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疾風怒濤!!
strum und drang!!

ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!

 「あらあら……軍靴の音が聞こえるわね」

二階客席のルクスが緊張感のない感想を述べた。

木製の竜の中から現れた人数は一個小隊分の行軍靴ジャックブーツの群れが軍靴を鳴らす。

靴の裏には鉄の鋲が、踵には馬蹄形の金具が打たれており、やたらとうるさい音を立てていた。

兵士たちが歩き出すと同時に建物のランプの多くが灯り、会場が一気に明るくなる。

当然のことながら、途中で邪魔された観客たちが抗議しようと押しかける。

 「構え! 全員、天高く手を上げろ!」

指揮官らしき金髪のセミロングの女性の命令と同時に、兵士たちが一斉にKarカラビナー98Kクルツ小銃を構えた。

無言の圧力がかかり、交渉終了。

一気に騒ぎが静まる。

 (―――あれは……ソフィア姉さん?)

ギリシャ軍よろしく《トロイの木馬》から出てきた兵士たちの指揮官の顔にヴォルフは見覚えがあった。

あの整った顔立ち、強い意志を思わせるはっきりした一本の眉。

男の自分とほとんど変わらないほどの長身、スラリとした長い手足、輝く金の髪。

あれは自分の姉、のように慕っていた自分の隣の家に住んでいた女性だ。

名はソフィア・パンタブルグ。

髪の毛は切ったのだろう。昔は腰まで届くほどの長髪だった。

何よりあの燃えるような真っ赤な瞳。

あれは十年近く前に彼女が高熱で倒れた日に碧眼から変色した目だ。

何の病気なのかは教えてくれなかった。

理由は知らない。

パンタブルグ家は普仏戦争の頃から続く軍人の家系だったが、今の代の当主は男子に恵まれなかった。

だからだろうか、彼女が軍人になったのは。

襟に縫い付けてある階級章から彼女が高級中隊指揮官だとわかる。

武装SS(Schutz Staffelシュッツ シュタッフェルの大尉殿だ。

ナチス親衛隊には2種類あり、軍人は武装SS。民間人が一般SSである。

両者とも総統アドルフ・ヒトラーの私兵として発足したが、最近の武装SSは「アーリア人だから」という理由でインド人やイラン人、あげくアフガンの回教徒やアフリカの黒人まで受け入れてしまっている多国籍部隊だ。

女であるソフィアが大尉をやっている理由も人手不足だからという点が大きいのだろう。

一般SSの方はいわゆる黒服だが、これはポーランドとの戦争前にはほとんど見かけなくなった。

今どき黒服を着ているのは、収容所の看守だのと理由をつけては後方に居座ってる腰抜けくらいなものだ。

大尉であるソフィアに対してこっちは下っ端の一兵士なので、本来は必要以上に親しくなるべきではないが、何はともあれ久々に旧友に会ったのだから積もる話をするというのは極めて魅力なプランである。

―――が、

 (……今ここで見つかるのはまずいぜ。中隊から離れてこんなところで劇を見てたなんてばれたら…)

ソフィア一人ならともかく、他の連中が見たらどう思うか。

軍服を着て砂漠を彷徨っている最中ならともかく、この状況で理由を話してすぐに納得してもらえるだろうか。

逃亡兵として通報されてしまうかもしれないし、最悪、反逆者として逮捕されてしまうかもしれない。

幸いにしてソフィアやその部下たちはヴォルフには気付いていないようだ。

このまま大人しくてしていれば自分は安全だろう。

しかし、このままではリューシーがどんな目に合うだろうか。

明らかに連中は舞台上のリューシーを狙っていた。

事前に雲隠れされないように、木竜の中に隠れるという真似までして。

そんなことをする必要がどこにあるのかはわからないが、そんなことをする必要があったからこそやったのだろう。

そして、ナチス親衛隊の悪名は国防軍兵士のヴォルフでさえ聞き及んでいる。

特に酷いのがユダヤ人への虐待の数々だ。

ここだけの話だが、SSはユダヤ人の皮膚からいろいろなものを作っているそうだ。

電灯の傘、ブック・カバー、SS将校用の自動車運転手袋、鞍、乗馬ズボン、スリッパ、婦人用ハンドバッグ、などなど言い出したらキリが無い。

ラジオを聴きながら、ペダルでこぐ頭脳破壊機を使って人々の頭を打ち砕いたという話も聞いたことがある。

原子爆弾を使って二万人のユダヤ人をトワイライト・ゾーンに吹き飛ばす実験もしたらしい。

囚人の目に注射して目の色を変えたという話もあった。

ひょっとしてソフィアの目の色が変わったのもそれだろうか?

