疾風怒濤!!
strum und drang!!

 

 

―――― 同日 《ヘラクレア アブドカリーマ寺院 控え室前の廊下》

夜。

ほぼ完全に陽が沈み、闇の世界が訪れる。

しかしこの夜は静寂とは程遠い。

アブドカリーマ。

アラビア語で「聖なる知恵」を意味するこの建物は、今夜、邪悪な竜を倒した伝説の勇者を祭る劇の舞台となっていた。

「…で、この《ヘラクレア》の街があの聖ジョージ伝説の元になったシレナの国の首都だったのか?」

ヴォルフは手元のコインを見ながらドアの向こうにいるリューシーに質問した。

コインには馬に跨ったローマ騎兵が竜を倒している絵が彫られている。

アラビア数字の年号で「1897」年。

半世紀前の代物だ。

あれから服や荷物を探したが、見つかった所持金はこのコインだけだった。

今、自分がいるのがこの英国貨幣に描かれた伝説の元ネタになった地というのは何かの縁だろうか。

ヴォルフの質問にリューシーが笑って答える。

笑顔が初期設定デフォルトのような少女はやはり笑顔を浮かべていた。

「ふふ、伝説ですよ。ただの言い伝え。だって遺跡も何も残ってないんじゃ誰も確かめようがないじゃありませんか。この国リビアに残っているのはローマの遺跡ですよ。遺跡の規模はイタリアとは比べ物にならないほど広大なものです。特に、嘘つきが目を合わせると石になってしまうという「真実の」を見れば、きっと「来てよかった」と思いますよ。ローマにようこそハンニバル」

「…メデューサはギリシャであってローマじゃねぇだろ。それに「真実の」って、モロにイタリアのパクリじゃ…」

「こっちがオリジナルです!」

「いや、どっちが起源でもいいけど、俺は観光に来たわけじゃねぇんだぜ」

ヴォルフは昼間と同じ、橙色だいだいいろのシャツにサスペンダー付きのズボン姿だった。

リューシーがどこかから用意したものだ。

一体どこから調達したのか聞いたが「企業秘密」と笑って誤魔化された。

なんの企業秘密だか知らないが、ただで服を用意してもらったのだから感謝こそすれ、文句は無い。

しかしサイズがぴったりだが、どうやって調べたのだろう?

何を聞いても笑って誤魔化されてしまうが、あの笑顔を深く追求する気にはなれない。

そんなことをしても答えが返ってくるような気が全然しないからだ。

リューシーは劇に出演するらしく、さきほどから手前の部屋で着替えている。

廊下で待っているヴォルフは窓の外の明かりを眺めていた。

松明の明かりが暗い街に光る。

幻想的な風景だった。

街全体が遺跡のようなものだからだろうか、ふと、古代の世界に迷い込んだような気になってしまう。

神と人間が共存していたといわれる神話の時代。

力と名誉の時代。

そして今では滅んでしまった時代。

これが観光旅行だったら神秘的なこの雰囲気に酔いしれるところだが、残念ながら今の自分はバカンスで来ているのではない。

ヴォルフは街の風景から視線をそらすと、後ろの扉に向かって言った。

「ところで今夜の祭礼だけど、聖ジョージってのはキリスト教の聖人だろ? 俺ん家の近くの教会でも祭りがあったぜ。 なのにここでも祭ってるのか? ここの連中の多くは回教徒だろ。おかしいじゃねぇか」

「ここの人たちがゲオルギウスを祭る伝統は、ブリテンの王が彼をカトリックの聖人に祭り上げたのよりもずっと前から続いているんです。何百年も前からね。それにゲオルギウスは豊穣をもたらす神様。宗教に関係なく誰もが尊敬してます」

