。魔法師が何人がかりで」

 「たしかに魔法師が何人も共同で瞬間移動の魔法を具現化したのは正しい。

だが魔法師が何人いようと、問題になるのは幻想種だ。

そしてこの城には何百キロ先の海とここをつなぐほどの力を持った幻想種がいた。

正確には『封印』されてた幻想種――――魔人イフリート)」

―――イフリート。

それはジンと呼ばれる砂漠の精霊の中でも強大な力を持ったジンに対する畏敬の念を込めた名称である。

人間は人間の母から生まれるが、イフリートは炎の中から生まれる。

ゆえにイフリートは炎の魔人とも呼ばれる。

幻想種でありながら、神々の時代を終わらせた『神と巨人の大戦争』後もこの世界に存在し続け、人間たちと同じ生活圏に住んでおり、たびたび人間の伝承に姿を現す。

 「千一夜物語アラビアン・ナイト)の魔人ジーニー)はソロモン王に封印されていたってタイプだが、この城のイフリートも誰かに封印されていたってわけだ。

それで海賊たちはこのイフリートの魔力を利用して魔法を使っていた。

だが、それに気づいたのはイフリートの封印を解いてからだった。

慌てて封じようとしたものの、結局海賊たちは解放されたイフリートと、イフリートを解放したジンの女に殺されるか、生きる屍の奴隷にされちまった」

 「ジンの女?」

 「あの女ね!あたしたちに犬を食べさせた!アンディとか名乗ってた。まったく、なんて性格の歪んだビッチなの!犬なんて食べさせるなんて人間じゃないわ」

 「…お前は美味いって言ったじゃねぇか」

それに彼女は文字通り人間ではなくジンである。種族違いだった。

 「うっさいわね。こーいうのはプライドの問題なのよ」

 「何でもいいや。で、シルバーはなんでアンディが封印を解いたって知ってるんだ?」

 「本人がそう言ってたからな」

 「なるほど」

 「で、俺はそのイフリートと戦って…あとは話したとおりだ」

 「あんたは魔法は簡単には使えないと言った。それなのにどうやってイフリートに術をかけたんだ?」

 「色仕掛けだ」

 「色仕掛け?」

 「イフリートってのはほぼ例外なく女好きで、好んで人の娘を連れ去る習性がある。

あとは前もって仕掛けた魔方陣に誘い込んでヤツに術をかけたってわけだ。

この瓦礫の山をどかす魔法は使えないが、幻想種を縛る魔術の類なら条件さえ整えば使える。

そして女ジンがあの呪いを解くには生け贄の血が大量に必要になる。簡単には解けないぜ」

 「――――生け贄だと!?」

リューシーとの会話が頭をよぎる。

あの女の言うことはもはや何一つ信用できないが、シルバーの話す内容と中身が一致している。

 「そうだ。できれば幻想種の生き血がベストなんだが、幻想種の血なんてそう簡単には入らない。簡単には解けないってのはそーいうこった」

 「ちょっと聞くが、幻想種と人間の子供ってのは有り得るのか?」

動揺するヴォルフに代わってアルクが言った。

ヴォルフの顔を見れば何を言いたいのかわからんでもない。

アルクはヴォルフの質問を代弁した。

目でそれを知らせる。

 「当然有り得る」

シルバーは無情に肯定した。

 「悪魔や魔物と結婚した人間の例なんて古今東西世界中にいくらでもあるさ。

悪魔とか魔物ってのはようするに幻想種のことだからな。

世の中には悪魔の血を引いた人間なんてたくさんいるぞ。

ただし幻想種と人間の場合、人間の要素の方が陽性なんだ。

存在があいまいな幻想種は死ねば幻想に戻るが、それに比べて人間は死んでも肉体はこの世に残る。

よって幻想種の血を引く人間はたくさんいるが、見た目も中身も普通の人間だ。

だが中には人間とのハーフでも、幻想種の血が濃く残るやつもいる。

歴史に残ってる有名な魔法師や魔術師の類は偶然その力を引き出した連中がほとんどだ。

こーいう連中がいれば呪いを解く材料には持って来いだが、……こんな砂漠で都合良く連れてこれるもんじゃない」

 「じゃあもしも都合良くこの条件に当てはまる人がいたら?」

とルクス。シルバーは当たり前のように質問に答える。

 「当然生け贄にするだろうな。月の光は魔力を高める。やるとしたら夜だ」

 「つまり今はその絶好の機会というわけね…」

 「シャイセっ!!」

ヴォルフが持っていた岩を地面に叩きつける。

 「どうしたんだいきなり」

 「こいつの血の繋がってない姉ちゃんがその生け贄にされそうなんで怒ってるのよ」

 「――――血の繋がってない姉ちゃんッッ!?」

シルバーが驚愕する。

 「なんて魅力的な言葉だ。一瞬くらっと来たぜ…」

 「あんた頭が大丈夫?」

ルクスが指でピストルを作り自分のこめかみに銃口を向ける。

 「もちろん。俺は健康には気を使うタイプだからな」

骸骨に健康も何もなかろう、とその場の全員が心で思った。

 「それよりも」

シルバーが穴の開いたボロボロの帽子を脱いでお辞儀する。

 「お悔やみ申し上げる、としか言いようがないな」

 「まだ死んじゃいねぇよ!」

 「たしかに大尉を助けるチャンスがないわけじゃない」

アルクが励ますようにヴォルフを肯定した。

 「……とは言ったものの、なかなか進まないわねぇ。ホントにこの瓦礫の向こうに通路なんてあるの?全部埋まってるんじゃないの?」

せっかくのアシストにルクスが水を差す。

相変わらず空気が読めない、というよりマイウェイな女である。

さきほどから彼らが何をしているかと言えば、シルバーの言う「海賊の抜け道」の復旧作業であった。

さんざん魔法の話をしておきながら、目の前の瓦礫の山を片付けることはできないという。

ヴォルフがふてくされていたのはそーいうわけだった。

 「いや。瓦礫に埋まった部分は1メートルもないはずだ。天井がもろくて崩れただけだからな」

 「それって何年前の話?」

 「今が西暦1941年だから、…140年くらい前か」

 「むぅ、こりゃ気合入れていかないとラチがあかないわね」

 「なら手伝えよ」

ヴォルフが顔に青筋を立てながら低い声で脅すように言った。

今はひたすら瓦礫を手作業でどかすしかないので余計に人手が欲しいのである。

残念ながら目の前で仁王立ちしてる相手に脅しは通用しないようだが。

 「だって力仕事は男の仕事。ご婦人は殿方の邪魔にならないように一歩下がって見守るべし。こーいうときこそ男の見せ場じゃない」

うんうんと頷きながら言うものの、腕組みしながらうんぞり返って言っても説得力は微塵もない。

 「何がご婦人だ。何が見せ場だ。都合のいいときだけ女を使い分けやがって」

 「文句が多いわね。じゃあこれでどうかしらん?」

 「ん?」

どこから出したのか扇子を両手に持ち――

 「フレー!フレー!ヴォ・ル・フ!」

 「……」

くるくると踊りながら慣れた体裁きでエールを送る。

絶句するヴォルフ。

 「ふっふっふ。あたしだってチアガールをやろうと思えばやれるわけよ」

どこの世界に扇子でエールを送るチアガールがいるのだろうか。

 「元気出たっしょ?あ、そっか。この格好だもんね。やっぱミニスカートじゃないと元気でないかー?」

 「誰がお前のミニスカなんて見て喜ぶgだjhだygでじこ」

 「あー?聞こえんなぁ」

鬼神の笑顔で炸裂するアイアンクロー。

伸ばした爪がこめかみに食い込む。

 「目がぁ…目がぁ…!」

指がちょっと目に入った。

 「自業自得よ」

 「…つーか、お前みたいな男女がミニスカなんて持ってるのかdぃがgだkふじこ」

 「あんたも懲りない男ね」

まったくである。

そーいえば隣の家のお姉さんにも同じことを言われた気がする。

 「ミニスカくらい持ってるわよ。あたしは元チアガール部だもの」

 「……暴力事件で追い出されたけどな」

とアルク。

 「やっぱり…」

爪が食い込んだこめかみを押さえながらつぶやくヴォルフ。

 「おい!そこっ!何がやっぱりなのよ!」

ビシっと男衆を指差すルクス。

 「あっ、あれは向こうが悪いのよっ! あたしのお尻をいきなり触ってきたんだから……」

 「だからといって顎の骨を折ることはないだろうに…」

 「…何をしたんだ?」

とシルバー。

 「応援してた野球チームの客の1人が酔っ払って尻を触ってきたもんだから、ルクスはそこにあった灰皿で殴った。そしたら相手の顎が折れて病院送りになった」

 「恐ろしい娘だぜ…」

シルバーが驚愕する。動く骸骨から恐れられるとは珍しい。

ただ「喧嘩で部活をクビになる」というのはヴォルフ自身も常習犯だったから人のことは言えなかったりする。

今思えば何をあんなに荒れていたのか。

むしゃくしゃして、喧嘩さえできれば理由なんてなんでもよかったのだろうか。

 「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえの過ちというものを」

 「何か言った?」

 「別に。今は反省してるってこと」

 「?」

ルクスが首をかしげる。

これが漫画だったら彼女の頭の上に、はてなマークが浮かんでいただろう。

 「ところでその扇子はなんなんだよ」

 「これはパパがヨコハマで買ってきてくれた東洋のお土産よ」

横浜、ということは日本か。

おそらく港の外国人向けのみやげ物店で売ってたやつだな。

ヴォルフ自身もヒトラー・ユーゲントで来日したときに木刀とヌンチャクを買った記憶がある。

「太陽をイメージしたシンプルな模様が気に入っててね。こーいう質素な芸術を東洋の島国ではカブキっていうのよ」

自信満々に説明する自称考古学部に通う大学生。

それを言うなら「カブキ」ではなく「ワビサビ」である。

ヴォルフは「この女は将来、絶対インチキ学者になるだろう」と予感した。

ムー大陸やアトランティスのようなありもしないおとぎ話の存在を実に非科学的な説明で――――

そこまで思ってヴォルフは気づいてしまった。

自分は今その非科学的でありもしないおとぎ話の世界で、穴堀をしているということに。

 「さあさ!男ども!さっさと働きなさいっ!」

ルクスの明るい声が狭い洞窟に響いた。

 

 

 

 

 

 

 「その槍がロンギヌスの槍…?」

リューシーの動きが膠着する。

 「はい。これは磔にされたイエス・キリストのわき腹を刺したという伝説の槍」

ロンギヌスの槍―――それは死者を蘇らせ永遠の命を与えるという神秘の槍。

だが、その槍はシレナの遺跡にあるはず。

そのために自分はこの国に、この砂漠に来たのだ。

しかしなぜそれがここに?

目の前のジンの女がすでに遺跡から発掘したのだろうか?