「――――」

そんなアホな話があるか。

よくよく考えれば、自分が聞いた《悪名》のほとんどはあまりに非現実的すぎる。

第一次世界大戦の頃は、ドイツは死体を工場に運んでグリセリンを生産しているという噂が流れていた。

あれと似たようなものだ。

だが、彼らが秘密警察として恐れられており、サハラ砂漠のど田舎まで兵士を派遣してリューシーを捕まえに来たことは事実だ。

なんとかしなければならない。

とりあえず顔を隠して……

「――――そうだ。あれがあったな」

ヴォルフは思い出したように一人でそう呟くと席を立った。

 

 

 

 

舞台上では兵士が褐色の少女に小銃を向けている。

並んでいる兵士の間から白ネクタイ、白手袋、中折れ帽子着用のスーツ姿の男が一人、一歩前に出た。

ポマードを使って髪の毛全てを地肌ぴったりになるほど後方になでつけている。

サングラスの奥の細い目は何が楽しいのかニヤニヤと笑っていた。

 「こんばんわ王女さま。ご機嫌いかがかな。さながらアンドロメダ姫のような役はなかなか似合っていたよ」

「ドン・ルイス・ペレンナ… あなたがなぜここに?」

リューシーがふいを突かれたような表情を浮かべる。

「なぜ?」

はあ、とため息をつく自称スペイン貴族。

「セニョリータ・フェルナンデス。“なぜ”なんて酷い言葉だ。俺は君をずっと探していた」

「わたしじゃなくてエンヴィーの神殿をでしょう? あんなおとぎ話を本気で信じているのですか?」

「信じているさ。クラーク・フランクリン博士が見つけたからな」

「なら博士に聞けばいいわ」

「ところが彼は行方をくらませた」

「見失うとは随分と無能な秘密警察ですね」

「君が逃亡を手助けしたんだ」

わずかにベレンナの声が強張る。

「何のことだかさっぱりです」

「とぼけてもらっては困るな」

「ちょっと待った!!」

唐突に会話をさえぎる少女の声。

「ルクス?」

アルクが舞台に上がった金髪の少女を見た。

慌てて横の席を見ると、さきほどまでそこにいたはずの彼女はすでにいない。

いつの間にいなくなったのだろう。

「今のフランクリン博士って、クラーク・D・フランクリン? テキサスの?」

「何だお前は―――」

ベレンナはそこまで言うと言葉を止めた。

「ん? あなた…どこかで見た顔ね」

ルクスが怪訝な顔をするとベレンナは「ごほん」と咳払いをして帽子を深くかぶる。

まるで彼女から顔を隠すように。

「博士の追跡には時間がかかる。そこでだ。君を契約で動くタイプの人間だと思ってスカウトする。俺に協力して欲しい。博士の助手だった君なら彼の代わりもワケないだろう」

ルクスから視線をリューシーに戻し、何もなかったようにさきほどの続きを述べる。

(……うーんと、どこで見たんだっけ?)

ルクスは一人、このオールバックの男を思い出そうとして悩んでいた。

「契約の概念をご存知なら、わたしが博士と契約しているのも知ってますね。その上で買収ですか。となるとお次は脅迫ですね」

リューシーが胸を張って言った。

何十挺の小銃が自分が狙っているのに強気な態度だった。

「おいおい。俺が頭を下げて頼んでいるのに脅迫呼ばわりはないんじゃないか?」

「頭を下げる?こんな女の子一人説得するのに兵隊使って、銃で脅して、どこが頭を下げているんですか?脅迫とお願いの違いもわからないとはね」

「言葉には気をつけた方がいい。今の俺のクライアントはナチス・ドイツだ。つまりこのオファーはヒトラー総統の意志でもある」

「ではボヘミアの伍長閣下にはこう伝えてください。あなたの目は節穴だ。ドン・ルイス・べレンナのような詐欺師を雇ったのは大きな間違いだと。それにあなたが黙ってナチスに協力するわけがないでしょう。見返り以上のものを狙っているはずです」

