疾風怒濤!!
strum und drang!!

この世の半分は昼でできており、半分は夜でできている。
昼に武人は戦い、商人は商い、農民は耕す。
武人はもろもろの王国を滅ぼし、
商人は中国の絹や西欧(の琥珀を売り、
農民は胡麻やナツメヤシを育てる。
けれど夜になると、誰もが物語りに耳をかたむける。
昼の話は終わったから、それでは夜の話をしよう。
人が昼、歴史の中でしたことは氷山の一角にすぎない。
彼はそれよりもっともっと多くのことを、夜の物語の中でするのだ。
だから夜の物語をしよう。
怪異と幻想、妖霊(と食屍鬼(、天使(と英雄詩人(、魔術と霊薬の物語を。
―――― イスカンダル紀年7320年 『千一夜物語(』より

「着きました。ここです」
「やれやれ。あの砂嵐の後だとこれだけでも感動もんだぜ」
リューシーを案内役(に商隊(は砂漠の中にひっそりと聳え立つ城に着いた。
途中で酷い砂嵐に会いながらも、誰よりもそれを先に察知したリューシーの迅速な指示で商隊(は怪我人1人出ず無事に到着した。
「それは良かった。
人生、感動が大切です。 楽しく生きなきゃね」
「楽しく生きるのはけど……これが精霊の住む村か?俺の目には要塞に見えるんだが」
ヴォルフの言葉通り、その前のそれはまさに屈強な砦以外の何物でもなかった。
敵を見渡せる位置にそびえたち、頑強な石壁が並ぶ。
有事には守備隊が弓を構え、掲げられた自軍の旗が風になびいていただろう。
すくなくともヴォルフが想像していた「グリム童話に出てくるような妖精の村」なるものとはまったく異なったものだった。
それどころか今自分がいる場所は攻城戦における最大の激戦地となる血生臭いゲートハウス―――防御用の櫓(や塔を備えた城門である。
俗に「吊るし門」と呼ばれる落とし格子によって閉じられた門が重々しい雰囲気で異国の旅人を迎えていた。
「さて、さっそく交渉してみましょう」
リューシーは一人 前に出ると城門の隅に設置された個人用のドアをノックした。

「……ドアノックにメデューサの飾りがあるのは魔除けでしょうか?」
「いや、俺に言われても…」
わかるわけがない。
どうもリューシーは独特のリズムを刻むので答えに詰まる。
コンコンと蛇の髪を持った鬼の面が施されたドアノックの金具が当たる重い音がする。
・・・。
「返事なし、か」
「見張りもいないし、実はただの廃墟だったりして…」
「…いや。遠くから火の灯りが見えた。誰かがいるはずだ」
闇の砂漠で一つの明かりが、どれほど旅人の心を暖めることか。
ヴォルフだけではない。
一行の全員がそれを見て歓喜した。
たしかに誰かがいるはずなのだ。
「ん?」
そんな話をしてると
―――――ぎぃっ、
と軋む音を立ててドアに備え付けられた顔出し戸が開く。
だが暗くてどんな人がこちらを見ているかわからない。
「あ。こんばんわ。夜分遅く・・・」
返事もなしに途端と戸が閉まる。
「…」
「やっぱり誰かいたんだ」
「だが歓迎されてないようだぜ」
「照れてるだけですって」
「そうかぁ?――――ん?」
ガタゴトガタゴト・・・
何か巨大な歯車がかみ合うような重低音が城から地面を伝わってくる。
見れば目の前の牢獄の鉄格子に似た門がゆっくりと上に上がっていく。
―――さあ、おいで…
まるで何か得体の知れないモノがそう囁いているようにも思える。
「ホラね。歓迎する気がないなら最初から門をあけませんよ。大丈夫ですって」
「お、おい…」
すたすたと門の下をくぐっていくリューシー。
しかしついてくるものはいない。
こんな不気味な城へノコノコと入る気がしないのは当然といえば当然である。
「あのねぇ皆さん・・・」
その反応に「ハァ」と、深くため息をつく褐色の少女。
「ど〜せわたしに着いて来るしかないのだからよ〜く聞いてください。わたしはあなた方を目的地まで案内できるし、途中でホッポリ出して姿をくらますことも出来る。でもそれだといつまでも追われてばかりでいい加減うんざりです。だからこうしてガイドをしてる。そんなわたしを貴方たちは信じるの?それとも信じないの?黙ってわたしを信じなさい。ただそれだけでいいの。おわかり?」
あなたはどうなの?という視線がヴォルフに注がれる。
「…選択の余地はなさそうだな。俺の運命は君が握ってる」
「Ah〜♪ ふふふ。愛の告白に聞こえないでもない台詞ですね」
「……何を言ってるんだ君は…?」
いつもながら頭痛がしてきた。
真面目な話が5秒と続かないのは、続けられないのだろうか?
そのうえこーいうリアクションのときは無意味に身体をクネらせる。
何かに悶えているかのように。
まっすぐ立っていられないような変な動きをしながら電波を放つのはわざとか、それとも天然、あるいは何かの事故の後遺症?
それとも宇宙から注ぐエネルギーを受信するための儀式?
可能性は無限大だが現実的にありそうなのは……やはりアル中か?
「OK。そちらの皆さんは?」
と、いきなり言われてもどう答えればいいのかわからず、あるいは答える気もないのか、どちらもしろ答えは返ってこなかった。
「……ふぅー、皆さん、人生をもっと楽しみなさい?楽しい人生は笑顔からですよ?」
こんな気味の悪いところで楽しめるか。
という全員の思いを知ってか知らずか、リューシー颯爽とターンしてやはりズンズン先に行ってしまう。
そのあとをヴォルフが着いていき、慌てて他のメンバーが追いかける。

枯れた堀にかけられた吊り橋。
通り道の天井には敵の侵入を防ぐための釣り天井。
数十人からなる一行の最後の一人が渡りきったところで――
ガタン!
突然、吊り天井が落ちて退路が断たれる。
ざわめく一行。
「ちぃ、なんだってんだ」
ヴォルフは鋭い目つきで周りを見渡す。
他の者がそうであるように手には銃を構え、油断の無い目つきで辺りを見回す。
堅く張り詰めた空気。
目の前には特に危険なものは見当たらない。
「……大尉、どうします? 見るからに怪しい城ですよ」
「そりゃ精霊の住む場所ですからね」
「こんなところに住んでいるのは精霊というより悪霊の類だろうぜ。何も考えずにどんどん進むから」
「ヴォルフ」
「何ですか?」
「銃を下ろして前を見ろ」
ヴォルフはソフィアの言葉の意味に気付いた。
一行の前に人がいたからだ。