いや、それができるはずが・・・。

古代世界では『イスカンダル』と呼ばれていたあの遺跡にかけられた結界――――それはすでに結界というレベルではなかった。

別世界、異次元、冥界と呼ぶにふさわしい呪われた都市。

たとえジンでさえもあそこに進入することはできないだろう。

主の命を守り、神話の時代から侵入者を撃退してきた冥界の門番。”三つ首の番犬”をなんとかできないのだから。

そしてあれがいたからこそ、自分は槍に手の届く一歩手前まであきらめざるを得なかったのだ。

鉄の時代の理を無視し、死者を蘇らせる唯一の手段が目と鼻の先にあったというのに。

はっ、とリューシーは自らが動揺したことを思い出し、我に返る。

何かを疑われただろうか。

ジンは人間の呼吸を読むのに長けている。

呼吸のリズムやわずかな反応で、人間の心を巧みに読み取り、人をだます。

リューシーは視線をアンディにうつす。

だが、アンディはこちらには大して注意を払っていないようだ。

 「―――といいたいところですが、そう言われているだけの代物。実際に本物なのかどうかはわかりません。わたしは鑑定士でもありませんし。しかしあなたも魔法師のはしくれならばわかるでしょう。たとえ歴史的に本物だろうとしても要は」

 「その道具が持つイデアの有無」

 「その通り。肝心なことはイデアなのです」

ビンゴ、と言わんばかりにアンディが人差し指を立てる。

 「一体この世界には何本のロンギヌスの槍があるんでしょうか。歴史的魔法具と本物の魔法具は必ずしも一致しない。魔法師・魔術師の常識ですが、こうも何本もあると何が本物なのか……ともあれ、この槍は霊薬の製造には欠かせないもの。この槍であの女のわき腹を刺し、流れ出た血をこの猫目石の小瓶に入れるのです」

アンディの手のひらに収まる程度の小さい容器。

それに月光が当たると、上質の絹の光沢に例えられる蜂蜜色の石に、白い一本の光条が細くくっきり浮き上がり、まさに猫の眼を思わせる。

 「古来より、この石は「邪眼」として用いられていました。これらの石には悪霊を睨み返し、金縛りにかける力があると言われています。幻想種は死ねば幻想に戻ってしまう。そこでこの猫目石の器でそれを防ごうという。まあそんな仕組みです」

棚には中身の入ってない猫目石の瓶が何十本もある。

見たところ、中身が入っているものはゼロだ。

おそらく別のところに保管してあるに違いない。

それとも…

 「ここにあるのは空き瓶ばかりということは、まさか今から作らないとないとか?」

 「ふふ。心配御無用。あなたへの報酬はちゃんと用意してあります。取らぬ狸の皮算用ということはありません。それに、この容器は材料を補完するためのものであって完成品ではありません」

 「……」

では完成品はどこに?

リューシーの知識ではジンの霊薬の製法などわからない。

人間の魔法師や魔術師が魔力を回復させるための補助食とは根本的な部分からして違うだろう。

おそらく材料やその使用量も規格外なのではないだろうか。

 「・・・ところで、何やら砦の外が騒がしいようですが?」

 「ははぁ。あれはですね。今宵、満月の下で行われる宴の準備です。突然千載一遇の機会が訪れたものですから、慌てて準備させています。まだ時間がかかりますので、しばらく城の中を散歩しててください」

 「はあ。どうも」

外国人である自分に自由に行動して良いのは保安上いささかいい加減すぎなのではないのだろうか。

それともこのジンはそこまで人間を侮っているのだろうか。

たかが人間風情にこの城をどうこうできる力はない。

舐められたものだがかえって好都合ではある。

人間よりはるかに優れた生物であるジンがこの地上の支配者ではない理由がそこにあるのだ。

もっとも彼らの場合は人間に比べて「欲望」というものに関していささか方向性が違う価値観を持っているということも多いのだが。

ところで、外の騒ぎは本当にこのアンドロマケーという城主が、ここで働く人間にとって絶対の存在なのはわかるが、今日の今になって突然宴の準備をさせるという無茶な命令を履行しようとしているだけなのか。

 (――――まさか…ね)

思わず頭をよぎるのが牢屋に閉じ込めたあの連中だった。

あの檻を抜け出す手段はない。

三方は素手では破壊不可能な厚い壁、短時間では地面に穴を掘ることもできないだろう。

そして鉄格子にはアンディのかけた魔術が施されている。

もしも力づくであの鉄格子を開けようとすれば、すぐに術師であるアンディが気づくはずだ。

そうなのだ。

ただの人間があの魔法のかけられた”鉄格子”を破ることは不可能なのだ。

 「ではその辺を散歩させてもらいます。精霊の城の生活にはいろいろ興味がありますので」

 「どうぞご自由に」

アンディは浮かれ気分のままリューシーの方など見向きもしない。

どうやら最大の理由は生け贄の材料が手に入ったことで浮かれているだけのようだ。

リューシーは静かにドアを出て行った。

 

 

 

 

 

 

―――地下牢

カタン、と足音が静かに響く。

「ワン!ワン!」

 「しー、静かにして」

褐色のやわらかい手のひらが番犬の額に触れると、やがて犬の瞳が閉じて緩やかな呼吸に移る。

 「いい子ね。そこで大人しく寝てなさい」

リューシアナッサはさきほどアンディの部下がヴォルフたちから押収した持ち物を持って牢屋にやってきた。

さきほど注意深く下調べをしたときと同じように、ここには警備をする者はいない。

なぜなら鉄格子そのものが魔力を通じたセンサーになっており、アンディの許可なく出ようとすれば、すぐさま脱走が彼女に知られてしまうからだ。

ところが…

 「…なんてこと……」

リューシーは思わず頭痛がした。

壁には大穴が空いていたのである。

見れば壁の厚みは驚くほど薄い。

明らかに手抜き工事だ。

魔力に頼りすぎて肝心な部分を忘れているとは、思ったとおり、この城の主は実にいい加減な性格をしているらしい。

そもそもなぜ鉄格子には魔力を流しているのに、壁には流さなかったのか。

レンガや石の魔力抵抗が高くて流れにくいならそれ相応の仕掛けをすればいいのに。

なまじ人間よりも魔力に優れているために道具の工夫をしない。

自分の力を過信するのは精霊の悪い癖だ。

そこが人間が精霊より優れている数少ない点であるとも言えるが。

さて、せっかく持ってきた荷物は持っていても届けなくては仕方ない。

 「ヒューバ。お願い」

合図とともにリューシーの襟から白い蛇が飛び出した。

リューシーはポケットから青い布を取り出す。

ヘラクレアの街から黙って借りてきた古代神の秘宝「マルスの帯」である。

マルスの帯を拡げ、ヒューバの上にそっとかけ、

 「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。エロイムエッサイム、今は朽ち果てし太古の神々よ、我がもとめに答えよ」

言葉とともに、白蛇は黄金の光に包まれながら、じょじょにその体を変形させていく。

胴体から手足が生え、肩からは肉が盛り上がり、悲鳴のような奇声とともにそれが翼になっていく。

やがてヒューバはぬいぐるみ程度の大きさのオオトカゲとなった。

 「いい? これをあの人たちに届けるのよ」

ルクスのリュックサックを見せる。

中には持ち主以外の持ち物がいろいろ入っている。

ここの牢屋に入れられる前に押収された銃その他の武器だ。

ずっしりとしてかなりの重量がある。

「クェア!」

それより先に、とヒューバが手を差し出す。

かなり知能が高いようだ。

 「え? あ、そうね」

思い出したように懐から干し肉を取り出す。

「クェア?」

がっかりしたようなヒューバの声。

 「ごめんなさい。今はこれしかないの。なんとかどさくさに紛れて取っておいたんだから」

「クェクェ!」

 「好き嫌いしないで!犬の肉だっておいしいのよ。たぶん。さ、いい子だから」

「クェオッ」

激しく首を振るヒューバはその場に胡坐をかいて座り込み、そっぽを向く。

実に態度が悪い。

どうやら抗議のつもりらしい。

リューシーはヒューバの頭をがしっとつかむと、

 「ヒューバ? あんまり我侭言ってると……あなたを食べちゃうわよ?」

特徴的な垂れ目を細くし、妖艶な笑い顔を浮かべ、ぺろり、と舌なめずりをする。

 「蛇って鶏肉みたいな味がするんですって…それともアルコールにつけて蛇酒なんてのもいいかしら…あなた、どっちになりたい?」

「クェワ!???」

リューシーのにっこりとした笑顔と静かな迫力の裏に秘められた言葉にヒューバは直立してすぐさまストライキを解除した。

 「Ok。それでは結界を捻じ曲げます。いきますよ」

リューシーは鉄格子を両手で一本ずつつかむ。

 「はぁ…!!!!!」

静電気のような刺激。

ビリビリと手がしびれたが、褐色の魔法師は気にもせず深い呼吸とともに左右へ拡げていく。

それは異様な光景だった。

大型の機械で鉄骨を捻じ曲げるがごとく、鉄格子は隙間をひらく。

しかしこれは腕力ではない。

これが魔力の力なのだ。

この魔力の通った鉄格子は一種の魔術回路である。

ゆえに回路がつながっていれば変形しても、物体の持つ能力、この場合には鉄という物質に合った強度を保つというものを無視する。

この世を支配する物理の法則を無視し、代わりにこの世から消えてしまった魔力の法則を復活させ、それと入れ替える。

魔法の基本は「法則交換の原理」と呼ばれている。

しかし基本といっても、その基本ですら誰にでもできることではない。

なぜならそれができるモノはとっくの昔、人間が世界の支配者となる以前の時代に滅んでしまったのだから。

 「今よ!」

「クェアッ!」

ずさ袋を持ったヒューバは小さな羽根をバサバサと仰ぎながら、リューシーのこじ開けた結界の中へ進入していく。

手抜き工事の壁穴へ進入したことを確認すると、静かに鉄格子を元に戻し、手を放す。

鉄格子は何事もなかったように元に戻った。

 「頼んだわよキューバ。さって、わたしも次の用を済まさないと」

隠し場所はだいたい検討がつく。

この手の大金持ちが大事なものを保管するところには必ずそれを守っている衛兵がいるのだ。

逆に入れば、見張りがいるところにそれはある。

リューシーは踵を返し、軽い足取りで階段を上がり、次の用に移り始めた。

 

 

 

 

 

 