リューシーがソフィアの方を見て声を上げる。

「ナチスのお姉さん!この男は必ずあなたたちを裏切りますよ。―――何もわからない小さな子供だったわたしを裏切ったときのように!」

「待ってくれ。あのことは俺のせいじゃない。言うなれば事故だ」

「そうやってすぐに責任転嫁するところが大嫌いなんです。素直に謝罪したらどうです?」

「だが、そのおかげで君は君の中に眠っていた魔力を使えるようになった!神に与えられた力を自由に使えるようになったんだぞ!」

「その代わりに失ったものは大きすぎました…母さん、兄さん、そしてわたし自身…」

 「あー!思い出した!」

ルクスが声を上げてポンと手を叩く。

ぴくん、とベレンナの眉が一瞬上がった。

「あなた!パパの友達のラ――――」

「お嬢さん!我々は今、大事な仕事の最中なのだ。買って欲しいのなら後にしてくれ。お前たち。この娼婦を外へつまみ出せ。」

「だ…誰が娼婦よ!」

兵士たちは黒服の指揮官の顔を見る。

指揮官はこくん、と頷いた。

「ちょっと・・・バカ!えっち!変態!どこ触ってんのよ!放して!放しなさい!放せってば、おい!」

左右から二人の兵士に両腕をがっちり掴まれて暴れるルクス。

だが、屈強な兵士に阻まれて身動きがまったく取れない。

「放せって……言ってんでしょう!!」

ルクスは怒り満ちた声を張り上げると同時に右の兵士の足を踏みつけた。

続けて己の後頭部を鼻っ面に叩きつける頭突き。

自分の頭にも衝撃がはしり、一瞬、目の前に星が舞う。

自由になった右手で左の兵士を殴り倒し、服で隠れてた腰のホルスターから流れるような動作でシングル・アクションリボルバーとガバメントを抜いて銃口を向けた。

同時に兵士たちが一斉に小銃を構えるが、二挺拳銃のまま叫ぶルクスの血走った目を見る限り、彼らの行動は恐怖よりも怒りの火を注いだだけのようだ。

「あたしはこの”ラルフ・ファインズ”と話をしてんの!邪魔しないで!」

「ラルフ・ファインズ?」

ソフィアは小声で呟き、どういうことだ?と暗に質問しているようにベレンナを睨む。

「ふむ」

あちゃー、と頭を抱えるベレンナ。

「……ラルフ・ファインズ、とは誰のことかなお嬢さん?」

「とぼけないでよ。あなたの顔を思い出したわ。あなた、パパの友達でしょ。もう十年以上前にウチに遊びに来たことがあったわよね。で、その後パパと喧嘩してそれっきり。そのあなたがいきなりパパを探してる。どーいうことなの?説明してもらいたいわ」

「何か誤解があるようだからまず自己紹介からいこう。俺はドン・ルイス・ベレンナ。スペインの大学で考古学の研究をやってる。今はこちらに雇われている身だがね」

 「ふーん。スペインの学者さん、ねぇ」

むふふふ、とルクスの顔がにやけた。

わたしは明らかに何かよからぬ企みをしています、と言わんばかりの顔つきである。

「そうだ」

「ならあたしも自己紹介しちゃおうかしら。あたしはルクス。テキサスから来た女」

 「テキサス? ああ、人間より牛の方が多いあそこか」

言ったのはソフィアだった。

どうやら彼女の中ではテキサスとはそーいう土地らしい。

「ちょっとちょっとちょっと!変な納得しないでよ。言っとくけどね。あたしたちはリューシーさんに会いにはるばるテキサスからやって来たのよ。でもここで年に一回の劇に出てるっていうから、劇が終わるまでは邪魔しないように待ってたの。それをいきなり乱入してあんたら一体どういうつもり!?ドイツ人ってのはマナーのひとつもなってないっていうのね」

ひたすら強気に啖呵を切るルクス。

そして最後に胸を張って、立てた親指で自分を指す。

「あたしはルクス・ルーズベルト! アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの姪よ!!」

嘘ばっかり、と客席のアルクが心で呟く。

「あたしのパパはルーズベルト大統領の妹の婿養子なのよ。そうよね。リューシーアナッサさん?」

「ええ。その通りです。あとわたしのことはリューシーでいいですよ」

リューシーはきっぱり肯定した。

それが当然だと言わんばかりに当たり前に答えた。

「お前らは知り合いか?」

「そうよ。ま、いつもは文通だったから直接話すのはこれがはじめてだけどね」

「ですね」

ソフィアの質問にルクスとリューシーがそろって答える。

「そうそう。あなたも知っているわよね”スペイン”のドン・ルイス・ベレンナ? なんたってパパの知り合いだもの」

「あ、ああ。知っている。その通りだ。セニョリータ・ルーズベルト」

ルクスの言葉を肯定するベレンナ。

だがその顔は明らかに不服を訴えていた。

ぐぐっっとルクスに顔を近づける。

(―――おい、俺を脅迫するつもりか?)

 (―――あ〜らあらあら酷い言い草だこと。脅迫だなんてしてないわ。ただのお・願・い。あんたが英国人だってことばらされたくなかったら話を合わせなさい。何がスペインの学者よ。スパイ活動なんてして、これじゃ殺されても文句言えないわね。ふっふっふ…)

(―――ちっ、クラークめ。とんでもねぇ女に育てちまいやがった…)

(―――あら、惚れたかしら?)

(―――誰が!!)

苦々しく舌打ちするベレンナ。

ルクスの顔には自信の笑みが浮かんでいた。

「わかってるの? あたしに危害を加えるってことは、“テキサス”がドイツに宣戦布告する理由になるわ! あなたたちがイギリスに苦戦してるのはラジオで知ってるわ。ここで外交問題を起こしていいわけ?」 

テキサス・カウボーイは両手を腰に当てて周囲を見回しながら言い放つ。

大統領の姪と名乗ったルクスの言葉を信用しているものは、ベレンナが認めたとしても、誰一人としていなかった。

「ゲオルグ。どう思う?」

ソフィアが隣の下士官に話しかける。

「どうも何も。大統領の姪がこんなところにいるわけがないでしょう」

「だろうな。だがあのバカ女がヤンキーであることは間違いなさそうだ。あの下品な物言いと頭の悪さは他に心当たりが無い」

「しかし大尉。ドイツ兵がアメリカ人を殺したとなれば、それがどんな“チンピラ”の類であろうと、米軍は報復攻撃を行います。ましてや白人の少女がドイツ兵に殺されたとなればなおさらです」