いつの間にいたのか。
つい一瞬前まではそこに誰もいなかったと思ったのだが…
金細工を身に着けた高貴そうな女性(というよりは少女の年齢だが)が手を合わせながら、にっこりと微笑んでこちらに何かを言ってきた。
そのすぐ後ろには護衛だろうか屈強な男が二人、直立不動で待機している。
「
」
「……」
しかし何を言っているのか理解できなかった。
「……誰か通訳ができるものはいるか?」
ソフィアの声に手をあげたのはリューシーだった。
流暢に謎の言語を話す彼女の言語力は侮れない。
一体彼女はどこでプロの通訳顔負けの言語力を身につけたのだろうか……
いや、それ以前になぜこのような人外魔境の僻地に詳しいのか。
(……よくよく考えれば俺はリューシーさんのことは何一つ知らないんだ…)
彼女の名乗った名前すら偽名だった以上、何も知らないという言葉は過言ではなかった。
実際いつも酔っ払っているような、あるいは麻薬患者のような、あまりに奇妙な発言と行動を繰り返す、何を考えているかもさっぱりわからない女である。
そんなことを考えている間にもリューシの通訳は行われていた。
「こんばんわ、と言ってます」
「友好的なようだな…」
「ようこそ。この『最も夜なる夜(』の城へ。歓迎しますわ。わたくしは城主をしているアンドロマケーと言います。アンディとお呼びください」
「城主? その割には、かなり若いな」
ソフィアの言葉を通訳のリューシーがそのまま翻訳して伝えた。
たしかに若い。
まだ子供と言っていいくらいの少女だ。
アンディはくすりと笑い、
「嬉しいですわ。でもわたくし、こー見えても100年くらいは生きているんですよ。私たち『砂漠の精霊(』は人間と違って長生きしますので」
「…それで100歳…その肌で」
ごくりと生唾を飲む。
見た目は10代の少女にしか見えない。
リューシーと同じくらいだろうか、褐色の肌は張りがあってスベスベしている。
黒髪は濡れた様にしなやかで枝毛も見当たらない。
「この肌を維持するには苦労してるんですよ。ホラ、いくら寿命が長くても歳を取ればシワになりますし」
「是非、肌の艶を維持するコツを教え――――」
そこまで言ってソフィアは周りのメンバーの視線が自分に集まっていることに気付いた。
30女の必死の抵抗。
哀れみの視線。
途端に顔が真っ赤になる。
「えーと、この女(ひと)が言うにはどうすればあなたのように肌の艶を保てるのでしょうか?」
「コラ!今のを訳すな!言葉のわからないわたしにもお前が何を言っているのかわかるぞ!!」
「いいじゃありませんか。女だったらいつまでも美しくいたいものですよ。愛しの彼を若い女に取られないようにね」
「お前!どこでそれを聞いた!情報源(ソース)はなんだ!!」
「まったく完全にお答えできません。わたしには自身に都合の悪い証言を黙秘する権利があります」
「んなもんあるか!吐け!さっさと吐かんかい!」
「ひ、ひひゃいっ!つ、つねらないでぇ!!!」
「姐さん!落ち着いて!!」
「離せヴォルフ!このアマにちょっと教育をしてやるだけだ!!女心を抉るようなことばかり言いやがって!」
「そーいうのは後でやってください!今はそれどころじゃないでしょうが!」
「む…そうだったな。ふん。わたしとしたことがとんだ失態を見せてしまったようだ」
ごほんと咳払いするソフィア。
一行全員がソフィアに対する頑強かつ冷徹なイメージが狂い戸惑っていた。
そしてヴォルフはリューシーに耳打ちする。
「リューシーさん、同時通訳ってできるか?」
「はい」
「じゃそれ頼むよ。何を話してるか知りたい」
そういうことになった。
「夜分遅く申し訳ありません。実はお願いがあってきました。実は困ったことが…」
「困ったこと?」
「ん?」
アンディはソフィアを頭からつま先まで眺めると、
「妊娠ですか?」
そんなことを言った。
「…ヴォルフ。わたしが妊婦に見えるか?」
言われた本人はとっさに隣のヴォルフに聞いてみる。
しかしそんな質問、聞かれた方も困る。
ヴォルフは苦笑いを浮かべるだけしかできなかった。
「とある事情で仲間の2人が幻想種の毒に感染しました。アナタ方砂漠の精霊の力で助けてもらいたいのです」
「幻想種? 面白い話ですね。立ち話もなんですから中へどうぞ。代表の方は話を聞かせてください。残りの方々は案内させますので」
「…そんなに簡単に中へ入れて大丈夫なのか?」
あまりに警戒心のないアンディにヴォルフが言った。
「何か不都合でも?」
「いや、ありがたいにはありがたいが…もし俺たちが悪党だったらどうするんだ?
「そうよ。海賊かもしれないわよ」
「いや、海賊はないだろ。ここは砂漠だぞ」
するとアンディはあははと笑い出す。
「たしかに。しかし簡単に招待する理由は2つあります。砂漠では客人を追い返すことは最低の無礼なのです。それは砂漠で野垂れ死ねという意味なのですから。わたしにあなた方を歓迎する名誉を与えてください」
気品溢れる立ち振る舞いで頭を下げる。
「そしてもう一つは―――」
にぃ、と口元に笑みを浮かべ、
「こう見えても我々は砂漠の精霊(なのですよ。人間風情が何をしようと大したことはできません」
冷酷な声でそう言い切った。
アラビアの遊牧民は客人を手厚くもてなす。
テントの主は宿を乞う旅人を迎え入れ、食べ物を与えねばならない。
日陰も水もない砂漠で客を迎え入れないのは、つまり「死ね」ということだから。
もてなしは主人にとっての名誉であり、テントの主はしばしば「あなた方を招待する名誉を私に与えてください」と言う。
とどのつまりは「自分が困っても客人をもてなす」ことこそ、砂漠の掟と共に生きるこの地方の人々の理想の姿なのだ。
だが実行できる人間はほとんどいない。
だからこそ実際にやった人間は語り草になる。
しかし利益もない客人を喜んで迎え入れる主人の何たる奇妙なことよ。
世の中はそれほど甘いはずはないのだ。
そう、砂漠にも魔物がいる。
客という名の『獲物』を喜んで向かい入れる砂の海の主人である。
彼らは敬意と畏怖を込めて攻呼ばれる。
―――ジン、と。
古代アラビアではジンは神に準ずるものとして崇められた。
古代ギリシャ人が盛りに住むニンフやサチュロスを尊敬していたように、古代アラブ人も砂漠の精霊を崇めていたのだ。
ムハンマドの時代になっても、ジンの存在を否定されることはなかった。
ジンは砂漠のどこにでもいるのだ。
それはイスラムの聖典でもにもジンの表題があることからも間違いない。
人間と同様ジンにもイスラム教徒と異教徒がいる。預言者ムハンマドは人間とジンに等しく遣わされた者であり、ジンは救済にあずかる事ができる。
ジンは腕力、魔力ともに人間よりも優れ、重労働をものともしない。
城のような巨大な建築物を作ることも彼らにすれば大したことではない。
壁に穴を開けて家の中に入ってきたり、天井から床まで突き抜けたりするのは児戯に等しい。
ジンを怒らせてはならない。ジンを決して怒らせてはならない。
それがは砂漠の民に伝わる伝承の一説である・・・。

「こちらへどうぞ」
城は砂漠の気候に適するように石と粘土で作られていた。
月の光すら届かない石の廊下は闇に包まれていた。
「真っ暗ね」
「いや……」
通路は真っ暗で数メートル先すら見えないが、アンディが近づくと途端に壁に設置された松明に火が灯る。
何かのスイッチを押したのか、それともジンの超能力なのかはわからない。
「…なんとも…大した仕掛けだ」
前者と判断したベレンナが言った。
タキシードにも似た白いスーツ姿の男である。
汚れが目立つ白の地は砂埃で黄色く染まりつつあった。
しかし格好など関係ないと言わんばかりにその目は生き生きとしている。
「まるでピラミッドの中にいるようだ。ここは何か神秘的な力を感じる気がする」
「あんたピラミッドに行ったことがあるのかい?」
「ああ。わたしは考古学者だからね。行ったことはあるさ」
「じゃあ呪いに気をつけないとな。ここがピラミッドみたいならな」
「…ジョークだと思うが、一応突っ込んでおこう。それは映画の話だ」
「あんた、自分で言ったじゃねぇか。ここは神秘的な力があるって」
「そんな気分になるだけだ。ピラミッドの中に入ると肩こりが取れるという。科学的には説明がつかないが、体に良いように作用した人もいれば、反対に頭が痛くなったりする人や意識を失った人もいる。この砦もそんな感じがするのだ」
「で、アンタの場合は肩こりが取れたのか?」
「……いや、特に」
「ま、そんなもんだろ。そう簡単に神秘とやらに会う機会なんて訪れるもんじゃないさ」
ただし本当に神秘というものがあったとしても驚かない自分がここにいることも忘れなかった。
何せ幻想種の毒などという非科学的な、一種の《呪い》にかかっているのだから。
「はっ 何が呪いよ。呪いなんてものは怖がる人間にしか効果がないのよ」
驚くべき新説はルクスの口から放たれた。
東洋では触らぬ神にたたり無しという諺があるが、ルクスの言葉は信じぬ神にたたり無しと言ったところか。
「お前も行ったことあんのか?ピラミッド」
「まあね。小さい頃にパパに着いて行ったの。で、パパはピラミッドの地下一階に秘密の階段を見つけてね。これがなんとまだ誰にも見つかってない秘密の部屋に続いていたの。何千年もの間、何人もの盗掘者(がピラミッドに入って宝を持ち去ったけど、その部屋だけはまったく手がつけられてなかったの」
「そりゃ凄い」
「そして彼女の父親は地下に隠されていた手付かずの財宝を無許可で持ち出しした。どうせ許可は下りないだろうと言ってたな」
「何言ってるのよ。あのまま放っておいたらいつ盗掘されるかわからないじゃない」
「いや盗掘したのはお前の親父だから。そーいうのを泥棒って言うんだぜ」
「違うわ。博物館で保管してるのよ。正しいことをしたと思ってるわ」
「…本気か?」
「当〜然!あたしは自分の父親を世界で一番尊敬してるの!誇れる父親がいるってのは幸せなことよ」
えっへんとリューシーよりは大きいが、やっぱり大きいとは言えない胸を張る。
「父親思いのいい娘さんですね。女の子の初恋の相手は父親と言いますし、きっと育て方がよかったのでしょう」
それを聞いた途端、ルクスが額にシワを寄せて口元をへの字に曲げた。
「…たぶん、世間一般じゃ無責任とか、放ったらかしとか、小皇帝とか、そっちに分類されると思う…」
さっきの自信満々の態度はどこかへ消え去ったようだ。
たしかに好き放題の育て方をすればこういうイカれた女が育つかもしれない。
とヴォルフは思った。
「ちなみにその保管した博物館ってのはどこの国のだ?」
「テキサス」
「…それって国か?」
「あたしはそう思ってる」
衝撃の発言だった。
「当時、同じモノをナチスも狙っていた。ただでさえチェックが厳しかったのに、完全に標的にされてしまった。おまけに盗賊やら強盗やらに襲われることもたびたび。きっとあれは呪いがかかってるに違いない」
「でも結局、最後の最後までパパを殺せなかったわ。「呪いは気から」ってことよん♪」
「ちょっと待ってくれ。ナチスが狙ってたってのはどういうことだ?」
「文字通りよ。ソフィアさんが言ってたじゃない。あたしのパパ、クラーク・フランクリンはドイツの宿敵なのよ。まー、結局その『アメン・ラーの鏡』はただの汚れたガラス製の鏡だったんだけどね。昔のガラスは金より高価だったから」
「・・・その骨董品を手に入れるため、ドイツはこいつの親父に戦車2両大破、トラック8台大破、飛行機3台と基地を1つ半壊させられた。合衆国の博物館で展示してあったのを確認した結果、やはりただの骨董品だと判明した。もっとも、シロだと判断したからこそアメリカ人も展示したのだろう。しかし、もしも鏡に呪いなんてものがあったとすれば、呪われたのはこちらの方がだろうよ」
「むぅ・・・俺の知らないところで、税金がそんなことのために無駄使いされていたのか・・・」
「むっ。そんなこととはなんだそんなこととは。アーネンエルベはちゃんと実績も上げてるぞ。3年前にアイスランドで北欧神話の主神オーディンや雷神トールの遺跡を発見している」
「でもそれって18世紀以前には使われてなかった洞窟だって新聞に書いてありましたよ。伊達や酔狂で宝探しやらないでください」
「たしかにそうね。伊達や酔狂で宝探しやってる連中がいたらあたしも一言言ってやるわ」
「…」
「・・・まぁあれだ。ツタンカーメンのような大発見がそう簡単に見つかるわけがないということだな」
「じゃあロンギネスの槍も見つからないということか…」
今まで黙っていたアルクが絶望のため息をつきながら言った。
顔は青ざめてしまっている。
「そう落ち込まないでよアルク。きっとなんとかなるわよ」
「うん・・・」
励ます側と励まされる側が逆転している奇妙な構図だった。
「ところで他のバイトの連中はどこへ行ったんだ?」
「馬小屋だ」
人足のアラブ人たちは下の馬小屋でラクダを休ませていたり、荷物のチェックをしたりしていた。
会食を用意させるというので代表としてソフィアたちだけ招待されたのである。
当然ながら表立った武器の類は没収された。
もっとも彼らが本物の精霊なれば通常の銃器など通用しないと思うが…
「……っにしても……なんださっきからするこの甘ったるいような臭いは…頭がぼぅっとしてくるぜ」
「もしかしてこれって…」
「ルクス。知っているのか?」
「まあね。アンディさん。もしかしてこの臭いは大麻(?」
「ちょっと違いますが、効能は似たようなものです。何しろこのような砂漠の田舎では娯楽が少ないのでこうしてお香を焚いているのですよ。ほほほ…」
「マジかよ…って、おい…」
ふと隣の少女がうっとりしたような表情を浮かべていた。
いつもトロンと垂れた目がいつになく垂れまくっている。
遠くを見つめる目は焦点があってない。
…ようにも見えた。
「♪〜 どうしました?」
「…いや、なんか妙に機嫌がいいなって」
「違うでしょ」
とん、とルクスが肘で軽く突付く。
「あなた、完全に目がいっちゃってたわよ。大丈夫?」
「あはは。大丈夫ですよ。昔は病院用のを運んでいたときにちょくちょく摘んで吸ってましたから。ああ、懐かしい。こんなに幸せな気分になったのは久しぶりです」
「……」
すぅ、と深呼吸をしながら恍惚とした表情を浮かべる。
「なーんてね。まさかわたしがそんなことするわけないじゃないですか」
「そーよねー。いくらリューシーさんでも……」
「ネコババなんてせこいことしませんよ。それくらいはちゃんと買います」
「…をい」
そんなこと、の意味が違うことに愕然とする。
「…なるほど。それでリューシーさんって」
ルクスは苦い顔をしながら指先で自身の頭を指し、くるくると指を回して手のひらをみせた。
ヴォルフはその意味するところに同意してこくりと頷いた。
「…あなたたち。それはどーいう意味ですか?」
握った両手をふるふると震わせ、涙目を浮かべながらリューシー。
その胡散臭い仕草に同時に「別に」と答える両者。
「まったく…タバコの味も解らずに、健康や税金の問題でしか理解出来ない人はあわれです。ホント。人生の楽しみというものを知らないから困る」
大麻とタバコを同一視している衝撃の発言だった。
もっともアメリカでさえ大麻の栽培が禁止されたのは数年前のことで、しかも大麻を栽培することは違法でも使用するのは構わないのだから、リューシーの発言がおかしいというわけではない。・・・わけではないのだが、
「すべての悪しきことをなさず、善いことをおこない、自己の心を浄めること、
これが仏教です。麻と芥子の樹を育てた太陽と水と大地とこの世のすべてにカムサハムニダ」
・・・。
おそらくはもう末期なのだろう。
ヴォルフはそう思い、何も言うまいと決めた。
やがて先に進むと部屋の前で護衛のアラブ人が2人見張りに立っていた。
アンディが軽く手を上げると槍を持った衛兵が入り口の前から退いた。