「そんなもんかね」

「そんなもんです。今夜は豊作を祈願する神聖な儀式。信仰は心のオアシスですよ」

「…で、その神聖な儀式とやらに昼間作っていた《あれ》が必要なのか?」

「もちろん」

カチャ。

ドアが開く音。

返事とともに部屋から金の刺繍が入った青いドレスを着込んだ褐色の少女が出てきた。

「どうです? 似合いますか? これってわたしがデザインしたんですよ」

「……」

「あの…似合いませんか?」

「いや、似合うには似合ってるんだが…」

何のパクリだ。

とヴォルフは思った。

ここはアフリカなのに、リューシーの着ている服はインドの伝統衣装であるサリーのアレンジっぽく見える。

「なんでもない。それよりもうすぐ出番だろ。しかし、ヒロイン役の娘が急病で出られないからってその代役を当日に頼むかね、普通」

「なんとかなります。わたしも練習は見てましたから台詞は暗記してます。今夜は戦争のことは忘れて楽しんでくださいね」

戦争、と言われてヴォルフは自分が兵隊であることを思い出す。

今日は久々に戦いを忘れて休ませてもらった。

だが、それも長続きするのは良くない。

ここに居座れば、帰りたくなくなってしまう。

「……」

明日には出発しよう。

きびすを返すリューシーに、ヴォルフは口元をわずかに緩ませて苦笑しながら小さく答えた。

「……ああ、楽しませてもらうさ。今夜がここで最初で……最後の休暇だ」

 

 

 

 

 

 

 

(…さて、どこに座ろうか)

控え室から客席にやってきたヴォルフは座る場所を探していた。

周りには仕事が終わって一服している住民たちがざわざわと話をしている。

もともとの土台は古代ローマ人が作った円形劇場だそうで、すでにこの頃からコンクリートが使われていたようだ。

その後も何度も増改築を繰り返し、現在では高さ55メートル、直径33メートルになっている。

音響を考慮した設計で、よく声が響くその巨大なドームの中は、いまやどこを見回しても人の山になっており、誰もがこの劇を楽しみにしていることがわかる。

奥に作られた舞台は即席とは思えないほどしっかりして見えた。

もっとも、自分が参加したのか骨組みの部分だからここからでは見えない。

赤いカーテンが下りており、今か今かと皆が待ち焦がれている。

適当な席を探して座っていると、

 「Excuse me.(すみません)」

白人の男性がいきなりヴォルフに英語で話しかけてきた。

歳はだいたい同じくらいの若者。

茶色の髪と幼さの残った顔立ち。

一見すると優男に見えるが、逞しい腕や胸はかなり鍛え込んでいることがわかる。

(登山家か…?)

どう見てもこれからキャンプに行く格好のアルク・フェルナンデスを見てヴォルフはそう思った。

青年の英語であるが、発音から英国人でないことがわかる。

連中の使う英語はもっと鼻にかかったキングス・イングリッシュだからだ。

 「隣、空いてますか?」

 「ああ。別に構わないぜ」

 「ありがとう。ルクス、ここが空いてるそうだ」

男の連れはやはり同じくらいの年頃の白人女性と地元に住んでいると思われる老人だった。

3人がヴォルフの横に座る。

 「あんたら、アメリカ人か?」

同じ異邦人同士で気になったのかヴォルフが質問する。

 「そうよん。あたしはルクス。こっちはアルク。で、この爺ちゃんがヘクター。あたしのパパがこの街にいてね、アメリカから訪ねてきたの」

金髪の少女はルクスと名乗った。

ドイツ語で「山猫」という意味だ。

とりあえずイギリス人ではないのならば問題ない。

アメリカは中立国だ。

とはいえ、彼らがスパイだったとしても下っ端の自分から得られる情報など新聞で誰でも知っていることくらいなものなわけだが。

「そーいうあなたは? その訛りだとドイツっぽいけど?」

「…ああ。そうだ。俺はヴォルフ・シュナイダー。ドイツから来た。目的は……観光だ」

 「ドイツ人が観光? この時期に、こんなところで?」

 「…」

 「あ。すまない。別にそーいう意味じゃないんだ」

アルクが首をかしげながら言うと、ヘクターがじろりと視線を投げる。

どうやら「こんなところ」という言葉がシャクに触ったようだ。

 「…俺は兵隊じゃない。だって兵隊ならこんな場所でのんきにしてるわけないだろ」

ヴォルフはうつむきながら視線を合わせないように答える。

明らかにこの話題を嫌がっていることを察して、アルクはそれ以上の質問をやめた。

わけありの人間には関わるべきではない。

アルクの経験がそう告げていた。

その横ではルクスとヘクターが話をしている。

 「あのさー、爺ちゃん。案内してもらったのはうれしいんだけど、あたしたちは人を探しているわけで劇を見に来たわけじゃないのね」

 「お前さんが探してるリューシアナッサはこの劇にでとる。どちらにしろ劇が終わるまでは訪ねることはできんぞ」

 「リューシアナッサ? あんたらリューシーさんの知り合いか?」

知り合いの名前を聞いたヴォルフが会話に参加する。

 「知ってるの?シュナイダーさん」

 「ヴォルフでいい」

 「じゃあヴォルフ。リューシアナッサさんを知っているの?」

 「まあな。で、あんたらは?」

 「直接は知らないわ。パパの居場所を知ってるのが彼女なの」

ブォ―――――!!!