―――外。

月が辺りを象牙色に変える。

荒れた禿山がまるで宝石のようだ。

ゴリ……ゴリ…

そのうちの一つの人間大の岩が動く。

そこからなにやらモゾモゾした何かが出てきた。

 「お。ここから外に出られるぜ」

 「ふー。ようやく外ねー」

深呼吸するルクス。

誰だってやはり新鮮な空気は気分がいいものだ。

 「で?どーすんだ?」

 「決まってんじゃない。落とし前はきっちりつけてやるのよ。ついでにソフィアさんも救出する」

シルバーの質問にルクスがきっぱりと答えた。

そして『ついで』扱いされたソフィアのことを突っ込むものはいなかった。

 「ところでそのソフィアというのは美人なのか?」

言ったのはシルバーだった。

全員の目が集まる。

 「いいだろ聞いても」

 「美人だと思うわよ」

 「野郎どもよく聞け。必ず我らが姫君を助け出すぞ」

シルバーが拳をぎゅっと握る。

 「…何張り切ってんのよ」

 「しかし助け出すと言っても、彼女がどこに捕まっているのかさえわからないのにどうやって?」

 「心配するな。今夜が儀式の決行日なら場所はわかる」

 「それはどこだ?」

 「山の向こうにある祭壇だろうな。呪いを解く儀式にはあそこが一番だ」

 「どうしてそう思うんだ?」

 「魔術の基本に地脈学というものがある。魔術は自然の力を借りて行う業だから、どこで行うかが肝心になるんだ。神殿というものはそういうことを考えて建てられている」

 「なるほど」

 「だが次の問題として、どうやって侵入するか。そして侵入した後にどうやって救出するかだ。何せ我々には武器がない」

 「魔法の使えない魔法使いはいるけどな」

 「若者よ。人に頼るな。独立心を持て」

 「…。ヘラクレアで雇った連中がいただろ。あいつらの武器を借りれないか?」

 「それは難しいぞヴォルフくん。彼らがどこにいるのかわかるのか?私たちと同じように牢屋に入れられている可能性が高いし、そうならば武器は没収されているはずだ」

 「そっか……」

議論が続く。

何をするにも徒手空拳ではいかんともし難い。

月下の作戦会議が始まって数分後、

「クェエ……」

背後から爬虫類のような声がした。

 「ちょ!」

ぱしんっ、とヴォルフにビンタするルクス。

 「何すんでい!?」

 「変な声出さないでよ!きもちわるい!」

 「俺じゃないぞ!」

 「じゃあ誰よ!」

 「誰よって・・・うおっ!?」

ヴォルフが驚いて飛びのく。

そこにはぬいぐるみ程度のオオトカゲがいた。

ただのトカゲではない。

羽が生えているという珍獣であった。

 「驚いたな。これは竜種の幻想種だ」

シルバーが言った。ヴォルフは納得したように、

「やっぱり普通の生き物じゃねぇよな。羽の生えているトカゲなんて」

 「竜種ってのは幻想種の中でも最強の力と食欲を持った種族で、受肉した形を維持するだけですごく魔力を消費する。燃費の悪さじゃこいつらに匹敵するものはいない」

 「…さりげなく説明というよりは悪口のような…」

ヴォルフはトカゲを捕まえて、

 「おいトカゲ。お前のご主人はどこだ?ん? なんだこれ?」

 「あ、それあたしのバッグ!!」

 「一緒に他の連中のものも入ってるな」

 「あんた、これをあたしたちに届けてくれたの?」

「クェッ!」

こくん、と首を縦に振る。

 「ありがと。でもあんた誰?」

「クェッ!」

  「…何を言っているのかさっぱりわからん」

「クェッ、クェッ」

トカゲは起用にも二本足で立ったと思ったら、首をかしげながら手を広げるポーズを取った。

そのあと足許がふらふらとして倒れそうになるが踏ん張る。

どうやら何かのジェスチャーのようだ。

 「えーと、酔拳?」

「クェッ!」

違うっ!と首を振る。

ここまで知能が高いなら文字くらい書けそうな気がするが、何せ相手はトカゲである。

 「難しいわねー 酔っ払いってのはわかるけど。何をそんなにふらふらしてるのよあんたは?」

酔っ払いという単語にクビを振る。

じゃあなんなんだ、とルクス。

 「リューシーさんか?リューシーさんがこれを届けろって言ったのか?」

 「え?」

「クェッ!」

ヴォルフの答えにビンゴ!と言わんばかりに両手を万歳して手を上げるトカゲ。

 「そうか。やっぱり何かわけがあったんだな」

 「だからってどうしてすぐに信用しちゃうのかなぁ。もしかしたらこれも何かの罠かもしれないわよ」

 「罠でも何もないよりはマシだ」

散弾銃を手に取り、状態を確認する。

弾は入ったままで、特に細工はしていない。

ジン相手にこんなものがどこまで有効かどうかはわからないが。

 「ま、こんなんであたしが信用すると思ったら大間違いだけど………たしかにないよりマシね。で、本人はどこにいるわけ?あんたを使いにしたくらいなら本人は向こう側にいるんだろうけど」

「クェッー?」

両手を広げて首をかしげる。

わかんねぇよ、という意味のようだ。

 「ま、いいや。ん?おい、あれ」

ヴォルフが見下ろした先には、整えられた道路を進む馬車が一両。

馬車といっては御幣がある。荷台をロバが引いているだけだ。

 「決まりね」

何が決まったのであろうか。ルクスはそう言い切った。

 

 

 

――――――。

古来より、月は人間を狂気に引き込むと考えられた。

英語で"ルナティック(lunatic)"とは、気が狂っていることを意味する。

満月の夜に殺人や交通事故が多いのは都市伝説のようであって、その因果関係は証明されていないが実は統計上の数字がそれを証明している。

だが、月の光が人を狂わせるとして、その光は太陽の光を反射しているに過ぎず、月が独自に発光しているという事実が確認されたことはない。

また月の引力が人体に影響を与えるという説も、引力の変化はわずか数グラムという変化しかもたらさないことからも、引力が原因で何が変わるというのかを証明できない。

しかしなぜだろうか、人は月の光の神秘的な雰囲気に何かを感じる。

おお、暗く光届かぬ闇の空に光り輝く黄金のなんと見事なものよ。

今夜のような月の光が人を狂わせるのだろうか。

かすかに歌が聞こえる。

山に囲まれた神殿は炎が見える。

あともうすぐで到着だ。

男は馬車の御者だった。

おぼろげに覚えているのは遠い記憶。

なぜかもうずっと長い夢を見ているような気がする。

まるで一日が数年、数十年、否――百年以上の気の遠くなるほど長い時を刻んでいるような気がする。

一体いつから自分はここにいるのか、どうも思い出せない・・・。

頭にもやがかかっている。

そもそも自分は海の男ではなかったのだろうか。

海。地平線までずっと水で覆われた母なる海。

何人たりとも制することができない海。。

行くとき、行けば、どこにだっていける。

そこに非情な役人や地主はいない。

不条理で不公平で残酷極まる戒律も法もなく、自分だけが自分の主人なのだ。

だが、――――そこにいたはずなのに、なぜ自分はこんな砂漠にいるのだろうか。

おっといけない、危うく寝ぼけているところだった。

最近こうやって自分が何者なのかをふと考え込んでしまうことがある。

何か大切なことを思い出せそうで思い出せない。

海だと? まったくそんなものは見たこともないはずなのだ。

大麻のやりすぎだろうか。自重しなければ。

余計なことは考えるべきではない。いま大切なのは酋長の命を完遂すること。

この荷台に乗っている聖油を届けることである。

今夜は神聖な儀式なのだから聖なる火を絶やさないためにはこの聖油が必ず必要なのである。

「――――――ん?」

いま、右の方に何かがいたような。

目をゴシゴシしてもう一度見てみる。

――――いない。

見間違いかと思い前を向くとやはり誰かいる。

…誰か?

 「ハーイ♪」

突然女の声。

「お、おまえら!御館様が言ってた外国人だな!なぜこんなところに…!」

 「なんででしょう?」

女は満面の笑みを浮かべる。

後ろから強烈な打撃を食らい、そこで彼の意識は遠のいた。

 「やり方が強引ね。美学が感じられないわ」

 「うっせぇ。この非常時にそんなこと言ってられるか」

ヴォルフが馬子まごをどかそうとすると、彼が骸骨になっていることに気づいた。

 「またか。どーいうことかわかるかシルバー?」

 「こいつは最初から死んでる。ジンが死体を操って無理やり奴隷にしていただけだ」

 「死体を操る術か…なんてことを」

アルクが胸で十字を切って哀悼の祈りをささげる。

呪われた呪術によって彼らは死しても魂は天に昇ることを許されないのだ。

 「幸いなことに、術が手抜きで、何かのショックがあると効果が切れるようだな。この程度で解ける術なら術者の負担も軽くて済む」

 「他の連中も同じなら勝機はあるということか」

 「かもな。だが、力ずくってのは難しいぞ。何せ周りのゾンビどもは貧弱でも、ジンの腕力は人間とは比べ物にならないほど強力だからな」

 「それはわかってるよ。さっき勝負して負けたばかりだからな」

勝負、というレベルでもなかった。

こちらが全力でも、ジンにとっては子供相手の遊びのようなものなのだから。

 「いいか。ジンとまともに戦うなんて考えるな。相手はゴリラかオランウータン並の腕力を持っているんだ。人間の手足をボロ雑巾みたいに引きちぎれる。それでいて知能を持っている。接近戦では人間の手に負える相手じゃない」

 「わかってるよ。姉さんを助けて逃げるのを優先する」

 「ところで君たち。どうやって行くんだ?」

ベレンナが言った。

 「幸いなことに荷台に隠れる場所があるわ」

ルクスがふふんと鼻を鳴らして親指で荷台を指す。

荷台には大人1人が入れそうな大きなの壷が十個近くあった

 「こんな古典的な作戦とは…あまりに古典的な」

ベレンナがあっけにとられた感想を述べる。

 「木馬作戦ってのはいいアイデアでしょ」

 「たしか千一夜物語に壺に隠れた盗賊団が最後は煮えたぎった油で焼き殺される話があったな……」

 「物騒なことを言わないでよ」

 「おいお前ら。余計なおしゃべりしている時間はないんだぞ」

死体から剥ぎ取ったローブを着込んだヴォルフが小さく怒鳴る。

彼らが襲ったのは油の入った坪を運んでいた馬車だった。

 「聖油を燃やすのはどこの文明でもやるポピュラーな儀式なのよね。古代ギリシャではバジルやニンニクを漬けたオリーブオイルを燃やして神のささげモノにしてたの。たぶんこれはその燃料にするのよ」