部屋は客人をもてなすためのインテリアが用意されていた。
薄暗い部屋に神秘的な松明の明かり。
電気がないので部屋が暗いのは当然だが、これはこれで趣(がある。
おそらくハロウィンのパーティでどれほど禍々しい部屋をこしらえたとしても、この部屋の異様な雰囲気までは再現できまい
何せここは本物の妖怪の住みかなのだから。
「みなさん。席についてください」
席につくよう指示される。
「ではお話をお聞かせくださいませんか?」
「これです」
リューシーはヴォルフのズボンの裾を上げた。
脹脛(の部分。
するどい牙の痕。
直径にして約3センチ大の穴。
塞がっているが、その穴は紫に腫れ上がり、――――ゆっくりと動いている。
「…」
何度見てもぞっとする。
どう見てもまともな状態じゃない。
血管に血が回らず、肉が腐っている。
というわけではない。
実際にそれを見たことがあるが、そんな普通の怪我ではない。
『それ』はたしかに動いているのだ。
紫色の樹脂がゆっくりと流動しているように。
しかし、それは流れていかない。
傷口と傷の間で消滅してしまう。
そこで空間が捻れているように見える。
ゆっくりと渦をまいた”それ”は別の生き物のようにヴォルフの足を蝕んでいる。
「…これは酷い」
「その通りです。おそらく手術で足を切断しても無駄でしょう」
リューシーの言葉は軍医であるティルにも言われた。
これは普通の怪我とは違う。
たとえ足を切断しても呪いはかけられた本人の魂を蝕む。
精神が感染しているのに肉体を傷ついてもまったく意味がないのだ。
近代医学ではまったく理解も説明もできないこの状況を打破する方法はたった一つ・・・
「なるほど。たしかにこれを治せるのは霊薬だけです。しかし霊薬は我らの秘宝。軽々しく人間に渡せるほど安っぽいシロモノではないのです」
「ですから……」
リューシーは交渉を続ける。
言葉の通じないヴォルフやソフィアたちには何を言っているのかさっぱりわからない。
いろいろ打診しては首を振るところを見ると、一朝一夕にはいかないようだ。
・・・に見えた。
「――――――?」
「――――――♪」
両者の表情が明るくなる。
両者というのは御幣がある。
片方の見知った顔の表情からは悪事の臭いがするからだ。
何を話しているかはわからないが、何やら提案したようで両者は合意に至ったようだ。
「交渉成立です」
リューシーの言葉に小さく歓声が上がる。
「ただし霊薬(はすぐには使えません。下準備に数時間かかるそうです」
「それくらいなら別に構わないさ。でしょ大尉?」
「そうだな。それとできれば一宿泊めてもらいたい。空いている部屋で構わん」
「それも交渉済みです」
「流石だな」
ソフィアが素直に褒める。
なかなか使えるヤツだ、と彼女の中でリューシーの株が上がった。
「ただし、下の馬小屋にいる人足さんたちはそのまま馬小屋がベッドルームになりますけど」
「構わん。砂嵐の中でテント張って寒さに震えるよりはマシだろう」
「それともう一つ」
リューシーはにっこりと笑い、
「わたしたちのために食事を用意してくれるそうです。それを食べている間に霊薬の準備をしてくれると言ってます」
そういうことになった。
・・・

「――――――」
『おや。そちらの方々は食べないのですか?』
先ほどの部屋ではじまった会食。
アンディは外の世界のことをいろいろ聞いてきた。
ソフィアは正直に答えた。この砂漠のどこかで起こっている戦争のことを。
しかしアンディの反応は特に驚くとかいってものではなかった。
彼女の100年の人生からすればこの砂漠で人間同士が殺しあうことなど対して珍しくもないのだろう。
古代より、砂漠は多くの人間の命を吸ってきたのだ。
水一滴をめぐる殺し合い。
過酷な環境は人間の醜い部分を隠さない。
それよりもアンディの関心はもっぱらヴォルフが戦ったというキマイラについてだった。
やはり人外魔境の存在なのか、そちらの話の方が気になるらしい。
ヴォルフはそのときのことを可能な限り詳細に語った。
だが『幻想種』については素人であるヴォルフにキマイラがなぜヘラクレアにいたのか。
キマイラが召喚されたとすれば誰が何のために《召喚具現化》したのか。
両隣の専門家は何の援護射撃もしてくれない。
話す気がないのか話したくないのか。
しかし、ヴォルフにとってはもっと気になることがあった。
目の前の献立である。
もともと食べ物で苦手なものは特になく、ドイツ人の多くが食べられない同盟国ヤーパンのネバネバした大豆の発酵食品でさえ「美味い」と感じる味覚の持ち主であるヴォルフも目の前のサソリの串刺しには絶句してしまった。
海老と思えば・・・と自らに言い聞かせたものの、サソリの足が動いたのを見て心が凍りつく。
その横に並んでいるのは昆虫の蒸し焼き。