低音オルガンのような音が響く。

先ほどの騒ぎが上映開始直前の映画館のように一気に静まる。

ウードのようなアラブ楽器による音楽が演奏され、ついに幕が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

                ――――――帝政ローマの時代……

                シレナの王国はオアシスに住む邪悪な竜に支配されていた。

                竜の吐く毒の息は作物を枯らし疫病を流行らせた。

                王は国中から屈強な戦士を集め、幾度となく竜の巣へ差し向けた。

                しかし帰って来るものは一人もいない。

                報告は全滅、全滅、また全滅……

                王はローマ皇帝に使いを出した。

                ローマの軍をこの地に派遣して竜を退治して欲しい。

                返事は「否」だった。

                ゲルマニアやペルシャとの戦争が続いているローマにはそのような力は残っていない。

                しかしローマ最強の戦士を派遣する。

                王は知らせを聞いて嘆いた。

                そのような戦士がいつ来るのか、来たとしても一人で何ができようか。

                王は竜の怒りをなだめるために羊を毎日捧げていた。

                だが羊の数には限りがあり、作物も枯れてしまっては羊を他から買うこともできない。

                国は貧しくなるばかりだった。

                困った王はより残酷な方法を選んだ。

                羊の代わりに若い乙女を生け贄として差し出したのだ。

                差し出される乙女はくじで決まったが、ついに王女の番となった。

                王は悲鳴を上げて叫んだ。

                竜を倒せるのは恐れを知らぬものだけ!

                そのものはおらぬか!

                そのものはおらぬか!

                臣下は黙して語らず、王と王妃のすすり泣く声が城に響く。              

                姫は笑顔を浮かべて両親をなだめた。

                大丈夫ですから……わたしは大丈夫ですから……

                弱々しい、震える声。

                美しくも悲しき姫の笑顔。

                姫はその日の昼、竜の住む砂漠のオアシスの岩場に連れて行かれた。

                緑の瞳に光る涙。

                とうとうこらえきれなくなり、たまった涙が頬を伝い始めた。

                絶望が入り混じった嗚咽。

                やがて日が沈み、竜が現れるという闇の時間となった……

 

 

 

 

 

 

 

「あの日からわたしの心は乱れ、智恵さえも沸かない。このまま邪悪な竜の花嫁となり、わたしは消えてゆく運命なのでしょうか?」

天井から降り注ぐ砂漠の月明かりが王女の顔を照らす。

蒼い光が彼女の顔を照らしていた。

濡れたように艶のある黒髪をポニーテールにしてターバンを巻いている。

その悲しみに潤んだ瞳は遥か遠くを見つめている。

瞳、鼻、口、前髪。

そして褐色の肌。

ヴォルフは自分が緑の目の令嬢の顔を見ながら呼吸するのを忘れていることに気がついた。

ほんの数秒だったが、完全に目を奪われていた。

―――――どくん。

心臓が鷲掴みされたような感覚。

―――――どくん。

身体中の血液が沸騰したように熱くなる。

瞬きすら忘れ、息することすら忘れ、

―――――どくん。

時間がゆっくり流れるように、心臓の鼓動が力強くはっきり聞こえる。

まるで他人の心臓のようだ。

「悲しい闇が私を蔽います。瞳は翳み、光は消え、闇に覆われてしまう。

漆黒の暗闇と恐怖が結びつき不安を生むのです。

誰が助けてくれるの? わたしは永遠なる闇の后になる運命なの?」

―――どくん。

静寂の空間にリューシーの言葉が響く。

言葉の意味がわからなくなる。

声。

透き通る声が耳に入るが頭が働かない。

ヴォルフはいつの間にか爪が食い込むほど手を握り込んでいた。

 (……なんだこの胸の高鳴りは………まさかな……)

苦笑がヴォルフの口元を歪めた。

たまたまツボにはまっただけさ、と自分の気持ちを単純に説明して納得させる。

(……きっとずっと砂漠にいたから女に飢えてるんだろう。そうだ。そうに違いない。これは単純な生理現象だ。疲れて眠くなるのと同じだ。俺があの娘に――だと?そんなことは有りえん。だって俺はあの娘の名前しか知らない……)