 「よし。俺とアルクが姐さんを助ける。ルクス、お前はベレンナと馬車で壁の向こう側に待っててくれ。あそこに生えてる木を目印にしよう。わかったな?」

 「嫌よ。あたしがいくわ」

 「ダメだ」

 「なんでよ」

 「危険な仕事は男の仕事だ」

 「はっ! それを聞いたら余計に嫌になったわね。意地でも言うこと聞くものですか」

 「いいからお前は残ってろ」

 「嫌よ」

 「危ないから言ってるんだぞ!てめぇ、いい加減に…!」

ヴォルフの目の前にリボルバーの銃口が出現した。

 「――――どう?アルクよりもあたしの方が銃の扱いはよっぽどうまいのよ。もちろんあんたよりもね」

 「くっ…」

たしかに今のは実に鮮やかな早撃ち(クイック・ドロー)だった。

油断していたとはいえ、一般兵とはいえ仮にもプロの軍人相手にこの手業。

只者ではない。

 「…アルク。お前からも何か言ってやってくれ」

 「ルクス。無理はするなよ。危なくなったら逃げるんだ」

 「おい…」

 「こーいうときの彼女には何を言っても無駄だ。あまりルクスを追い詰めると一人で勝手に動くぞ」

 「さっすが親友。あたしの性格がよくわかってらっしゃる」

 「長い付き合いだからね……」

半ば諦めたようにアルクが言った。

アルク・フェルナンデスがアフリカまではるばる来たのがルクス・フランクリンを心配してのことなのに、それを断念させるとは。

おそらく相当苦労してきたのだろう。

何ゆえこの男はこんな女に・・・いや、個人の恋愛にあーだこーだ言っても始まらない。

 「――――ルクス。わかったからとりあえず銃を向けるのはやめてくれ。一応仲間だろ」

 「あらごめんさーい。あんたみたいな分からず屋と話すときにこれやるとなぜか話がスムーズに行くんでよく使うのよ。うふ♪」

コルト社製のリボルバー拳銃を片手にぶりっこのポーズを取る。

彼女の先祖はこのようにして先住民から彼らの土地と平和を奪ってきたわけか。

それにしても「平和製造機」とは皮肉なネーミングにもほどがある。

 「…ったく、銃で解決しないことがあるってことも覚えた方がいいぞ」

 「たいていのことは銃で解決するってことも覚えておいた方がいいんじゃない。たとえばこれからのこととか」

 「…今どきの女は怖いな。俺が生身だった頃にはあそこまで酷いのはいなかった」

百年前の米国人が骨だけになりながら胸で十字を切る。

この骨は一応はカトリックらしい。

 「酷いとはお言葉ね銀ちゃん。今は男女平等の時代なのよ」

 「…古き良き時代よさらば、か。それはいいが、ジン相手に銃は利かないぞ。ヤツらの耐久力は人間とは比べ物にならない」

 「これは護身用具。コンドームと同じ。本命はこちら」

ルクスは一本の棒を取り出した。

長さ16.5センチ、直径2.5センチ。どこかで見た例のアレだ。まだ持ってたのか。

 「いくらジンでもこいつを食らったらどうかしらね、ふふ?」

ルクスはにっこりと笑った。

とても邪悪な眼をした天使のような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

祭壇の場所は周りを壁で囲まれている。

かなり古い壁だ。

シルバーの話によれば、この城がジンに乗っ取られてからまだ一世紀と半しか経っていない。

とするならば、これを作ったのはその前の、そのまた前の前の前の・・・とどのつまり、大昔の主ということだ。

今は朽ち果てつつあるヒビだらけの柱が何本も立っており、神話の怪物、それと戦う英雄、あるいは神とあがめて従う人々など、何かしらの物語を思わせる絵が彫られている。

ここはかつて巨大な寺院だったのだ。

ここで行われた儀式は彼らにとっては神聖なもので、身分の低い者がうかつに入ったりできなかったのだ。

あるいはこの壁を作ることで神官たちが自身らの聖域―――法律が許す特権階級という意味で――を形作っていたのかもしれない。

稲妻にさえおびえる時代の人々は、20世紀の人間から見れば悪魔崇拝にも似た儀式を行っていたのだろう。

―――――そしてそれは目の前で行われつつあるのだ。

「止まれ」

唯一の出口を見張っていた衛兵が検問をかける。

「積荷はなんだ?」

「これは聖油です」

「ああ、聞いてる。早くしろ。もう始まってしまっているからな」

「お仕事ご苦労様です」

ローブを深くかぶった馬子(まご)がお辞儀する。

衛兵は返事はおろか、こちらを見ようともしない。

かなり手抜きな検問だ。

好都合だが、生真面目なドイツ人である馬子にはこの衛兵のいい加減な態度がなんともやりきれない気持ちになる。

「…始まっちまってるらしいな」

ヴォルフはかぶっていたフードを解いて後ろに声をかける。

安全だ、という合図だ。

「かえって好都合よ。おかげでアンディがどこにいるのかわかるじゃない。ついでにソフィアさんもね。きっと同じ場所にいるわ」

ツボから少女が顔を出した。

それを確認したのか次々とツボから顔が出てくる。

「アルク、ベレンナ、シルバーはこのまま正門を出てくれ。お前らが正門から出て行ったのを確認してから5分後に行動を起こす。できるな」

「ああ。それはいいが、お前はどうやってソフィアさんを助ける気だ?」

「正面突破あるのみ」

散弾銃を片手にヴォルフ。

「もう少し頭使いましょうよ」

ルクスが呆れた声を上げる。

「だが、実際に姉さんがいるのはあそこだぞ」

ヴォルフが指差す。

松明が炎炎と明るい。

特別に作られた舞台があり、大勢のアラブ人たちがそこに終結している。

詠唱のハーモニーがここまで聞こえる。

が、その声に生気はない。

「まるで公開処刑だ。あそこまで堂々とされてちゃ小細工の仕様がない。時間もないし」

「だからちょい待ちって!そのまま出てってもとっ捕まるだけよ。せめてもう一工夫」

「いいアイデアでもあるのか」

「あたしが囮になってあげる。あんたはアンディがこっちに注意してる間に裏から回ってソフィアさんを助けなさい。それくらいの時間は作ってあげるわ」

ヴォルフはその提案に首を振った。

「――――――ダメだ。それじゃお前が有無を言わさず殺されるだけだぞ」

「有無を言わさずってのはどうかしらね。いい?あいつは殺そうと思えばあたしたちを殺せた。でも散々からかった挙句殺さなかった。つまり、あたしたちの存在はアイツにとっては「遊び」なのよ。からかってたいじめっ子が反抗してきたらいじめっ子はどうすると思う?」

「――――またからかうってわけか」

「正解。楽しくてしょうがないわけよ」

「だがそんなうまくいくかよ」

「行くわよ、絶対」

「なんでそう言い切れる?」

「だってあたしがいじめっ子だったもの。子供の頃はよくアルクを虐めて楽しんでたものよ。いじめっ子の心理はよく理解してるわ」

「―――――」

おほほほ、と高笑いしながらこんなことを平気で言う女にあの男はどこまでも忠実に従っているというわけか。

当の本人はその場からなんとか逃げたいと思っているような恥ずかしさで下を向いている。

ヴォルフはだんだんアルクが哀れに思えてきた。

きっと幼少より躾けられてもはや「ご主人様」なしの生活は考えられないのだろう。

『恋は人を奴隷にする』とどこぞの哲学者が言っていたが、当たらずとも遠からずと言ったところである。

「それじゃさくさくいくわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――う・・・ん? な、なんだ?ここは!?」

目を覚ましたソフィアは自分の体が縄で縛られていることを悟る。

周りには大勢のアラブ人が何か詠唱を唱えている。

その瞳に光は無かった。

彼らは明らかに自分の意思ではない何か別のものに操られている。

だが、そんなことがわかっても身動き一つ取れない。

「くそっ!ほどけない!」

「ようやく目が覚めましたか」

「お前は――――――」

目の前ににやりとしているアンディを見つけてソフィアはすべてを悟った。

「くっ、眠り薬とは古典的なトラップを」

「・・・いえ、あなたはたんに酒に酔って寝てしまっただけです」

やや誤解があったが、似たようなものであった。

「それでわたしをどうするつもりだ?こんなわけのわからんところで・・・」

周りには松明の火が燃え盛り、ソフィアたちを取り囲む。

 

「彼らはあなたを見るためにこの宴を用意してくれたのですよ」

アンディは四股を拘束されて動けないソフィアの顎をつかむ。

ソフィアにできることは相手をにらむことだけだった。

「そうか。どうりで。…そんな頭蓋骨をかぶったキチガイの治める城だ。住人もまともなヤツはいまい。死人の臭いで充満してるからな」

「鼻が利くのですね。それに度胸もいい。しかしあなたは自分の立場がわかっていない」

「わかってるさ。だから笑ってやるんだ。こんな砂漠の僻地でいきがる悪趣味な性悪女め。殺すならさっさと殺ったらどうだ?」

「勘違いなさらないで。あなたを殺しては何の意味もない」

「じゃあ開放してもらおうか。まだ酒が抜けきってなくて頭がくらくらする」

「――――――では頭がすっきりする飲み物を差し上げましょう」

アンディの隣の従者が器を手渡す。

中には異様に赤い汁が入っていた。

 

 

「ふふ、さあ―――――、これですっきりしますよ」

「ふ、ふぐぅ…!」

アンディはソフィアの鼻をつまんで無理やり赤い液体を口の中に流し込む。

口の中に入ったら、手で口を押さえ、無理やり喉を通させる。

――――――辛い!

――――――喉が焼ける!

しかも気管に入ったのか涙目でむせ、鼻から液体が垂れていた。

怪しげな呪文を唱えながら燃え盛る炎をバックにほぼすべての液体を飲ませ終える。

「――――――げほっ!げほっ!な、何を飲ませた…げふぅ、の、喉が・・・焼ける…ッ――――う、ぅぅう…うぉあぁああああ……っっ!!」

苦しむソフィア。

体が暴れるが、拘束具がそれを許さない。

アンディは何かの呪文を唱え、周りに集まった群集はアンディが手に持った槍を掲げるのに合わせて歓声を上げる。

「この良き夜!我らの主人たる魔人がついに正気を戻されるッ!」

「―――――ま、魔人…だと?」

「百年前、外国の軍隊がこの地を侵略し、我らを皆殺しにしようと攻めて来た!そのとき、諸君らはわたしと共に戦ったっ!

苦しい戦いだったが、我らの魔人によって勝利がもたらされたッ!―――だが! 異教徒の1人が魔人に呪いをかけた!狂気の呪いを!