・・・この虫はひょっとしてゴキ―――、いや、考えるのはやめよう。
湯気を立てているのがかえって不気味だ。
恐ろしいことに、目の前のハンバーグはこれを蒸す前にすりつぶして焼いたものだという。
料理をしない人間は材料を見るとショックを受けるというが、これはあまりに常識離れではないか?
他にも魚のうろこ、セミの抜け殻、虫や鶏のふん、ウジに至るまで、ありとあらゆるものを料理の材料に使うらしい。
鶏糞は家畜の飼料にされているらしく、人間も釣りをするとき魚の餌にウジを使うから食べられないということはないはず…
「…失礼。ちょっとトイレを借りたい」
真っ先にルイス・ベレンナがギブアップを宣言した。
しかし、味気ないCレーションが御馳走に思えてくるような料理の数々を目の前にして氷ついているのは残ったメンバーも同じだった。
ある意味、ギブアップするタイミングを失ったことで残ったメンバーは窮地に立たされていた。
『お口に合いませんか?』
なかなか食べようとしないヴォルフにアンディが視線を投げかける。
「いや、あの、その…」
「ヴォルフさん…ペルシャの諺に「恩を知らない人間は恩を知る犬に劣る」というのがあります。せっかく用意してくれた御馳走に手をつけないなんて、そんなに砂漠のど真ん中に追い出されたいのですか?」
「そりゃわかってるけど…なぁ?」
隣の席のアルクに話を振る。
「ああ…それにリューシーさんのところには”この素敵な食べ物”がないようだが?」
「わたしはあまりお腹が減っていないので予め断りました。せっかく出されたディナーを残すことなんて失礼でしょう?」
「…知ってたな。ここの料理がこういうのだって知ってたな」
「偶然ですよ偶然。たまたまお腹が減ってないだけですって。だってわたしここに来るのはじめてですもの」
その割にはやけに落ち着いている。
「そうよ。あんたらちょっと吾がままなんじゃない? 旅先で出された食事は外人から見れば変わってても現地では御馳走なのよ」
と、動くサソリの生き造りを頬張りながら述べるルクス。
たしかにルクスの言葉にも一理ある。
思えば数年前、ヒトラー・ユーゲントの修学旅行でヤーパンに行ったとき、ライスに酢を混ぜたものの上に生魚を乗せた料理を出された。
正直、あれにはカルチャー・ショックを受けた。
魚を生で食うなど西欧では考えられないからだ。
おまけに西洋人が悪魔と忌み嫌っているデビル・フィッシュまで出てきたからもう大騒ぎだった。
ドイツ軍人はうろたえない。
ヒトラー・ユーゲントとはようするに国民総義務制の少年団のことであるが、その教育方針は軍隊化にあり、将来の国防軍兵士たるヒトラー・ユーゲントはいかなる状況においてもうろたえてはならない。
同盟国に紹介されるのだから、選ばれたのは表向きはヒトラー・ユーゲントの中でも精鋭ということになる。
何を基準に精鋭と決めたのかはわからないが、ともあえ屈強なアーリア人という肩書きで来日したものの、デビルフィッシュを食べろというのはユーゲント諸君をうろたえさせるに値する命令だったのである。
しかし、魚を生で食べるサヴァイバルな同盟国での未知との遭遇さえも乗り越えたこのヴォルフ・シュナイダーにとって、たかがサソリの踊り喰いの一つや二つなど試練のうちにもはならないはず。
しかも自分より年下の少女が平気に食べているのだ。
ルクスに出来て自分にできないはずがない。
「・・・わかったぜ」
ヴォルフは深呼吸すると決心を決めた。
優柔不断であるが、決断すれば思い切りがいいのが自分の取り柄であり長所だ。
ヴォルフはそのまま珍味を口に入れる。
「・・・どうだ?」
アルクの質問に絶句したまま顔を向けるヴォルフ。
とても美味いとは言えない。
砂漠で作ったネズミの丸焼きの方が数倍、いや数十倍はうまい。
正直に言おう。これは…
「美味いぜ。お前も一口食べてみろよ」
ビジネススマイルでオススメしてみる。
アルクは怪訝な顔を浮かべるが、ルクスの視線が突き刺さり、思い切って口の中に入れる。
「!!!!!」
舌が痺れる。
なんという味だろうか。
痛みにも似た刺激が脳まで刺激する。
それに耐え難いこのモゾモゾ感。
一口食べてアルクもにっこりとヴォルフに微笑む。
「・・・ふふふ。なるほど。たしかに美味いな」
「だろ。あははは!」
「ふふ、はははは!」
「そこの2人。男同士が向かい合ってニヤニヤしている光景はきんもー☆ですよ」
1人だけ逃げた少女が余裕を浮かべて言ってきた。
「おやおやおや、やはり白人様には南の蛮族の味が気に入らないのですかな?」
角と尻尾が生えた褐色の悪魔がにやりと邪悪に微笑む。
「ヴォルフ。ルクスの言うとおりだ。我々はドイツ軍人として礼儀を忘れてはならない。現地の対独感情を考慮し、軽率な行動を取ってはいかんのだ。これも任務の一つと知れ」
「おい・・・」
さりげなく黙って自分の分の皿を差し出すソフィア。
どうやら「わたしの分まで喰え」というジェスチャーのようだ。
無言で抗議するも、視線を合わせようとしない。
「ったくこのおばさんは・・・昔から俺に嫌なこと押し付けるんだから」
「お・ば・さ・ん・・・?」
「いえ、お姉さんです。美人で若くて優しいお姉さん。喜んでいただきます」
「よろしい」
ごほんと咳払いするソフィア。
この土地での伝統料理は食べたことがあるが、トリポリではこんな食事は出てこなかったし、ヘラクレアでも出てこなかった。
吐きそうになるのを我慢して少しずつ食べていく。
その後は虎の肉とかが出てきた。
やけに生臭い。
というか本当に虎なんてこの地方にいるのだろうか?
食べた感じはロバの肉に似てる。
独特の香りがしなかったらおそらくロバの肉だと思ってしまっただろう。
「あら。バイオリン?」
そんなときリューシーが部屋の隅に置いてあった楽器に気付いた。
さりげなくこの部屋にはいろいろなものが置いてある。
剣や槍のような武器、これは装飾が派手なところを見ると観賞用だろう。
独特の手法で描かれた絵、砂漠をモチーフにしている。
「それは前の滞在客が旅費代わりに置いて行ったものです。といってもここではバイオリンを演奏できる人がいないのでただのオブジェになってますが…」
なるほど。
この部屋のお土産はやはりただのお土産なのだ。
しかしこれだけ種類と数があるということは、それだけ多くの人がここにたどり着いたということを意味するわけで…
「使ってもいいですか?」
「弾けるならどうぞ」
「では……」
リューシーはバイオリンを手に取った。
妙にその姿が様になっている。

「ヴォルフさん」
「ん? 何?」
自分の名前を言われて我に帰る。
「何かリクエストはありますか?」
「っていうか、何が弾けるの?」
「うーん。クラシックなら結構レパートリーあります」
「そっか。じゃドイツの曲を頼めるか。外国暮らしが長いとドイツの音楽が聞きたくなる」
「わかりました。たぶんヴォルフさんも知ってると思います」
リューシーはニコリと笑うとバイオリンを弾きはじめた。

「――この曲は……懐かしい曲だ」
目を閉じる。
目の前に浮かんでいるのは故郷の街並み。
「隠れた首都」、「ビールと芸術の町」、「百万人の村」など数々の愛称を持つ。
南の明るさとバイエルンのローカルカラー、美しい建物が独特の景観と雰囲気を作り出す魅力的な都会。
ロマンチック街道、ノイシュヴァンシュタイン城、アルプスのリゾートなど小旅行の起点となる。
その名はミュンヘン。
ヴォルフ・シュナイダーの生まれたところである。
そしてこの曲は知ってる。
幾度となく聞いた曲だ。
広場ではこの曲をBGMに屋台が店を出し、少ない小遣いをためて買ったリンゴが彼にとって最高の贅沢だった。
この作曲者は今から300年ほど前のドイツのニュルンベルグで生まれ、ニュルンベルグで没した。
ドイツの有名なこの曲は―――
「―――バッペンベルのカノン。ヴォルフさんも聞いたことありませんか?」
「あるさ。凄く―――好きな曲だ。ありがとう、リューシーさん」
パチパチと拍手が起こり、リューシーは気恥ずかしそうにペコリと頭を下げた。
「リューシーさんにこんな特技があったなんて知らなかったよ」
「音楽は魂の対話。人の心を掴む音楽は魔術の一つにも数えられ、魔法使いの奏でる音楽は『魔曲』とも言います。古代の聖職者や巫女は神々の恩恵を得るために『魔曲』でその願いを届けたと言われています。逆に下手な演奏では神々の怒りを買うこともあるんです」
「魔法使いは音楽家ってことか。でもその割には姐さんは昔から音痴だったけど…今では違うのか?」
「…!」
集中した視線にソフィアが顔を赤らめてバツが悪そうに咳払いをする。
「人によっては音楽をまったく使わない系統の魔法もあるんですよ。すべての魔法使いが音楽家というわけではないのです。兵隊さんのすべてが銃を使えるというわけでもないでしょう?」
「そんなもんか?」
「そんなもんです」
然り。
リューシー先生の補習授業は終了した。
「それにしてもアンディさん。得体の知れない俺たちをこうして歓迎してくるのはどういう理由ですか?」
「何か不服でも?」
「いやいや。感謝はしてますけど、ほら、普通の人はアカの他人を簡単に家には入れないでしょう」
隣の褐色の少女が自分を何度も指差していたが、ヴォルフは無視した。
普通の人、という前提に当てはまらないのを例外というのだった。
「旅人を歓迎するのがこの村の風習です。人間がこの村にやってくるのはとても珍しいですからね。昔から城の城主というものは生活は豊かなわりに時間を持て余してしまう。特にわたしのような長生きする種族はずっとこの土地で生活していていい加減飽きているのです。そうなると外部からの客人の土産話だけが娯楽でして」
「なるほど」
「それによく太った方が喰いがいがある」
「―――何?」
「あ、いえ、なんでもありません。家畜のことですよ。今から本日のメインディッシュが来ます。その肉のことです」
さらりと話題を変えられたようにも思えるが、ただよって来た食欲をそそる香りがそれについての思考を止めさせた。
「お!!来た来た!なんだ。普通の飯だってあるじゃねぇか!」
「うむ。いい香りだ。主よ。感謝します」