劇など眼中になかった。

ただ必死で自分の理解できない気持ちを理解しようと懸命だった。

――――どくん。

それは難解な方程式を試験時間限界まで解こうとする受験生のような気分であり、味もわからないくせに高級なワインを舌の上で転がしているような心境だった。

口の中が渇き、渇望が全身から溢れ出していた。

 「……彼女がリューシーさん?写真よりも年上に見えるわね」

ぼそりとルクスが小声で言った。

 「そうじゃな。あーしてキチンとしておるとクラークさんが口説いた気持ちもわからんでもないの」

 「え? じゃあ爺ちゃんの隣の家の娘ってリューシーさん?」

 「…やっぱり若い娘が狙いだったのか。まったく、クラークさんらしい…」

ヘクターの言葉にルクスとアルクが納得したようなコメントをする。

そのひそひそ声にびくっ!とヴォルフが反応する。

急にこちらを向かれてルクスが驚く。

「あらごめんなさい。劇の途中でおしゃべりはいけなかったわね。おほほほ…」

笑って誤魔化す。

ルクスはヴォルフがマナーが悪いと思ってこちらを向いたのだと思ったのだ。

しかし、ただびっくりしただけのヴォルフとしてはそんなことはどうでもよかった。

早鐘を打つ心臓の音が彼らに聞こえるはずはない。

ようやく我に戻り、ゆっくり舞台を見る。

場面はすでに次のところに移っていた。

アンドロメダのように岩場に鎖でつながれた王女に迫る巨大な黒い影。

高さは10メートル、横はその倍はありそうな邪悪な竜のご登場だ。

ただし木製の。

舞台に登場したのは木製の竜だった。

ステージの横からロープで引っ張っているのだろう。

反対方向からだんだんとその姿が現れる。

昼間の作業中にリューシーから聞いた話では、この物語の最後は竜が倒されると、竜の死体は肥沃な大地となる。

そして劇が終わると伝説にちなんでこの木製の竜を解体して、その年の燃料や肥料などに使うそうだ。

これが《ヘラクレア》で毎年行われる豊沃を祈る儀式である。

それにしてもでかい。

ここまで巨大なものを作る必要があるのかと思うほどにでかい。

竜は太くて短い四本足と尻尾で胴体を支えており、ひたすら肥えて太ったキリンのように見える。

明かりがないことが幸いだった。

昼間に見た、小学生の作ったようなあの姿では迫力も何もないが、この暗いステージならば見えにくい分、かなりの迫力がある。

 「…なんじゃあれは?」

毎年この劇を見ているヘクターが疑問の声を上げた。

ヘクターだけではなかった。

周りの観客が次々にひそひそ声で話している。

当然だった。

なぜなら木製の竜の腹が内側から「がこん!」と力づくで割られ、中から人が次々と出てきたからだ。

 「……」

舞台上のリューシーも何が起こったのかわからず驚きを隠せない。

二十人以上の人間が竜の中から出てくるなどという演出はまったく聞いていないのだから当然である。

 「……ねぇアルク。これってアレンジ入ってるけど一応は聖ジョージ伝説の劇よね?なのに、なんでトロイの木馬が出てくるの?」

 「さあ?」

ルクスが言った「トロイの木馬」とはギリシャ神話に出てくる巨大な木製の馬である。

トロイア戦争でギリシャ軍がこの中に兵士を隠していたというのは有名な話だが、目の前の馬の中の人はギリシャ兵ではなかった。

いろんな人種で構成されているが、ほぼ全員が黄褐色の同じ軍服を着ており、モーゼル小銃で武装している。

一人だけ明らかに別の格好をしている人物がいた。

黒いコートに、黒い野戦略帽。

帽子には海賊旗のような黒地に白いドクロマークが入っている。

他の兵士と違って小銃は持っていないようだが、代わりに船乗りの剣パイレーツセイバーを腰に下げている。

18世紀のドイツとロシアで軍刀として使われたサーベルに似た種類の剣だ。

ルクスとアルクはあの装飾品のような剣に見覚えがあった。

ここに来る前に街で見かけたあの女性(ひと)だ。

 「ようやく会えたな、ナオミ・フェルナンデス」

ナチス親衛隊の制服を身にまとった勇ましいその女性は、攻撃的で厳しい視線をリューシーに向けてそう言った。


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