「リメンバー・アラモの再来か。中立主義を捨てて欧州の戦争に首を突っ込みたい戦争屋は大勢いる。ここは軽率な行動は控えるべきだな」

「は」

ゲオルグとの小さい相談が終わるとソフィアが兵士にジェスチャーをしながら指示を出す。

「全員、銃を下ろせ。発砲は厳禁する。絶対に撃つな。絶対だ」

ソフィアが全員が銃を下ろすのを確認すると、

「さ。続きをどうぞ。ルクス……ルーズベルト嬢」

ルーズベルトの部分にアクセントを強める。

「ドン・ベレンナ。わかっていると思うがお前に与えられた時間はあと3分だ」

「…わかっている」

「何の話?」

「君らが拘束されるまであと3分という話」

「わお…」

聞きたくなかったと苦い顔をするルクス。

「じゃ3分で答えられる質問。パパに何の用?」

「簡単なことさ。俺の仕事にフランクリン博士の協力が必要になった。だから探している」

「なんの仕事よ?」

「営業上の秘密」

「答えになってないわ。最近になってパパはシレナの遺跡を発見した。そして行方不明になった。でもそれとナチスとがどう関係あるのよ?遺跡の発掘にライフル持った兵隊を送りつけるなんてどう考えてもおかしいわ」

「……ならば言ってやろう。ロンギヌスの槍さ」

「ロンギヌスの槍…?」

 

「ベレンナ!」

ソフィアの怒鳴り声。

さきほどから沈黙していた指揮官がはじめて漏らした不満だった。

だが、ベレンナはまったく気にしてない様子である。

「いいじゃないかパンタブルグ大尉。ナチスがロンギヌスの槍を探していることは世界中の新聞が報じている。いまさら隠しても意味はない」

 「アッハッハ!」

リューシーが滑稽な愚者を見下すかのように笑う。

「聖ゲオルギウスが竜殺しに使った聖槍ロンギヌス。その槍を手に入れたものは世界を支配できる。そんなおとぎ話を信じているとはお笑い草ですね。貴方たちはきっとサンタクロースも信じてるんでしょう。おめでたい頭だ」

「たしかにおとぎ話だ。だが、単なるおとぎ話をおとぎ話でなくしてしまったのは君のような人間だよ。セニョリータ・フェルナンデス。そして―――」

ベレンナあちらりとソフィアを視線で示す。

「こちらの大尉も君側の人間だ。つまり君を本当に理解できる人だ。だから―――」

「だから? 何度も言っているようにお断りです。――――どうしてもわたしを服従させたいなら力づくでどうぞ。もちろん黙って従うつもりは毛頭ありませんけど」

細く、冷たく、敵意に満ちた鋭い眼光。

断固として拒否するという絶対的な敵対心。

「……これ以上話しても合意はできんだろう。君がどうしても嫌だというならば仕方ない。君の望む通りにしよう」

やれやれと首を振ると、ベレンナは後ろに下がる。

同時にソフィアの手が挙がり、下がっていた銃口がこちらを向いた。

時間切れだ、という顔をしてソフィアが口上を述べる。

「ドン・ベレンナの交渉は最後のチャンスだった。小娘。お前がアメリカ人だろうとソ連人だろうと関係ない。腰抜けのイタ公だろうとしてもどうでもいい。こんな砂漠のど真ん中で白人が一人死んでも詳細を完全に調べることは不可能だ。このまま見逃してやってもいいが、銃を突きつけられて黙っているほど我々は根性なしではない」

「でも玉なしよね」

「…たしかにそんなものはついてない」

ルクスの悪態にソフィアの目が怒りに満ちてくる。

だが、その眼差しに軽蔑は含まれていない。

「ルクスと言ったな。いい眼をしている。わたしは敵であろうと勇気を持つものを尊敬することにしている。我々ナチス親衛隊を相手にその堂々とした態度は褒めてやろう。あとは勝ち目の無い戦いを避ける知恵さえ持てば言うことはない」

「つまりあたし達がやったのは愚か者の蛮勇だって言いたいわけ?」

「そういうことだ」

連れて行け、とソフィアが部下の兵士に命令する。

「リューシーさんって、案外無茶なのね。あたしも時々どうしようもないバカやるけど、あなたも凄いわ」

「…それって褒めてるんですか、貶してるんですか?」

「両方かな。で、どうするの? 力づくで来いなんて言ったからには。もちろん“策”があるのよね?頼っちゃうわよ」

「はい」

リューシーはニッコリ笑って言った。

「祈り信じればきっと救われます。さあ、一緒に祈りましょう。オブイェークトっ」

「…おい」

リューシーはルクスの突っ込みを無視して両手を組むと『印』を結び始めた。

 

 

――――ナウマク・サマンダ・ボダナン・ガララヤン・ソワカ

 

 

「祈るだけじゃ何も解決しないわよ。ホントのこと言ってよ」

両手を閉じて瞑想をはじめるリューシーにルクスが不安な声を上げる。

 

 

 

――――のぞめるつわもの闘う者、皆 陣やぶれてれて、前に在り

 

 

「ちょっと……マジで祈ってるんじゃないでしょうね?」

嘘と大法螺おおぼらとハッタリでドイツ兵をびびらせて適当にずらかるつもりだったのに、まさかリューシーが自分から喧嘩を売るなんて思わなかった。

だんだんと恐怖が背筋に冷たいものを突きつける。

体が緊張し、鼓動が強くなっていく。

 

 

――――火よ 炎よ 爆炎よ 我が名は闘いの神アシュラ・テンプルAsh Ra Tempel 漆黒の闇の底に燃える地獄の業火よ 我が命に従いて蛇神ナーガとなれ。

 

 

SS兵がルクスの銃を取りあげる。

「大人しくしてろ。今度、あんなことしたら撃ち殺すぞ」

「あ〜ら。せっかく男前にしてやったんだからお礼くらい言ってもらいたいわね。男の傷は勲章なんでしょう?」

「―――ふん!!」

いちいち相手の神経を逆撫でするルクスの言葉。

大人しく両手を拘束されようとしたとき―――

「…リューシーさん? あなた、髪の色が……」

 

 

――――竜王の咆吼を響かせ、滅びを運び、霊魂まで灰にせよ。汝は獣の王、≪暴君≫なれ。

 

 

「ほら。オマエもだ」

 「――――!!!」

SS兵がリューシーの腕を掴んだとき、それまで瞑っていた両目が「かっ!」と開く。

ドクン!