先ほどの暗い顔はどこへ消えたのか。
空腹は最大の調味料であるとは誰の言葉だったか。
ともあれ、さきほどのサソリだのゴキブリだのに比べればこれは高級レストランの料理に思える。
ライスの上に野菜と炒めた肉が乗り、特製のソースがジューシーな臭いが立ち込める。
ガツガツと一気に頬張り、米と思われる穀物をかみ締める。
上カルビのような柔らかい歯触り。
ちょっと臭みがあるが、慣れればどうということはない。
ドンブリ片手に箸で口の中に書き込む。
「うん。美味い。食ったことない味だけど何の肉だ?」
「
(Kalb)」
「カルブ? それが鳥の名前か?」
「犬ですよヴォルフさん。「カルブ」というのは「犬」という意味です」
「へー、犬。……」
「そう。犬です。わんわん、吼えるあの犬です」
「………」
「………」
「い、犬ぅうううう――――っっっっ!!!」
ヴォルフが絶叫を上げて立ち上がった。
「ど、どうしたんですヴォルフさん? いきなり…」
「どうしたもこうしたもねぇよ!なんてもの喰わせるんだ!!!」
バン!、と怒りに任せてテーブルを叩きつけるヴォルフ。
「だから犬ですって」
「犬!犬!親愛なる人類の友人にして最良のパートナー!この世のどの生き物よりも犬は賢く、美しい動物だ!」
「はぁ。それで?」
「いいかいリューシーさん。ドイツ人にとって犬ってのは神聖な生き物なんだよ。ああ、なんてことを…すまん。サウザー。許してくれ。俺は…俺はああ…うおおおお……っ!!」
口から米粒を吐き出しながら叫んで泣く。
銃弾を喰らったときも泣かなかった男が目に涙を浮かべる。
なお、ドイツでも40年前の彼の生まれ故郷であるミュンヘンには17軒の犬肉店があったことが記録に残っているが、ヴォルフが知る由もなかった。
なぜなら彼を育てた大人たちは、彼にそういう黒歴史を教えようとしなかった。
大人は子供に都合の悪いことは教えない。
世界中どこでも程度の差はあれど似たようなものである。
「サウザーって誰だ?」
「こいつの飼ってる犬の名前だ。元々はアドルフという名前だったが、ヒトラー総統が犬にアドルフという名前をつけるのを禁止したもんでそーいう名前になった」
「ヴォルフさん。犬飼ってたんですね」
「そう。俺の愛犬はサウザーという。15才の誕生日に爺さんに買ってもらった。それ以来、俺とサウザーはずっと家族だ。ソフィア姐さんに寝込みを襲われて身も心も傷つき、汚された後に俺を慰めてくれたのはサウザーだった」
「襲われた?」
「汚されたとはどういう意味ですか?」
「いや、それはその…まあ昔の話だ。時効だ。時効」
なぜか顔を赤らめてそっぽを向く。
照れた表情がちょっと可愛いかった。
「あのとき俺はサウザーと同じ種族である犬には絶対に暴力を振るわないと誓ったんだ」
「ふーん、ヴォルフって犬好きなんだ。ドイツ人はみんなそうなの?」
「当然だ。そして猫を飼っているドイツ人は間違いなく共産主義者だ…って、おい。お前、それ犬だぞ」
「うん。結構いけるわよ」
「…平気なのか?」
「何が?」
「いや、だから犬を食って。気持ち悪くないのか?犬だぞ犬」
「らいじょーぶ、らいじょーぶ。ははがへっへはいくははへきん」
「…しゃべるなら口の中を空にしてからしゃべれ」
「ごっくん。大丈夫だって。あたし好き嫌いないから。あれ?アルクも食べないの? 美味しいよ、これ」
「…ルクス。君も犬を飼っているだろうに。よく食べられるな」
「…飼ってるのかよ」
「まあね。あたしの犬はインディアナって名前の雑種だけど」
「…ともかく犬飼ってるんなら余計に食べられないだろ犬は」
「? なんで?」
「なんでって…」
「関係ないわよ。これはあたしの犬じゃないもの」
「…」
幼少の頃より父親の世界旅行に連れまわされ、地上のありとあらゆる珍味を経験して来たルクス・フランクリンにとって人間が食べられるはおおよそ食べ物として認知できる。
愛情込めて育てた家畜を、食べるためならば平気で屠殺するテキサスカウボーイにとっては、たとえそれが犬だろうと例外ではないのだ。
1人バリバリと食が進むルクスを置いて残りのメンバーはどこから手をつけたものかと思案し、とどのつまりディナーとにらめっこしていた。
何せここのメニューと来たらとても料理とは言えないようなゲテモノばかりなのである。
「うぅ…気持ち悪くなってきた…」
ヴォルフがついにギブアップを宣言した。
「すまん。ちょっとトイレを―――」
「ドアを出て突き当たりを曲がります。そうすれば階段があるので降りて左です」
「ダンケ…う…」
ヴォルフは立ち上がるとささくさと部屋を出ていった。
「うーん、どうやらお口に合わなかったようで残念です。おっと、そうだ!セバストス」
アンディはパンパンと手を叩いて従者らしき男を呼び寄せる。
「ハムルを用意してください」
「ハルム?つまりは酒か」
「そのとおりです」
「え? ムスリムなら禁酒じゃないの?」
「これは異なことをおっしゃるルクス・フランクリン。ここはメッカから遠いのです。ですから少しくらいの飲酒は許されるのですよ」
とんでもなく適当な理由だった。
「すべてのムスリムが厳格な生活を送っているわけではないのです。お父様はそのくらいはご存知でしたよ」
「パパを知ってるの?」
「はい。クラーク・フランクリンは有名な考古学者ですから。そして以前ここの滞在客でした。彼はいろいろな話をしてくれてました。わたしが直接面識がある人で彼ほどの冒険家は見たことない。実に面白い話をしてくださいました」
「そうだったんだ…リューシーさん知ってた?」
「はい。この場所を教えてくれたのは先生ですから」
「どうして教えてくれなかったの?」
「聞かなかったじゃないですか」
「たしかに聞かなかったけど…」
ルクスは苦い顔をして舌打ちした。
「話を元に戻しましょう。禁酒の件でしたら問題ありません。ここはメッカから遠いのでアッラーも目こぼししてくれます。イスラム圏すべてが禁酒というのはキリスト教徒の偏見ですよ。どの宗教でも基本的には禁酒でしょうが、実際はそうではない。それと同じですよ」
くすくすと笑うアンディ。
セバントスと呼ばれた従者がグラスに酒を注いでいく。
「……むぅ、いや。やはり酒はダメだ」
「あれ?ソフィアさんはお酒嫌いなの?」
「大好きだ」
「ならいいじゃない」
「実は……わたしは酒癖が悪いらしいのだ」
「らしい?」
「それも信じられないほど悪いらしく、おまけに酒を飲むと記憶がぶっ飛ぶ。飲んでいる間はほとんど覚えてない。どうも酒に飲まれるタイプだ。だから自重している」
「ですが一杯くらいなら大丈夫でしょう。付き合いだと思って飲んでいただけませんか?わたしが自分で作った秘蔵酒なのです。是非飲んでいただきたい」
「…そうだな。一杯くらいなら」
「では乾杯」
チーン、とグラスを合わせた音が響いた。
・・・
その頃はヴォルフ・シュナイダーは…
「一体この城はどうなってるんだ!シャイセ…!ここはさっきも来たぞ!」
迷子になっていた。
ドイツ語で「糞」を意味するシャイセという単語を何度繰り返したことだろうか。
ドイツ人の大半がそうであるように、ヴォルフもまた何か嫌なことがあるとすぐにこの単語を口にする。
これはそうすることで、事態が打開できるという言い伝えが風習と化したものだが、心理学的には怒りは絶望より役に立つというフロイトの理論に基づいているらしい。
実は筋金入りの方向音痴であるヴォルフにとって似たような風景の場所は鬼門である。
砂漠で一人ぼっちになったのは明らかに”何かが起きた”からだが、その後に砂漠を彷徨っていたのは彼が病気ともいえるほど酷い方向音痴だからとも言える。
「ぐるぐる同じ場所を回っているような気がするぜ。いや、実際回ってるんだろうな。・・・・シャイセ!どうして市役所みたいに案内図がないんだここは!」
精霊の城と公務員の職場を一緒にされても困る話である。
「落ち着け。いくら俺が方向音痴だからって、せいぜい歩いて1分か2分のトイレから元の大部屋に戻れないなんて有り得ないんだ」
だが、呪いのことに気付くはずもないヴォルフは息を切らせながら城の中をマラソンしていた。
そんなとき、何か『どこどんどこどん』という音が聞こえた。
あれは、太鼓?
一体なぜ?
一体どこから?
ヴォルフは近くの窓から身を乗り出してみた。
赤い光が見える。
それもかなり大きい。
「あれは……火事か?」
気になってもっとよく見える窓を探す。
「なんだこいつは…?」