それ以来、彼は我を無くし、この地へ幽閉せざるを得なかった!だが、神(アラー)は我らを見捨てなかった!これを見よ!」

アンディはソフィアの髪ぐいっ、とつかみ、不遜な態度とは反対に子供を安心させるような優しい声で囁く。

「ぐっ…!」

「人間の肉体に閉じ込められてさぞかし、実に不愉快だったでしょう。穢れた肉体を脱ぎ捨て魂を解放してさしあげましょう」

「何を―――――ぐっ」

一瞬、世界が白くなった。

その次に、ソフィアが感じたのは激しい嘔吐感。

目の前が突然真っ暗になり、ぐらりとゆっくり世界が回る。

まるで「ムンクの叫び」みたいな状態だ。

白い壁に得体の知れない絵柄が浮かぶ。

人や周囲の物体が歪み、周囲のざわめきに合わせてそれがゆれたり流れたりする。

この全身を撫で回すすくぐったい感覚と熱っぽさはなんだろう。

筋肉の軽い痙攣、呼吸も荒い。

何かをしゃべっている自分がそこにいる。

しゃべっているのか考えているだけなのか。

よくわからない。

何を言っているのか、内容が理解できない。

理解できるものか。

もどかしさとせつなさが精神を襲う。

この感覚を文字にするならばそれは――――――、「言葉の下痢」だった。

堤防が決壊したダムのように、ただひたすら単語が流れる。

どこかで聞いた言葉であるはずなのに、さっぱりわからない。

ああ、頭がおかしくなっているのか。

精神が異化する。

――――――壊したい。

――――――むかつく。

――――――何もかも。

――――――いらいらする。

言葉が意味を成さなくなったあと、彼女の中に残ったものは、しいて言葉にするならば「怒り」だった。

衝動的で他律的な怒り。

意味もなく非痛感が強くなり、ひたすらに消えたいと望む心。

それは不幸である。

理屈では説明できない無力感。

なぜここに存在しているのかという絶望。

―――――怒り。

――――――――――怒り。

―――――怒りが支配する。

このまま感情になってしまえば楽なのに。

―――――理性。

それは物事を理解する力。

絶望を理解してしまう力。

だから悲しくなる。

悲しいならなければいい。

―――――。

―――――消えてしまえ。

―――――消えてしまえ。

何もかも。

世界が見えなくなった。

もはや目で見える風景は耳で聞く音と区別がつかない。

気が付いたとき、彼女は叫んでいた。

正確には叫んでいた自分に気が付いた。

不思議なことに、叫んでいるのに何も聞こえない。

それは心の咆哮である。

人と獣の違いが理性だとするならば、理性なき人は獣である。

ああ――――――、そうか。

わたしは叫んでいたと思っていたのに気が付いたのか。

心が生み出す幻想。

幻想が現実と区別がつかなくなる。

現実の世界に生きる幻想。

幻想が具体化する。

ありえない世界の住人がありえる世界の住人となる。

それは、―――――――――幻想種と呼ばれる種族である。

「――――――」

数分が経った。

ぐったりとしたソフィアは焦点の合わないうつろな瞳でぶつぶつと何かを言っている。

声が小さいことと、そもそも頭に浮かんだ単語を無秩序に声にしているだけということもあって、何を言っているのかわからない。

「だいぶ、薬が回ってきたようですね」

アンディが槍を天高く掲げると、それを合図に一斉に歓声があがる。

血の雄たけび。

まるでアステカに存在した人身御供の儀式のごとく。

屈強な体つきをした召使が滑車を力強く引く。

するとソフィアを縛った縄が引っ張られ、彼女の身体がじょじょに高く上がっていた。

まるで旗のように掲げられる。

次に侍女たちが用意していた壷を取り出した。

中身は空だった。

これは「あるもの」を入れる容器なのだから当然だ。

「――――――いざっ!」

アンディが槍を突き刺そうとする。

「―――!!」

そのとき、槍に蔓が巻きついた。

アンディが驚いてそっちを向く。

「きゃっ、大成功!」

群集に割って入ってきて先頭まで来た女が場に合わぬ弾んだ声を上げて喜んでいる。

「お前はッ!?」

「こーんばんわ女王様」

不敵に笑う少女。

帽子、ショルダーバッグ、皮のローブ、鞭。

明らかにこの場に似つかわしくない井出たちだ。

しかし亡者たちは当初ルクスの存在すら気づかなかった。

というか、ただの操り人形である彼らにそのような意志が備わっていなかった。

命令なしには動けず、命令があっても複雑な命令は理解することすらできないのだ。

そんなわけで堂々と先頭まで進んできたわけだが――――

ルクスが放った父親仕込みの鞭が槍にからみついてその自由を奪う。

とっさにアンディは槍を引っ張り上げた。

大の男を軽々投げ飛ばす怪力の持ち主である。

娘の1人くらい軽く持ち上げられる。

「おっと!」

アンディがジン特有の怪力でルクスを引っ張り上げようとしたが、それを読んでいたルクスはパッ、と手を離した。

バランスを崩したアンディは自らの勢いで後ろにのけぞる。

「ビンゴぉッ!」

そこを思いっきり引っ張るルクス。

「―――ああっ!??」

アンディは派手にずっこけた上に槍を手放してしまった。

槍は持ち主を失い宙を彷徨う。

「へっへ〜〜!こいつがなけりゃ儀式とやらもできないわよねー?」

ぱしっ、槍をチャッチしてにっこりと勝利の笑みを浮かべる。

「お、おのれ!」

屈辱。

人間ごときに負けることはあってはならない。

ジンは頭に来たようで、叩きつけるような視線をルクスにぶつける。

するとルクスがアンディに銃口を向けてきた。

「おろかな。そんなおもちゃでジンが倒せると思っているのですか?」

「試してみる?」

「どうぞ」

「それじゃお言葉に甘えて」

銃声が響く。

ルクスはまったく躊躇せずに引き金を引いた。

カキン!

金属同士がぶつかるような特有の高い音。

アンディは腕を大きく振って弾を弾き飛ばしていた。

「ちっ!化け物め!」

「だから言ったでしょう?そんなものではジンは倒せないと」

恐るべし動体視力と鋼の豪腕である。

この至近距離で放たれた散弾銃を素手で弾き飛ばすなど、化け物以外の何者でもない。

あの腕は最強の矛であり、最強の盾なのだ。

そして相手はそのふたつを電撃的な反射スピードで用いることができる。

「それで終わりですか?ふふふ―――――うわっ!」

どたん!と重い音が響きアンディが吹き飛んだ。

圧倒的な力の差を見せ付けようとしたジンは何が起こったのかわからず体は宙を舞っていた。

「ナイス!」

ヴォルフの狙った弾がアンディを吹き飛ばしたのだ。

たとえダメージは期待できなくても、油断していた相手を吹き飛ばすことはできる。

それに加えて密戦でのトレンチガン。

これほど心強いものはない。

じゃこん!

ヴォルフは再び充填をすると、座上のソフィアを拘束していた木の杭をショットガンで吹っ飛ばした。

怪我をしているのか、ソフィアは動けないようだった。

「おい、しっかりしろ!」

「ぅぅ…」

ぐったりしている。

反応がおかしい。

何か薬をかがされたのだろうか。

「ちょっと乱暴だけど、我慢してくれよ!」

ヴォルフは力ずくでソフィアを持ち上げてその場から離れる。

「もういいぞ!ルクスはやく来い!」

「わかってるわよ!」

周りは亡者たちに囲まれている。

彼らは銃こそ持っていないが、鎌や円月刀などを持ってこちらに迫ってくる。

槍を振り回して威嚇するルクス。

亡者たちにとってこの槍はそれほど恐ろしいのだろうか。

いや、ただ単に刃物を振り回しているから危ないだけか。

槍を放り投げ、拳銃の弾を連発して発射する。

亡者の向こう側にアンディの姿を捉える。

やはりショットガンでは倒しきれない。

ずんずんとこちらに迫ってくる。

「こいつならどうかしら!?」

ルクスはダイナマイトに火をつけてアンディのいる方向に投げつけた。

同時に逆方向へ鞭を放つ。

頭上の梁に絡み、ぐっと引きながら自らも地面を蹴ってジャンプする。

投げつけたダイナマイトのすさまじい爆発で亡者たちが吹き飛ぶ。

アンディも爆発に巻き込まれたに違いない。

器用なもので、まるで空中サーカスのように空を舞い、亡者たちの1人を踏み台にして頭上を飛び越えた。

「この壁を越えればアルクたちが待ってる。聞いてるか姉さん?」

「ぁ、ぅぅ…」

ヴォルフの言葉に反応するソフィア。

一応意識はあるようだが、呂律が回っていない。

「ルクス!来い!」

ヴォルフはその場にしゃがんで自らを足場にした。

右肩にはソフィアがおり、空いている左肩を足場にしてルクスがよじ登る。

「さあ!ソフィアさんをこっちに!」

声の主はアルクだった。

塀であらかじめ待っていたアルクはルクスと二人がかりでソフィアの体を引っ張り上げる。

ヴォルフはショットガンに弾を装填し、哀れな動く死体に容赦なく弾丸を浴びせる。

どたん、と重たい音がして亡者の1人が吹き飛び、その下敷きになって何人かの亡者が呪いが解けた本来の姿に戻った。

「いいわ!あんたも来なさい!」

ソフィアを引っ張り上げたことを確認すると、ヴォルフは最後の一発を撃ち尽くしたあとで塀を登る。

全員が荷台に乗ったことを確認すると、

「いいぞ!出してくれ」

ルクスが乗り込み、ベレンナは馬車を走らせた。

鮮やかにして大胆極まりない強襲による人質奪還作戦は意外なほど簡単に成功した。

「こんな上手くいくとはな」

アルクが安堵のため息をつく。

「だから大丈夫だって言ったでしょ。為せば成るわけよ」

そのとき、稲妻が落ちたような雷撃音が響く。

建物ほどもある巨大な木製の扉が砕け散り、ジンたちの守護神にしてこの城の真の主が姿を現した。

「――――――な、なんだ!?」

ヴォルフは目を疑った。

そこには山のような巨人がいたからだ。

 

 

 

「――――――――グルルルオオオオオン!!」

咆哮で周りの空気が震える。

ソレは、建物の2階に匹敵する高さの巨人だった。

巨大な赤い悪魔は大きな角を生やし、その顔は人のようで人にあらず。

燃える炎のような赤い毛皮とそこから見える赤銅色の肌。

恐ろしいほどの膂力が伺える巨大な四股。

羊の角を生やし、大猿と狼と足したような凶暴な面構え。

恐怖と暴力を具現化したような化けもの。

見れば尾が生えているが、それは尻尾というよりは燃え盛る火の精霊。

理性というものが感じられない赤い瞳に映っているのはなんであろうか。

生け贄などと美化するのは間違っている。

生け贄というのがこの赤いな悪魔の餌となることならば、それは生け贄ではなくただの食事だ。

魔人がこちらを向いた。

かなり距離があるはずなのに、その視線は明らかにこっちを向いている。

ヴォルフは彼の目が自分の瞳を見ていることに気づく。

目が合ったのだ。

せっかくのご馳走を盗まれた、とでも思っているのだろうか。

「オオオオオオオオオン―――――!」

魔人は自らの胸をドラムのように叩いて月に吠えると、まっすぐにこちらに向かって前進し始めた。

「…やばい。こっちに来るぞ!」

まるで重戦車のように、魔人は障害物を簡単に破壊してまっすぐこちらに来た。

「ぅぅ…」

ソフィアが呻いた。

「姉さん?」

―――頭の中で烏が鳴く。

―――やめろ!

―――そんなことはやめてくれ。

「おい、しっかりしろ」

―――頭蓋骨の裏側から烏がコツコツと叩く。

―――やめろと言っている!

 「ウォォォオオオオッッッ!!!!!」

「ひぃっ!?」

「な、なななななな、何よこれ!!」

「ね、姉さん!!」

ソフィアの顔が変形した。

犬歯が異常に伸び、頭部の骨格そのものが肉食獣のように変わっていく。

―――もういやだ!

―――何かもかもが嫌だ!消えてしまえ!消えてしまえ!消えてしまえ!

―――壊したい、壊したい、壊したい

―――心の奥底から自然と湧き上がる破壊衝動が押さえきれない。

―――目の前が真っ赤になる。

―――何かがそこにいる。

―――何を話している。

―――化け物めッッ!!