身体が震えるような心臓の鼓動。

血液以外の何かが全身を駆け巡る。

「熱っ!」

火傷しそうな体温にSS兵は小さく悲鳴を上げて慌てて手を離す。

赤みがかった髪は磁石で吸われているように逆立っている。

ぐらり、とリューシーの姿が歪んだ。

宝石のような瞳が真っ赤に染まる。

どこか狂気じみた眼(まなこ)。

目を開けると同時に褐色の少女がすばやく手首を返す。

するとSS兵の首に何かが巻きつき、蛇のように締め付けられると「ふぐぉ……っ!」と嗚咽を漏らして彼はその場に沈んだ。

「わたしの鬼鞭キムチの味はどうですか? うーん、ちょっと辛すぎたかしら?ふふ…」

「あれは―――――?」

ソフィアはリューシーの手にいつのまにか握られている布に気付いた。

不自然なまでられた腰帯ガードル

まるで一本鞭のように見える。

「―――――ハァアアアアアっっっ!!!」

 

  「アマゾンの王家に伝わる軍神アレスの腰帯ガードルセントゲオルギウスがシレナの邪竜を手なづけるのに用いた宝具です。これがあれば……。さあ、ヒューバ遠慮はいらないわ!」

リューシーはサーカスの猛獣使いのように「ビシィッ!」と派手な音を響かせて鞭を床に叩きつける。

「――――Go ,hyva! Go!

「何がヒューバだ! さっさとこっちへ………」

SS兵がリューシーを引っ張ろうとしたそのとき、背景の黒いカーテンがふわっと膨らみ―――

 

―――ドコォンっっ!!

 