光の正体は幾重にも掲げられた松明の炎だった。
何かの儀式だろうか。
とうてい素手では昇れそうにない高い壁に囲まれたフィールドの中央で呪文を唱えながら炎が踊る。
素人目に見てもムスリムのお祈りとはまったく異質なものだ。
ヴォルフは禍々しいオーラのようなものを感じた。
それは炎の向こう側の大扉から発せられていた。
何の儀式かは検討もつかない。
何せまったく違う文化圏の、ましてや精霊の城である。
ヴォルフが何を考えようと結論は出ないであろう。
「ん? あれは…」
遠くを見ると、見知った顔がいる。
先ほど気分がすぐれないと言ってあのゲテモノ会食を抜け出した男だ。
「気になるな。ちょっと調べてみるか」

・・・
ドン・ルイス・ベレンナは木の影に隠れながら、炎の儀式の様子を双眼鏡で覗き見していた。
「よう。あんた、何してんだ?」
ベレンナは後ろから何者かに後ろから声をかけられた瞬間、隠して持っていたリボルバー拳銃を突きつける。
「俺だよ俺!」
「…なんだ。ヴォルフくんか」
そこには両手を上げたヴォルフ・シュナイダーが立っていた。
「撃つところだったぞ」
「とりあえずその物騒なもんをこっちに向けないでくれよ」
ヴォルフはベレンナなの向けた銃口を手でよける。
「たしか銃の持込は禁止だったんじゃなかったか?」
「わたしはルールを守るのが苦手でね」
足首に隠したホルスターに銃をしまう。
「そんなものがジンに効くのか?」
「効くさ」
「なぜわかる?」
「効かなかったらボディチェックなどしないだろう?」
たしかに。
凶器をとりあげるのは、それが凶器としての殺傷力を持っているからである。
「だが安心はできない。簡単なチェックで通してしまったのは、ジンたちの余裕のなせることだ。つまり、銃は脅威ではあるが、致命傷にはならない」
「なかなか鋭い洞察力だな。で、その鋭い洞察力で何を覗き見してたんだ?」
「覗き見とは失敬だな、君は」
「建物から丸見えだったぜあんた」
「何?」
ヴォルフは顎でしゃくり、土と粘度とレンガで作られた要塞の窓を指す。
「あそこから降りてきたのか…」
「俺は高いところは平気なんだ」
ヴォルフが示したのは文字通り窓だった。
そこらへんにデコボコがあるため、足や手をひっかける場所にはこと欠かないが、一般人が上り下りを簡単にできるような場所ではない。
「出口が見つからなくてな。とりあえずあんたの姿が見えたから来たわけだ」
「…」
沈黙するベレンナ。
「言っておくが迷子になったわけじゃないぞ」
「わかってる。あそこには魔術が施されていた」
「ま、魔術?」
「いいか。この城は精霊の住み家だ。城の中のいたるところに呪(まじな)いが施され、来賓がぐるぐると同じ場所を回るようになっている。おそらく、あれはここに来た人間たちが精霊の城から勝手に”逃げ出さない”ようにするための《呪い》だ。おそらくレベルの低い『暗示』程度の結界だったため、窓から飛び降りたら抜け出せたのだろう」
「なぜそんなことを…?」
「わからない。魔術というのも状況からの推測だ。わたしは魔術の知識はあっても実際に使うことは出来ない」
「じゃあ俺が迷子になったってわけじゃないんだな!」
「…当たり前だろう。何を言っているんだ君は」
喜ぶヴォルフに首を傾げるベレンナ。
「話を戻そう。わかったことがいくつかある。彼らは何か儀式をしているようだ」
「…他には?」
「うむ。火を焚いていた。大量の木をどこから持ってきたのだろうな?」
「……」
ヴォルフは苦い顔を浮かべる。
「以上だ」
頭痛がしてきた。
「結局、何もわかってねぇんじゃねぇか」
「何を言う。こんな遠くからでは何がわかるというのだ!」
「威張るな!」
「最後に一つ、彼らがなにやら縄と台座を用意していた。どうやら舞台を作っているらしい」
「…もういいや。さっさと帰ろうぜ」
「彼らが何をしているのか知りたくないのか?」
「本人に聞けばいいじゃねぇか。別に取って喰われるわけじゃねぇだろ」
「…ヴォルフくん。君は”ジン”という魔物について何も知らないのか」
「知らない」
「いいか。ジンというのは砂漠で旅人を招き寄せ、もてなしをしたあとにその旅人を食べてしまう食人鬼のことなのだよ」
「食人鬼?」
「あのアンディという娘がもし我々をただの客人と見ているのであれば、なぜ逃げださないような呪いをかけておく必要がある」
「それだけじゃ根拠が希薄だよ」
「リューシアナッサ」
「…!」
その名前を出されてヴォルフは反応する。
「あの娘は本物の魔法使いだ。彼女は竜を召喚できた。わたしはあれほどの召喚術を見たのは初めてだ。彼女は普通じゃない」
「たしかに普通じゃない」
ヴォルフは”あらゆる意味で普通ではない”とベレンナの言葉を肯定した。
「彼女は我々をここで”食わせる”ために連れてきたのかもしれない」
「リューシーさんがそんなことするかよ!」
吐き捨てるように答える。
「あの娘はちょっ…かなり変わってるが、そんなことする娘じゃない。たしかにあんたやナチスは彼女を追い回していたが、ルクスやアルクは無関係だろ。第一、そんなことして彼女に何の得があるんだ。バカなことを言うのはやめてくれ」
「やけにかばうな」
「ダチを悪く言われて怒らないやつは本当のダチじゃない」
「ふむ。オーケー。そういうことにしておこう」
肩をすくめてベレンナは納得したポーズを取る。
「わたしはもう少しは様子を見る。君は戻るのなら、わたしは気分が悪いからその辺を散歩していると伝えてくれ」
「わかっ――――」
そのとき、大地を揺るがす轟音が響いた。
大砲などの類ではない。
それは叫び声にも似た振動。
数百人が同時に断末魔の叫びを唱えたかのような声。
しかし、同時にそれは人間ではないケダモノの雄叫びにも似たものだった。
怒りの感情を感じられる。
「何だ今のは…!?」
「ベレンナ。今のは向こうからみたいだぜ」
ヴォルフは指を指した。
広い広場の入り口。
周りを高い石壁で囲まれ、ヴォルフたちがいるのはちょうどその石壁の上になる。
つまり、その広場を囲むようにこの要塞は作られているのだ。
「何者だキサマ!」
突然、声がかかった。
慌てて茂みに顔を隠す。
(君のせいだぞ)
ベレンナは小声でこちらを睨む。
(どうする?)
(わたしが気を引く。君はその隙にヤツを殴って気絶させろ)
(了解)
「何をしている出て来い!」
「失敬なヤツだ。わたしは客人だぞ」
ベレンナは木の中からひっそりと出てきた。
アラブ人は興奮した様子で曲刀をこちらに向ける
「うるさい!誰だろうが、儀式を見たものは殺す決まりだ!」
「なんともわかりやすいルールだ。誰でも簡単に理解できて好感が持てる。ただ守るつもりはないが!」
ベレンナは足で砂を蹴り、アラブ人の目に向かって目潰しの砂をかけた。
ひるんだ隙にアラブ人の手を掴んで自由を奪った。
「何をする離せ!」
「今だヴォルフくん!」
ベレンナはアラブ人の手を掴んだ。
「応!―――――ふん!」
ヴォルフは相手の体を腰に腕を回した状態で後ろ抱きにし、ブリッジをかけながら後方に投げた。

――――ゴキン!
何かが折れる鈍い音がしてアラブ人は沈黙した。
「……わたしは殴れと言わなかったか?」
「だから殴ったんだよ。”地面”で」
ヴォルフはニヤリと笑った。
「…だいたいなんだ今の技は。ジュードーか?」
ベレンナは気絶したアラブ人の容態を見る。
「こいつは………死んでいる」
「やべ…手加減したけど、当たり所が悪かったのか?」
「あれで手加減したつもりか?」
アマレス全ドイツ・ヘビー級チャンプに教わった、カカトをつけたドイツの敬礼式ブリッジ。
これを背後から不意打ちに近い形で放たれた投げ技の受身を取るのはきわめて難しい。
「…ヴォルフくん。君が殺す前からこの男はすでに死んでいる」
「どういうことだ?」
「これを見ろ」
ベレンナはアラブ人の着ていたベールと服を剥ぎ取る。
月の光がアラブ人の身体を映し出していた。
「なんだこいつは…」
そこには骸骨と化したアラブ人がいた。
つい10秒前までは普通に生きていたはずの男が白骨化しているのだ。
「…やはりここは妖怪の村のようだな」
「…ああ。リューシーさんたちが心配だ。俺は戻るぜ」
「わたしはもう少し調べてみる」
ヴォルフは早足でその場を離脱した。
急がねば。
なんとしてもこのことをみんなに知らせなければならない…。
・・・
「ヴォルフさん遅いですねぇ」
「もしかして迷子になっちゃったのかしら?」
「まさか。おそらく腹を下したんだろう」
ほとんど減っていない卓上の料理にちらりと目配せしてアルクが答えた。
「…おかわり」
とろんとした垂れ目の女性がグラスを差し出した。
顔は赤くほてり、うっすら汗を浮かべている。
「あら? お酒は自重してるんじゃなかったのですか」
「ふん。しばらく飲んでなかったからな。もう一口くらいならいいだろう」
と言いつつ、すでに2リットルくらいは飲んでいる。
グラスにシャンパンを注ぎ、顔の位置まで掲げる。
「…シレナに乾杯」
「乾杯」