「姉さん!暴れるな!」

―――離せ化け物めッ!わたしに手を触れるなッ!

「ちょっとヴォルフ!この人なんなの!か、顔が…」

「わかってる!いいから体を押さえろッ!」

―――離せ離せ離せ離せ!!!

「げっ!!」

「今度は何…げっ!!」

ヴォルフが振り向くとそこには巨大な魔人がいた。

わずかな時間でもう目と鼻の先まで迫っていた。

一歩歩く度に地震のような地鳴り。

「相変わらず狂ってやがる。きっと幻覚を見て暴れてるんだぜ。迷惑な患者だ」

シルバーが無責任にもそんなことを言った。

「お前がそうしたんだろうが…」

ヴォルフは押さえている手に違和感を覚えた。

何か毛のようなものを感じる。

獣の毛のような・・・

「ね、姉さん…」

ありえないものを見た。

それはもはや自分の知っているあの女(ひと)ではなく、―――――― 1匹のケダモノだった。

 「ウォォォオオオオ――――ッッ!!!」

ケダモノが咆哮する。

地震の前兆を思わせた。体の内と外から同時にエネルギーが注ぎ込まれているかのような、とてつもないエネルギーを内包した震えだった。

ケダモノは押さえていたヴォルフを弾き飛ばす。

なんという力だろう。

そして――――目に見えて体が大きくなっていく。

全身に毛が生えたソフィアはまるで――――

「人狼(ヴェア・ヴォルフ)……ッ!!この女は人狼だったのか!!」

シルバーが叫ぶ。

人狼というのはいわゆる狼男のことである。

欧州では古代より伝わる人間に近い幻想種であり、吸血鬼などとも同一視されてきた。

このサハラ砂漠の精霊がジンであるなら、それに対するゲルマニアの森の精霊がこのヴェア・ヴォルフである。

顔つきは狼のそれ。

うっすらと人間だった頃の面影を残しつつあるも、身長は2mを越えて筋骨隆々とした二歩足の狼はもはやソフィアではなかった。

なんということだ。

ヴォルフは愕然とした。

ここ数日でとんでもないことばかり起きている。

だが――――、その中でこれほどショックなことはない。

「オオオオオオオォォォォッッッ!!!!!!!!」

必然なのか本能なのか。

イフリートが追いかけてくる。

狂ったように雄たけびを上げ、空気を捻じ曲げそうな轟音がヴォルフを正気に戻す。

そうだ。今は思考停止している場合ではない。

どんなにありえないことが起きようとも、目で見たそれは現実なのだ。

現実逃避している余裕はない。すべてを受け止めなくてはいけない。

イフリートの体が真っ赤に燃える。

あの体毛の一本一本が灼熱の炎と化す。

あれは炎の精霊。意志を持った炎なのだ。

「こ、こら…っ!」

炎の熱に驚いたロバがいきなり転倒した。

勢いが止められない馬車は石に躓き派手にひっくり返る。

イフリートの炎が馬車を包み、荷台が延焼する。

宙に投げ出されたヴォルフはゴロゴロと転がって衝撃を和らげた。

「大丈夫かみんな!?」

すくっと立ち上がるが、他の連中の姿が見えない。

「―――オオオオンッッ!!!」

目の前にいたのはソフィアだった。

爪でそこらの岩石をガリガリと引っかくと火花が散る。

この辺りの岩石には鉄が多く含まれているようだ。

焼けた鉄の臭いが香る。

見れば爪が青く光っていた。

青紫に光る爪―――それはまるで光線か何かで作られた魔法の剣のように見える。

イフリートが焼け付く息を吐いた。

「うっ・・・!」

ヴォルフがとっさに手で顔を覆う。

そんなことで防げるはずはない。

逃げ遅れたものはただ蒸発するしかない。

だがヴォルフの体は無事に残っていた。

ソフィアが空を裂くと、イフリートの吐いた焼け付く息は2つに分かれて発散する。

魔人イフリート人狼ヴェア・ヴォルフが対峙してにらみ合う。

互いが互いの存在を許せないのか、両者は一触即発の状態だった。

そして先にソフィアが動く。

黒い人狼がイフリートに向かって飛び出した。

「まさか真正面から戦う気か!?」

ヴォルフが叫ぶ。

比較にならない絶望的な体格差だ。

勝てるわけがない。

だが、ソフィアは超人的な跳躍を見せる。

一体何メートル飛んだというのだ。

彼女もまた化け物なのだ。

これは化け物同士の殺し合いであり、人間の常識では計り知れない。

二階の建物にも一足飛びできそうなほどの脚力でイフリートの顔面に迫り、

「ウオオオオオォォッッ!」

思い切り爪で引っかいた。

一掻き、二掻き、三掻きッ!

滞空時間が長い。

左右から連打された爪がイフリートの肉を切り裂き、溶岩のような血液が空から注ぐ。

悲鳴とも怒りともわからないイフリートの咆哮。

イフリートは体に似合わず動きが素早い。

人間相手ならばすぐに捕まえていただろう。

だが相手は人狼である。

熊のような大きさの狼が二本足で駆け巡るその速さはチーター並だ。

おまけにフェイントを駆使し、イフリートが反撃しにくい死角へ死角へと回る。

イフリートが足許のソフィアを踏み潰そうとすれば、ソフィアはイフリートが足を上げた瞬間にはもう一方の足へと踏み込む。

疾風のように駆け抜け、蒼い奇跡しか見えない爪の一撃がイフリートの足を削る。

あの爪はただの爪ではないのだ。

あれは、幻想種を幻想に戻すための武器。

受肉した肉体を物理的に削りその再生に魔力を使わせることで間接的に魔力を削るのではなく、魔力、すなわち幻想種の存在そのものを殺すことができる魔法の武器なのだ。

だがやはり見ていて分が悪い。

気のせいではなく、明らかにソフィアのスピードが落ちている。

わずかだが反応が遅れてきている。

いや、相手の反応が早くなってきたのだ。

野生動物並の超スピードで相手を翻弄しようとも、長く続けば見切られてしまう。

イフリートもただのでくの坊ではないのだ。

それにイフリートはソフィアの攻撃を何度も食らっているが、なかなか倒れそうにない。

逆にソフィアはイフリートの攻撃を食らったらお仕舞いだろう。

これは非常に分の悪い勝負だ。

自分に何かできることはないのか。

ソフィアが着地したとき、足許の地面が陥没した。

足場が悪いところに急に体重をかけたからだろう、バランスを崩したソフィアはイフリートに胴体をつかまれた。

「まずいっ!逃げろっ!なんとか逃げるんだ!」

通じたかどうかわからないが、ソフィアは懸命にイフリートの手から逃れようとする。

イフリートが大口を開けた。

なんということだ!

この魔人はソフィアを食べようとしている!!

しかしソフィアはなんとか腕一本の自由を取り戻し、口が近づいた瞬間にイフリートの歯茎に爪を突き刺した。

イフリートが明らかな悲鳴をあげている。

地震かと間違えそうなほど強い地団太を踏み、ソフィアをそのまま遠くへ投げ捨てた。

ソフィアがまるでゴミのように空を飛んでいく。

ヴォルフは岸壁に何かが叩きつけられた音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ!――――居たっ!?」

ヴォルフはイフリートが投げ捨てた方向へ走り、なんとかソフィアを発見した。

「しっかりしろっ!」

体が岸壁にめり込んでいる。

こんな強いショックを受けてよく肉体がぐちゃっと潰れなかったものだ。

「今、助け出してやるからな」

ヴォルフは瓦礫を取り除き、せっせと生き埋めになったソフィアを掘り出す。

すぐに土に埋もれた彼女の顔が見えた。

人間の顔だ。

元に戻ったのだ。

叩きつけられたショックで元に戻ったのかはわからないが、さらに彼女の体が元のサイズに戻っていく。

熊のような大柄な体格から元の大柄な女性程度の体格に戻った。

ヴォルフがソフィアの体をつかんで思いっきり引っ張ると、まるで型から取ったようにすぽんと抜けた。

そのまま抱きかかえて横にする。

「おい!しっかりしろ!聞こえるか!」

返事がない。

「くっ!仕方ない。非常事態だから勘弁してくれよ」

ヴォルフは心臓マッサージを始めた。

意外にも華奢な体つき。

見た目よりも胸のふくらみがある。

人工呼吸。

「…うっ」

――――地面の味がした。

雑念を振り払い「ふーぅっ」と無理やり空気を入れてなんとか意識の覚醒を促す。

だが、効果なし。

というか、なかなか空気が入っていかないような気がする。

何か方法が間違っていただろうか。

「ヴォルフさん。人工呼吸は気道確保してからやらないと」

「あ!そうだった!」

思い出したようにソフィアの首を後ろに倒して息を吹き込む。

「――――――がはっ!!」

ソフィアが咳き込む。

・・・今度は胃液の味がした。

ついでにびっくりしてごっくんと飲んでしまった。

「と、とりあえず!…なんとか意識は戻ったが…はやく医者に見せないと」

「そんなものどこにいるんですか?」

「どこにって――――あれ?君は・・・」

いつの間にか隣にしゃがんでいた褐色の少女がソフィアの容態を見る。

ペンライトで瞳孔をチェック。手首の動脈をチェック。

最後に顔に手のひらを置くがこれが意味不明。

「……どうだ?」

リューシーは呆れたように軽くため息をつく。

「―――軽い脳震盪です」

「んなバカな!」

インチキくさい診断結果にヴォルフが憤慨する。

「あれだけ叩きつけられて!しかも変なクスリ飲まされて大丈夫なわけないだろ!」

「ヴォルフさん。あなたは幻想種のタフさを知っているでしょう?通常の兵器や攻撃手段では彼らにまともなダメージを与えることはできないのです。それはソフィアさんも同じです。そのうち目が覚めますよ。意識は戻ったみたいですし」

「あのクスリは!?」

「あのクスリ?何か飲まされたのですか?」

「ジンに赤い液体を飲まされてた…それからだ。姉さんがおかしくなったのは」

「元からじゃなくて?」

「…どういう意味かな?」

「いえいえ。そうですか彼女が人狼だったとは驚きでしたけど、たぶん大丈夫ですよ」

まったく驚いた素振を見せずにリューシーは断言した。

「特に呪術をかけられた後もありませんし、魔術的には問題ありません」

「医学的には…?」

「それなんですよね。通常この手の魔法薬というものは魔術か医学のどちらかに問題があるんです。健康には害がなくても精神がやられたり、その逆もしかり。何の材料を使ったかまではわかりませんが、せいぜい腹痛で下痢になる程度じゃないかと」