カーテンの裏側のモザイクの掛かった壁を突き破って、巨大な何かが突っ込んできた。

「―――!?」

砲弾の類ではない。

もっと巨大な蜥蜴とかげの頭が部屋に突っ込んできたのだ。

その身体が強引に突っ込もうとすると、炭鉱で発破処理したような轟音が響き、建物の石壁が煙を上げて吹き飛ぶ。

破片を喰らい、小さい悲鳴とうめき声と倒れる兵士たち。

そのうちの一人は宙に逆さづりにされていた。

先ほどリューシーを拘束しようとした兵士だ。

工場のクレーン機械のように巨大な何かが上下から兵士の足を挟んで吊り上げている。

彼は右へ左へ振りまわれると、最後には言葉にならない絶叫とともに、壁に向かって投げつけられた。

 「おっと危ない」

リューシーが鞭を放つと、布が物凄い勢いで通常の三倍ほどの長さにまで伸びた。

バンジージャンプのゴムのように、放物線を描いて宙を舞う兵士の足元に絡みつき、壁に激突する寸前その場で落ちる。

高さ数メートルから石の床に落下したためにぺキッ、と嫌な音がした。

声をあげることもできずにうずくまる。

本人も何が起きたのか理解していなかっただろう。

「ほら。祈り信じていれば必ず報われるでしょう? 信じるものは救われる」

リューシーは鞭を手元に戻すと、日曜の教会で子供に教えを説く司祭のような笑顔でニッコリと笑う。

「けほん。けほん。…な、何よあれは!?」

煙で咳き込んでいたルクスが目を開けて悲痛に叫んだ。

畏怖する心に悪寒がはしる。

 「グルルルル!!!」

野獣の咆哮が木霊する。

その場が凍りつく。

あまりのことに動くことはおろか呼吸することさえも忘れてしまっているようだ。

感動なのか、恐怖なのか。

どちらかではなく、どっちもなのか。

トカゲの身体はテキサスの実家の近くの沼地の主(ぬし)であるワニの比ではなかった。

さきほどの木製の竜よりも一回りもでかい化け物である。

体長は13メートルを越え、顔を見上げなければ全体が見えないほどの大きさ。

3階建てのビルに匹敵する巨体が小動物のような人間たちを見下ろす。

トカゲの頭部は鼻先が細長く、目のあたりから急に広がる独特の形をしている。

敵を威嚇する角が何本か出ており、見るだけで恐怖のあまりに身体の自由が奪われるようだ。

人間を簡単に飲み込めそうなほど巨大な顎。

磨がれたナイフのような牙がノコギリ状に並んでいる。

ステーキナイフのような牙の長さは18センチほどはあり、獲物に喰らいつけば、簡単にその肉を引き裂くことができそうだ。

背中には蝙蝠のような形の翼。

広げれば20メートル以上になりそうな巨大な翼だ。

見た目が大きいので動作がゆっくりに見えるが、実際はかなり機敏な怪物である。

たくましい二本の獣脚じゅうきゃくで体重を支えているが、ひたすらに太い筋肉の塊は何トンもある体を人間では追いつけない速さで移動させることできる。

つまり、時速50キロで走るこの怪物が本気になったら人間の動きでは逃げられないということだ。

 「グオォォォォォォォン―――――ッッ!!!!」

怪物が腹の底から唸りを上げて吼える。

雄叫びで空気が振るえ、建物が軽い地震にあったように揺れた。

己の足元程度の大きさの人間など、このトカゲから見れば実に小さく、人から見た羊や牛のようになんとも無力な生き物に見えるだろう。

その光景はまるでトカゲがか弱い人間を支配しているようだった。

まさに《暴君》と呼ぶにふさわしい。

《暴君》の機嫌一つでその場の人間の命の蝋燭の火が消える。

古代シレナ王国の王が人々を苦しめる邪竜に生け贄を差し出したのも無理は無い。

銃も持っていない古代人がこのような化け物に狙われたら生け贄を差し出すくらいしか打つ手がない。

「どうすればいいんですか大尉!?」

「あ、あんなのが出てくるなんて聞いてないですよ!」

「うろたえるな! ドイツ軍人はうろたえない!」

おそらく地上最強の獰猛な“恐ろしい竜”の乱入の登場に動揺するSS兵をソフィアが一括する。

慌てふためく様子を見てリューシーが満足げに口元をニヤリとさせた。

「ルクスさん怪我はありませんか? 怪我がないなら走りますよ。ついてきてください」

「ええ。でもあれは…」

「大丈夫。あれはヒューバ。わたしが召喚したバハムートです」

「ば、ばはむーと? 召喚?」

「いいから行きますよ!!」

「ちょっと待って。あたしの銃を」

ルクスは取り上げられた倒れているSS兵から回収する。

するとリューシーはルクスの手を引っ張ってヒューバが壊した壁の穴へ入っていった。

「おのれ、ここまで来て逃がすか! クリストファ軍曹! 隊列を組んでやつらを追え!」

ソフィアがゲオルグに慌てて指示を出すと《暴君》の血のように赤い瞳がぎろりと彼女を睨み、目が合った。

ここは通さん。通りたければ俺を倒していけ、と赤眼が語る。

数メートル先に突如出現した《暴君》の存在に慌てた兵士たちが小銃を発砲した。

だが、野生の熊ですら小銃を喰らっても反撃してくるのに、この《暴君》相手では致命傷など与えられない。

SS兵の行動は《暴君》の怒りを買っただけに終わった。

筋肉の塊の鎧はモーゼルの弾を弾き飛ばし、《暴君》は身を屈めると人間が顎をクイっと動かすのと同じ要領で2人、3人を吹き飛ばす。

巨大な尾は目障りな後ろの兵士を弾き飛ばしただけでは飽き足らず、一三世紀から七百年の歴史を持つ寺院の柱を何本か粉砕した。

文字通り粉々になった柱を見て客席の老人(彼はこの建物の責任者だった)が言葉にならない言葉を呟きながら卒倒する。

劇場は大騒ぎとなり、我先にと観客は逃げ出し始めた。

群集は、出入り口を固めているSS兵を殴り倒して外へ出て行く。

「―――命令変更だゲオルグ。ナオミ・フェルナンデスの追跡はテティスとアキリーズに任せる」

「武装神父隊に? ベンゼン中佐の推薦とはいえ、あのような得体の知れない連中に任せるのは……」

「得体が知れないのは私たちも似たようなものだろ。だからロシアではなく砂漠に送られたのだ」

「……」

「お前が指揮を取って負傷者を連れて外へ出ろ。その間にわたしがあの《ディノザウラ》を倒す」

「可能なのですか?」

「わたしはそのためにここに来たのだ。だが《ディノザウラ》クラスの召喚獣は詠唱した程度で召喚できるわけがない。どうやってヤツは我々が来るのを知りえたのか………ありえない偶然、そこに神を見る。お前には神が見えるかゲオルグ?」

「……わたしにとってはあなたが神です。気をつけてください。ヤツは化け物です」

「わたしもだよ」

ソフィアはゲオルグに行けと命令すると、ゆっくりとした足取りで《暴君》に近づく。

 

 

―――――狼紋ヴェルズングの血において命ずる。

 

カツン、という堅い足音に反応した《暴君》が咆哮をあげる。

 

「グォオオオオオンッッッ!」

鼻息が蒸気機関車のようにプュー!と音を立てた。

その様相を見れば、並の人間ならば躊躇するだろう。

 

 

 

 

―――――汝、勝利を求める者、デリングの扉の前でルーンを唱えよ。

 

だが、ソフィアの顔に恐怖はなかった。

黒騎士は不敵な笑みを浮かべ、さあどっちが強いか力比べといこうぜ、と視線で訴える。

 

「試してみるか。でっかい“イモリ”め?」

 

 

 

―――――我は唱える。チュールの名を。我が右腕は勝利にして勇敢、軍神 ティルなり。

 