ソフィアはリューシーとグラスをチーン!とさせ、中身を一気に「ごくっ」と飲み干した。
トン、とグラスをテーブルの上に置き、「ぷはぁぅ!」と酒臭い息を吐く。
顔はいい感じに赤く染まり、普段のきつい目つきは目はとろ〜んとして妙な色気を漂わす。
「お連れの方は遅いですね。まぁ、結界が張ってあるから逃げることはできないでしょうが…ん? 帰ってきましたか?」
「ふぅ、ただいま」
「お帰りなさい」
「何やってたの?やけに遅かったじゃない」
「いや、その。なんだ。ちょっと道に迷ってな」
「はぁ? だってトイレ行くだけでしょ?」
「いやそれが、いろいろあったんだよ」
「…ったく、信じられない方向音痴ね。あんたよくそれで砂漠で戦争なんてできるわね」
「あー。だから砂漠で迷子になったんですね」
「いや、あれは迷子ってわけじゃ…」
「はいはい。そーいうことにしておいてあげるわ」
「くっ…」
ヴォルフは苦々しく椅子に座る。
「おい。あいつはいつもあんな調子か?」
「ああ。あーなると絶対人の話を聞かない。放っておいて機嫌が直るのを待つしかない」
「よくお前、”あんなの”と一緒にいられるな。喧嘩とかしないのか?」
「ふっ。この程度で躓いていたら”あんなの”とは付き合えない。お友達から一段階上に上がろうと思ったらこのくらいは笑って過ごさないと…」
「根性あるよお前」
「わたしが根性あるとすれば、アメリカ人の旦那はみんな凄い根性の持ち主だ」
「………ジーサス・クライスト」
思わずヴォルフは胸で十字を切る。
そのとき席の向こうから陽気な笑い声が聞こえた。
「盛り上がってるな。ん?まさか…」
ヴォルフの顔が青ざめる。
「おい!姉さんに酒を飲ませたのか!?」
「ええ。別にいいじゃないお酒くらい」
「なんてことを…」
「……何かまずかった?」
「…姉さんは酒癖が悪い」
「知ってる」
「知ってたのか!?」
「本人が言ったのよ」
あっけらかんに言うルクス。
当たり前だがまったく悪びれた様子はない。
「…どれくらい悪いかは?」
「本人はかなり悪いって言ってたわね。でもたかがお酒でしょ?大丈夫よ。平気平気」
「……」
はぁ、とため息をつくヴォルフ。
「で、実際はどれくらい悪いの?」
「それは―――」
「おー
ヴォっちゃんじゃないかー!」
凄くハイテンションの酔っ払いが手をぶんぶん振っている。
「見ての通りだ」
ため息をつくヴォルフ。
もはや頭痛すらしてくる。
彼女がはじめてこの症状を出したのはたしか12年ほど前だろうか。
「ほっらー、ヴォっちゃん。飲ま飲まいぇい!飲ま飲まいぇい!」
悪ノリしているときのリューシーのように身体をクネクネさせて騒ぐ。
「完全にできあがっちゃってるわね・・・」
「これからが大変なんだよ」
「あははー おねーさんをー 酔っ払い扱いするとー ちゅ〜しちゃうぞー むふ〜〜 ひっく
」
やたらと陽気になったソフィアはおそらく自分の許容を越えた量の酒を飲んでいた。
「ホント、飲みすぎですよ姉さん。せめてちょっとペースを落として…」
「んだとこのイ●ポ野郎… 酒がまずくなることばかり言いやがって。お前は親か?クソったれが。ったく、もぉ怒ったぞ〜!」
ソフィアはそういうとヴォルフの頭を「がし」っと掴み、アイアンクローを仕掛け――――
「あたちの酒をまずくした責任、取ってもらうからな。むふふふふ・・・」
「い、痛っ!ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!マジで痛っ!こめかみに食い込んでる!爪が食い込んでるからやめっ・・・」

「――――〜〜〜〜ッッッ!!!!!!!!!????」
口付けした。
「ちゅっちゅっ
……ちゅぅ……
」
ソフィアの柔らかい唇がヴォルフのそれを吸い上げ続ける。
口の中で激しく動く舌はまるで別の生き物のようだった。
ソフィアの酒臭い鼻息が顔にかかり、生暖かい感触が頬に当たる。
耳の中に指を入れられおもわずゾクっとする。
(あ。気持ちいい―――じゃなくて!こ、このままじゃ息が…息ができねぇっ!!???)
ジタバタと動くヴォルフを決して離さないソフィア。
大の男が全力で引き離そうとしてもビクともしない。
ソフィアの腕力はヴォルフのそれを凌駕していたのだ。
恐ろしい女である。
その必死の形相を見てソフィアは何がおかしいのかニタァと笑う。
数センチ離れた先にある真紅の瞳は何を見ているのか。
さながら精気を吸い取る淫魔のような怪しげな微笑。
まさに魔女である。
ヴォルフは必死にもがくがこの女の握力が異常に強く、まったく離れられない。
大の男が全力で引き離そうとしているが、びくともしない。
一体、どれほどの腕力を秘めているのか。
その間にもヴォルフの口の中の空気が吸い出され続ける。
(――息がっ! 息がぁっ…!?)
やがてヴォルフの動きが鈍くなり、完全に沈黙する。
ダラリりと腕が垂れ、意識も飛んでしまったようだ。
「…ぷはぁっ!」
一分ほどして、酔っ払いが満足そうに酒臭い息を吐く。
そのまま立ち上がるが足元がふらついてバランスを崩し、床に尻餅をついた。
「痛っ あれ? あはは。ヴォルフ、もう寝ちゃったんだ。潰れるの早いぞこの早●めー」
残念ながら潰したのはこの女だった。
ピクピクと痙攣を起こして倒れているヴォルフを見下ろして魔女のように『二ヒヒ』と笑う。
かなり怖い。
「う〜ん?」
ソフィアは顎に手をやり不自然なほどに首をかしげながら、ヴォルフの股間を軽く踏みつける。
酸欠でぶっ倒れている男にはあまりに酷い仕打ちだった。
「あれ?テントは張ってないのか。ちっ…」
つまらなそうに一人で意味不明なことを呟く。
しかしすぐにケラケラと笑いだし、ルクスたちに顔を向ける。
「知ってるか?このムッツリすけべ、あたしんちに泊まったとき「ふぅ、ソフィア姉が入った後の風呂は最高だぜ
」とか言ってたんだよ。あはは!!!」
「マジで?」
「マジマジ。おーマジよん。そんでねそんでね。こいつの筆卸(はあたしがしてあげたのよ。あははは!!」
「ふ、筆卸!?」
「でもあんな腰抜け野郎とは思わなかったよ。だってあたしのケツに突っ込んだとき、5秒と持たなかったんだぞ。どうしようもない●漏野郎さ。あはははは!!」
ソフィア以外の全員が石化する。
「なーんちゃってー、うっそ〜〜。マジだと思った?えへへー、あたしがこーんなダメ男とHするワケないじゃなーい。あはははー!!冗談よ〜 冗談〜 あはははは!!!」
「……」
完全に酔っ払ってるソフィアは誰にも止められなかった。
ソフィアがなぜ酒を自重していたか。
ヴォルフがなぜソフィアの飲酒にあれほど怯えていたか。
ルクスはようやく理解した。
だが、教訓というものはそれを学んだときにはいつも遅すぎるものである。
「…なんだよその目は」
「別に」
ソフィアが睨んだ相手はリューシーだった。
肉食動物が獲物を狙うときの殺気にも似た威嚇を感じたのかリューシーはさっと視線を逸らす。
ソフィアはリューシーの目の前に顔を近づける。
クンクンと鼻を鳴らして威嚇する。
まるで獣そのものだ。
もう目も当てられない。
昼間の凛とした威厳はまったくとして消えうせてしまった。
「この潤った肌が…10代の肌の艶が許せん…」
「は?」
「は!?じゃねぇんだよ!この女野郎っ!」
そしてソフィアは爆ぜた。
「お前がこんな砂漠のど真ん中にいるもんだから、あたしゃ肌と髪が荒れてしかたないっちゅーのっ!それでなくとも三十路直前でやばいのにどーいうつもりだ!」
「はぁ…歳を取ると大変ですね」
まったく悪意の見られないその言葉にソフィアはむっとした顔を浮かべる。
そしてどこか哀れに思っているような眼差しがさらに怒りの炎に油を注ぐ。
掌を広げ、指をピクピクさせながら、
「かんしゃくおこる!この肌かっ!このスベスベの肌かっ!この潤った肌か!!ええ!えええッッッ!!!」
ソフィアはリューシーの頬を思いっきり抓った。
「な、何を…い、痛ひ!ひゃ、ひゃめて!ひゃめてください!!」
「こおんな砂漠に島流しにされたせいでジクルドにも振られた!お前に関わってると悪い方に転がっていくばっかりだ!何もいいことがない!全部お前のせいだ!どうしてくれる!」
「ほ、ほんなほと。ひ、ひらないへすほぉ……」
「知らないで済むか!お前なんてこうしてやる!」
ソフィアは本気で痛がっているリューシーの頭を両手でがっしりと掴み、カクテルシェイカーのようにぶんぶんと揺す振ったかと思うと、
「むふっ 」
ニカーッと白い歯を見せつけながらいやらしく微笑い、
「〜〜〜〜ッッ!?!??」
やっぱりキスした。
むちゅー、と吸引機のように音を立てて唇を吸い込む。
やはりリューシーもヴォルフと同じように引き離そうとするが、いかんせん無力であった。
無理やり舌を入れてリューシーの口内をソフィアの舌が駆け巡る。
他人の舌が自分の口の中で暴れるという異様な感触が背筋を凍らせ、鳥肌が立つ。
なんとかして顔をどけようとするが、ヴォルフの腕力でも歯が立たないのに、リューシーの力で動くはずもなかった。
舌を噛んでやろうと思ったが、顎をがっちり押さえられてしまってそれもできない。
結局、さんざん唇を吸われたあとレイプ魔は満足そうにゲップする。
やりたい放題の野放し状態であった。
リューシーは手で口を押さえるとそのままその場に座り込んでしまった。
「きゃはは!ざまーみろー!」
してやったり、とソフィアは両手叩いて笑う。
呆然とするルクスを他所に、ソフィアは再び飲み始めた。
「プッハー!あ゛ーーーーっ!この一杯の為に生きてるって感じだよなぁ! な! ルクス!」
「え、ええ・・・そうね」
「はぁ?なんだその答えは!?・・・ったく、これだからお子チャマはよぅ・・・・ヒック。
おいリューシー!なにショック受けていつまでも固まってんだよぉ・・・こっちこい!こっちきてお酌しろ!」
ばんばん、と椅子を叩く。
その姿はもはや酔っ払いのセクハラ親父であった。
「あ、あたしがするわ!」
「ルクスが?ま、いいだろ。よーしよーし。・・・おっとっと・・・プッハー!っかー!うめぇー!」
実にいい飲みっぷりである。
自分の限界を考えないバカな飲み方とも言えるが。
「くすくす・・・こうしてみるとルクスもかーわーいーいーなー!・・・ちゅーさせろ、な? な? いいだろ?」
「な、何言ってるのよ!」
「だーってー、ルクスちゃんが可愛いんだもーん♪」
「あたし、女よ!」
「それがどうした!あらしらって女だぞ!」
「あーもー!あんた飲みすぎよ!ヴォルフが飲ませるなって言った意味がよくわかったわ!この酔っ払い!」
「うえへへへ〜、酔っ払ってるぅ?い〜や、全〜然よっれまへんよ?ヒック」
「もう!そんなんだから結婚できないのよ!」
「…」
ルクスは禁断の呪文を唱えた。
その瞬間、酔っ払いは石化した。
―――1秒経過、
――――――2秒経過、
――――――――――3秒経過
「・・・・・・。うぅ・・・うっ・・・うわあああああん!
あ、あらしらってぇ・・・あらしらって女なんだよぉ、女の子なんだよぉ・・・うう・・・ジクルトはあたしで満足してると思ってた。満足してくれてると思ってたのにぃ・・・本気だったんだぞ。結婚はいつするかとか、子供は2人くらい欲しいなとか考えて…うう…ああ、うあああん!」
それまでハイテンションだった三十路女が泣き崩れ、激しく号泣する。
「あ、あのちょっとソフィアさん? ジクルトって誰よ?」
「もう、かえりゅ・・・おうち帰りゅぅぅぅぅぅ!いーやーだー!やーだぁ!おうち帰りたーいー!」
質問にも答えず床に寝そべりながら泣き喚く。
かなり酔っているらしくだだっこ状態だ。
「……はっ!」
とヴォルフが目を覚ました。
上半身だけ起き上がり、慌てて現状を把握する。
「あ!ヴォルフ!目が覚めたのね」
「ああ。なんとかな。そうだ!姉さんは!?」
そこよ、とルクスが視線で合図する。
地べたに寝転んで子供のように手足をジタバタさせているが、すぐに静かになった。
「姉さん!何やってるんだよ」
「ぅぅ、気持ち悪い…」
「飲みすぎだぜこのオバサンは…ほら、ちゃんと立って」
ヴォルフはソフィアを背負った。
おんぶしているヴォルフにソフィアの強烈な酒臭い息がかかる。
おまけに首に手がかかっているので結構辛い。
ほとんどチョークスリーパーだ。
「ちょいたんま! 首が苦しい」
ソフィアを背負うことを諦め、両手で抱きかかえることにした。
「よっこいしょっと」