無事なのがわかった途端にリューシーがソフィアの顔を白いハンカチで覆う。

両手を合わせて何やら詠唱を唱える。

「やめんか!縁起でもない!」

ジョークにしてはたちが悪い。

ヴォルフは慌ててハンカチを取り上げた。

「…そういえばなんで君がこんなところにいるんだ?」

「ヴォルフさんがいたからですよ。向こうから見えたんで」

よいしょっと、立ち上がってスカートの砂を振り払う。

「さて、逃げましょうか」

「そ、そんなことより、あの化け物をなんとかしないと!それに他の皆も行方不明なんだぞ!」

「うーん、たしかにここからじゃ見えませんね」

額に目を当てて遠くを見るポーズ。

ただでさえ夜の上に砂の雲煙が舞ってよく見えない。

ここは高さ的にはビルの3階くらいだろうか。

噴煙が収まり、炎の魔人の咆哮が木霊する。

その姿を遠くから見るとまるで山火事が動いているようだ。

目標を見失い、やたらめったにそこらの岩を砕いたり、炎を撒き散らしたりしている。

まるで10代の暴走だ。

リューシーはごくりと生唾を呑む。

「あれは・・・!」

「知っているのかリューシーさん!」

「―――極東アジアでは非服従の意志を示す行動のひとつで、その・・・自らを炎で焼き、敵を滅ぼす・・・という」

「まんま焼身自殺抗議じゃないか・・・」

なんの説明にもなっていない。

見たままを言っただけだった。

ごほん、と咳払いして、

「あれはイフリート。火から生まれし、炎の魔人。火はすべてを浄化し、邪悪を灰に帰す。イフリートは自らの身体を灼熱の炎に変えることができる。いえ、彼は火そのものなのよ!」

リューシーはあれの存在を知っているようだ。

そしてその恐ろしさも。

「三十六計逃げるにしかず。さっさと逃げましょ。あんな化け物相手にしてたら命がいくつあっても足りません」

「おい…」

リューシーは逃げ出した。

しかしヴォルフに囲まれてしまった。

「冗談はやめてちゃんと考えてくれっ!なんとかしないと!」

「なんとかって…、じゃあどうするつもりですか?何かいい手でも?」

「いや。そういわれると…」

手元には拳銃一丁しか武器がない。

いや他にもっとマシなものがあったとしても、あんな巨大な魔人にはショットガンどころか対戦車ライフルでさえ歯が立たないのではないか。

それこそあのキメラを倒したように戦車でもなければ…

「仕方ありませんね」

「おおっ!」

リューシーはにやりと笑う。

こんなこともあろうかと策は用意してある。

そんな顔つきだ。

ヴォルフの顔に希望が浮かぶ。

この不思議少女ならば、あの不思議生物に対抗できるかもしれない。

非常識には非常識で当たれ。

これは戦闘の基本であり横道であるのではないだろうか。

「あなた方が陽動してくれたおかげで助かりました」

「ということは!?」

思ったとおりである。

彼女の行動にはちゃんと目的があったのだ。

できればそれを事前に知らせて欲しかったが、この際贅沢は言うまい。

そのことは後で話し合えばよいのである。

今はその「後」があるようにするのが先決なのだ。

「………ホントに逃げちゃダメなんですか?平和主義者のわたしとしては避けられる争いはできるだけ避けたいのですけど」

「ホントに逃げたいならさっさと逃げてるだろ。俺は姉さんを助けたい。他の皆も助けたい。だけど1人じゃ無理だ。手を貸してくれ」

「また「姉さん」ですか。彼女のどこがそんなにいいんですか?」

「どこって、どういう意味だ?」

「だからなんでソフィアさんのためにそこまで必死になれるのかって聞いてるんです」

「そりゃ決まってるさ。見捨ててはいけないからだよ。目の前で友達が困っていたら助ける。当たり前じゃないか。放っといたら後味が悪いし」

「ホントにそれだけ?」

「ああ。そうだ。他に理由がいるかよ」

「……そうですか。ヴォルフさんは誰にでも優しい人なんですね。別に誰か特別な人だからとかそんなことはないんですね」

リューシーは少し寂しそうな目をする。

「……俺、おかしなこと言ったか」

「いいえ。とてもいいことだと思いますよ。平気で見捨てる人よりはずっと素敵です」

ふぅ、と一息して、

「わかりました。わたしも手伝っちゃいましょう」

「―――――何を手伝うつもりですか?」

別の女性の声が聞こえた。

ヴォルフとの無駄話の最中、アンディとその手下がリューシーたちを包囲していた。

「まったく、これだから人間は信用できません」

「はいっ、私、悪女ですけどがんばります♪」

両拳を軽く握ってぶりっこのポーズを取る。

だがアンディは反応しない。

彼女のそれが動揺を誘っていることがわかっているから。

しかしそれが計算されているのではなく天然であることをヴォルフは知っていた。

この女はこういうときでさえ本気でやるタイプの、よく言えば大胆不敵なタイプなのだ。

「…平気で仲間を裏切ると思えば、そうではないこともある。一貫性がない。とりあえずお前が盗んだものを返してもらいましょうか」

「はて?なんのことやら」

「とぼけてもらっては困ります。あなたがわたしの部下を気絶させて盗んだものだ!」

「何を盗んだんですか?あーんなぐちゃぐちゃの倉庫で何がなくなってもわかるわけないでしょうに」

「…なぜあなたが倉庫の中を知っているのですか?」

自爆。否、自白であった。

「あら〜、しまった〜。ばれちゃいましたよヴォルフさん。どーしましょ」

「おい…」

ひたすら下手な芝居がかったリューシーの反応にヴォルフはじと目で小さく突っ込みを入れる。

「ちっ!動くな!」

ヴォルフはホルスターから拳銃を抜いてアンディに向ける。

「静まりなさい人間。そんなものがこのわたしに通用すると思って?」

「…でも当たったら痛いだろ?」

コルトもショットガンも効かないような化け物にこんな人間用のピストルが通用するわけがない。

虚勢を張るのが精一杯だった。

そのときリューシーが銃口をつかんでおろさせる。

「大丈夫。わたしに任せてください」

「任せてって…どうする気?」

「んふ♪」

にっこりと笑う。

任せろ、という意味なのだろうか。

「はいは〜〜い。みなさまご注目〜〜〜」

緊張感のない声を上げてリューシーは服から小さいな試験管のようなものを取り出す。

「これな〜〜〜んだ?」

「やはり!それが狙いですか!」

アンディがきっ、と睨む。

「どーみても霊薬です。ありがとうございました」

ニッコリと営業スマイルを浮かべる。

「どうして約束を守らないのです!ちゃんとこれが終わったら渡すと言ったでしょう!?

「またまたー。どーせ口約束なんて守る気なんてないくせにー。ジンとの約束は血の契約書以外は信用できない。クラーク先生が言ってましたよ。彼らは相手には約束の履行を迫るくせに、自分たちは守ったことはない。そーいう生き物だって。ホント、嘘吐きは最低ですね。人間じゃありませんね。あ、そっか。ジンでしたね」

酷いことを無茶苦茶言っているリューシー。

というか嘘吐き比べならお前だって負けてないだろ、と思ってしまう。

「返しなさい!それを作るにはどれだけの苦労がいるのか…!」

「それだけ苦労したものですから、やっぱり最初から報酬を踏み倒すつもりだったのでしょう?甘い甘い。だいたいそーんな大事なものなら金庫か何かにちゃんとしまっておかないとダメですよ。戸棚に入れてあるだけじゃねぇ」

リューシーは視線をアンディに突きつけながら持っていた試験管をヴォルフへ向ける。

「おお!それが…」

ヴォルフが感謝の念を浮かべながら手を出そうとする。

やはり彼女は裏切っていなかったのだ。

この霊薬があれば、ヴォルフとルクスの解毒治療ができる。

ほうっておけば数日で死亡するキメラの毒を抜くことができるのである。

「ではさっそく…」

ヴォルフは受け取ろうと手を伸ばす。

だがリューシーはひょいっと伸ばした手を戻して試験管のふたを取り除いた。

そして空いた入り口を鼻に挿入した。

すぅ、と中に入っていて白い粉を吸引する。

すべてを吸い込むのにかかった時間は1秒ほどだっただろう。

あっという間に入れ物が空になり、リューシーの手から落ちてパリンと音を立てる。

「――ハァハァ。…んふふ、んひひ…」

リューシーはその場に崩れ落ちて尻餅をつく。

下を向いているので表情はわからないが、金属じみた笑い声が見るものに恐怖を与える。

「だめよ。そんな、後ろなんて。でもホントはいいのよ。うっそー。残念でしたー。うひひ」

何か意味不明なことをぶつぶつ呟きながらちらりとこちらを見る。

焦点の合わない目とぽっかりと空いた口。

ケタケタと笑うそのうつろな瞳な何を見ているのか。

どうやらさっきのクスリには強力な幻覚作用があるようである。

彼女はときより声にならないうめき声上げる。

・・・やばいんじゃね?

「お、おのれぇええっっ!霊薬を一気に飲み干すなんてっ!」

「う、動くな!動いたら撃つぞ!」

「うるさいッ!下郎!お死になさいっ!」

アンディは怒って腕を後ろへ回す。

あのとき放った真空波が飛んでくる!?

ヴォルフはアンディの額に照準を合わせた。

だが、銃口が向けられた側の表情が変わる。

その視線は隣の少女に向けられていた。

両手で自分の体を抱え込んで震えている少女の頭がちょっとずつ、確実に動いているのである。

「リュ、リューシーさん…? その角は…」

角。

たしかにそれは角であった。

角とは動物に見られる頭から生えた突起物のことである。

たいていの場合、それは皮膚の一部が変化したものであり、人間で言えば爪がそれに当たる。

「んふー?んふふふー?気になるのかー?」

ニンマリと笑顔を浮かべる。

「本物だよー。触ってみる?」

リューシーはにっこりと笑いながら頭を差し出す。

「え、ああ、んじゃ、ちょっとぉおおぢあgl;いdyは;!?!?」

ヴォルフの全身に電流がはしったような衝撃。

ケタケタ笑う。

「言い忘れてた。この角は魔力のアースみたいなものだから、触ると危ないよ。感電しちゃうかも」

「そ、それを先に言え……」

くすくす笑う様を見てヴォルフは悟った。

この女、絶対わざとやっている。

「ああ、………力がみなぎるぜ…ククク…」

「…ぜ?」

何だろう。

今気づいたが彼女の言葉遣いがおかしい。

語尾が変わったことに違和感を感じる。

口元は壮絶に何かをたくらんでいるような邪悪極まりない笑み。

悪の臭いがした。

見ればリューシーの髪が逆立ち、風とは関係なくなびく。

ヴォルフは肌にビリビリとした静電気のようなものを感じる。

まるで歩く放電状態の電流コイルのようだ。

「あはぁ…いい気分だ…最高にハイってヤツだっ!…あひゃひゃひゃひゃひゃひゃッッ!!!!」

するとリューシーは狂ったように笑い出す。

「おい!しっかりしろ!らりってる場合じゃないぞ!」

まるでコカインか覚醒剤のようなアッパー系ドラックをやったように気分が高揚しているリューシーを正気に戻そうとヴォルフは目の前のジャンキーをがしがしと揺さぶる。

「あべぼいうぢgだ;お!!??」

やっぱり感電した。

「熱ぃいいいいいッッッ!!! 燃えてきたぁぁあッッ!!」

リューシーは自らの衣服をつかむと、腕力に任せて一気に引きちぎった。

 

 

 

人間技ではなかった。

というか、角が生えて電撃(?)を放つような女が普通の人間であるわけがない!