ソフィアは腰から舶刀ドラゴンターミネーターを抜いた。

儀式用に装飾されたそのパイレーツセイバーにはチュール神を意味する真神威文字(ルーネ)が刻まれており、美術品としては高い完成度を保っている。

だが、あまりに華奢な刀身は全力で斬れば簡単に折れてしまいそうだ。

ソフィアはシュンシュンと音を立てながら宙を切り裂く。

その軌跡はやはりチュール・ルーンを描いていた。

 

―――――我が血に宿りし狂える呪われた狼フェンリルよ。戒めの鎖グレイプニルを引きちぎり、我が血と骨を食いちぎれ。

 

床に剣を突き刺す。

普通ならば折れるが、ソフィアの剣は折れるどころか底なし沼に飲み込まれるように沈んでいった。

蒼い閃光。

ソフィアの剣は青白いプラズマを放っていた。

放電したようにも見える光は彼女の白い顔を青く染めあげる。

それは幻想の世界の技だった。

 

―――――神々の黄昏よ。今こそ始めよ。破滅の夜よ。湧きあがれ。

 

《暴君》が顎を開いた。

鋭いナイフのような牙を並ばせ、目の前の人間からすれば大地と空をつなぐような巨大な噛み付き。

上から、下から、何十という刃物が肉を切り裂く―――

 

――ラ  グ  ナ  ロ  ク!!!!!!

 

気合と共に突き刺さった剣を両手で引き抜く。

振りかぶった形で握られた大剣は、ソフィアがコマのようにくるりとまわるとすべてを一刀両断するように薙ぎ払われる。

剣は円の奇跡を描いて《暴君》のナイフを迎え撃った。

青い白い閃光を放つその刀身は人間大の巨大な刃。

剣とは思えない破壊力と、槍をもしのぐ長さを備えた超弩級の武器。

 

“黒騎士”は己の身長よりも大きな刀身を木の枝のように軽く払う。

鉄と鉄がぶつかり合い―――

ペキンっ!

一方が根元から完全にへし折れた音。

衝撃の瞬間、黒い鉄が熱されてオレンジの閃光を上げる。

一瞬の火花が散り、折られた一撃の刃がからん、と床に落ちてくるくると回る。

ソフィアの体が反作用でふわっと浮かび、地面と平行に飛んだまま壁まで吹き飛ばされる。

「アオオオオオ――――ン!!」

それは悲鳴なのだろうか。

牙をへし折られたヒューバが天に向かって雄たけびをあげる。

宙を舞うソフィアは壁に激突する前に体を捻り、猫のように壁に着地する。

屈伸で勢いを殺し、三角飛びで加速したまま床を蹴る。

たん、とステップするのような軽やかさで跳躍し、大剣を両手に構えて振りかぶる。

「人に使えぬ力…それを今こそ見せてやる。目に焼き付けるがいい!―――」

破壊の魔力を剣に籠め、長さと重量を活かして光り輝くオーロラの兜割りを放つ。

 

「――勝利を叫ぶ魔狼の剛剣フェンリス・イングルフ・アインハルト――!!」

 

斬り伏せるのではなく叩き伏せるための両手剣は蒼き流星の奇跡を描いた。

押し寄せる奔流の波がすべてをぶった斬る。

だが、そこに《暴君》の姿はない。

ゴウン、と空を切って石の床を砕き砂煙を巻き上げる両手剣の一撃。

爆薬を使ったような小型のクレーターができていた。

「ぬかった――――!?」

《暴君》は大きく長い尻尾を鞭のようにしならせてソフィアを叩く。

叩く、といった生ぬるいものではない。

クレーンのハンマーでぐちゅりと潰してしまうかの重い一撃。

ソフィアは剣で防ごうするが、重圧は彼女の体を空へ弾き飛ばしていた。

 「グオオオオッッ!!」

宙で身動きの取れないソフィアに襲い掛かる短剣の嵐。

《暴君》が宙のソフィアを噛み砕こうとする。

ソフィアはとっさに剣を立てて身を屈めた。

ずしゅ、と肉に刃物が食い込む感触。

《暴君》が顎を閉じたとき、両手剣がソフィアの肉体よりも先に突き刺さったのだ。

「チィ! さすがに大技は撃たせてくれぬか!」

噛み殺される寸前で脱出したソフィアを《暴君》の前足が狙いを定める。

着地する寸前だったソフィアは木竜に向かって叩きつけられた。

すかさず《暴君》は木竜ものともソフィアに体当たりをしかける。

バコォオオン!