(……意外と軽いな)
ヴォルフはソフィアの身体の華奢に驚きを覚えた。
(俺がでかくなったのか…)
昔は体格差があって、目の前の姉がとても大きな存在に思えた。
「なぁアンディさん。姉さんを休ませたい。どっか部屋を貸してくれないか。静かな部屋で横にすれば回復するだろう」
「ああ。なら隣の部屋を使ってください」
「ダンケ」
・・・
ドタン。
言われた通り、隣の部屋に入って戸を閉める。
何もない部屋だ。
石造りの壁に床。
あとはなんだからわからない彫刻像とかが置いてある。
ここは物置だろうか?
「うう、キモチワルイ…」
「姉さん。大丈夫か?」
「大丈夫じゃない…」
「まったく。潰れるほど飲むなよ。ガキじゃねぇんだから」
ソフィアを寝かし、毛布をかけると
「俺は向こうに行きますよ」
「ん。いっちゃだめ」
立ち去ろうとするヴォルフの袖を掴むヴォルフ。
「いっちゃだめ」
「だって姉さんはもう寝るだけじゃないですか」
「いーの」
「何がいーのなんですか」
「だーめ。いーって言ったらいーの。ただ居るだけでいいから」
ヴォルフの袖をつかんでいたソフィアは彼の手を握る。
豆だらけのゴツイ手だった。
お世辞にも柔らかいとは言えない。
だが手の大きさは自分よりも一回り小さかった。
握り返してみてやっぱり女の手なんだと認識する。
「なあヴォルフ。わたしのこと……どう思う?」
「はあ?」
「どうなんだ?」
「ど、どうって…」
いきなり何を言い出すのか。
じぃっとこちらの目を見つめるソフィア。
先ほどの口付けを思い出す。
途端に顔を合わせるのが恥ずかしくなり
一体なぜこんな状況になってしまったのか。
なんといっていいかわからずヴォルフはパニックに陥った。
落ち着け。
たかがキスくらいで何を慌ててるんだ。
自分に言い聞かすが、瞬きもせずにじっとこちらを見てる真紅の瞳
しどろもどろになりながら何か言わなきゃ何か言わなきゃと思いつつも言葉にならない。
「あはは、照れてるな〜もう、可愛いぞ〜この、この〜」
ソフィアが人差し指で額を突いてきた。
ざくっ。
ツメが思いっきり肉に食い込んだ。
まったく予期していなかったため、思いっきり痛かった。
「…お前は知らないが、わたしには婚約者がいいたんだ…」
「へぇ。それはおめでとうございます」
素直に祝福する。
まるで自分の姉が嫁に行く弟の気分だ。
「過去形だ。いた。つまり、今はいないということだ」
「…どうしたんです?」
「…振られた。ある日、突然。手紙が届いて、「もう二度と会わない」と書いてあった。わたしが嫌いになった。顔も見たくないと。理由はシンプルだがちゃんと書いてあった…」
「……」
「料理ができない。掃除が下手。洗濯も下手。裁縫も下手。散らかし放題。わたしと一緒に暮らすのは無理だと断言された…
たしかにどれも正しい。弁解の余地がないくらいに…」
それはかなり致命的だ。
とヴォルフは思った。
「でも、わたしだって改善しようとしたんだぞ!悪いところは直そうとした!…結局、失敗だったけど!」
…だめじゃん。
「……あいつはそれをわかってわたしと付き合うと言ってくれたんだ。交際して2年半だ。2年半も付き合ったのに…こんな別れ方で…ぐす」
目に涙が溜まり、ソフィアはそっぽを向く。
「もういい…寝る。今のは忘れろ。ただの酔っ払いの絡みだ」
「ふぅー」
ヴォルフは胡坐をかいて座った。
「…なんだ?」
「姉さんがいてくれって言ったんだろ」
「…もういい」
「俺がいたいんだよ」
「何のつもりだ?慰めか?お前に慰められるほど、わたしは落ちぶれてない」
「そんなんじゃないよ。ほら、俺も姉さんに会わない間にいろいろあったんだ。話をしようぜ」
ヴォルフはそう言って話はじめた。
昔一緒に遊んだこと、喧嘩したこと。仲直りしたこと。
それからしばらく離れていた間の出来事。
会話というよりは一方的に話しているだけだったが、何かの気晴らしにはなるだろう。
気がしれた相手なのでこっちも思わず饒舌になってしまう。
しばらくしてソフィアが無反応になった。
見てみると目を瞑って気持ちよさそうな寝顔を浮かべている。
「おやすみ、姉さん」
ヴォルフは自分にとって実の姉のような存在の女性に毛布をかけると、彼はこれからのことを相談しに元の部屋に戻った。