これがこの娘の本当の姿なのか?

「――――ハァハァ・・・ククク、イーヒッヒッヒ!!!」

奇声じみた歓声は正気でないことを思わせるに十分だった。

魔女。

たしかにそれだった。

あるいは旅人を丁寧に招待しては食べてしまう鬼。

・・・いや、それは自分たちが戦っているジンのことであるが、それと同類の臭いがする。

 

 

 「なんだぁ?ま〜だ怒ってるんのかよ?まいったなぁ〜 どーしたら機嫌直してくれるぅ? んふふふ〜」

と、金縛りにあったヴォルフの目の前からいきなり褐色の少女が消えたと思ったら、背後から抱きしめてきた。

さっきは触ったらビリっとしびれたのに今度はしびれない。

やはりコントロールできるようだ。

(――――電気うなぎか?)

だがそんなことを考える余裕はなかった。なぜなら、

「あ、あの、その、胸がおもいっきりあたってるんですけど????」

「あててんだよ」

――――なんてこと言って来たからだ。

ほとんど酔っ払いに絡まれた状態だった。

なかなかにうらやましくはある体勢だったが、ヴォルフ・シュナイダーは裸の女に迫られて平然としていられるようなタイプではなかった。

「んふ。俺の胸だって捨てたもんじゃないだろ。これからおっきくなんだからよ。なんだら揉ませてやろうか?だましちゃったお詫びもあるしよ〜。でもだますのも作戦のうちだってわかってくれるよなー?俺だって寂しかったんだぞーうふふ」

「何言ってるんだよこんなときに!」

酔っ払いの上に恥女の気まであるのか?

あの女といい勝負だ。

「真っ赤になっちゃって可愛いなぁ。頬ずりしてやるぜ、ほ〜らほらほら」

「うあああッッ!!!????」

――――前言撤回。

すでにヤツを上回っている!

「おい!貴様!」

「なんだよぉ。せっかくいいところなのに邪魔すんじゃねぇよ。せっかくヴォルフが俺にアタックしてるのによ。ったく、うるせぇな」

それは逆でわ?

敵ながらアンディがいいタイミングで助けてくれたことに感謝する。

「答えなさい!その角・・・その魔力!?・・・まさか、お前は!」

「ああ?」

ヴォルフから離れ、ぺっ、と唾を吐き、心底つまらなそうに耳クソをほじる。

とても態度が悪くて宜しい。

普段の「腹黒いが建前では礼儀正しいあの少女」はどこへ行ってしまったのか?

本音と建前が一致しただけであって、本質的にはあまり変わっていないともいうが。

「ドウル・カルナイン!!コーランにある、神々に等しい魔力を自在に操ったとされる伝説の双角王!」

「いかにも。我が名はリューシアナッサ。メイガス・アル・イスカンダルの名を受けついだ魔法師」

親指で自分を指し、「ふふん」と鼻を鳴らす。

これではまるで・・・強烈に頭が悪くなったルクスだ。

リューシーはアンディをびしっと指差し、

「――――シェム・ハメフォラシュ」

彼女が口にした秘密の神名の唱え言でジンたちの動きが止まる。

「神は偉大なり。アル・イスカンダルの名において命ずる。貴様は我が僕になるのだ」

「何をいきなり――――」

「それがジンの掟だろう?さ。言うことを聞け」

「は、――――はは。そんなもの聞くわけがないでしょう」

「ちょっと待ってくれ」

ヴォルフが口を挟んだ。

「その――――なんだ。話がさっぱり読めんのだが。初心者の俺にもわかるように説明してくれない?」

「ジンは、スライマーンと七十二の魔王の間で結ばれた契約によれば、正当な魔法師に使役を要請されたらそれに答える義務がある。これは「レメゲドン」に書かれている」

「……ますます意味がわからん。だいたいなんだ。そのアル・イスカンダルって?」

「アレキサンダー大王って知ってる?」

「えーと、紀元前の人?学校の歴史の勉強で習った記憶があるようなないような……」

「大王は偉大な戦士であると同時に偉大な魔法師だった。大王はその強大な魔力を持ち、ふたつの角を持っていた。

彼の子孫は完全に根絶やしにされ、王の権力はバラバラになったが、魔法の技術は弟子に引き継がれた。そして彼らの中でもっとも優れた魔法師に与えられた称号が『アル・イスカンダル』」

「…つまり、君と大王に血縁関係はないってことかい?」

「そういうことだな」

トップレスだが、相変わらず凹凸の区別がしにくい胸を自慢気に見せる。

―――――――ドウル・カルナイン。

かつてルームの国に実在したという征服王。

この世界にはかつて4人の偉大な征服者がいたという。

うち二人は異教徒で、猟人ニムロドとバビロン王ネブカドネザル。

もう二人は正しい信徒で、スライマーンとイスカンダルである。

最後の征服者であり、もっとも偉大な征服王がイスラム教徒だったことは確かだが、預言者であったかどうかはわからない。

コーランによれば、彼は神から地上の権能を与えられ、多くの国々を征服した。

その魔力の象徴こそが人でありながら、人ならざるものの証である二本の角。

ゆえに人は大王を二本角の人ドゥル・カルナインと呼んだ。

「――――しいて関係あると言えば、俺の使い魔のバハムート。あいつが大王に退治された竜だってことくらいかな」

あっさりとトンデモ説を唱えるリューシー。

そんなホラ話、誰が信じるか。

「―――その魔力の象徴である角は、あまりに強大な魔力によって体の一部が変形しただけに過ぎない。まさかこんなところで見ることになるとは…とっくの昔に無くなったと思ってましたよ」

目の前のジンはなんとも誇大妄想名その話を信じているらしい。

「珍しいものを持っているのはお互い様だろう? さすがはジンの霊薬。効くねぇ〜〜〜んっふっふー」

「…なんだ太陽の石って?」

「ソフィアおばさんが言っていたじゃないか。魔力の源となる伝説の石のことだよ」

「だけど君は持ってないって…」

「ありゃ嘘。――――俺自身が石なんだよ」

「なぬ!?」

「いくら持ち物を調べてもわかるわけがないのさ。だって太陽の石とは俺の体そのものだから。太陽の石とは魔力の結晶。幻想種そのものといっていい。幻想種はほうっておけば発散して幻想に戻ってしまう。それを防ぐには幻想種を何かで囲っておかなくてはいけない。かつて大王はその体に太陽の石を持ち、そして今も人間の体の中にそれがある…俺の体の中に、ね」

「…ってことは、君はアレキサンダー大王の子孫?」

「違うって」

ぴしっ、と手刀で頭を軽く叩く。

「だからさっきも言ったように血縁関係はまったくないの。100%他人」

リューシーは口元をくいっと上げて笑みを浮かべながら完全にきっぱりと否定した。

「大王の子孫は大王の死後に完全に根絶やしにされた。生き残っているわけがないだろ」

「…話が見えん…」

「ひょっとして太陽の石が遺伝で子供に受け継がれると思ってるのか?そりゃ違うよ。大王が暗殺され、その遺体から太陽の石が取り出された。しかしその後の内戦の最中で石は盗賊の手に渡り、長い間行方不明になっていた」

「それがめぐりめぐって今は君の中に?」

「そーいうことだな。さあ期待してなヴォルフ。力がみなぎって負ける気がしねぇ。なぜなら俺は真理を悟ってしまった!」

「真理?」

「そう!俺こそが『神』であることが論理的に証明されたのだ!俺は『神』だ。この世界は俺のものだ!あっはっはっは!」

「――――――」

……完全にクスリで頭がイカれたか?

「だ〜か〜ら〜お前も俺のものなんだぜ。俺がお前を作ったんだ。造物主だ。だからお前は俺の言う通りにしていればいいんだよ。つーか、聞け。服従は美徳だぞ、おわかり?」

ばんばんと両手でヴォルフの肩を叩く。

「……いるんだよな。「自分はキリストの生まれ変わりだ」とか言う頭のかわいそうな人がたまに……」

近所に住んでいた変わり者の爺さんを思い出す。

あーいうのが身内にいると家族は大変だなと人事のように思っていたあの頃。

「なんだよヴォルフ。言いたいことがあるんなら口に出して言えよ」

「……それじゃ造物主さまとやら。このピンチをなんとかしてくれないかな」

「おお!そうだった!やい。ジンの姉ちゃんよ。この「神」に戦いを挑もうとは愚かにも程がある!さっさと降参しな!」

「何をバカな」

アンディは吐き捨てた。

ごもっともな意見である。

「アル・イスカンダルと言えど、ジンを使役できる魔法師はジンに勝ったもののみ。あなたのような下劣な女に従うつもりはありません!」

「じゃあ俺があのイフリートに勝ったらどうする?掟に従うのか?」

「そのときは従いましょうアル・イスカンダル」

「んふふ〜♪ いい答えだ」

リューシーはしてやったりと満足な笑みを浮かべる

「……掟ってなんだ?」

ひっそりとヴォルフが耳打ちした。

「ジンの掟。魔法師との正式な決闘に負けたら軍門に下る。この決闘に妨害は許されない。つまりもうあいつらは俺たちに手出ししないって事だ」

「…だけどそんな掟守るのか?相手はジンだぞ」

「守るさ。ジンは基本的には高慢で嘘吐きで救いようのない連中だが、戦いを重んじる種族だ。相手が尊敬に値すると認めたときには敬意を表する。さ〜て、話は簡単だ。あの暴れてる魔人さまを俺たちで倒せばいい」

「……それが簡単か?だいたい君の使い魔の竜はソフィア姐さんにやられちまったじゃないのか?そう聞いているぞ。あいつと素手で戦おうっていうのか?あの巨人に?」

リューシーはケタケタと肩を震わせて不敵に笑う。

「クックックッ。幻想種はすでに滅びてしまった幻想の存在。幻想に終わりはなく、永遠に続く幻想に死は訪れない・・・」

背後から巨大な何かがすくっと立つ。

巨大な影は圧倒的な現実感を持ってヴォルフたちの頭上を飛んでいた。

「ド、ドラゴン!?」

ヴォルフは目を覆った。

「これこそヒューバの真の姿。巨獣竜「バハムート」。空を飛び、大地を支配する獣の王。今までは俺の魔力の供給が不十分だったから、不完全な姿だった。そのせいでヘラクレアではあのババアに遅れを取ってしまったが、今は違う!」

リューシーは「にぃ」と邪悪な笑みを浮かべ手を差し伸べる。

「行くぞ!」

「お、おい!?」

ヴォルフの手をつかんで強引に引っ張り、ヒューバの背中に飛び乗る。

「ヒューバ!飛べッッ!」

双角の魔法師はそう命令すると、彼女の使い魔は二人を乗せて空へと羽ばたいた。


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