重音な衝突音。

ダンプカーが突っ込んできたような衝撃で木竜は木っ端微塵になる。

「大尉!」

ゲオルグの悲痛な叫び。

あれでは押し潰れされて形も残らないだろう。

「いい攻撃だが、狼を仕留めるにはあと一歩足りなかったな!」

その声は瓦礫となった瓦礫となった木竜の数メートル先から聞こえてきた。

にやりと笑うソフィアの服はボロボロになっていた。

どうやら間一髪のところで抜け出していたようだ。

だが衝撃による真空刃は彼女の顔を傷つけ、赤い血が頬を垂れた。

ソフィアは傷を親指で拭ってぺろりと舐め、ぺっ!と唾を床に吐き捨てる。

 「どうした暴虐なる蜥蜴の王よ。キサマの力はその程度か。ならばこの体を餌にしてやるわけにはいかんな。わたしが欲しいならもっと気合を入れろ」

「オオオオオオン!!」

 「遠慮はいらん。全力で来い!」

挑発的な獲物の態度に怒り狂う《暴君》が、死者も墓から甦りそうな咆哮をあげて鋭い爪を突き立てる。

かすっただけでも四肢が千切れてしまいそうなプレッシャー。

だが、ソフィアは疾風のような体裁きでそれをよけて前進する。

《暴君》の攻撃は続く。

爪、噛み付き、尻尾、踏みつけ。

嵐のような攻撃が野獣の反射神経で放たれるが、ことごとくが空を切る。

ソフィアが間合いをあけて後ろに下がると同時に《暴君》が大地を蹴り飛翔した。

隕石のように巨大な質量が怒涛の勢いでソフィアに襲い掛かる。

投げつけられたステーキナイフのような噛み付きを紙一重でかわし、前足で潰されそうになるがタイミングを合わせて指の間をすり抜ける。

 「今のはおしかったな!」

「シャァァァァ!!」

重量感のある大剣を軽々と片手で操り、遠心力をつけて叩きつける。

突撃と離脱を繰り返すのがソフィアの戦法だった。

獲物を狙う餓えた狼のように、その大剣は狼の牙のように。

決して深入りせず、決して離れず。

相手の疲れを待っているかのように、じわじわと相手を追い詰めている。

先ほどのような大技は決して出そうとはしない。

たしかに《暴君》の巨体が相手では、いかにあの剛剣といえど一撃で倒すのは不可能だ。

急所は急所ゆえに、相手も必死で守る。

一撃必殺はありえない。

「…凄ぇ」

兵士に一人が呟いた

その目は明らかに見とれていた。

それはその場の兵士たちも同様だった。

あの恐ろしい竜を相手に彼女は剣一本で互角に戦っているのである。

それはまるで神話の再来だった。

おお、戦女神よ。

神々しくもあるソフィアの人間離れした戦いぶりに歓声が沸く。

何度も入念に練習と修練を重ねたアクションシーンのような動きの連続。

両手剣使いの黒騎士が音と共に空を斬り、その度に幾度となく傷つけられた《暴君》の動きが少しだが鈍る。

ついに《暴君》はソフィアを捕まえるために肉を斬らせて骨を絶つ手段に出た。

ソフィアの突撃。

黒い稲妻と化した黒騎士が間合いに入ったとき、《暴君》は両手を広げて逃げ道を塞ぐ。

《暴君》は全体重を架けてソフィアに圧し掛かろうとするために、上体を持ち上げた。

巨大な体でそのまま押しつぶそうとする。

そのときソフィアの目がキラリと光った。

黒騎士はこの瞬間、すなわち《暴君》が胸を見せる瞬間を待っていたのだ。

慌てずに低い姿勢で突きの構えを取る。

 「キサマは恐ろしい相手だった―――が、我が魔力ルーンの前には無力のものよ」

押しつぶされる前にソフィアが《暴君》の急所である心臓に剣を突き刺していた。

そのまま柄まで差し込む。

 

 

―――槍兵が賜った栄光の狼ブリッカー・イングヴァルト・ベルトゥルフ―――

 

刺さった大剣が最後の蒼い光を放つ。

それは先ほどのような力強い太陽の輝き光ではなく、静寂の彼方にひっそりと映る月の光のようだった。

心臓に電気ショックをされた患者のようにびくん!と暴君の体が震える。

「グオオオオオォォォォォ……」

《暴君》の力が無い断末魔の叫び。

心臓を貫かれ、トドメの一撃を刺された竜はそのまま後ろに倒れ、二度と動かなくなかった。

ずしゅっ。

胸から剣を抜くと血が滝のように流れ出た。

剣は元のレイピアに戻っていた。

先ほどの神々しい輝きも畏怖しさもない、ただの細剣。

《暴君》の胸に空いた穴からは湯気を出す熱い血液が噴出しソフィアの体を真っ赤に染める。

だがソフィアの体を赤く染めた《暴君》の返り血はすぐに消えた。

「大尉…! それは…」

 「…この竜はこの世のものではない。ゆえに死んだわけではない。“元の世界”に帰っただけだ。冥界の門ニーベルン・ヴァルグリンドは閉じられた」

ソフィアはそう答えるが、その意味がわかったものはいなかった。

竜の遺骸はあっという間に風化し、後に残ったのは瓦礫と化した大聖堂と怪我人の山。

どの顔にも驚愕と驚きが出ている。

今の今までのことは現実だったのか。

夢幻の如く、竜の遺体は消えている。

呆けているというより、何が起きたのか理解しきれていない兵士たちにソフィアが淡々と指示を出す。

この異常な戦闘を何のショックもなく受け入れているのは彼女だけだった。

 「《ディノザウラ》が門の向こうに帰ったとあれば、あの女もただではすまん。おそらく疲労と苦痛で動けまい。軍曹。動けるものを連れて連中を追いかけろ」

いつもどおりの指揮官の命令に部下が了解をする。

 「古代の神々よ…まだ何を望む。あなたたちはまだ滅びたりないというのか…」

黒騎士は一人呟くと、細剣を鞘に収めた。

その刃には血も油もなく、戦闘を証明する跡は何も残されていなかった。


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